広電1900に ついに引退の日が!

今朝の中国新聞を見て、とうとうこの日が来たかとショックを禁じ得ませんでした。

令和6年6月22日 中国新聞朝刊

今回、引退する1902,1903は京都市電時代の1917,1918で、900型917,918として誕生したのが昭和32年(ナニワ工機)ですから、67歳になります。

烏丸出水を行く1917(広電1902)

なつかしい学館前を行く1918(広電1903)

私ごとながら、私が京都で過ごしたのが24年間、そして広島県人になって50年目を迎えていますので、京都で20年間、広島で46年目の広電1900の生涯とよく似ており、ことのほか愛着を感じます。15両のうち2両が引退するようですが、まだ13両が残っています。低床連接車の増備で、高床車の出番が少なくなっていますが、しっかりと整備され美しい姿を維持していることに、広電車両部門の努力に敬意を表します。

令和6年5月25日 横川駅前の1905(京都1919)

1905は新しいパンタグラフに取り換えられて、元気な姿を見せてくれました。新しい広島駅ビル2階に広電が乗り入れる日も近づきつつありますが、新しい風景の中で1900を撮影できるのを楽しみにしていますし、少しでも長生きしてほしいと願っています。

広電1900に ついに引退の日が!」への5件のフィードバック

  1. 西村雅幸さま
    広電1900退役の記事を有難うございました。数日前に沖中大先輩が入っておられた路面電車研究会会員で横浜在住のK氏(DRFCの方ではありません)から速報を得ていましたが、とうとうついにこの日が来たかとの印象ですね。まだ13両残っているとはいうものの、これから駅前路線の切替を控え、日中運用は減少傾向に向かうことでしょう。いよいよ早期に乗りに行かねばと気持ちが焦ります。とはいえシングルアームパンタとの取り合わせには口をあんぐりするほかなく、なんとも言葉がありません。こういう風景を見るくらいならと思わないでもありませんが、これからは複雑な心境が続くことになると思います。

  2. 1900生様 コメントありがとうございます。先般、駅前大通りの新線が駅ビル2階に乗り入れる大きな橋桁が深夜の工事で架けられたそうです。梅雨が明けたら、駅前の変わりゆく風景を撮影にゆこうかと考えています。山陽線向洋駅付近の高架化工事も進んでいます。また芸備線や木次線、福塩北線も今、乗っておかないと後悔しますよ!是非広島へお越し下さい。

  3. 上は、1903←918の誤りでした。大変失礼しました。
    1902の前身、917は撮影していません。
    こちらは、1966年4月8日、1901の前身、916です。
    多分、入学式の日と思います。

  4. 西村様
    ついに、ついに、ですね。京都、広島と、1900と同じ人生を歩まれた西村さんにとっては、一心同体、さぞ感慨深いものだと思います。広電のプレスリリースも心を打ちました。「車両の堅牢さと運転や整備のしやすさ等から 、移籍後、約45年にわたり、1両も引退することなく全15両が運行しておりました」(原文ママ)と書かれ、1900に対するリスペクトが感じられます。ホントに、京都の1900は、良いところに輿入れしたと思います。お別れ行事も計画されていますね。私もなんとか行きたいと思っています。

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