広電 1900引退セレモニー 他

まずは 涌田浩氏の訃報に接し、お世話になった先輩諸氏が一人、また一人と旅立たれるのが寂しくてなりません。穏やかな語り口とにこやかな表情が忘れられません。丁度10年前のクローバー会広島ツアーの前日に、I氏と3人で夜が更けるまで伊予鉄松山市内線を撮りながら歩いた思い出が強烈です。心よりお悔み申し上げます。

広電1902と1903の引退セレモニーが昨日、千田車庫で行われました。私はあいにく行けませんでしたが、中国新聞記事の引用でご報告します。

令和6年7月15日 中国新聞朝刊

15両が並んだ圧巻を現地で見たかったです。残る13両は当面現役で残るようですが、次第に出番が少なくなることでしょう。広島新駅に乗り入れる1900を早く見たいものです。

続いてはJR美祢線の話題です。1年前の大雨で被災後、全線運休が続いています。代行バスはあるものの、このまま廃止になる可能性が大です。

令和6年7月14日 中国新聞朝刊1面

同上

同紙 27面

10年前の平成26年に大嶺や美祢に立寄ったことがあります。かつて石炭やセメント輸送で賑わった美祢線も、他の陰陽連絡線と同様 過疎化の波にはいかんともし難く、風前の灯状態のところに自然災害となれば、行く末は自ずと決まったようなものです。

平成25年5月2日 美祢駅前の様子

美祢駅を発車するキハ12017 長門市行き

広電 1900引退セレモニー 他」への8件のフィードバック

  1. 西村雅幸さま
    引退イベント記事のご紹介有難うございました。いや~凄いですね。下段の写真、まさかと思って眺めてみたらなんと全15両が勢ぞろい、一瞬感激で言葉を失いました。広電も粋な計らいをしますね。自分的にはもう数えきれないくらい乗りましたので、もういいかと思う反面、やはり機会があればという想いは消えることはありません。とはいえその「機会」がねえ。今のうちにとの想いは募るものの・・というところです。
    京都時代は利用系統の関係からそう多くには乗れませんでしたが、京都市電の伝統スタイルを引き継ぎながら、後の700に繋がる近代化された完成形市電として大好きな形式でした。
    新広島駅前ターミナルに出入りするのを期待したいですね。

    • 1900生様 京阪1900もすてきですが、京都市電1900もお忘れなく!1900が長生きできたのは、広電さんのおかげだと感謝しています。是非「機会」を作って広島へお越し下さい。

  2. 西村様
    速報、ありがとうございます。いゃ~、壮観ですね。1900の15両フルラインナップ、ちょうど千田車庫の構内線が15あったから実現できたのでしょう。この間の入出庫はどうしていたのか、気になります。実は私も密かに1900の「さよなら」HMを撮りに行こうかと画策していたのですが、眼の前の仕事量に怖気づいて行かずじまいでした。京都では明日が祇園祭巡行の日、1977年の四条河原町です。この1906は広電1920号で、この写真の中のどこかにいるのでしょう。

    • 総本家様 15両の勢ぞろいはこれが最初で最後でしょう。あれだけ並べるには、何日も前から江波車庫と車両の入換えをされたことと思います。広電さんの努力に感謝です。私も何かと忙しく、広島に行けませんでしたが、梅雨が明ければ熱中症とコロナに注意しながら広島取材を計画中です。

  3. 続いて、美祢線の現況もありがとうございます。山陰線の不通区間が開通することの報道はありましたが、美祢線の現況は、こちらでは全く聞いたことがなく、気がかりでした。JRが「運行持続困難」を表明したのはショツクでした。災害不通になれば、これ幸いとばかりに放置して、挙句の果ては廃止、JR西日本よ、お前もかと言いたくなります。

    • 総本家様 「廃止を前提としない話し合い」が中国各県内で行われていますが、結局は地元と充分な協議をしたという実績作りの色彩が強く、行き着く先は同じだと思います。人口減少に歯止めがかけられないのに存続できる筈が無いのですから、単に先延ばししているだけのように映ります。

  4. 西村様
    1902・1903の引退記事の紹介、ありがとうございます。同期の仲間たち全員と社員・ファンに見送られ引退するのですから、何と幸運なことでしょう。
    広電で思い出すのは2015年12月の1911号貸切です。全行程にわたり西村さんには大変お世話になりました。途中サプライズで千田町車庫へ入りましたが、写真を見ていると沖中さん、湯口さん、そして先日お亡くなりになった涌田さんのお元気な姿が写っています。私にとりましても忘れられない広島行だっただけに、何とも言えず残念な気持ちになってしまいます。

  5. 勘秀峰様 コメントありがとうございます。あの広島ツアーから9年近くが経とうとしています。貸切電車は今でも可能ですから、また同じようなイベントを企画できなくもありません。勘秀峰様は運転席横のかぶりつきで楽しまれていましたね。私にとっても貸切電車によるおもてなしは初めてのことでしたので、事前の打ち合わせで何度か千田車庫に出向いたり大変でしたが、当日の参加者の皆様の笑顔を見て、苦労の甲斐があったと 思い出深い出来事になりました。

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