(その1)(その2)を投稿してから2週間が経ってしまいましたが、以下の取材日も同じ9月18日です。西高屋駅でレンガ積みホームを確認後、向洋(むかいなだ)へ移動しました。向洋駅をはさんで海田市・天神川間は大規模な高架工事中で、特に向洋駅はすでに上り線側は仮線路と仮駅ホームが完成していて稼働しています。これから下り線側の移設工事が始まるのですが、広島貨物ターミナル駅につながる上下貨物線もあり、大工事です。そんな中、向洋駅で長く使われてきた跨線橋が解体中です。今回はこの跨線橋の構造部材となっている古レールを観察するのが目的で途中下車しました。まずは平成24年10月8日 まだEF67が活躍していた時の跨線橋です。
9月29日に向洋駅を通った際には、ほぼ上の写真と同じ状態でしたが、撤去された線路跡に相当大きなラフタークレーンが置かれていたので、最終撤去も間近なのかと思いました。さて目的の古レールなのですが、下りホームにある元の階段部分の構造材しか観察できず、ロールマーク(製造年、製造所、発注者名などを転刻したもの)が何とか読み取れるのはわずかでした。最後の塗装が行われたのが相当以前なのか、錆と塗装剥離で状態が悪く、撤去工事中であまり近づけないこともあって、残念ながら写真が撮れたのは次の1枚だけでした。
実は、私には古レールの調査は殆ど経験がなく、解読する能力がありません。今どきのことですから、「困ったらインターネット」ということで、貴宅後検索をしてみました。するとすぐに答えが得られました。全国を股にかけて古レールを調査、研究されている専門家がおられ、詳しい調査報告が公開されていました。その解説記事によりますと、上の写真のロールマークは、「75 A BS CO 工 STEELTON ||||| 1919 OH 75LBS ASCE」であることがわかりました。この標記の意味は、アメリカ ベスレヘムスチール社(BS CO)スチールトン工場(STEELTON)1919年5月(||||| 1919)製造 75ポンドASCE型(75LBS ASCE)レールで、発注者は日本国工部省(工)です。日本の鉄道黎明期には、国内でレールを作れる製鉄所は無く、すべて輸入に頼っていました。レール輸入が行われていた期間は、製造年ベースで1870年(明治3年)から1931年(昭和6年)頃までだそうです。この向洋駅のレールは1919年(大正8年)製ですから、しっかり該当します。1919年以降に輸入され、全国のどの線区で使われたかはわかりませんが、摩耗して走行用レールとしての役目を終えて、立派な構造部材として跨線橋の部材として再利用されたということになります。
では向洋駅はいつ開業し、いつ跨線橋が設けられたのかということになります。海田市・広島間の開業は、1894年(明治27年)の山陽鉄道広島延伸時ですが、この時にはまだ向洋駅は設けられておらず、1934年(大正9年)8月1日 鉄道省によって開業しました。しかし開業時から跨線橋があったとは思えず、推測ですが、跨線橋の階段部分のコンクリートに刻まれた「1962年3月」(昭和37年)ではないかと思われます。
向洋駅は東洋工業(現在のマツダ)本社の最寄り駅ですから、高度成長期に急増した通勤客をさばくために設置されたのだと思います。だとすると、1919年の製造から43年後のことですから、走行レールとして40年近く使われたあと、どこかに積み上げて保管されていたものを跨線橋用の部材として再利用したという流れが見えてきます。
アメリカでは日本製鉄によるUSスチール買収問題が、トランプとハリスの大統領選挙の大きな争点にもなっています。このレールを作ったベスレヘムスチール社はかつてはUSスチールに次ぐアメリカ第2の規模を誇り、ペンシルベニア州ベスレヘムを本拠地としていましたが、安価な外国製鋼材に押され、1993年には貨車製造から、1995年には製鉄から、1997年には造船から撤退し、結局2001年には破綻し、他社との合併などで姿を消しました。
そして、向洋駅の跨線橋も遠からず姿を消します。さすがにこれらの古レールはもう再々利用されることなく鉄くずとなり、どこかで製鉄原料となるのでしょう。
今回、たまたま向洋駅の跨線橋を調べたのですが、山陽本線三原以西にはまだ向洋の跨線橋と同じような古レール製の跨線橋が現役で使われています。河内駅、西高屋駅、宮島口駅などです。これを機に他の駅も調べてみようと思っています。
ところでデジ青読者へのお願いです。鉄道ピクトリアル No.329~331,341,383,384(1977年1月~3月、12月、1980年12月、1981年1月)号をお持ちではないでしょうか。それらに「西野保行、淵上龍雄著 レールの趣味的研究序説、上、中、下、補遺、再補上、再補下」という記事が掲載されている筈です。あいにく私はこの時期のバックナンバーが1冊もなく、古レール調査のために読んでみたいのです。もしこれらのバックナンバーをお持ちであれば、是非ご連絡を頂きたく存じます。クローバー会員さんであれば、会員ページでやりとりできるかと思います。よろしくお願い致します。 (その4に続く)
西村様
地元の歴史を大事にされて、いつも活動されている様子を拝見しています。古レールは私も門外漢で、なかなか入り込めないです。私のお知り合いには、異常に?詳しい方がいて、英文の数文字を見ただけで、たちどころに由来を解明され、自分でレール断面の測定具を自作して、レールに這いつくばっておられます。さて、お探しのピク、全号がありましたよ。あとでお送りします。この頃は、猛烈に仕事が忙しい時で、雑誌も全く買っていませんでした。後日、数年かけて、古本で全号揃えることができました。
総本家青信号特派員様
うれしいコメントありがとうございます。実はこの投稿をご覧頂いた茨木のI君から今日の午前中に電話をもらい、全文のコピーを送って頂くことになりました。お忙しい貴君にお手間をとらせるわけにゆかず、お気持ちだけ有難く頂戴致します。ご存知のようにバックナンバーが揃っているI君からのお申し出を有難く思っています。11月のホームカミングデーでお会いしましょう。
西村様
そうでしたか、Iさんなら安心です。私も、今まで非公開の資料など、惜しげもなく見せてもらい、大いに助けてもらいました。
本日広島に行く際に、向洋駅の跨線橋のその後の様子を車窓から撮りました。線路を跨いでいた部分はすでに切り取られて、旧線路盤上に並べられていました。往きの下り列車からの1枚です。
もう1枚、帰路の上り線側からの1枚です。下りホームの階段部分も半分解体されていました。これら100年以上も前の古レールはスクラップになってゆくのでしょう。