魚梁瀬森林鉄道跡 探訪記(その1) 林鉄の歴史

学生時代に何かの雑誌で、阿里山で活躍しているシェイ式蒸機が、国内にも数機いたことを知り、それがきっかけで高知県の魚梁瀬森林鉄道の存在を知りました。しかし、木曽森林鉄道以上に訪ねにくい地にあり、気になりつつも半世紀が経過しました。一方、我が家の食卓(冷蔵庫)には「馬路村のポン酢醤油」が常備されていて、生産地である馬路村も気になる存在でした。また、平成13年にはRMライブラリNo.29として舛本成行氏により「魚梁瀬森林鉄道」が詳しく紹介されるに至り、馬路村と魚梁瀬森林鉄道跡をいつ訪問しようかと考えていました。この度、ようやく念願であった現地訪問が実現しましたので、現地の様子をご紹介します。

中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会発行のガイドマップ表紙(折りたたむとB5判、拡げるとB2判の非常に良くできたマップです)

なお「中芸地区」とは、安芸市、奈半利町、北川村、田野町、馬路村、安田町が安芸郡の中央にあることから、そう呼ばれるのだろうと思います。ガイドマップの表紙を飾るのが「シェイ」であるのも素敵です。

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広島通信(その3) 広電 駅前大橋ルートの工事状況

その2を投稿してから2週間が経ってしまいました。JR向洋駅周辺の取材のあと広電駅前大橋ルートの工事の様子を見に行ったのですが、報告が遅くなってしまいました。写真はすべて令和5年11月25日の撮影です。

駅前大橋ルートの全体像

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広島通信(その2) 山陽本線海田市・天神川間の高架化工事

山陽本線の海田市・天神川(広島貨物ターミナル)間には山陽本線上下線、広島貨物ターミナルへの出入りのための上下貨物線、そして呉線上り列車が山陽本線下り線をオーバークロスする渡り線があり、列車本数が多い区間なのですが、踏切が多くあり、開かずの踏切が以前から問題になっていました。そこで海田市・天神川間を高架にすべく大規模な工事が始まっています。その丁度中間にあるのが向洋(むかいなだ)駅です。この地は広島市内ではなく、マツダ本社があるがゆえに広島市とは合併せず、安芸郡海田町で通している財政豊かな町です。工事はまず在来線を北側に移設し、山陽本線を在来線跡地に高架化し、貨物線は多分地上に残すのではないかと思います。すでに向洋駅の上りホームは北側の仮設上り線側に移設されています。11月25日、向洋駅周辺の工事の様子を見てきました。

工事完了予定は3年後の令和8年10月のようです。

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セノハチ続報

令和5年11月8日 中国新聞朝刊

以前に115系でも起きていたようです。問題は1900生殿もコメントされているように、あとの対応だと思います。コンピュータ任せになっていて、臨機応変の融通が効かない体制になっているように感じます。「検証」しないと判らないのかと言いたくなりますね。

227系にも補機が必要?

令和5年11月7日 中国新聞朝刊

昨日、セノハチで雨と落ち葉の影響で227系が立ち往生したようです。115系の時にもあったかどうかわかりませんが、空転はしても登れなくなったというのはオソマツな気がします。227系はオール電動車ですが、車体が軽いせいでしょうか?あるいは運転技能の問題?それにしても、この種のイレギュラーな事態が発生した場合の対応が国鉄時代とは大きく違う気がします。16:00頃に発生し、この日は上下線とも運休というのは情けないですね。貨物輸送の大動脈でもあり、真剣に対策を考えてもらいたいものです。例えば 昔のように、2種類の連結器を有する控車を広島か瀬野に常駐させておき、救援用の補機をすぐに差し向けるとか・・・。JR西とJR貨物と別会社なので、ダメか?

旧国鉄佐賀線 筑後川昇開橋を訪ねて

先般 3泊4日で佐賀県を旅してきました。主たる目的は、幕末から明治維新にかけて日本の歴史に大きな影響を与えた薩長土肥のうち「肥前 鍋島藩」の風土が知りたかったためです。従って、鉄分少な目の旅ではありましたが、以前から一度訪ねたかった旧佐賀線の筑後川昇開橋は必見箇所としてコースに入れていました。

国鉄佐賀線は鹿児島本線瀬高駅から長崎本線佐賀駅までの24.1Kmが昭和10年5月25日に全通し、国鉄民営化前の昭和62年3月28日に廃止されるまで約50年余り客貨輸送に活躍した路線でした。熊本発長崎行き準急「ちくご」も走っていました。残念ながら私は現役時代に佐賀線を訪ねたことはなく、福岡県と佐賀県の県境でもある筑後川に架かる昇開橋を是非この目で見たいと思っていました。

令和5年9月12日 中の島緑地公園付近からのサイドビュー

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どうなるローカル線(3)と広電の話題

中国新聞ネタで恐縮ですが、まずは連載記事の完結編から。留萌線は北海道新聞と、米坂線は山形新聞社との連携記事でしたが、最終回は共同通信社との連携でした。

令和5年8月17日 中国新聞朝刊

結局のところ、ローカル線問題はJR各社と地方自治体がお互いの言い分を投げかけるだけで、国の態度も成り行き任せ的。自然災害で不通区間が出来ると、それに乗じて路線短縮、あるいは廃止に向かうという傾向が見えはじめ、そうこうしているうちに人口減少に歯止めはかからず、なし崩し的に廃止やむなしという空気が醸成されてゆくようです。バスに置き換えると言っても、地方のバス会社は運転手の確保が難しく、先のコロナ蔓延期には運転手のやりくりがつかず、運休する事態もありました。災害への備えでよく言われるのが「自助」「共助」「公助」ですが、結局地方の交通問題でも「公助」に期待しても無理で、「共助」更には「自助」で対応せざるを得なくなるのかもしれません。

さて同じ8月17日付けの紙面に広電の記事が載りましたので、掲載します。

同紙

広島電鉄の歴史をさかのぼると、「広島瓦斯電軌」という時代があり、その当時の車両(156号)が動態保存されているという記事です。156号は江波車庫の奥に留置されているのを望遠撮影したことはありますが、かつて広島駅前で撮っていた159号を貼っておきます。昭和44年8月猛暑の中を KAWANAKA氏と呉線にC62を追いかけたときの撮影です。

広島駅前の159号

広電社紋の変遷  「広島の路面電車65年」より転載

新聞記事の中に「広電社内の保育所」が出てきますが、千田車庫近くにある「広電まめっこ保育園」のことでしょう。2階に652号を模した展望デッキがあるのが特徴です。

平成30年4月25日撮影 広電保育園

どうなるローカル線(1)

中国新聞には「鉄路のあす」というシリーズが断続的に連載されています。勿論広島県を中心に中国地方の話題がメインですが、8月15日の朝刊には「留萌線」の記事が載りました。北海道新聞との連携のようです。

令和5年8月15日 中国新聞朝刊

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広島短信

中国地方は早々に梅雨明けして、暑い毎日が続いています。今朝の中国新聞にこんな記事がありました。

令和5年7月23日 中国新聞朝刊

電停の名前は「十日市」ですが、交差点の名前(道路標識)は「十日市」です。

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道南を巡る旅(後編)

5.江差線跡

秘湯「銀婚湯」は今までに各地で泊まった秘湯旅館の中でも、屈指の名湯でした。たまたま泊り客も少なく、いくつもあるかけ流しの温泉は独り占め状態だったのは良いのですが、温度が高すぎて大きな浴槽に入るためには相当水を足さねばならず、結局湯船に入るのを諦めました。あとで旅館の人に聞くと、日によって泉温が異なるらしく、ジャンジャン水を入れてもらって良かったのにと言われました。家内も同じ経験をしたそうで、浸かれない温泉は初めてだねと、思い出に残る温泉でした。(混浴の露天風呂は適温でした)

そんな銀婚湯をあとに、日本海側の江差に向かいます。北前船とニシン漁で賑わった江差は歴史的建造物や榎本武揚艦長の開陽丸など見どころの多い町です。この地方は明治以降は檜山爾志郡に属し、その郡役所の建物が江差町郷土資料館として立派に保存され、道の有形文化財にもなっています。その1室が旧国鉄江差線関連の展示室になっていました。

令和5年6月10日 江差町郷土資料館にて

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道南を巡る旅(前編)

書棚に並ぶ本がどうしても増え続けるため、定期的に必要度の低くそうな本から処分しているのですが、その中で捨てられずに書棚の一角を占めているシリーズに朝日文芸文庫の司馬遼太郎「街道をゆく」40巻があります。敬愛する司馬遼太郎氏による旅行記ですが、これを読んで現地に行ってみたいと旅先に選んだことが少なくありません。今回はその第15巻「北海道の諸道」に触発され、函館、江差、松前の旅を計画し、6月8日から13日まで道南を巡ってきました。司馬遼太郎氏の旅は40数年も前のことですが、年月を経ても、その土地ならではの風土や文化を追体験できればというのが旅の目的です。その中に「鉄」の要素も加えると、いつも結構忙しいプランになります。ここでは、その5日間の中での「鉄」部分だけをご紹介致します。

今回の旅のコースは次のようなルートです。1日目 広島空港→仙台空港、仙台から「はやぶさ」で木古内へ、木古内から道南いさりび鉄道で函館入りし、函館泊。2日目、レンタカーで亀田半島を1周して森から落部へ、落部から山越えして銀婚湯で1泊。3日目、銀婚湯から江差、松前へ。松前で1泊。4日目、松前城下散策後知内温泉で1泊。5日目、函館に移動してレンタカーを返して、函館市内観光後、函館で1泊。6日目、函館市内観光後函館空港→羽田→広島 というルートで、渡島半島の南半分を1周してきました。学生時代を含め、何度か道内を旅していますが、函館は通過点であったことが多く、また江差、松前線などの行き止まり支線は訪ねることなく廃線になっていましたので廃線跡だけでも訪ねようと思っていました。

1.道南いさりび鉄道

仙台から乗車した「はやぶさ23号」は盛岡で秋田行き「こまち」を分割後、快調に青函トンネルを抜けて、北の大地に着きました。そのまま終点新函館北斗まで行くのが早くて便利なのですが、それでは旅の趣旨に反しますので、木古内で下車し、旧江差線の残存区間である道南いさりび鉄道に乗り換えました。はやぶさを降りて乗り換えた物好きな乗客は我々夫婦2人だけでした。キハ401796が発車を待っていました。

令和5年6月8日 木古内駅で発車を待つ133D 函館行きキハ401796

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クローバー会北九州ツアー余禄

あれからもう1ケ月近くが経とうとしており、間の抜けたレポートになりますが悪しからず。2日間のツアーが大変充実したものであったことは、参加者の皆様が異口同音に述べられている通りで、企画、お世話頂いた方々に改めて感謝申し上げます。せっかく北九州に行くなら少し寄り道をと考え、2日目は西鉄貝塚駅前で皆様と別れました。私の住む広島県三原市は小早川隆景の居城三原城のある城下町ですが、その隆景がまず1585年に伊予攻めの功により秀吉から伊予国を与えられ、次いで1586年に九州攻めの功によって筑前、筑後と肥前の一部を与えられます。そして海城として名島城を築き、博多の街づくりを行います。ということで、三原人にとって名島城の存在は有名なのですが、私自身は名島城を訪ねたことがなく、今回は絶好のチャンスと考え、名島城跡を訪ねた次第です。名島城跡訪問記は省略しまして、この日は和白で1泊し、翌日は香椎線の初乗りで西戸崎に行き、そのあと、若松、戸畑、スペースワールドと巡って帰路につきました。そんな寄り道旅の様子をご紹介します。

1.香椎線と西戸崎

宿泊したホテルAZ福岡和白店は有難いことに朝食は6:00からなので、早々に朝食を済ませてJR和白駅に向かいました。JR香椎線和白駅は西鉄貝塚線和白駅と隣接しており、月曜日の7:00過ぎとあって、香椎、博多方面に向かう通勤、通学客で大変混み合っていました。しかし西戸崎方面に向かう人たちは少なく、西戸崎までの15分程ではありましたが、風景をゆっくり楽しめました。

和白駅風景 令和5年5月29日 左は西鉄貝塚線654+614、右はJR香椎線721C宇美行き

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芸備線5月下旬まで運休

2017(平成29)年4月にクローバー会の木次線ツアーがあり、新見から備後落合まで満員のキハ120に座れずに揺られ、ようやく着いた備後落合では、肝心の木次線スイッチバック区間が土砂崩れのためにバス代行になっていると知って、一同ガッカリしたのが昨日のようです。早いもので あれからもう6年が経とうとしています。その際に通過した芸備線備後八幡・内名間で去る3月23日に新見発備後落合行き445Dが備後八幡を19:15に発車後、19:20頃に線路上の落石に乗り上げ、キハ120の前の台車が脱線するという事故がありました。乗客はゼロで、運転士にケガはなく、軽微な脱線事故で済んだのは不幸中の幸いでした。

JR西日本のホームページより転載。サラッと5月下旬の運転再開と書かれている。

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美濃から尾張、三河へ(後編)

リニモや愛知環状鉄道の初乗りに満足し、愛環新豊田駅から名鉄豊田市駅に向かいました。ここから三河線終点の猿投(さなげ)に向かいます。

令和5年3月12日 豊田市駅にて 猿投行き6004 隣は名古屋市交鶴舞線N3308

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美濃から尾張、三河へ(前編)

クローバー会の長良川鉄道イベントの様子は、すでに事務局から報告記事が掲載され通り、天候に恵まれ北濃までの初乗りを満喫することができました。事務局殿に感謝です。私は帰路、美濃太田で皆様と別れて太多線で多治見に向かい、多治見で1泊後、やはり初訪問の鉄路を巡ってきましたので、その様子をご紹介したいと思います。長良川鉄道には平成13年の年末に、単身赴任先の高崎から三原にクルマで帰省する際に関駅に立寄って、2軸車のナガラ1形等を撮っています。その際に元気なナガラ201も撮っていました。

平成13年12月29日 関駅にて ナガラ201

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