京都駅にまつわる小ネタ集 〈4〉

山陰本線ホーム先端で出会ったC51たち

当時の京都駅では、本線1番ホームの延長部に、島式ホームの山陰1番、山陰2番ホームが、ずっと西まで延びていました。架線も無く、一挙にローカルムードあふれた雰囲気になりました。その先端部に行くと、乗客に邪魔されることもなく、屋根も途切れて順光下で、発車待ちする山陰線の列車、また東海道本線を上下する列車もとらえることが出来ました。鉄道少年だった昭和40年前後、よく通ったところでした。梅小路機関区にはC51が健在で、これを目当てに、よく終端部を訪れたものです。ことし最後の小ネタ集は、ここで出会った列車の思い出としました。
山陰本線ホームを発車するC51 271の牽く胡麻行き2323レ、昭和40年当時、C51は、全国で5両しか残っていなかった。そのうち、124、271の2両が梅小路機関区に残り、山陰本線で最後の活躍をしていた(昭和40年4月3日)。

前に乙訓老人撮影の試作DLを紹介したが、私も、そのあとに、山陰本線で試用されていた新三菱製のDD91は撮っていた。「こだま」と同じ派手な塗装で、約3年間テストされた。そのあとのDD54の製作ベースとなった機関車だった。そして、今回初めて知ったことだが、梅小路にいたC51 99も撮っていた。梅区のC51は、晩年の124、271だけと思っていた(昭和38年3月)。
夕方のホームでは、客車の先頭に立つC51 124が望めた。梅区の124、271は、ともにパイプ煙突で、C51の魅力には欠けるが、そんなことは言っておられない。最後のC51を撮れたことだけで満足だった。また124は、大鉄式デフと言われる、蝶番のあるデフで、点検の際にデフが開くようになっていた。
C51 271が園部発844レを牽いて到着、大きな竹籠を担いだ清掃員も、当時ならではの光景。右側にはこんな木造建築があった。

C51 271が入換え中、ホーム端は広々していて撮影しやすかった。終端部には詰所があり、その手前からは構内へ通じる通路があった。2両のC51のうち、124はひと足早く廃車になり、この271が結局、最後まで残ったC51となり、昭和40年の秋まで列車を牽いていた。C51 271の運転台まわり、無骨なスタイルは、いかにも大正生まれ。C51には、3月ごろからの春夏には、さらに煙突に回転式の火の粉止めが取り付けられ、美観を損ねていた。終端部から線路へ下りて撮影しても何も言われなかった、おおらかな時代だった。列車は胡麻行きで、普段はDCだが、時間帯が10時台で、春秋の休日には、客車に置き換えられて行楽客を運んだ。最期のC51は、この臨時列車の牽引をもっぱら務めた。

C51の置き換えとして、C57が各地から転属して来た。この15号は金沢からの転属で、まだツララ切りのアーチが付いていた。旅客列車の約半数はDF50牽引になっていた。左の建物は京都中央郵便局、建ったばかりの京都タワーも望めた。入換えは、吹田一区のDD13が当たり、北側の留置線から客車を引き出して、ホームに据え付けていた。左の建物は、向日町運転所の支所などが入る現業部門。東海道線側を見ると、京都駅に入線する列車が眺められた。EF65の量産が始まった頃である。青15号とクリーム2号の電機の新塗装は、この時期から始まり、EF58、EF60などが塗り替えられていったが、EF65は最初からこの塗装だった。2番線ホームには修学旅行電車「きぼう」が停車中。修学旅行電車は最長時には16両編成となり、東海道本線最大の編成両数となった。そのため、最後部の半分はホームからはみ出し、見送りの父母が駅建屋の横に立っているのが分かる。

デジ青投稿もこれがことし最後になりましたが、こんな50年以上前の完全に忘れ去ったような記憶を蘇らせてくれる写真と、その発表の場であるデジ青の価値を改めて見直した一年でした。自分の足跡がきっちり残せるデジ青投稿は、“終活”には絶好の場です。来年も頑張って投稿を続けますょ。

9 thoughts on “ 京都駅にまつわる小ネタ集 〈4〉

  1. 青信号特派員様、
    一年間、お疲れ様でした。
    場所をお借りして、私も少し前の同じ場所での写真をご覧に入れます。
    来年もよろしくお願い致します。

    • 米手さま
      連日の貴重な写真の大放出、ありがとうございます。C51264は、形式入りのプレートだったのですね。同機が梅区にいた時代とすると、昭和37、38年の撮影でしょうか。背後の覆い被さるような大きな建物は初めて見ました。これは何でしょうか。

      • この建物は私も分かりません。当時でも使われていなかったようです。位置から見てポイント・信号関係か乗務員詰め所かとも思いますが。

  2. 総本家青信号特派員さま
    小生も昭和40年に花園駅の西方でC51を撮っています。おそらく鉄道写真を撮るつもりで撮った初めての写真だったと思います。親父の2眼レフを持ち出して自転車で西方に在った踏切(現在は双ヶ岡から南下する高架道路が越えている)に向かい、踏切傍からC51牽引の上り客レと新設間もないDC準急「きのさき」を撮りました。しかしなにせ初撮影でしたから、ファインダー内の列車がどんどん迫って来たため慌ててシャッターを切ったので、列車がかなり遠くに小さく写ったものになってしまいました。その写真を探したのですが、例によって整理が悪く発掘に至りませんでした。なおそのクセが直ったのはDRFCに入学し、諸先輩からご指導を受けてからでした。入替え中のC51の横にDF50が写っていますが、初期には0番台も入っていたのですね。DL化されたころの茶色機が牽く準急「白兎」を丹波口駅でよく見ていましたが、小学生では詳しく知る由もありませんでした。

    • 山陰本線の小さい頃の思い出、ありがとうございます。私も一時、親戚から借りた二眼レフで撮ったことがありますが、とても子供に撮れるような構造ではなく、すぐ止めてしまいました。私も古い写真を人に見せると、“こんな時代によう撮っていたな”と言うのと、“よう残していたな”とも言います。写真は撮る事も大事ですが、長く保存・継承することはもっと大事だと痛感しています。

  3. 総本家青信号特派員様
    大晦日の夜は紅白というのが一般的ですが、私は民放の懐メロを見ながら今年最後のデジ青を見ています。総本家さんのホームグラウンドの一つ京都駅山陰線ホームの懐鉄を懐かしく見ております。EF65の貨物と丁度同じあたりで稲沢第二のEF10の貨物列車を撮ったことも思い出しました。米手作市さんも得意の場所当て土俵際から逆に押し戻された感じでそのやり取りを楽しませていただきました。

    • 準特急様、
      私は初代若乃花です。かかとに目があるので徳俵でうっちゃりをかましますからお楽しみに!

  4. 米手作市様
    徳俵で必死に堪えてうっちゃりや吊り出しを得意としたのは女性に人気のあった明歩谷。若乃花は豪快なゆりもどしが印象に残っています。出羽錦はねこだまし。米手作市さんもいろいろお持ちですね。クイズ楽しみにしていますよ。

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