1999年8月8日 敦賀港へC56のイベント列車を撮りに
敦賀港が開港して百年を迎えたこの年、「つるが・きらめき・みなと博21」が敦賀市内で開かれ、その一環のイベントとして、梅小路蒸気機関車館で動態保存中のC56160を使用した、イベント列車「SLきらめき号」が、8月8日、9日に敦賀~敦賀港2.7kmで各2往復が運転されました。敦賀港の歴史は古く、大阪・京都からのロシア航路連絡も目論んで、現在の北陸本線の最初の区間として明治15年に開業しました。当初は金ヶ崎の駅名で、賑わいを見せますが、現在の北陸本線のルートが開通すると、敦賀~敦賀港は貨物支線となりました。▲敦賀を発車、北陸本線と分かれて、左へカーブする、C56160+12系客車の「SLきらめき号」
▲炎天下、敦賀港へ向かう列車は、乗る人間、撮る人間とも、賑やかだった。ほかにも欧亜連絡列車をイメージしたジョイフルトレインが品川~敦賀港で運転されたほか、2004年10月にもC56が運転された。▲敦賀港に着いて見物客に囲まれる。その後、敦賀港は2009年まで貨物取扱いののち休止となり、2019年には正式に廃止となった。現在もこの場所は、コンテナを載せたトラックの中継基地のように使われている。また、付近には赤レンガ倉庫群を改修した集客設備、キハ28も近くに保存され、旧敦賀港駅舎を再現した敦賀鉄道資料館もある。▲その日は早起きして、まず新疋田へ向かい、北陸本線の列車も撮った。20年前となれば、今となっては懐かしい列車ばかりで、“食パン”の417系も米原、近江今津まで姿を見せていた。▲沼垂色の485系「雷鳥5号」は新疋田の構内で撮る。先頭は、ライト4灯の北海道電化用に新製されたクハ481-1502、寒冷地で問題が多く発生し、沼垂に移った。そのあとはジョイフルトレイン「彩」に改造された。▲「TOWNトレイン」のマークを付けたクハ421-9先頭ほか、北陸本線の普通列車の愛称もよく変わった。
総本家青信号特派員様
懐かしいシーンを有り難うございます。
福井県での国鉄の廃線はこの敦賀港線と芦原線になりますか?
さて、既にご存知かと思いますが、福井県と滋賀県が日本遺産に海を越えた鉄道~世界へつながる 鉄路の軌跡~を申請し、6月25日にめでたく認められたとのことです。
内容は敦賀駅に国際列車が何故発着していたか?それは長浜、今庄の明治時代の鉄道の歴史と密接な関係がある。物語は、トンネルで日本海と琵琶湖を繋いだことから始まる。という申請書類に書かれています。
その申請書類を見るために、日本遺産 海を越えた鉄道で検索するといくつか出てきます。その真ん中あたりに福井県のサイトがありますから、それを覗いて貰うと申請書類の内容がすべてご覧いただけます。
敦賀駅周辺は新幹線工事の佳境。新北陸トンネルも繋がったようで、車両基地工事も圧巻ですね。
マルーン様
最新の情報、ありがとうございました。滋賀・福井の両県にまたがる鉄道遺産・遺跡は、団体を立ち上げて、以前から熱心に広報に取り組んでおられて、分かりやすくてデザインも優れた冊子を作られていたことは知っていました。日本遺産に指定されたのですか、これは知りませんでした。福井県のサイトを見てみます。
敦賀は駅舎も新しくなり、新幹線工事で付近は一変しましたが、明治期、この敦賀港が、京都・大阪・東京から目指した、最初の北陸の目的地だったのですね。
今も残っているかわかりませんが、敦賀港駅本屋(?)です。2012年10月29日撮影です。近くには煉瓦造りのランプ小屋もありました。
西村様
これが敦賀港駅ですか、私は撮ったことがなく、貴重な写真を見せていただきました。ありがとうございます。この付近は、今年もすぐ近くまでは行ったのですが、駅舎の存在は確認しませんでした。グーグルマップで見ると、それらしき建物があるような気もします。その後ろにランプ小屋があったのですね。