少し前、三陸・大槌を訪れる途中に、仙台駅前へ寄って、昭和51(1976)年まで走っていた仙台市電を、同一地点からの対比を試みました。今まで、何度か仙台へは行ったものの、駅前の巨大なペデストリアンデッキに阻まれて、定点撮影は不可能と思っていましたが、改めて地上から対比すると、たしかにデッキは邪魔にはなるものの、意外と市電時代の街並みが残っていました。
▲仙台市電は、路線延長16キロとごく小規模ではあったが、茨城交通、琴参電鉄、呉市からの転属車や仙台のオリジナル車など多彩だった。車両は200形211号、昭和29年から製造された前中扉の軽量車で、201~211の11両があった。前面は2枚窓だが、後期車は写真のように非対称となった。仙台を特徴づけるセンターポールも見える。
▲青葉通が交わる駅前の地上へ行って定点対比すると、デッキの合い間から、何とか定点対比ができた。すっかり変わってしまったように見える駅前だが、よく観察すると、左の「宮城ビル」は外装は新しいが、躯体はそのままのようだ。正面には、市電時代には地場の百貨店、丸光デパートがあった。そのあと、2002年に、さくら野百貨店となったが、倒産し、建物はそのまま残っている。
▲駅前の陸橋から花京院通方面を見ている。丸光デパートの並びには商店が続いている。車両は、400形410号、400形は昭和34年から造られた仙台市電最後の新造車、401~415の15両があった、徹底した軽量化、簡略化が図られて、都電の8000形とよく似ている。▲▲この角度もデッキに阻まれて、見通しが利かないが、街並みはそれほど変わっていないように見える。▲藤本さんと一緒に仙台を訪れたのは、市電最終年の昭和51年正月で、駅前の横断歩道も賑やかだった。車両は410号と209号、深緑とクリームの凝った塗分けで、オレンジ帯はワンマン。駅前で撮影後、ほぼ全線を丸1日撮影して回った。
▲仙台市電と言えば、昭和33年に沖中さんが訪問されている。まだ単車が活躍していて、背後には、国鉄仙台駅(左)や、「国電のりば」と書かれた旧宮城電鉄の地下駅舎(右)も見える。フィルムの劣化が相当進んでいるが、昨年、関西大学で行われた路面電車同好会の「沖中さんを偲ぶ会」でも、真っ先に皆さんに見ていただいた。
沖中さんは、本欄でも仙台市電のことを投稿されています。木造単車をつなぎ合わせた連接車など、奇抜な車両が満載です。この時代に関西から東北の路面電車の撮影は、たいへん貴重な記録です。
車輛の戦災は軽微、復興は迅速だった仙台市電 | DRFC-OB デジタル青信号
総本家青信号特派員様
三陸・大槌訪問の途中とは言え土地勘が希薄と思われる仙台でよく新旧対比されましたね。私は路面電車はいつも駅前で少しだけ撮る程度でした。豊橋も赤岩口まで行ったのは今回が初めてでした。さて、仙台は青葉城や松島巡りをしたことはありますが市電を撮影した記憶も薄れていてネガを探すのに苦労しました。写真は多分駅の近くと思いますが、2両(119、114)の市電が行き交う交差点と思われ1971年の前半部ということしか分かっていません。遅くなりこんな写真ですがお許し下さい。
準特急様
総本家青信号特派員様
懐かしい写真ありがとうございます。この場所は「仙台駅前」から200mほど離れた「中央三丁目」電停ですね。市電が走っているのが青葉通、手前から奥に向かっているのが愛宕上杉通です。この通りの奥右側に「東邦銀行」の看板がありますが、ここに会社の東北営業本部があり出張でよく出かけました。青葉通を右手に行くと「仙台駅前」、愛宕上杉通を手前に行くと「長町駅前」になります。
現在は、愛宕上杉通の地下を地下鉄南北線が走っており、交差点の左側地下に仙石線の「あおば通」があります。
快速つくばね様
「中央三丁目」の電停は、昭和45年頃まで「東五番丁」を名乗っていたのですね。住居表示の変更のためでしょうか。仙台は、「青葉通」「広瀬通」など、京都・大阪のように通り名が多用されて、生活に根づいているのが、街歩きしていても、分かりやすく思いました。
準特急さま
写真、ありがとうございます。ここには、横断陸橋があったのでしょうか。T字路というのも、撮影としては面白いですね。私は藤本さんとともに正月1日だけの撮影でしたが、緑の多い街並み、それに粋な塗装の電車(広告はジャマでしたが)が印象的でした。
快速つくばね様
東邦銀行のビルにある東北営業所によく出張されたということで方向音痴の私でも何となくわかってきました。もう1枚貼り付けてみますが快速つくばねさんのご説明から仙台駅前を出た406号が青葉通りから中央3丁目の交差点を左にカーブして愛宕上杉通りに入り長町に向かう所ですね。有難うございました。
1965年3月22日の仙台駅前、木製連接車302です。
上と同じ日、43です。