昨年はスペーシアXに乗車する機会に恵まれました。やはり特急列車は長距離が似合っています。今度は、リバティ会津で会津田島、そして乗り換えて会津若松に行きたいですね。【2025/1/4修正】
駅名喫茶店(第122回:全国の一の宮の最寄り駅名)
デジタルカメラ元年、2004年(その後)
2024年ももう終わりです。デジタル一眼レフを使いだした20年前、2004年当時の撮影をシリーズ化して出すつもりだったのですが、やはり今の自分には「連載」は困難なことを認識した次第です。前回は2004年4月、大阪駅での撮影を紹介しましたので、今回は、その後の撮影をまとめて掲載することにしました。
(鹿島鉄道へ)
2000年代半ばまで、たまに東京へ行くと常磐線の普通電車で鹿島鉄道、茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)、他には関東鉄道常総線、鹿島臨海鉄道に行っておりました。その手段も、ムーンライトながらが便利だったのですが、2009年に季節列車化され、指定の取得が難しくなり、コロナのさ中の2021年には廃止になってしまいました。その列車利用で活用した青春18切符も、2024年12月からは連続した日程でしか使用できなくなりました。鹿島鉄道は2007年に廃止となっています。旧式のディーゼルカーが最後まで活躍していましたが、その沿革はウィキペディア等に詳しく書かれていますのでそちらをご覧ください。
▲東京駅での一コマ 2004年5月2日 湘南電車の113系も185系の踊り子号もとうに代替わりしました。
青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から③
続いて烏丸線の写真展、あれこれ噺を、年内ギリギリまで載せていくことにします。
50年前の写真展会場
「烏丸三条」電停の真ん前という、烏丸線ゆかりの会場で写真展ができたことは何よりの幸運でした。加えて、50年前の現地の様子を皆さんから寄せていただき、展示に花を添えることができました。この地の歴史をたどると、明治30年に京都で初めての電話交換局ができたことに始まります。大正15年には新しい京都中央電話局が竣工、その建物は背後の古風な建築で、いまは複合商業施設の新風館となり、手前のビルは新館として建てられ、50年前は、電電公社三条営業所となっていました。▲最初に見つけたのは、顧問の故・大西友三郎さんのネガから。「電電三条営業所」「烏丸三条」と文字情報も言うことなし。市電、クルマもいい位置に入っている。最初にNTTへ申し込みに行った際に、同志社出身の担当者に見せると、入社前の姿に驚いていて、すっかりフレンドリーな関係になった。
DF50 4号、解体撤去される!
今年(2024年)も残すところあと5時間半となりました。
少し時間が経過してしまいましたが、DF50 4号の解体撤去は、私にとっては今年最もショッキングな出来事でした。 ▲DF50 4号(左:2010.08.10、右:1983.02.13) 続きを読む
青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から②
年も押し詰まりましたが、烏丸線の先を急ぎます。二つ目の「丸物」、京都駅前にあった百貨店だけに、来場者の皆さんからも、「ありましたなぁ」の声が聞こえてきたのでした。▲昭和27年ごろに撮られたTさん撮影の写真にも、中央に丸物があった。もともとは土産物を販売する京都物産館として誕生した。写真の建物は大正15年に完成し、次第に百貨店としての業態を整えて行った。マークが、“物”をマルで囲んだもので、“マルブツ”が通称名、のちに商号となった。ポールの200形が旧の系統板を付けて、ボンネットの市バスと並走する。 続きを読む
久しぶりに見るC57と関連写真
本来は『「カシオペア紀行」を追いかけて』としたいところであるが、高齢者ファンなので「懐かしいC57を見る」という回顧録的懐メロ的な題とした。歳をとったことを自覚する題で今年最後の投稿とした。
2024年11月30日初電を乗り継いで8時過ぎに新潟駅に降り立った。今回も駅撮影よりも走行撮影がお好きなクモハ73106東ウラさんの運転するレンタカーでEF8195の牽引する「カシオペア紀行」とその折り返し回送を撮影することが主目的で台湾のお好きな千住のヤスベイさん(ぶんしゅう旅日記によく登場する芸名)とデカンショまつりさん号さんの4人で行った時の記録である。
集合場所は新津駅で「ばんえつ物語号」の牽引機C57180を見るのが最初の撮影目的で、日本海側特有の雨混じりの天気であったがどういうわけかこの時間に少しだけ晴れてくれた。この後ろ姿はかつて京都、園部、東和歌山(現和歌山)、亀山、福知山、米子、出雲市等々で客車と連結する際に見られた風景で電機からバトンタッチする時などはワクワックして眺めた後ろ姿である。▼
京都市電 烏丸線写真展を振り返って
来場者は5日間で600名強
写真展 「京都からすま市電通り」は2024年12月16日(月)~20日(金)まで、中京区烏丸三条角のNTT西日本三条コラボレーションプラザで開催されました。京都の市街地の交通至便な場所での開催ながら、歳末の平日のみ5日間での実施でもあり、来場者の動員が心配されましたが、京都新聞に掲載(12月17日「市民版」)やNHK京都の地域ニュースで紹介(12月18日の夕方、夜間)されたこともあり、来場者は5日間合計で延べ610名を数えました。特にNHKの放映翌日の12月19日には1日の来場者が200名を超え、大賑わいでした。(12/16=48名・12/17=101名・12/18=126名・12/19=207名・12/20=128名 総計延べ610名様)
ギャラリーのあるNTTビルは烏丸通りに面したガラス張りの建物
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青い電車と、丸物と、~京都市電烏丸線写真展から①
京都市電烏丸線の写真展、多くの皆さんに来場いただき、いろいろな話をお伺いしました。まだその余韻に浸っています。なかには、初対面の方から“デジ青、見てまっせ”の声もあり、本欄が多くの皆さんに支えられていること、改めて感じています。
さて、写真展会場では“珍しい写真、見せてもらいました”の声をもらうのも、ひそかな楽しみでした。その一例が、表題の「青い電車」「丸物」でした。見学者の中心である中高年にとっては、小さい頃に、見たような、見たことがないような、かすかな記憶が、写真によって蘇ったことでしょう。なかでも、“色”や“文字”と言った、視覚にしっかり訴える要素は、より強烈なものだと感じました。
青い電車
▲ “こんな色、走ってましたんか!” あえて入場口の柱の目立つところに掲げただけに、皆さんから声を掛けられた。「見たことある」より「見たことない」が多かったようだ。京都市電2000形2600形は、昭和39年にデビューして、烏丸線などを走り始めた。ラッシュ時は連結市電ツーマン、閑散時は単行ワンマンカーとして使用するため、その識別、とくに初のワンマンカーとして、事前の料金の用意を促すため、スカイブルーに塗られた。 続きを読む
須田寛氏を偲ぶ
「京都からすま市電通り」終了~多くの皆さまが ご来場
京都は烏丸三条、NTT西日本京都支店内で行って来ました写真展「京都からすま市電通り」は、5日間の会期を終え、昨20日(金)滞りなく終了しました。写真展の企画・進行・応援で多くの皆さんのお世話になりました。そして600名以上の皆様に入場いただき、楽しく、有意義な時間を共有することができました。厚く御礼申し上げます。▲最終日20日(金)の14時ごろの様子、この日も引きも切らずにご来場、最終日のため、15時終了予定のところ、その段階でも20人が滞留、まだ次つぎとご入場のため、急遽一時間延長、16時過ぎにようやく終了。みなさんに手伝っていただいて、素早く撤収することができた。
駅名純喫茶店(12/19:日豊本線にも新駅が開業予定)
どうやら、日豊本線でも新駅が開業するようです。その名も「仙巌園」(せんがんえん)駅。シンプルな駅名で好感が持てます。末永く愛される駅名となってほしい限りです。https://trafficnews.jp/post/494968
駅名純喫茶店(12/18:信越本線の新駅名は「豊岡だるま」)
駅名のニュースを取り上げる駅名純喫茶店。信越本線に誕生する新駅名が「豊岡だるま」に決まったとのことです。なかなかインパクトのある駅名ですが地元の方々の支持を集めたという駅名です。末永く愛されてほしいと思います。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC130Z80T11C24A2000000/
ちなみに来年1月には関西で夢洲駅が、来年3月には新潟の越後線で上所駅が開業します。新駅誕生は嬉しいことですが、一方で消えゆく駅名もあり複雑な気持ちです。
京都市電写真展 12月16日から開催
京都 烏丸三条で、京都市電の写真展「京都からすま市電通り」を開催します。総本家様と私、勘秀峰が企画を練って、OB会を含む大勢の方から写真の提供をいただき、鉄道友の会京都支部や伏見チンチン電車の会の協力を得ながら、烏丸線廃止後50年の節目となる2024年12月16日から20日まで行います。
展示会では市電烏丸線に的を絞ったカラー・モノクロ写真や電停付近今昔対比だけでなく、最終日の烏丸線の様子・オリジナルの烏丸線年表・明治大正昭和の今昔地図対比・初公開のスケッチ画・増刷した切符ファイルの展示などバラエティーに富んだ内容となっています。
会場は烏丸三条北東角、NTT西日本京都支店の1階の多目的ホール(ギャラリー)です。広いスペースに市電の写真や資料がびっしりと展示されるように、現在準備を進めていますので、ぜひお越しください。
<写真展の詳細です>
写真展 京都からすま市電通り
日時:2024年12月16日(月)~20日(金) 10:00~17:00(最終日は15:00まで)
会場:NTT西日本三条コラボレーションプラザ
京都市中京区烏丸三条角 NTT西日本京都支店 三条ビル1階
地下鉄「烏丸御池」下車 南改札より5番出口真ん前
叡電で2時間 紅葉三昧
カビの生えた古典テーマの投稿に励む一方、出版や写真展で多忙な毎日を送っていますが、こんな時に限って、“撮りに行きたい”症候群に駆られます。今年は、紅葉が遅れに遅れて、12月に入ってからも見頃が続きます。短時間で行ける先は、叡電しかなく、天候を見計らって出かけました。一人で撮影に行くのは、約半年ぶり、自主的に撮りに出掛けるのが、ホント少なくなったと実感しますが、間が空くと、カメラの操作も分からなくなり、説明書片手の電車乗車となりました。▲向かった先は叡電鞍馬線「二ノ瀬」、ホームの紅葉は、いつになく鮮やかだった。次駅の貴船口ほどではないものの、日本人、外国人でいっぱいだった。
▲二ノ瀬に到着する“青もみじ”、2019年からメープルグリーンに塗り替えられていた「きらら」901-902だが、工場入りに際して本来のメープルレッドに戻されることになり、この塗装で走るのもあとわずかとなった。
駅名喫茶店(第121回:パーミルの会の駅名)
車両のある風景 ~37枚目の写真から~ 〈16〉
ナンバーの話④ 形式入りナンバー C51225余話
前項で1900生さんから、C51ゆかりの鳥羽快速と修学旅行の思い出を記していただきました。私も京都の小学生でしたから、往復とも鳥羽快速に乗車して、伊勢志摩へ一泊2日の修学旅行へ行ったものです。ただ、道中のことは全く記憶になく、卒業アルバム用に客車内で撮ってもらった写真に、木の背摺りが写っていましたので、乗車したのはオハ61系だったことは判明しました。1900生さんが目撃された加太越えの補機もC51だったかも知れませんし、折り返しで7分停車する亀山駅では、C51225が車窓を横切って行ったのかも知れません。▲修学旅行で出会っていたかもしれないC51225だったが、そのあとは、亀山へ行く機会もなく、同機は昭和40年に廃車となってしまい、私にとってはこの眼で見ることが叶わない幻の名機となったが、その廃止を前にして行事が行われた。
今日の京都貨物駅
ミニ新幹線「つばさ」、「こまち」(3)
秋田新幹線は1997(平成9)年、新在直通方式のミニ新幹線として1992(平成4)年の山形新幹線に次いで開業した。盛岡から田沢湖線(盛岡-大曲)、奥羽本線(大曲-秋田)を経由して秋田に至っている。少々複雑であるが1964(昭和39)年の時刻表を見ると盛岡-雫石間は橋場線16.0km、生保内-大曲間は生保内線35.5km、大曲-秋田間51.7kmは奥羽本線となっており途中の空白区間雫石-生保内間は1996(昭和41)年に開通している。なお、生保内駅は田沢湖駅と改称、大曲駅では列車はスイッチバックしている。列車名は鳥や花ではなく公募により秋田ゆかりの歌人小野小町に決定されたが小野小町はクレオパトラ、楊貴妃と並ぶ世界三大美人に数えられるている。
秋田新幹線の列車は在来線乗り入れで奥羽山脈を越えるので「つばさ」同様にスピードは130km/h程度に抑えられ秋田到着は盛岡まで連結するE5系の新青森到着よりも3~40分遅く着く。
盛岡駅で「はやぶさ」を切り離して最初の在来線(旧橋場線)の駅が大釜駅である。ここは「こまち」は通過であるが単線なので「こまち」同士の列車交換も見られる。大釜から盛岡寄りに少し歩くとバックには盛岡のシンボルが岩手富士が見えてくる。2013.11.9 岩手富士バックのE3系「こまち95号」秋田行きである。▼
2013.12.4 上記と同一地点の1か月後を行く新鋭E6系東京行き「こまち12号」で岩手富士は冠雪した姿に変わる。▼
盛岡から暫く走ると新幹線の風景とは思えない渓谷に入る。この時もクモハ73106東ウラさんにお世話になった。道路横の茶店から新幹線が俯瞰できるが逆光気味なので下まで降りて秋田行きE3系「こまち25号」を順光で撮った。2013.11.9志度内信号場-田沢湖間 ▼
角館は武家屋敷があり、観光も兼ねてよく降りた。ここは秋田内陸縦貫鉄道の乗換駅でもある。駅から盛岡寄りに2kmほど歩くと平凡であるがさえぎるものがない直線区間になり上下「こまち号」が撮れる。丁度秋田内陸縦貫鉄道と線路が離れるあたりである。2016.7.3生田-角館間E6系「こまち19号」秋田行き ▼
2017.6.27同じ区間でのE6系東京行き「こまち22号」▼
2019.12.1 1日粘ってみた日の夕方16時43分、オクレのE6系秋田行き「こまち23号」がやってきた。冬の日暮れは早い。▼
2019.12.1 お昼前角館駅を出発するこまち7号。何でもない普通の在来線駅である。▼
2016.7.3角館市内菅沢(58k378m)踏切。新幹線本線内では見られない踏切がここでも見られる。E6系「こまち32号」東京行き。▼
2019.6.26 羽後長野-鑓見内間E6系「こまち19号」秋田行き。「こまち」のシンボルカラー赤が鮮やかである。▼
2019.6.27 鑓見内-羽後長野間 田沢湖線普通列車大曲発盛岡行きで広軌化されたクモハ701-5000番台の2連が行く。▼
2019.1.28雪の日の 新幹線の終着秋田駅とE6系「こまち」。大曲からスイッチバックして逆編成である。▼
これにてミニ新幹線「つばさ」、「こまち」を終了する。
癒しの島 台湾鉄道2024年秋の旅 Part 9 帰国
第9日目 11月6日
8泊9日と最近ではちょっと長がかった台湾鉄道の旅も今日で終わりです。▲ 6:50、起床。今日の天気はどうだろうといつものようにホテルの窓から空を見上げます。朝日は雲間に隠れてしまっていますが天気は良さそうです。
朝食を頂いてからシャワーを浴びた後は睡魔が襲ってきて朝寝です。8日間の疲れが出たようでした。
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