ここはどこ?私はだれ?(5)

お正月も三日が過ぎます。明日から仕事が始まるようです。
年末正月の臨時便の需要もそろそろお終い。
最後のイッパツはホンキの本気!
でも、よーく見てください。皆さん、ほぼ百パーセントとは言いませんがほとんどの方が数年間にこの線路から50m以内を通っているはずです。

では最終問題です。牽引しているのはDD13。れっきとした国鉄線です。

17 thoughts on “ここはどこ?私はだれ?(5)

  1. もう最終なんでしょうか??名残惜しいです。

    阪和線、宇野線(駅間までは見当つきませんでした)、片上は分かりましたが、その他はお手上げでした。

    ヒントと背景(倉庫らしき建造物)、景色からして兵庫から分岐の臨港線ではないでしょうか?

    • 宇都家さん、すばやい投稿、感謝します。
      でも、チョット違います。でも分析はただしいですよ。
      人の苦労を鼻にもかけず、瞬間的にけ散らす1900生さんや西村さんと違い優しさに感激します。
      多くにテッチャン(1900生さん、特派員さんが行ったのは目視して確認した)が最近近くまで行っているというのがヒントです。

  2. 米手作市様、皆様
    優しさのかけらもない「鬼畜〇〇」のように言われ、悔し涙でパソコン画面がにじんでいます。こうなれば情け容赦なく応えるしかありません。ズバリ、丹波口駅(京都市場駅)から西大路駅付近に抜ける貨物線であり、デルタ線の一角ではないでしょうか。七条通りから梅小路機関区に歩いてゆく途中で見た記憶があります。ところで、これが最終問題とは残念です。今まではほんのサワリで、これからが本番の始まりだと身構えていましたのに。きっと1900生さんも同じ思いではないかと推察致します。

    • 西村さんの根性は見ました!やはり優しさは今の寝台特急です(ほとんど残ってない)。
      1900生さんは音沙汰なしですね。白旗を揚げたと解釈していいですね?
      先に申し上げたとおりつなぎの前座興行ですからここらで「お後がいいようで」とお暇を頂きたく思っております。真打ちの登場をお待ちしています。

      今夜正解を発表します。

  3. 西村さん、正解です。
    同じ位置から撮りましたが建物の下の引き込み線のトンネルは今はふさがれていますがあります。
    線路は高架になっていましたが数年前に廃線、この春から七条通を越える歩道橋に生まれ変わります。

    この写真は、左が鉄道博物館(旧扇状機関庫)、正面右側の倉庫がトンネルのある建物です。

  4. ボーっと生きておりました。

    東海道線から山陰線への短絡線は廃止されたんでしたよね?
    今日の夕刊の記事中の地図では堂々と記載されてました。
    手元の地図から作成し、校正もすり抜けたのでしょうか。

    • 確かにね!
      ボーとしてたんでしょうね。斜辺の線路はもうありません。フェイクニュースです!

    • いやいや電子国土Webの地理院地図には線路がのこっていますよ。三江線は即刻、削除されたのに。これはどういうこと?

  5. 米手作市さま 皆さま
    本日野暮用で一日出かけていて先ほど帰宅しました。すぐに「どこ?だれ?」の続編を楽しみにデジ青を開いたところ<5>が投稿されていました。すわ次は何処?と期待して写真を見たところ、何と一目瞭然スカみたいな出題でガックリきたところです。エッこれが最後の難問?しかも「白旗を上げた」などと見当はずれな勝ち名乗りも。アサイチに「こんなんすぐわかりますやん、子供だましですよ!」というのは簡単でしたが、所用もありコメントはまあ夜まで待つか、との温情溢れる思いやりを白旗とは。京都人、ましてや旧丹波口駅界隈を遊び場にしていた小生の存在を、えろう甘く見はりましたやおまへんか、というところですね。小生はなんと言われようとかまいませんが、紳士の西村さんを鬼畜呼ばわりしてはいけませんね。
    それはさておき、5回シリーズのうち一瞥してわかったのはこれだけですから、朝にコメントしておれば、西村さまのように控えめに「・・ではないでしょうか」ではなく、「・・ですね」と胸を張って断定して答えていたと思います。
    とまれ小生的にはいかに予想より正解率がよかったからといって、こんな中途半端な問題で幕を引かれるのは釈然としませんし、またまたストレスがたまります。是非リベンジのための続編をお願いしたいところです。

    • 結果が分かってから強気な「ワシは分かってた!」発言はどこかの国と同じです。素直に「知りませんでした。目からウロコです」と言えばいいものを。
      続編をお願いしたいとな?貴君の反省態度を見て考えるとしよう。

  6. 米手さまが熟考されている間を縫い、外野より失礼を致します。1900生さまは、丹波口駅界隈にお詳しいそうですし、デジ青には京の御方が、大勢いらっしゃるので、小生の手元にある写真につき、伺いたく存じます。『私はだれ?』=嵐電モボ124は、判ります。『ここはどこ?』が、判りません。序に『これは何時?』も、教えて頂けると有難いのですが。ダブルポールなので、戦前~戦後すぐ位か?。自分で少し調べましたが、嵐電が何時頃、ダブル→シングル・ポールとなったか明記したものを見ません。どうぞ宜しくお願い致します。

    • 宮崎繁幹様
      後ろに自動車が写っているので大通りを渡ったところの駅ですね。このカーブも考慮すれば四条通ではないでしょうか?であれば「西院」です。電車は四条大宮行き、光線状態から太陽が南西位置にありますから冬の午後です。右端の女の子の白い帽子がお正月の晴れ着のように感じました。推量ですのでお許しください。

  7. 外部から失礼します
    これは難問ですね。地元の電車とあって、何とか答えを見つけようとしましたが、これといった答えが出せません。撮影場所は米手様がおっしゃる通り、西院でしょう。モボ124は昭和11年の製造ですので、四条通にはトロリーバスが走っていたはずです。何か写ってないかと目を凝らしてみると、電車の後部扉の上の方に、架線らしきものが交差しているように見えます。西院付近では四条通を斜めに横切り、ホームは急角度に東に曲がってますので、瓦屋根の家屋は四条通りに面していても矛盾はないでしょう。また、電車の陰に隠れて見えませんが、四条通の北側には車庫があり、二階建ての家並みは細い道を隔てた西側に建っていたと思われます。
    問題は撮影された時期ですが、これが難しいのです。手持ちの資料を片っ端から広げてみましたが、ダブルポールからシングルポールに変わった時期を明記するものが見つかりません。高松吉太郎さんが昭和24年に撮影されたモボ129はシングルポールなので、それ以前と言えます。
    この写真で目に付くのがホールディング・ステップですが、ある資料に「戦時中に撤去された…」とありましたので、昭和20年以前と考えられます。
    製造の古いモボ101形の登場時、車体は単色だったのですが、「モボ121形の新造に合わせてツートンカラーに改められた」との記述があり、モボ121形は見慣れた二色塗装で生まれたのでしょうか。そうすると、昭和11年以降~ステップが撤去される戦時中までの間となりますが、小生の追跡はここまでです。中途半端な結果で申し訳ありませんが、あとは諸先輩方の調査に期待します。
    余談になりますが、『デジ青』の旧バージョンに北野駅の写真が載っているのを見つけました。物心ついたころは廃駅となっておりましたが、ホームだけが残っていて、母と並んで今川焼を食べた覚えがあります。これまで北野の森が写った(東を向いて撮った)写真は見たことがなく、とてもうれしく思います。

  8. 米手さま、紫の1863さま、謎解きを頂きまして有難う存じました。嵐電は路面も走るが、市電と比べると何となくドッシリ感があります。ポールの数の違いは直ぐ気が付きましたが、ステップが後年には、取り外されていたのですね。見落としていました。

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