ここはどこ?私はだれ?(3) 投稿日時: 2018年12月31日 投稿者: 米手作市 最初の写真で年末までは行くだろう、とタカをくくっていましたが、準特急さんの言うとおり土俵際まで攻め込まれ苦戦をしております。 この手の写真はどなたでもお持ちでしょうから気楽に投稿してほしいとの考えで載せたのですが、オッとどっこい、我が会員は情け容赦もなく蹴散らし、穏やかな気持ちで新年を迎えようとしていた病いの身をパソコンに括り付けています。 では、第三問。 関連記事: ここはどこ?私はだれ?【臨4】 ここはどこ?私はだれ?【臨2】 ここはどこ?私はだれ?【臨】 ここはどこ?私はだれ?【増6】 ここはどこ?私はだれ?【増2】 ここはどこ?私はだれ?(5) ここはどこ?私はだれ?(2) ここはどこ?私はだれ?
はい、即妙のヒント、ありがとうございます。 牽引機は両方ともC62ですね、すると、単機区間の函館~長万部でのC62交換となります。「まりも」は、昭和40年10月改正で分割され、函館~札幌は「ていね」、札幌~釧路は「まりも」になりますから、単機のC62「まりも」が撮影可能なのは、それ以前の時代となります。当時の運用を見ると、函館に顔を出すのは「まりも」上下のみで、14時28分発下りと、15時08分着の上りが接近しています。この中間の時間帯で、写真の交換が行われている訳で、そこから割り出した駅が、渡島大野です。いまの新函館北斗ですね。私も「北のC62」で記しましたが、渡島大野と新函館北斗、同一駅とは信じられません。 返信 ↓
まってました! 御両所ともほぼ正解とします。 撮影は40年8月です。 場所は仁山信号所、どちらかが遅延していたのでしょうか、偶然の交換でした。私はマシ35を撮影したかったのです。その時の写真です。 返信 ↓
米手さま 渡島大野では無く、となりの仁山信号場ですか。ネタばらしをしますと、雑誌のC62特集に、「まりも」は渡島大野交換と書いてあり、そのまま載せました。仁山はスイッチバックですから、この先に引上線もあるのでしょう。この写真は、すると、上り「まりも」に乗車され、交換待ちを利用して、反対側へ行き、下り「まりも」を撮られたのでしょうか。 仁山信号場、と言えば、準特急さんにとっては思い出深い場所と聞いています。またその思い出も聞きたいものです。 返信 ↓
総本家青信号特派員さま 39年10月改正ダイヤでは渡島大野交換が所定で、下り交換停車上り通過でした。この写真が撮られた時は上りまりもが遅延して、下りの通過待ちをしていたものと思われます。仁山「駅」(現在。我々の感覚では信号場ですね)はとうの昔に駅になっていますが、少なくとも5~6年前頃はバラックのような小さい駅舎の出入口上に堂々と「仁山信号場」との駅名看板が掲げられていました。実態からするとどちらでもよかったのかもしれませんね。その頃以前は写真の下りまりもの後部付近から右に分岐していた加速線跡が車窓から見えていましたが、間もなく草木が茂ってわかりにくくなりました。 返信 ↓
特派員さん、1900生さん この日は早くから仁山信号所に詰めていました。行き帰りのことは覚えていませんが、偶然に遅延が発生したのか上下交換にであい、ラッキー!でした。 引き上げ線が写っている一枚です。 返信 ↓
米手作市さま 総本家青信号特派員さま おっ、これぞ引上げ線です。ここで引上げた列車に乗ったかどうか記憶がありません。それよりこの写真にはやはり後部に補機が付いていますね。実はこれが永年の疑問でした。当時普通列車は単機牽引でしたが、長編成の夜行準急「たるまえ」や急行「まりも」には補機が付いていて、渡島大野にちゃんと停車していました。疑問はその写真を見た覚えがなく、何かの記事を読んで知っているに過ぎなかったことでしたが、この写真を見て疑問が解消しました。ついでにもう一つの疑問です。では渡島大野で付いた補機はどこで開放していたかです。時刻表を見ると下り「まりも」は大野14:48発大沼公園15:02発となっています。14分間の運転時分で開放可能なのかという点です。この区間の他の列車の最短時分は単機SL牽引の普通レが27分、普通DCが20分、DC急行が大野通過で13分前後と推定されます。とすると補機が付くとはいえ「まりも」の14分というのは相当早いということになり、大沼公園では開放できないのではないかと思ったものでした。因みに公園の次は森に停まりますが停車時間はわずか1分です。最大では1分45秒の可能性もあり、これなら何とか開放はできそうで、漠然と森まで補機付きと考えていました(公園~森間は殆ど回送ですが)。ここでふと思い出したのが10年ほど前に三笠鉄道公園の売店でグッズとして売られていた北海道の明治40年から昭和46年までのダイヤ集のことでした。その中の39年10月改正ダイヤを見ると、あにはからんや補機は大沼公園駅で開放され、直ぐに大沼まで回送されていました。さらに「まりも」の公園停車には〇が付され、2分未満の停車であったこともわかりました。となると公園15:02発の直前に着いて直ちに開放されたのでしょうが、そうなると連結器だけのドッキングで、エアーホース等は繋がれていなかったと思われます。 さて余談1:時期は忘れましたが(藤城線開通・複線化後)ある時のダイヤ改正で、仁山→大沼間を30分を要して走るDCローカルが誕生しました。わずか数年間で次の改正では所定の11分間に戻りましたが、これも仁山にまつわる疑問点の一つでした。最初はてっきり誤植だと思いましたがどうもそうでもなく、最終的には時刻表からダイヤグラムを作成するなどして検証したところ、丁度その時間帯に上り優等レや貨物が接近して走ったり、交換もあることがわかりました。加えて当時仁山は信号場のため旅客用ホームが片方にしかなく、この普通DCは客扱い後引上線に引上げたまま20分近く退避してから再出発していたのではないかとの結論に至りましたが、今でもそれが正解かどうかはわかりません。もう一度ホームに停まることは できなかったのか不思議ですが、DCも引上線から加速発車していたならやはりこういうダイヤにならざるを得ないことになりますが。 余談2:ところでそのダイヤによれば函館~大沼間はまだ単線で、仁山信号場の1.6㎞大沼寄りに「熊の湯」といういかにも北海道を象徴するかのような名称の信号場が在ったことがわかります。地図で確認すると小沼湖畔に出る前の峠のトンネルの少し南側、藤城迂回線や国道と交差する辺りに在ったようです。当然藤城線開通後に廃止されたと思われます。 以上、仁山にまつわる雑学講座でした。 返信 ↓
訂正です。 余談2の冒頭、「函館~大沼間は単線」とあるは「七飯~大沼間」が正当でした。函館~七飯間は既に複線化されていました。お詫びして訂正いたします。ついでに長万部までで他に複線化されていたのは大沼~森間が砂原回りの別線、及び石倉~落部間のみでした。なお46年7月改正時点では先の区間に加え落部~八雲間、山崎~黒岩間、北豊津~長万部間が複線化されています。 返信 ↓
解答が出ないのでかなりの難問だったようですね。
ではヒントを出します。
停車中の列車は急行「まりも」です。
米手様
銀山駅では?
はい、即妙のヒント、ありがとうございます。
牽引機は両方ともC62ですね、すると、単機区間の函館~長万部でのC62交換となります。「まりも」は、昭和40年10月改正で分割され、函館~札幌は「ていね」、札幌~釧路は「まりも」になりますから、単機のC62「まりも」が撮影可能なのは、それ以前の時代となります。当時の運用を見ると、函館に顔を出すのは「まりも」上下のみで、14時28分発下りと、15時08分着の上りが接近しています。この中間の時間帯で、写真の交換が行われている訳で、そこから割り出した駅が、渡島大野です。いまの新函館北斗ですね。私も「北のC62」で記しましたが、渡島大野と新函館北斗、同一駅とは信じられません。
まってました!
御両所ともほぼ正解とします。
撮影は40年8月です。
場所は仁山信号所、どちらかが遅延していたのでしょうか、偶然の交換でした。私はマシ35を撮影したかったのです。その時の写真です。
米手さま
渡島大野では無く、となりの仁山信号場ですか。ネタばらしをしますと、雑誌のC62特集に、「まりも」は渡島大野交換と書いてあり、そのまま載せました。仁山はスイッチバックですから、この先に引上線もあるのでしょう。この写真は、すると、上り「まりも」に乗車され、交換待ちを利用して、反対側へ行き、下り「まりも」を撮られたのでしょうか。
仁山信号場、と言えば、準特急さんにとっては思い出深い場所と聞いています。またその思い出も聞きたいものです。
総本家青信号特派員さま
39年10月改正ダイヤでは渡島大野交換が所定で、下り交換停車上り通過でした。この写真が撮られた時は上りまりもが遅延して、下りの通過待ちをしていたものと思われます。仁山「駅」(現在。我々の感覚では信号場ですね)はとうの昔に駅になっていますが、少なくとも5~6年前頃はバラックのような小さい駅舎の出入口上に堂々と「仁山信号場」との駅名看板が掲げられていました。実態からするとどちらでもよかったのかもしれませんね。その頃以前は写真の下りまりもの後部付近から右に分岐していた加速線跡が車窓から見えていましたが、間もなく草木が茂ってわかりにくくなりました。
特派員さん、1900生さん
この日は早くから仁山信号所に詰めていました。行き帰りのことは覚えていませんが、偶然に遅延が発生したのか上下交換にであい、ラッキー!でした。
引き上げ線が写っている一枚です。
米手作市さま 総本家青信号特派員さま
おっ、これぞ引上げ線です。ここで引上げた列車に乗ったかどうか記憶がありません。それよりこの写真にはやはり後部に補機が付いていますね。実はこれが永年の疑問でした。当時普通列車は単機牽引でしたが、長編成の夜行準急「たるまえ」や急行「まりも」には補機が付いていて、渡島大野にちゃんと停車していました。疑問はその写真を見た覚えがなく、何かの記事を読んで知っているに過ぎなかったことでしたが、この写真を見て疑問が解消しました。ついでにもう一つの疑問です。では渡島大野で付いた補機はどこで開放していたかです。時刻表を見ると下り「まりも」は大野14:48発大沼公園15:02発となっています。14分間の運転時分で開放可能なのかという点です。この区間の他の列車の最短時分は単機SL牽引の普通レが27分、普通DCが20分、DC急行が大野通過で13分前後と推定されます。とすると補機が付くとはいえ「まりも」の14分というのは相当早いということになり、大沼公園では開放できないのではないかと思ったものでした。因みに公園の次は森に停まりますが停車時間はわずか1分です。最大では1分45秒の可能性もあり、これなら何とか開放はできそうで、漠然と森まで補機付きと考えていました(公園~森間は殆ど回送ですが)。ここでふと思い出したのが10年ほど前に三笠鉄道公園の売店でグッズとして売られていた北海道の明治40年から昭和46年までのダイヤ集のことでした。その中の39年10月改正ダイヤを見ると、あにはからんや補機は大沼公園駅で開放され、直ぐに大沼まで回送されていました。さらに「まりも」の公園停車には〇が付され、2分未満の停車であったこともわかりました。となると公園15:02発の直前に着いて直ちに開放されたのでしょうが、そうなると連結器だけのドッキングで、エアーホース等は繋がれていなかったと思われます。
さて余談1:時期は忘れましたが(藤城線開通・複線化後)ある時のダイヤ改正で、仁山→大沼間を30分を要して走るDCローカルが誕生しました。わずか数年間で次の改正では所定の11分間に戻りましたが、これも仁山にまつわる疑問点の一つでした。最初はてっきり誤植だと思いましたがどうもそうでもなく、最終的には時刻表からダイヤグラムを作成するなどして検証したところ、丁度その時間帯に上り優等レや貨物が接近して走ったり、交換もあることがわかりました。加えて当時仁山は信号場のため旅客用ホームが片方にしかなく、この普通DCは客扱い後引上線に引上げたまま20分近く退避してから再出発していたのではないかとの結論に至りましたが、今でもそれが正解かどうかはわかりません。もう一度ホームに停まることは
できなかったのか不思議ですが、DCも引上線から加速発車していたならやはりこういうダイヤにならざるを得ないことになりますが。
余談2:ところでそのダイヤによれば函館~大沼間はまだ単線で、仁山信号場の1.6㎞大沼寄りに「熊の湯」といういかにも北海道を象徴するかのような名称の信号場が在ったことがわかります。地図で確認すると小沼湖畔に出る前の峠のトンネルの少し南側、藤城迂回線や国道と交差する辺りに在ったようです。当然藤城線開通後に廃止されたと思われます。
以上、仁山にまつわる雑学講座でした。
訂正です。
余談2の冒頭、「函館~大沼間は単線」とあるは「七飯~大沼間」が正当でした。函館~七飯間は既に複線化されていました。お詫びして訂正いたします。ついでに長万部までで他に複線化されていたのは大沼~森間が砂原回りの別線、及び石倉~落部間のみでした。なお46年7月改正時点では先の区間に加え落部~八雲間、山崎~黒岩間、北豊津~長万部間が複線化されています。
再訂正。
46年では藤城線が開通していますので七飯~大沼間も別線により複線化されいたことになります。度々で恐縮です。