2013年8月7日 国鉄風のキハ40系に出会う
キハ40系と言われる国鉄時代の末期に登場した気動車は、総数が888両に達し、全国各地で活躍しました。製造当初からは50年近くが経過し、JR各社で独自開発された新型車との世代交代が進み、今では廃車が進んでいます。機関換装、車内改装などの改造による派生形式、番号区分が多数あり、さらに地域密着の施策から、驚くほど多くのカラーバリエーションがあります。なかには、40系新製時のカラーは「タラコ」一色で、40系ではあり得ない「国鉄色」イメージに塗られた車両も各地で走りました。▲この日も18きっぷで、伊勢市へ向かっていた。ホントの目的は、翌月に迫ったOB会の「しまかぜ」乗車ツアーの昼食会場の下見だったが、“帰りがけの駄賃”で、紀勢本線の多気で途中下車、近くで通過する紀勢本線の列車を写した。
▲国鉄色キハ40 3005[海イセ] 伊勢区に所属するキハ40、キハ48が、ご覧のような「国鉄色」風のオレンジ・クリームのツートンに塗り替えられた。
▲「ワイドビュー南紀84号」、先ごろ「ひだ」などから運用を終えたキハ85系だが、私にとっては、今も思い入れのあるキハ82系の何世代も後の気動車で、いまでも新車のイメージが消えず、無くなることが信じられず、“葬式”にも参加しなかった。
▲多気行き937Dキハ40 303ほか先頭が多気近くの櫛田川を渡って行く。こちらは、JR東海の標準色。
▲その937Dの後部には、キハ48 6502が連結されていた。高運、曲面窓のキハ40系に国鉄色は違和感は残るが、ヘンなラッピングよりは、はるかにマシだ。▲多気近くの櫛田川鉄橋 キハ11×2連の334C。日没は山に隠れてしまい、シルエットとはならなかった。▲多気駅に戻る途中、構内にライト点灯のキハ406502が見えた。▲国鉄色風のキハ48、なおJR東海のキハ40系は2016年になくなり、JR後の気動車に統一された。▲夕暮れの多気駅に、快速「みえ19号」が到着、車掌が交代して、伊勢市へ向けて発車して行った。
▲多気駅近くのダイヘン専用線で、大物車貨車のシキ800がD351とともに留置中を車内から撮影。シキ800は、変圧器などの特大貨物を輸送する日通の私有貨車、通常は多気駅に常備されていたが、ダイヘン専用線がなくなり廃車となった。
総本家青信号特派員さま
精力的に撮っておられますね。夜の多気駅など私には及びもつかない撮影でご苦労が偲ばれます。この辺りは急行色のキハ58系を追いかけて随分通いました。朝・夕の亀山~多気間には58×4連もあり、東海色が増えつつあるなか焦りながら撮ったものでした。
ツートンを撮っておられましたか。その頃は40系には無かったニセツートンだと思って無視していましたが、やはり最近になって気になりだして、昨年7月の根室線の開業記念イベント列車とその後のローカル運用を狙うようになりました。
40系にはツートンは無かったが、ツートンを40系で再現したと考え納得しています。
1900生さま
コメント、ありがとうございます。とてもとても“精力的”ではなく、思いつきで行って、たまたま列車待ちの間に撮っただけです。近鉄と並行する参宮線はいつ行ってもガラガラですが、多気付近は近鉄から離れているため、意外と乗降があるように見えました。
40系の国鉄ツートンはあり得ないカラーですが、こんなことを言っているのは年寄りだけで、これもカラーバリエーションのひとつと割り切って写しています。
東京周辺では、平成30年3月まで烏山線で使用されていました。
ここにきて小湊鉄道で走り出しましたが、熱中症の危険があるため、まだ行っていません。
1900生さんは、昨年根室まで行かれたとは凄いですね。
別海町が、再来年を目処に奥行臼に保存されている簡易軌道の車両を一部路線を復元して走らせる計画があり、完成の暁には是非行きたいと思っていますが、それまで体力が持つかどうか心配しています。
画像は、平成30年3月1日、下野花岡付近です。
藤本哲男さま
この取り合わせは私にはたまらないですね。
小湊鉄道はいすみ鉄道にキハ52と28が入った際に併せて行きました。関西人にとって房総は遠くに感じていたので初めてでしたが、沿線の里山風景は心に残りました。40が入った小湊にまた行ってみたいですね。
ところで昨夏の根室線のイベント列車は富良野~東鹿越間の2往復でしたので根室までは行っておりません。以前の最長鈍行を謳っていた2429D(タラコ2両)は何度か釧路まで追いかけました。
私も北海道へ行きたいと画策していました。たまたま、釧路市立博物館の催事に、私の写真を使ってもらい、その催事も見たいと思い、例の格安航空を調べると、ほとんど満員のうえ、空いていても、片道3万円近くしてしていて、ちっとも格安でない値に驚きました。コロナ後、とくに北海道は料金が高騰していますね。
総本家青信号特派員様、
櫛田川の鉄橋、懐かしいです。と言っても、2回しか行きませんでしたが。
初回は市電廃止翌日の1978年10月1日、キハ81の最後を撮影しようと行ったのですが、新宮→天王寺だったようで撮れませんでした。2回目は1980年2月29日で、DF50牽引最後の127列車が目的でした。
初回の折りの普通DCを貼付いたしておきます。ネガの管理、保存がいい加減で、あまりお見せできるような代物でもないので、少し遊んでみました。車両は前からキハ35+キハ45+キユニ26でしょうか。DMH17全盛時代でした。
四方様
貴重な写真、ありがとうございます。形式もカラーも異なる、みごとな編成ですね。櫛田川は撮りやすくて、背後の山容も絵になるところですが、シルエットとなると、逆にこの山がジャマをして、陽が隠れてしまいます。「くろしお」81系は、たしかに末期は新宮~天王寺の運転だったと思います。
連投失礼いたします。
シキ800、既に廃車となっているとは知りませんでした。4年ほど前のことですが、DJ誌の特大貨物の情報を見て、撮影に行ったことがあります。
2019年4月9日、9190レ(EF210-137+シキ800C)、西九条1番線。下側が荷の変圧器のアップです。
シキ800ですが、ほかにもあったようですが、この多気駅常備のシキ800は、事前に無くなると知っていて、乗車列車の窓を全開して、ダイヘンの専用線にカメラを向けていました。積載の様子は四方さんの写真で初めて見ました。線路スレスレなんですね。
総本家青信号特派員様
JR東海のキハ40系は、青モケットのシート、通風器など見える部分は原形をよく留めており、キハ48は準寒冷地仕様でエアサス、デッキ付きだったのでよく訪問しました。元の国鉄ツートンカラーもキハ40系はそもそも国鉄時代の造形だったため、自分としては違和感は全くありませんでした。しかし、JRになってから製造されたキハ110や653系電車の国鉄時代塗装には全くついていけません。写真は、伊勢区のキハ45、昭和58年
ブギウギさん
久しぶりにコメントを拝見、嬉しいです。お元気でしょうか。参宮線を走っているキハ48は、準寒冷地仕様になっていること、私も雑誌を調べていて、分かりました。でも“このカラーは国鉄時代には無かった”などとホザいているのは、高齢者だけですね。それを実感したのは、北条鉄道の五能線色のキハ40でした。年寄りは、すぐタラコ色などと言いますが、このキハ40にとっては、タラコ色より、ずっと五能線色のほうが長いはず、若い世代には、五能線色が、スタンダードなのです。“原色”、“標準色”なんて、時代とともに変わって行くのだと思いました。もっとも、品のないラッピングが、“標準色”になったイヤですけどね。