京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道の未成線その2)

2.大津市内線

市内線は大正10年に京都-大津間の線路付け替えが完成し、新しく作られた大津駅と石山線を結ぶ目的で計画され、大正11年5月25日に三井寺-大津間で特許が認められた。この時の申請書は見当たらず、当時毎年発行されていた今の営業報告にあたる軌道表の大正11年版に、計画線特許として申請距離のみが記載されていた。このためルートははっきりしないが、当初の申請距離は1.046哩(1683m)で国道を使う併用軌道部分が0.15哩(241m)県道を使う併用軌道0.858哩(1381m)、新設軌道0.038哩(61m)となっている。

↑ 図4:市内線(大橋堀線ともいわれる)のルート
当初旧東海道から西近江路を通る路線だったが特許変更後、大橋堀停留場を結ぶ赤実線のルートとなった。 続きを読む

客車廃車体訪問記内地編15 静岡県-2

【天竜二俣駅】 34.859544, 137.818959 2016年1月2日撮影
ナハネ20 347
正月の昼下がり、天竜二俣駅西側の踏切から構内を見る。ナハネ20 347の手前はキハ20 443。転車台&鉄道歴史館は画面右奥にある。
◆ナハネ20 347(1970年新製 日車)→1987年廃車
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総本家青信号特派員さんがテレビに

今朝、辛坊治郎氏のウェークアッププラスを視聴していると、路面電車の復活という話題があり、富山・宇都宮・京都が紹介された。京都の場面には天然色写真の語り継ぎなどで活躍中の我らが総本家青信号特派員さんが登場された。今や鉄道愛好家として不動の地位を固められたもようで、ご同慶のいたりです。京都にLRTをとの地元商人の声や特派員さんのコメントもありました。当掲示板はもとより研究家としてもますます元気にこまめに活躍されますように。

 

京阪大津線の歴史を調べて(大津電車軌道の未成線その1)

大津電車軌道は明治39年に由利公正らが発起人となって石山-坂本間の特許出願を行い、翌明治40年9月21日に特許がおりました。その後建設に着手し、大正2年3月1日大津(現在のびわ湖浜大津)-膳所(現在の膳所本町)間を皮切りに路線を伸ばしていきました。
更に開通と同じ時期に堅田、南郷への延伸を図り、大正11年には三井寺と東海道新線にできた大津駅を結ぶ路線を計画しましたが、急な拡大と、不況の影響もあっていずれも建設着手に至らず、運行までこぎつけたのは当初路線の石山寺-坂本間のみとなりました。
1. 堅田延伸
明治40年9月に特許が降りた石山-坂本間の路線は現在のものとは全く違い、浜大津より東は浜通りを通り、石場から旧東海道に沿って石山寺に向かうもので、一方浜大津より西側は西近江路、現在の県道大津高島線(旧国道161号線)を下阪本まで行き、西に転じて坂本に至るものであった。堅田への延伸路線は下阪本から分岐して雄琴を通り、堅田町本堅田までの5哩で、大正2年8月27日付滋賀県知事あてに特許申請が出された。 続きを読む

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【10】

東京で特急・都電を撮る ー真夏の思い出①ー

暑い毎日が続いています。若い頃は、この暑さにも臆することなく、旅に出掛けたものでした。学生時代は、長期の夏休みがあるため、涼しくなった8月下旬からの長期旅行が多かったものの、社会人になると、盆休みや2、3日の夏季休暇が、貴重な旅行チャンスとなりました。冷房もほとんどない時代、いちばん暑くて混み合う時期に、猛然と出掛けた行動力、情熱を感じずにはいられません。夏の熱気を感じると思い出す、1970年代の撮影行きを偲んでみました。

この旅行は、OBとなったばかりの頃、今も親交が続くクローバー会の皆さんと連れだって行った時のこと、いちばんの目的は、小海線のC56牽引「八ヶ岳高原号」だが、関西組はまず上京して、周辺で一日撮ることになった。当時の大垣夜行のグリーン車に乗り、東京に着いたあと、東北本線の川口へ。まだ東北・上越新幹線は影も形もなく、お盆の休暇が終わる頃は、上り列車が続々と通過して行く。EF58+EF57の重連急行、161・181系特急、EF56荷物、EF13貨物と、関西では見られない電機、電車に目を奪われた。写真は上り「とき1号」(以下、1972年8月)

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客車廃車体訪問記内地編14 岩手県-1

【小岩井農場まきば園】 39.750181, 141.019215 2018年4月29日撮影

↑手前からD51 68,ナハネ20 352,355,363
D51 68は北海道のカマであった。ナハネ20の3両はラストグループ(ラストナンバーは364)である。
D51と客車にまとわりついているのはLEDのイルミネーションで、11月下旬から「銀河牧場の夜」と称してライトアップされると案内板に書いてあった。
以前はナロネ21で、その後このナハネ20でSLホテルとして営業していたが、10年位前に閉鎖されたらしい。
◆ナハネ20 3両とも(1970年日車 新製)→1994年廃車(最終配置は盛アオ)

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 あの日の感動 もう一度

第8回クローバー会写真展を本欄にアップしていただきました

ことし1月、祇園「西利」で行なわれました第8回クローバー会写真展「鉄路輝く」の誌上写真展が本欄にアップされましたのでお知らせします。トップページの「写真展」からお入りください。写真展では、多くの皆さんに来場いただき、会員の渾身の作品を見ていただきました。初回の写真展から、本欄へアップ作業を担当いただいてるのがtsurukameさんで、こちらの整理、送付が大幅に遅れたにも関わらず、即座にアップしていただきました。厚く御礼申し上げます。

京都は祇園「西利」のギャラリーで開かれた第8回クローバー会写真展、ことし1月23日~29日の開催で、メインテーマ「鉄路輝く」のほか、サブテーマ「関西の懐かしの鉄道風景」とともに約120点を展示した。

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鉄道、つれづれ草 ー吉川文夫氏作品編ー

“乙訓の老人”とはご本人が決めたハンドルネームですが、ご本人に代わって代理投稿をするに当たり、尊敬するDRFC創設者のお一人を、たとえご本人が決めたハンドルネームといえども“老人”呼ばわりするのは気が引けました。ひとは私の事を「傍若無人」とか「ゴウマン且つ横暴」とか言いますが、この様に長幼の序をわきまえた常識人ですからここは今まで通り“乙訓の長老”と呼ばせていただきます。もちろん皆様それぞれのお考えで呼びかけてくださって結構です。

さて、長老は日頃から『ワシの鉄道の師匠は吉川文夫さんや。かわいがってもらった。そして写真もたくさんもらったが、好きに使っても良いと言ってくれた。』とその一部を持ち込んで来られたのです。それを今回は公開します。

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酷暑の中の模型運転会

昨日京都西大路三光堂にて模型運転会が開催されました。夏場で野外でのイベントができない折に、涼しい室内でできるイベントということで計画されましたが、昨日は京都の最高気温が37℃で、会場に行くまでに既に体力を使い果たしそうな天気でした。加えてHOの運転場のある2階にはクーラーがなく、しばらく運転すると1階に降りて涼むという過酷な状況の中、腰にタオルをぶら下げた戦闘的な会員の方々が運転に励まれました。 続きを読む

客車廃車体訪問記内地編13 福島県-2

【磐越東線小川郷駅傍のナヤ11】 37.126265, 140.862478 2018年4月30日撮影

小川郷駅の西側、ホームの目の前にある。ナヤ11 2の前半分で、ナヤ11 1と違い、きちんと手入れされていて、近隣の会社の休憩所か地域の集会所のような感じに見える。磐越東線の列車からは、眼前にナハ11が停まっているように見えるかもしれない。
◆ナハ11 60(1957年新製 日車)→(1959年電暖追設 大宮工)ナハ11 2060→(1976年改造 郡山工)ナヤ11 2→1987年廃車

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