ここはどこ?私はだれ?【臨4】 投稿日時: 2019年2月20日 投稿者: 米手作市 特派員氏が帰郷されてご報告が投稿されるまでに、もう一回臨時列車を運行いたします。 今回はドローンを飛ばしても、地中探検車を潜らせてもかまいません! 写真をよーくご覧下さい。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: ここはどこ?私はだれ?【臨3】 ここはどこ?私はだれ?【臨2】 ここはどこ?私はだれ?【増7】 ここはどこ?私はだれ?【増5】 ここはどこ?私はだれ?【増4】 ここはどこ?私はだれ?【増1】 ここはどこ?私はだれ?(4) ここはどこ?私はだれ?(3)
紫の1863様 ありがとうございます! ダレからも反応がなく飽きられたと思っていました。 この写真はバスの窓から撮ったものです。従って線区は分かっても場所の特定は難しいかもしれません。でも貴兄ならできるかも? 返信 ↓
米手様、これは難問です。 左手に見えるハエたたき、右上に見える電柱、これはきっと線路があるに違いないと思い込み、地震で大きな被害を受けたH本線T駅を連想しました。ですが、遠景の高い山は小生の考える場所からは見えず、交差する道路の幅員も現状と合いません。別の場所のようです。C58の番号から四国へ移動する前にいたO機関区の時代と推測し、山深い路線を探しておりますが、なかなか見つかりません。四国を探す必要があるのかもしれず、難航しております。 どですかでん様は、どこの路線を思いつかれたのでしょうか? 返信 ↓
外野より失礼を致します。米手さまの指示に従い、よ~く見ると機関車のデフのステーにリンゲルマンの煤煙濃度計が見えます。従い、紫の1863 さまの推測通り、ここは九州らしい。次に、列車後部からも煙が上がっていて、後補機付き列車ではないか。そして地中に何かがあるとなれば、やはりH本線T駅付近では、と思うのですが。ここら辺りの蒸機牽引旅客列車は、確か昭和39年の春には、DC化されていたと記憶するので、その前に撮られた写真と云うことから、C58351機は未だ九州に居たと云う裏付けが出来る。如何でしょう? 返信 ↓
私は四国と考えたのですが、どうも紫の1863さま、宮崎繁幹さまが考えておられるように九州のH本線T駅あたりではないかと思うようになりました。ただし、T駅の近くではなく、地形図と写真を眺めてみるともう少し離れたところでないかと思います。私の推測では地震であの悲劇が起こった所から少しT駅側に行ったところの道路上を走るバスから撮ったものではないかと思います。とにかく、私の考えた四国の場所も、この九州の場所も「日本沈没」をさせた日本を南北に分断する長い断層帯上のところだと思います。いかがでしょうか。 返信 ↓
どですかでん様 私も同感です。バスの車窓から撮ったとのことですから、道路と線路が同じくらいの高さで、隣接しているはずです。また、後ろに昇る煙は補機ではなく、交換した列車のもの、即ち駅にかなり近い場所ではないかと思うのですが・・・。まだ場所の特定には至っていませんが、C58351の大分所属時代でしょう。T駅には私も降り立って、Ta線の第一〇川鉄橋を行くC12を撮ったり、H本線の96を撮った思い出の場所です。 返信 ↓
地理院地図をしげしげと眺めていると地中探検車の意味が分かりました。しかし、後ろの煙は見落としていました。改めてよく見ると、私は補機の煙に思うのですが。私もT駅で写真を撮りました。あの頃はよかったですね。しかし、あの鉄橋は写真で見るととんでもないところにあるように見えるのですが、行ってみると意外と駅から近くて驚きました。 返信 ↓
皆様の名推理にはほとほと参り、いや、感服いたします。 「写真をよく見て・・」と言いましたのは補機の煙に気付かないだろうと思ったからです。しかし、宮崎繁幹様に見破られました。駅での交換の煙ではありません。(証拠写真参考) 線路と道路の関係ですが、バスは列車通過待ちで踏切で止まっています。 返信 ↓
米手様、皆さま、撮影場所を特定できました。 どですかでん様が推理された通り、立野駅から赤水駅側に走り、阿蘇大橋、数鹿流ヶ滝(すがるがたき)を越えた辺りに、それらしき地形が見つかりました。どろ~ンを飛ばして上空から見ると、トンネルの上を迂回する旧道らしきものが見えます。 撮影当時から国道57号線は拡幅されましたが、トンネルの谷側には十分なスペースが取れなかったと見え、コンクリート橋を作ってコースを変更したようです。米手様の「バスは列車通過待ちで踏切で止まっています」のコメントから、この場所に相違ないと考えました。ストリートビューを見れば、C58の右手に見える土留めのコンクリート擁壁も確認でき、自信を深めました。 ブラタモリではありませんが、どこかに痕跡があるものですねぇ。 返信 ↓
米手作一様 豊肥本線の立野と言えば、真っ先に思い浮かぶのはスイッチバックを越える9600ですが、C58がいたことは知りませんでした。。しかも9600が後補機についていたとは!貴重な記録を拝見させていただき、ありがとうございました。 返信 ↓
紫の1863様 お手数をおかけしました。 実は以前に見て頂いた『熊本駅』と同じ日なのです。 この後、一行は城島高原へ向かいました。 これで【豊肥本線 立野ー赤水】と特定できました。 ありがとうございました。 返信 ↓
長らくのご乗車ありがとうございました。 年末正月の投稿閑散期つなぎ便としてはじめましたが、二月の中旬まで延長してしまいました。 やっと特派員さんやぶんしゅうさんなど定期列車が復活しましたので臨時列車の運行は休止いたします。まだまだ問題はたくさん準備していますが、繁忙期は休止、閑散期に運転する臨時列車をお待ち下さい。 紫の1863様、宮崎繁幹様、西村さん、どですかでんさん、大津の86さん、その他の皆様にお礼を申し上げます。 返信 ↓
地中探検車ですか? 意味深ですねぇ…。
写真をよ~く見てみれば、なるほど、そうでしたか。
紫の1863様
ありがとうございます!
ダレからも反応がなく飽きられたと思っていました。
この写真はバスの窓から撮ったものです。従って線区は分かっても場所の特定は難しいかもしれません。でも貴兄ならできるかも?
米手さま 間違っていたらごめんなさい。ここの所の昔話が「まんが日本昔ばなし」のひとつとして放映されていませんか?
申し訳ありません
『日本むかしばなし』というのは見たことがありません。
米手様、これは難問です。
左手に見えるハエたたき、右上に見える電柱、これはきっと線路があるに違いないと思い込み、地震で大きな被害を受けたH本線T駅を連想しました。ですが、遠景の高い山は小生の考える場所からは見えず、交差する道路の幅員も現状と合いません。別の場所のようです。C58の番号から四国へ移動する前にいたO機関区の時代と推測し、山深い路線を探しておりますが、なかなか見つかりません。四国を探す必要があるのかもしれず、難航しております。
どですかでん様は、どこの路線を思いつかれたのでしょうか?
外野より失礼を致します。米手さまの指示に従い、よ~く見ると機関車のデフのステーにリンゲルマンの煤煙濃度計が見えます。従い、紫の1863 さまの推測通り、ここは九州らしい。次に、列車後部からも煙が上がっていて、後補機付き列車ではないか。そして地中に何かがあるとなれば、やはりH本線T駅付近では、と思うのですが。ここら辺りの蒸機牽引旅客列車は、確か昭和39年の春には、DC化されていたと記憶するので、その前に撮られた写真と云うことから、C58351機は未だ九州に居たと云う裏付けが出来る。如何でしょう?
私は四国と考えたのですが、どうも紫の1863さま、宮崎繁幹さまが考えておられるように九州のH本線T駅あたりではないかと思うようになりました。ただし、T駅の近くではなく、地形図と写真を眺めてみるともう少し離れたところでないかと思います。私の推測では地震であの悲劇が起こった所から少しT駅側に行ったところの道路上を走るバスから撮ったものではないかと思います。とにかく、私の考えた四国の場所も、この九州の場所も「日本沈没」をさせた日本を南北に分断する長い断層帯上のところだと思います。いかがでしょうか。
どですかでん様
私も同感です。バスの車窓から撮ったとのことですから、道路と線路が同じくらいの高さで、隣接しているはずです。また、後ろに昇る煙は補機ではなく、交換した列車のもの、即ち駅にかなり近い場所ではないかと思うのですが・・・。まだ場所の特定には至っていませんが、C58351の大分所属時代でしょう。T駅には私も降り立って、Ta線の第一〇川鉄橋を行くC12を撮ったり、H本線の96を撮った思い出の場所です。
地理院地図をしげしげと眺めていると地中探検車の意味が分かりました。しかし、後ろの煙は見落としていました。改めてよく見ると、私は補機の煙に思うのですが。私もT駅で写真を撮りました。あの頃はよかったですね。しかし、あの鉄橋は写真で見るととんでもないところにあるように見えるのですが、行ってみると意外と駅から近くて驚きました。
皆様の名推理にはほとほと参り、いや、感服いたします。
「写真をよく見て・・」と言いましたのは補機の煙に気付かないだろうと思ったからです。しかし、宮崎繁幹様に見破られました。駅での交換の煙ではありません。(証拠写真参考)
線路と道路の関係ですが、バスは列車通過待ちで踏切で止まっています。
米手様、皆さま、撮影場所を特定できました。
どですかでん様が推理された通り、立野駅から赤水駅側に走り、阿蘇大橋、数鹿流ヶ滝(すがるがたき)を越えた辺りに、それらしき地形が見つかりました。どろ~ンを飛ばして上空から見ると、トンネルの上を迂回する旧道らしきものが見えます。
撮影当時から国道57号線は拡幅されましたが、トンネルの谷側には十分なスペースが取れなかったと見え、コンクリート橋を作ってコースを変更したようです。米手様の「バスは列車通過待ちで踏切で止まっています」のコメントから、この場所に相違ないと考えました。ストリートビューを見れば、C58の右手に見える土留めのコンクリート擁壁も確認でき、自信を深めました。
ブラタモリではありませんが、どこかに痕跡があるものですねぇ。
米手作一様
豊肥本線の立野と言えば、真っ先に思い浮かぶのはスイッチバックを越える9600ですが、C58がいたことは知りませんでした。。しかも9600が後補機についていたとは!貴重な記録を拝見させていただき、ありがとうございました。
紫の1863様
お手数をおかけしました。
実は以前に見て頂いた『熊本駅』と同じ日なのです。
この後、一行は城島高原へ向かいました。
これで【豊肥本線 立野ー赤水】と特定できました。
ありがとうございました。
長らくのご乗車ありがとうございました。
年末正月の投稿閑散期つなぎ便としてはじめましたが、二月の中旬まで延長してしまいました。
やっと特派員さんやぶんしゅうさんなど定期列車が復活しましたので臨時列車の運行は休止いたします。まだまだ問題はたくさん準備していますが、繁忙期は休止、閑散期に運転する臨時列車をお待ち下さい。
紫の1863様、宮崎繁幹様、西村さん、どですかでんさん、大津の86さん、その他の皆様にお礼を申し上げます。