ここはどこ?私はだれ?【増2】

遊びのつもりではじめたのが、なかなかの強者相手と分かりましたのでフンドシを締め直して増結します。

 

ここはどこ?私はだれ?【増2】」への10件のフィードバック

  1. たびたび外部からお邪魔します。
    「ここはどこ?」を毎回楽しみにしておりますが、早速の増発有難うございます。う~ん、これは難しい、と言いたいところですが、後ろに見える「ガソ101」は大きなヒントになりました。国鉄〇〇西線の△△駅に連絡していた、後に日本〇〇観光や◇◇急行電鉄を名乗る、アノ軽便線ではないでしょうか? 
    古書のイベントで叩き売っていた湯口先生の「私鉄紀行 奥の細道」を開き、個性あふれる客車がいたことを、遅ればせながら知りました。

  2. ベテラン趣味者の方々の、豊かで貴重な記録を、普段から強い関心を持って拝見しております。
    この鉄道のこと、そのあまりにひどい末路は、自分も湯口先生の「奥の細道」で知りました。
    この愛すべき鉄道を食い物にした二人の男の消息は、湯口先生も、RMライブラリー「日本硫黄沼尻鉄道部」を書かれた青木栄一先生も調査しきれていなかったようです。
    乗っ取りで社長になった薬師寺一馬(明治45年大分県生まれ)は戦前に群馬県鬼石町(現藤岡市)に移り住んできた土建業者、鉄道会社倒産以降の遍歴は定かでありませんが、平成5年8月時点でも本拠だった群馬県鬼石町で健在で、当時「福田康夫後援会奥多野連合会長」を名乗っていました(薬師寺の死亡年はまだわかっていません)。
    また、副社長になった住谷甲子郎(大正13年群馬県生まれ)は福田赳夫元首相の甥で、関東信越国税局勤務から昭和26年に大蔵省の外郭団体に天下り、昭和30年には独立して経営コンサルのようなことを始めた人物ですが、平成12年頃までコンサルとして現役で、平成12年または13年に死亡したらしいことがわかりました。
    乗っ取りで倒産した時期の「○○急行電鉄」の本社所在地は東京の有楽町でしたが、その後も長く住谷甲子郎の個人事務所「大蔵経営経理研究所」の所在地になっていたようです。
    なお大蔵省主計局長だった福田赳夫氏は、昭和23年の昭電疑獄で逮捕され、無罪となるも下野、昭和27年の衆院選に立候補して当選しています。長男で後の首相・康夫氏に後継を委ね引退したのは平成2年でした。
    首相となるほどの方の身辺に、この種の不思議な案件が去来することは、新潟県で長岡鉄道の社長などをお勤めになった方に限らないようです。

  3. 外部から失礼いたします。
    沼尻ももちろん貴重ですが、左のC2?型貨車移動機も貴重な記録だと思います。

    • 古典軌条様
      おっしゃる通り左の貨車移動機が貴重ですね。国鉄C2型に間違いないでしょう。戦前のC型を戦後改良して、計140両作られた中の1両のようです。神奈川県の橋本工機部で50両ほど、そして京都工機部で55両作られたとされています。残りは長野、浜松、多度津工場製だそうです。いずれも内燃機関職場があった工場ですが、特に橋本と京都は自動車部門があって、C2型は自動車用エンジンを再生利用する設計だったために、両工機部が主力工場になったようです。最大牽引定数は換算7両だそうです。ところで、もう一つ注目したいのは右手にある、昔のガソリンスタンドの給油機のように見える箱状の機器です。沼尻からセタで運ばれてきた粗硫黄を貨車ごと計量する計量器です。そしてその計量器より画面のずっと右手にセタから国鉄トム、トラへ積み替える貨物上屋があったようです。C2はトム、トラの空車は移動できても、硫黄を満載した積車はD50などに任せたのでしょう。昭和43年に営業を休止したこの鉄道は、草軽などとともに中高生には訪れたくても遠すぎて行けなかったあこがれの鉄道です。ところで米手様、京都工機部は西大路駅の南の方にあったそうですが、どのあたりにあったのでしょうか?

      • 西村雅幸様
        貨車移動機の解説、ありがとうございます。見たことのない姿で、最初は沼尻のDLかと思ったのですが、後ろの無蓋車が国鉄形なので、訳が分かりませんでした。西村様のコメントを読んで、なるほどそうやったんかと納得した次第です。
        「ガソ101」や「ボハ」「ボハフ」は写真集や雑誌で見ていましたが、このような貨車移動機がいたことや、計量器のことなど、知らないことの連続に奥の深さを痛感しました。薄っぺらな知識だけで知ったような気になっていましたが、まだまだ勉強しなければと考えております。また、ご教示を宜しくお願いします。

        • 紫の1863様
          いえいえ、諸先輩方の著作から転記しただけの にわか勉強にすぎません。おっしゃるように奥が深く知らないことが多いという点は全く同感です。引続きデジ青をご愛顧下さい。ありがとうございました。

  4. すこし風邪をこじらせて伏せっていましたが、その間に世間では大変なことになっていたようで、申し訳ございません。
    profenigma様や古典軌条様、それに紫の1863様と西村さん、病弱な私の穴を埋めてくださいましてありがとうございます。こんなしょうも無い写真にもすばらしい解説が付くと値打ちが出てくるというものです。特にprofenigma様のお話しには恐ろしささえ感じました。西村さんのいつもながらの傍目八目(岡目八目とも書く)的知識には感心しきりです。お礼に国鉄自動車工場の写真を別項で貼ります。

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