京都駅にまつわる小ネタ集 (1)

1900生さん思い出の山陰線機回し線の写真を発掘!

デジ青投稿に対して、多くのコメントをいただき、返答を心掛けていますが、いい返答材料が見つからず、保留のままのものもあります。いつもコメントを頂戴する1900生さんからも、何かの投稿で、京都駅山陰本線ホームの終端部にあった機回し線についてコメントがありました。少し前のことで、いま検索しても、どの記事だったのも定かではありませんが、付近の写真は撮っているものの、ホームで隠れたりして、公開するような写真がなく、気掛かりになったままでした。本日、クローバー会写真展の準備のために、乙訓老人さんから預かったネガをスキャンしていると、“これや!”と、飛び上がるような、スバリの写真を見つけました。1900生さん、これでしたね。
京都駅山陰本線11番ホームの終端部にあった機回し線、ホームもカーブしていて、長い編成の到着だと、カマがカーブ上に停車していた。すぐにカマだけ切り離されて機回し線を通って、編成の後部に連結、区や客車ヤードへ回送された。逆の角度から撮ったことは何度もあるが、終端部そのものを撮った写真は見たことが無い。しかも、牽引機が試作のDF411というのも貴重だ。さすがに、何でも撮っておられる乙訓老人さんだ。そして、つぎのコマをスキャンしてみると…。


DF411が転線して、機回し線に入るところ。上等そうなカメラを持った青年が“待ってくれ~”とばかりに追い掛けて来る。撮影者から見れば、“どかんかい!”と叫びたくシーンだ。最初は見知らぬ人間がジャマに入ったと思った。しかし、その思慮深い、知性と品性の漂う顔に見覚えが…。そう、あの須磨の人間国宝さんではないか。

と、ここまで来て、念のため、DF411を調べようと検索を掛けたところ、唯一載っていた正真正銘のDF411の写真の情報ネタは、なんとデジ青2010年版に載った、その須磨人間国宝さんのレポートだった。記事は「米手さんの誘いに乗る」と題して、米手さんも少年時代に撮られたDF411を投稿されて、即投稿があったものだ。記事によると、この日、DF411の試運転があると聞きつけ、二人で京都駅へ駆けつけたそうだ。何も覚えていない自分の無知を知るとともに、デジ青の貴重な情報、その厚みを改めて思い知った次第だ。

昭和30年前後の時刻表の京都駅構内図には、山陰線11番ホームの先端にあった機回し線も描かれている。

7 thoughts on “ 京都駅にまつわる小ネタ集 (1)

  1. 総本家青信号特派員さま
    そうそうこれです。よくぞ憶えていて下さいました。この11番ホームは10番ホームと共に、数えきれないほど乗り降りした懐かしいホームです。ですがホームの付け根部分がカーブしていたのは記憶になく、直線のままで分岐ポイントがあったような記憶でした。貴重な写真を拝見できて有難うございました。小生がコメントしたのは鳥羽駅の折返しポイントで、イメージしていた直線での分岐でした。その必要がなくなっても未だに残っていたことに感激しました。
    またDF41の試運転日の駆け付写真とはこれも貴重なものですね。この時期のことは小生も全く知りませんでした。運転開始後に何度か旧丹波口駅で見かけたはずなのですが、塗色の記憶がありません。上部が淡いグリーンだったような。下部は記憶にありません。またDF41は数か月に1度位「また故障で立ち往生」との新聞記事が絶えませんでした。余程調子の悪いカマだったようです。
    京都駅の構内図も懐かしいですね。こんなに留置線が沢山あったのですね。とりわけ2番線の大阪方から1番線へは長い渡り線があり、多数のポイントがあるのが印象的でした。151系こだま号が走り始めた頃、山陰ホームの付け根辺りから「こだま」や青大将「はと」を眺めたことがありました。はとはEF58のガタガタガタというのに続いてスハ44系のズシンズシンの音でしたが、こだまはさすがに軽量電車かつ空気バネ台車なのでタンタンタンという軽い音が構内に響き渡っていたのを想い出します。

    • 1900生様
      さっそくのコメント、ありがとうございます。喉に小骨が刺さったような思いでいましたが、私もスッキリしました。DF411のことを調べますと、三井造船の機関を使った、汽車会社製の電気式C-C軸の借入機関車でした。汽車の営業案内には、クリーム地に赤帯を巻いたような派手な塗装でしたが、国鉄引き渡し時に、1900生さんがお書きのような、グリーン濃淡の地味な塗装に改められたようです。写真ではよく分かりませんが、正面窓下に、くぐり戸の貫通路がありました。福知山機関区に配置され、写真のように、昭和34年5月から、山陰線の列車を牽いてテストされましたが、昭和37年3月にメーカーに返却されています。3年足らずの活躍でしたね。

  2. 総本家青信号特派員様、乙訓の老人様&須磨の人間国宝様
    この機回し線は京都駅の名所でした。皆それぞれ思い出があると思います。私もこれほど見事ではありませんが、ここでパイプ煙突のC5199、C51206を撮っておりました。そしてDF411、これはまた貴重です。よくぞ乙訓の老人さん撮られていました。いい顔してますね。この機関車はナハ10系の急行列車牽引に似合いそうです。須磨の人間国宝さんの若き時代の姿を拝見させていただきました。蒸機で言えばC59の戦後型、飛行機で言えばDC-8の61か63あたりの感じで細身の格好よさを感じます。失礼しました。

    • 準特急様
      DF411、立派なスタイルですね。同じ箱形のDF50の全長は16.4mですが、DF411は16.8mもあり、たしかに長編成の急行の先頭に立てば、似合いそうです。
      須磨の人間国宝さんも写真に入っていて、お二人は、現役のころから、活動されてきたことに共感を覚えました。デジ青も、脇道と言っては失礼ですが、私の暖めていた企画とは別のところで盛り上がっています。これもまたデジ青の魅力です。

    • 準特急さま
      須磨の人間国宝さまのスタイルを喩えてDC8-61や63とは言い得て妙です。準特急さまから航空機の型式をお聞きするとは夢にも思っていませんでした。-61は国内線でも飛んでいましたが、-63は国際線用でJALも所有していなかったと記憶します。-63が飛び出すあたり中々シブイですね。

  3. 1900生様
    私など背が小さくて脚が短く、自分ではC58かキューロクかなと思っております。「何、C58やキューロクはお前なんかよりもっとカッコええぞ」と言われそうですね。成田開港前には現在神奈川県逗子にお住まいのTさんと時々羽田へ撮影に行ったことがあります。その頃はダグラスDC8、ボーイング707、747が国際線主力機で、国内戦でも札幌や福岡線には国内戦向けの胴体の長いDC8-61というのがおりました。これがスレンダーでかっこよかったです。このあたりはDC-3を追いかけたという1900生さんの方がよく御存知かと思います。大韓航空はいろいろな機種をもっていましたがその中でDC-8スーパー61と同じような細長い機体がDC-8の63ということを知りました。鉄道車両ほど多くは撮っていませんがヨーロッパの空港で終日ねばったこともあります。最初に乗ったDC8はSASのDC8-62CFという貨客混合機でアンカレッジ経由でした。62は国際線用であったような記憶があります。

    • 準特急さま
      欧州の空港で一日粘られたとのこと、いやはやオミソレ致しました。そこまで熱中されていたとは存じませんでした。-63が羽田に来ていたのですか。しかしー63がどういう機材だったかもう忘れてしまいました。-62は仰せの通り国際線長距離用機でした。伊丹では主にYS-11を追いかけていましたが、さすがに世界的にも絶滅危惧種だったDC-3は追いかけてはいません。たまたまフロリダでヴァージン航空の子会社が、南米から買い戻したDC-3を観光便として運航していたのを知り、飛び乗ったものでした。
      鉄道ではないのでここではこれ以上は割愛しますが、ぜひ一度ゆっくりと飛行機談義でもしてみたいですね。

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