Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道⑨

1991年8月11日 小浜線へ海水浴列車を撮影に

盆に掛かろうとするこの時期は、そろそろ海水浴の臨時列車も終わりを迎えます。この日は、小浜線の臨時列車を写しに行っていました。京都から見れば、その径路は綾部、西舞鶴ルートしか考えられませんが、1990年に、JR西日本は行楽列車全般の改定に乗り出します。愛称を従来の「◎◎ビーチ」から「マリン◎◎」に変更、小浜線への径路も、大阪発の場合は、東海道・湖西・北陸線経由で敦賀から入る列車も新設、車種も、65系、181系DC、12系、14系客車など多様でした。ちょうど大阪湾の海水浴場が汚染が社会問題化した頃で、“水のきれいにな日本海へ”のキャッチで、若狭、但馬方面に向けて、毎年、需要に応じて変更・増発が続きました。快速「マリンたかはま」、大阪発小浜行きの列車で、これは綾部、西舞鶴経由の列車だった。リゾート塗装の14系客車をDE10が牽いた。加斗~勢浜

大阪発敦賀経由、東舞鶴行きの急行「マリンわかさ」。キハ651611ほかの4連。敦賀経由は、距離はあるものの、京都での方向転換もなく、複線区間を走れる敦賀経由のほうが、時間短縮につながった。こちらは定期の急行「わかさ」、ルーツは昭和36年の西舞鶴~金沢での開設だったが、その後、区間、本数の変更があり、当時は東舞鶴~敦賀と、小浜線内のみの急行だった。臨時は4両編成で何本も運転なのに、定期は2両1往復というのは、小浜線の事情を物語っている。トップ掲載の快速「マリンたかはま」が小浜で折り返して、上り大阪行きとして、勢浜付近の海岸沿いを行く。小浜線は、ほとんど海岸沿いを走らないが、唯一、勢浜付近では、若狭湾に沿って走る。

ことし、30年ぶりで勢浜の撮影地に立った(左)。この日は、カメラマンのSさん主催の撮影会ツアーがあり参加したのだった。久しぶりにお会いする方もいて、和やかなうちに撮影を終えた。そのSさん、一ヵ月後に急死されてしまった。56歳という働き盛りだった。彼とは、付き合いが長く、仕事時代にもいろいろと助けてもらった。初盆が近づいて、ついつい思い出してしまった。

 Summer Memories 2020 《8月同日》 あの頃あの鉄道⑨」への2件のフィードバック

  1. これらの写真はネガカラーフィルムで撮ったものと見受けられますがいかがですか。画面の粒子感がいい感じだと思います。デジタルにない味わいがあるように思います。

    • はい、この時代は、まだデジタルではなく、ポジの撮影でした。粒子が荒れて、いい感じが出ているでしょ!
      カラーのネガ・ポジをスキャンすると、われわれが持っている程度の機種では、どうしもコントラストが強く、粒子が出たスキャンとなります。修整ソフトで多少救済できますが、これも、かえって時代がよく出ていると思っています。

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