あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る  ~4~

2007年3月24日 113系を山陰本線で

前回の113系つながりで、デジカメ初期に撮った山陰本線京都口の113系を見てもらいます。今から見ると、ずいぶん興味深い113系が走っていました。

本日の夕方には、今月末で消える草津線直通の113系を求めて、京都駅0番ホームで孫のような世代に囲まれ写していました。なかなか写欲が湧かない抹茶色の113系ですが、なくなるとなると、愛おしさが出てきました。山陰本線京都口の113系は、京都~園部の電化が完成した1990年から走り始めているが、その後、電化の延伸や列車本数の増加で、今では考えられないような改造車や塗装があった。その最たるものが、二丁パンタの113系2両ユニットだった。1996年の園部~綾部の電化時に、113系の中間Mユニットを先頭車化してワンマン対応の2両編成となり、京都~園部では同区間の4両編成との併結運転となった。今回の撮影場所は、千代川~並河で、かつてC57が走っていた頃、一緒に撮っていたT君が、菜の花をボカしてC57と一緒に撮り、「花道を行く」のタイトルを付けて心酔していた場所だ。撮影当時は、複線化工事の真っ最中だったが、田んぼの中を一直線に伸びていた。

山陰本線京都口の113系は、京都総合運転所の113系のなかのC編成が使用され、東海道・草津・湖西線の113系とは区分されていた。体質改善工事(N40)が施工されて、JR西日本の地域色(カフェオレ色)も多く見られた。湘南色と地域色の混色編成もよく見られ、ラッシュ時には2編成8両編成もあった。先に紹介の2両ユニットは、福知山電車区の113系S編成で、湘南色に白の細い帯が入っていて、園部以遠はワンマン運転となる。こちらは1個パンタ。福知山電車区の2両ユニットのなかには、115系を同様に改造したクモハ115+クモハ114の編成もあり、こちらは切妻に2丁パンタのいで立ちとなった。

特急も、こだま色の183系が活躍中。下り「きのさき1号」▲▲北近畿タンゴ鉄道へ直通する特急「タンゴデイスカバリー」は原色のまま、繁忙期は、このように“ブツロク”編成となった。

 

 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る  ~4~」への2件のフィードバック

  1. 抹茶色の113系も今月限りで見納めですか。JR西は古い車輌を大事に使うと感心してましたが、とうとうなくなりますか…。思えば113系電車は、SLブームの頃からお世話になった、思い出の電車かもしれません。山陰本線は私にとって身近な存在で、二条駅までは歩いて5分ほどです。ところが写真となると、ほとんどありません。総本家様が撮影された2007年はデジタルの撮影が無く、フイルムに舞い戻っていました。
    千本通から見ていた湘南色の113系も、いつの間にか見られなくなりました。オレンジと緑の間に白線が入ったクモハ112+クモハ113、ありましたねえ。ネガを探すと一枚だけ見つかりました。撮影は1996年8月、綾部まで電化が延伸した夏です。メモには園部-船岡間、クモハ113‐305+クモハ112‐305と書いてありました。

  2. 113系の短編成化は80年代の福知山線の電化からと記憶しているのですが、2丁パンタの先頭車があったとは、初めて知りました。
    阪急の先頭車好きの友人に見せてあげたい光景ですね。
    私の写真は1987年の大阪駅です。まだ国鉄の末期ですが気動車で5連、客車はもっと長かった福知山線がいきなり2連が小運転に登場し、積み残しが出るなどの苦情が新聞に載った頃です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください