ここはどこ?私はだれ?【増5】 投稿日時: 2019年1月22日 投稿者: 米手作市 これは難しいぞ! 夏の昼下がりでした。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: ここはどこ?私はだれ?【臨4】 ここはどこ?私はだれ?【臨】 ここはどこ?私はだれ?【増6】 ここはどこ?私はだれ?【増2】 ここはどこ?私はだれ?(5) ここはどこ?私はだれ?(4) ここはどこ?私はだれ?(3) ここはどこ?私はだれ?
米手作市様 調子に乗ってまたコメントさせていただきます。 今回は手掛かりになるものが殆どありません。機関車はC型で従台車が2つでC60,C61,C62のいずれかは間違いのないところですが、ドームが長いようなのでC62ではないかと推察します。1960年代の初めころC62の配属は山陽本線、常磐線、函館本線でしたので、このいずれか。まず単線なので山陽本線は除外、函館本線の場合、客車が二重窓ではないようなのでこれも除外しました。残るは常磐線ですが場所が全く手掛かりがありません。単線の非電化区間であったことより当時の平から岩沼間のどこかで、これより先は全くの推測ですが、古典機、地方鉄道までカバーされていた米手作市様なら、四ツ倉にあった住友セメントの600型蒸機と合わせて訪問され、このあたりで撮られた1枚ではないでしょうか。 返信 ↓
今日は乙訓の長老様のご尊顔を拝するために写真展へ行って参りました。 会場では山科の人間国宝様、長老様はじめ会員諸氏と紫の1863様、ほへほへ様など会友の皆様にもお目にかかれて楽しいひとときを過ごしました。 その折に「あの写真の場所は手がかりがないからわからへん!」などと猛抗議を受けてしまったのです。出題者としてはこんな手がかりもない写真を出すのは失敗かもしれませんが、投稿即正解との瞬殺は避けたいのです。 この写真では86さんのお答えがほぼ限界かもしれません。実に名推理です。会場でもお二人だけが“常磐線”と絞り込まれていました。 もう少しコメント数を稼ぎたいので駅名をお考えください。 返信 ↓
外野より失礼します。ここ(駅間)はどこ?の方は、難し過ぎですが、私はだれ?の方は、もう少し解明できるかと。機関車は、大津の86さまの御指摘通りC62です。このC62よく見ると、コンプレッサ前方に、動力逆転器が見えません。常磐線で働いたC62の中では、10号機、37号機が手動に改造されておりましたので、米手さまが捉えたこのC62は、その何れかではと、推察致します。またサボ受けに列車名票が入っているらしく、また南北に走る常磐線でサイドに陽が当たっているようですから、上り(=南行き)の急行のような、気がします。 返信 ↓
宮崎繁幹様 コメント数を上げて頂き感謝いたします。 ご指摘の通りC6237です。ただし進行方向は「下り」、つまり北行きです。 昭和38年8月の昼下がりだったと記憶しています。 駅名はムリでしょうから皆様正解でいいでしょうが、最後に用意しておいたヒント写真(反対方向を撮った)をご覧下さい。これで駅名が分かったら“スーパーテッチャン”! 後方に駅の跨線橋が見えます。この急行は通過しました。 返信 ↓
再び外野より失礼致します。米手さまの挑戦を受けてみましょう。頂いたヒントの写真だけでは判りません。しかし写真に含まれた情報と、米手様のコメントで手掛かり十分と存じます。1.駅の北方に橋梁があること。2.橋を渡ると、線路は右へカーブし、前方右側に小山が見えること。1の条件を満足する駅は、北から相馬、小高、富岡、久ノ浜の4駅です。しかし、2の条件を併せ持つのは、久ノ浜しかありません。そこで、グーグルのストリートビューを見ますとありました。米手さまと同一地点に立つことは出来ませんが、恐らく鉄橋を渡った線路際に、56年前立たれてこの列車を捉えられたのでしょう。時空を超え、追体験をさせて頂きました。 返信 ↓
本日は写真展会場で米手様とお会いし、楽しい時間を過ごせましたこと、厚く御礼申し上げます。 C62の現役時代を知らないヤングですが、何とか突き止めてやろうと四苦八苦しているうちに、宮崎様に先を越されてしまいました。米手様のコメントから常磐線・昭和38年8月・下りの急行を手掛かりに、草野~岩沼間に絞りました。2枚目の画像にある工場らしき施設から、磐城セメント四ツ倉を連想し、昭和38年の四ツ倉にどろ~んを飛ばすことにしました。ところが昭和50年頃にしか行けず、また、四ツ倉のセメント工場は線路の西側に位置しており、写真とは矛盾が生じます。 ここで諦めるのもはばかられ、岩沼まで常磐線沿いに飛ばして、宮崎様と同じ条件に見合う線形を探してみました。四ツ倉から北上し、久ノ浜上空に差し掛かった時、条件に適う線形を発見しました。しかし、工場が見当たりません。他をあたることにして、どろ~んは北を目指します。全ての条件に適う駅が見つけられないまま岩沼に到着しました。見落としたのかもしれないと南下し、何度往復したことか。これはアカン!白旗を上げて降参するしかないとあきらめかけた時、宮崎様のコメントを見つけました。工場以外の条件はすべて満たされ、間違いないと思います。7年の間に工場は閉鎖され、跡地は住宅に変わっていました。 返信 ↓
宮崎繁幹様、紫の1863、そして大津の86様、お見事! 久ノ浜、正解です! どうしてここにしたのか忘れましたが、当時は理由があったのでしょう。 午前中に平機関区を訪れてからここへ来たのは覚えています。 しかし、ここのお客様はただ者ではないですな? 久ノ浜駅跨線橋から撮った写真を正解の証拠として貼ります。 返信 ↓
米手作市様
調子に乗ってまたコメントさせていただきます。
今回は手掛かりになるものが殆どありません。機関車はC型で従台車が2つでC60,C61,C62のいずれかは間違いのないところですが、ドームが長いようなのでC62ではないかと推察します。1960年代の初めころC62の配属は山陽本線、常磐線、函館本線でしたので、このいずれか。まず単線なので山陽本線は除外、函館本線の場合、客車が二重窓ではないようなのでこれも除外しました。残るは常磐線ですが場所が全く手掛かりがありません。単線の非電化区間であったことより当時の平から岩沼間のどこかで、これより先は全くの推測ですが、古典機、地方鉄道までカバーされていた米手作市様なら、四ツ倉にあった住友セメントの600型蒸機と合わせて訪問され、このあたりで撮られた1枚ではないでしょうか。
今日は乙訓の長老様のご尊顔を拝するために写真展へ行って参りました。
会場では山科の人間国宝様、長老様はじめ会員諸氏と紫の1863様、ほへほへ様など会友の皆様にもお目にかかれて楽しいひとときを過ごしました。
その折に「あの写真の場所は手がかりがないからわからへん!」などと猛抗議を受けてしまったのです。出題者としてはこんな手がかりもない写真を出すのは失敗かもしれませんが、投稿即正解との瞬殺は避けたいのです。
この写真では86さんのお答えがほぼ限界かもしれません。実に名推理です。会場でもお二人だけが“常磐線”と絞り込まれていました。
もう少しコメント数を稼ぎたいので駅名をお考えください。
外野より失礼します。ここ(駅間)はどこ?の方は、難し過ぎですが、私はだれ?の方は、もう少し解明できるかと。機関車は、大津の86さまの御指摘通りC62です。このC62よく見ると、コンプレッサ前方に、動力逆転器が見えません。常磐線で働いたC62の中では、10号機、37号機が手動に改造されておりましたので、米手さまが捉えたこのC62は、その何れかではと、推察致します。またサボ受けに列車名票が入っているらしく、また南北に走る常磐線でサイドに陽が当たっているようですから、上り(=南行き)の急行のような、気がします。
宮崎繁幹様
コメント数を上げて頂き感謝いたします。
ご指摘の通りC6237です。ただし進行方向は「下り」、つまり北行きです。
昭和38年8月の昼下がりだったと記憶しています。
駅名はムリでしょうから皆様正解でいいでしょうが、最後に用意しておいたヒント写真(反対方向を撮った)をご覧下さい。これで駅名が分かったら“スーパーテッチャン”!
後方に駅の跨線橋が見えます。この急行は通過しました。
再び外野より失礼致します。米手さまの挑戦を受けてみましょう。頂いたヒントの写真だけでは判りません。しかし写真に含まれた情報と、米手様のコメントで手掛かり十分と存じます。1.駅の北方に橋梁があること。2.橋を渡ると、線路は右へカーブし、前方右側に小山が見えること。1の条件を満足する駅は、北から相馬、小高、富岡、久ノ浜の4駅です。しかし、2の条件を併せ持つのは、久ノ浜しかありません。そこで、グーグルのストリートビューを見ますとありました。米手さまと同一地点に立つことは出来ませんが、恐らく鉄橋を渡った線路際に、56年前立たれてこの列車を捉えられたのでしょう。時空を超え、追体験をさせて頂きました。
本日は写真展会場で米手様とお会いし、楽しい時間を過ごせましたこと、厚く御礼申し上げます。
C62の現役時代を知らないヤングですが、何とか突き止めてやろうと四苦八苦しているうちに、宮崎様に先を越されてしまいました。米手様のコメントから常磐線・昭和38年8月・下りの急行を手掛かりに、草野~岩沼間に絞りました。2枚目の画像にある工場らしき施設から、磐城セメント四ツ倉を連想し、昭和38年の四ツ倉にどろ~んを飛ばすことにしました。ところが昭和50年頃にしか行けず、また、四ツ倉のセメント工場は線路の西側に位置しており、写真とは矛盾が生じます。
ここで諦めるのもはばかられ、岩沼まで常磐線沿いに飛ばして、宮崎様と同じ条件に見合う線形を探してみました。四ツ倉から北上し、久ノ浜上空に差し掛かった時、条件に適う線形を発見しました。しかし、工場が見当たりません。他をあたることにして、どろ~んは北を目指します。全ての条件に適う駅が見つけられないまま岩沼に到着しました。見落としたのかもしれないと南下し、何度往復したことか。これはアカン!白旗を上げて降参するしかないとあきらめかけた時、宮崎様のコメントを見つけました。工場以外の条件はすべて満たされ、間違いないと思います。7年の間に工場は閉鎖され、跡地は住宅に変わっていました。
すみません、何を考えていたのか『12年』とするべきところを、誤って『7年』と書き込んでしまいました。12年も経てば、風景が変わっていても仕方がありません。謹んで訂正し、お詫びを申し上げます。
宮崎繁幹様、紫の1863、そして大津の86様、お見事!
久ノ浜、正解です!
どうしてここにしたのか忘れましたが、当時は理由があったのでしょう。
午前中に平機関区を訪れてからここへ来たのは覚えています。
しかし、ここのお客様はただ者ではないですな?
久ノ浜駅跨線橋から撮った写真を正解の証拠として貼ります。