ここはどこ?私はだれ?【増1】

ご好評に(一部の方だけですが)より増結致します。

21 thoughts on “ここはどこ?私はだれ?【増1】

    • 西村雅幸さま
      それがよろしいようで。まことどなた様からも回答が無いときに答えましょう。

  1. 子どもの頃、両親に連れられて帰省の際、下り列車に乗っているとこの駅から突然風景が田舎らしくなって客車のジョイント音ものんびりした響きになり、いつもその先の大駅で駅弁を買ってもらって食べたものです。その後この駅の隣りに名古屋大須の秘宝館主の駅ができました。

    • 失礼いたしました。訂正します。
      「この駅から突然風景が」→「当時この駅のひとつ手前の駅から突然風景が」
      が正です。

  2. この写真でわかるか?!
    分かるはず無いと思ってヒントの写真も用意しておいたのにムダになったやないか!
    でも、井原さん以外は西村さんの地図も読めないし、微妙に答えをはぐらかしているところが怪しい。

  3. 米手作市様
    まだお疑いのようですが、K.H.生殿も井原殿もお分かりのように、大分県の有名な〇〇温泉とは全く関係のない〇〇鉄道への乗り換え駅の△△駅に間違いありませんね。米手さんの時代には、写真にも煙が写っているようにまだ蒸機が活躍していましたが、我々若者の時代には湖西の鉄道から移ってきたDD1351が混合列車を牽いていました。米手さんの写真は△△行きの混合列車の最後部ハフ7のデッキから撮られたものだと思います。すぐ前のタンク車は〇〇港駅そばにあった肥料工場に化学薬品を運び込んだあとの空車タンク車でしょう。本線上の上り客車列車もいいですね。左端の客車はロ格下げのハでしょうか?その次はスハ32? そういう話は米手様の専門分野ですから、御高説を賜りたいと思います。

  4. 参りました!!
    でも、たぶん1900生さんは分かっていないと思いますので無駄にならない前にヒント写真をご覧に入れて1900生さんの回答を待ちます。
    それにしても、あの写真でよく解ったな~
    反対側の終点駅の写真です。

    • 米手作市さま
      ご推察の通りこれは全くわかりませんでしたのでコメントのしようがありません。わかるものはわかりますが、わからないものはわからないのです。小生のテリトリー外のことで別世界のようです。Ⅽ56でも写っておれば話は別ですが。それにしても皆さん凄いですね。よくお分かりになりますね。よくいわれることですが、クローバー会の層の厚さを実感しています。米手さまも近畿地方以外の写真を出題されると、皆を困らせるという趣旨では面白いと思います。

  5. 〇〇鉄道にはもう一つ終点がありました。
    現役時代、藤本さんの引率で〇〇鉄道に乗ったことがあります。その時は確か△△駅までの往復はタダだったような記憶があります。
    井原 実

    • 西村さんから線路配線図がでてきたので多分地方鉄道が国鉄に接続する駅だろうと思いましたが、人心を惑わす井原さんのコメントでどうも?ところで井原さん、「その後この駅の隣りに名古屋大須の秘宝館主の駅ができました。」はどういう事?西村さん、確か肥料工場のマークがファンネルにあった船を尾道で見かけたように思うのですが。この肥料会社は海運業もしているらしいいですね。

      • どですかでん様
        ファンネルマークのことを良く覚えておられましたね。以前にも投稿していますが、改めて添付します。2017年1月11日尾道港での撮影です。ところで車内がかなり混み合ってきましたので「増2」を早く連結してほしいですね。

        • 写真を撮っているかと調べたのですがありませんでした。印象に残っていました。多木肥料の船があるとは思っていなかったのですから。

  6. 1900生さんが白旗を揚げたのと、“秘宝館”の意味が分からないとのご意見が出ましたのでそろそろ増結を致します。
    秘宝館=宝殿駅

    正解は別府鉄道と山陽線の接続駅「土山駅」でした。ヒントの駅は「別府港駅」

  7. ご説明いたします。
    「名古屋大須の秘宝館」とは、話せば長くなりますが、昔大阪通信員さんの奥様が岐阜県の尻毛出身だということで大阪通信員さんが幹事で有志が集まって「尻毛ツアー」が開催されました。名鉄の「尻毛駅」視察・撮影とそこらへんの川原の小屋で鮎料理を楽しんだあと、名古屋市中区大須の或る寺に連れて行かれました。そこは1961年度生の先輩のお宅で、玄関を入るなり、怪しい鉄道グッズが各種大量に展示されていて、「これは鉄道秘宝館やな」と大阪通信員さんと米手さんが話し合って名付け親になったものです。また、このグループは「尻毛会」と命名され、その後あちこちの鉄道を訪問しました。これら一連の黒幕は米手さんです。長くなってすみません。
    つまり、その秘宝館のオーナーと同じ名で土山駅の神戸方の隣りに1961年10月1日に旅客取扱開始した駅のことです。お騒がせしました。

    • 失礼しました!
      ゲスの勘ぐりとはこのことでした!
      そんなことがあったと今思い出しました。
      井原さん、お許しを!
      なお、“尻毛”はシッケと読みます。

  8. 皆様のコメントを読みながら、往年の山陽本線が、西明石を過ぎて大久保あたりから一段とローカル色が出始める昭和の時代が、懐かしく感じられました。広島、山口、福岡に縁者と父親の仕事(製鉄関連)関係先の多い、我家は、生まれた時から西に向かう線路の上で、一生を送りつつ、感慨深く写真を見ることが私は好きです。
    別府の種明かしも出ましたので、私は建築と歴史もフィールドワークにしておりますので、連続コマで撮った、多木の銅(あかがね)館の写真も掲示しておきましょう。別府港にあり、今は資料館になっていると聞きます。(土山の写真とともに1983年8月28日撮影)

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