どうする木次線・第五部

松江から「どうする木次線」の第五部が送られてきました。
今回は、存続に成功している二線が取り上げられていますがどちらも三セクで成功しています。
JR西日本は採算だけで存廃を決めているのに対して三セクは素材の魅力を最大化して収益化しているのが分かります。
この際、JR西日本による存続に頼るのをあきらめ、三セク化を考えるのが早道かも知れません。

先日のホームカミングデーで講演をされた、江上英樹氏などもアニメや映画のロケ地として取り上げれば観光客が取り込める、と言われていました。実際「さかねとつむぎとキスキ線」というアニメまで作っています。
今までの沿線住民活動とはちがってきたように思います。

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 ここらでボンネットバス 近畿編 〈19〉

吉野山上を走る吉野大峯ケーブル自動車

前項で紹介の吉野山のボンネットバス以上に珍しいバスが、定期路線として吉野山上を走っていました。奈良県のバス事業は奈良交通グループが独占していましたが、唯一の例外が、吉野山上を走る路線バス会社、吉野大峯ケーブル自動車でした。同社のケーブル部門は、日本最古のロープウェイとして、近鉄吉野駅前から吉野山を結んでいましたが、自動車部門もあって、。通常はケーブル吉野山駅から奥千本までを約35分で結び、4台の路線バスで運転されていました。2台はよくあるマイクロバスですが、あとの2台は、ボンネットバス以上に珍しい、キャブオーバー式のバスが使われていました(昭和60年4月撮影)。終点の「奥千本前」に到着した吉野大峯ケーブル自動車、これが、そのバス。吉野で最後に咲く桜の名所、奥千本はこの付近。

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 ここらでボンネットバス 近畿編 〈18〉

奈良交通 (4)

定期路線を終えた奈良交通のボンネットバスは、前項のように観光目的の路線バス、定期観光コースにたびたび使われて、すっかり奈良の名物になります。昭和60年の4月には、日本一の桜の名所、吉野山の観桜時期に、ボンネットバス「さくら号」が運転されました。桜の見頃に合わせて、同年の4月13日から、近鉄吉野駅~如意輪寺~中千本公園の約6キロで運転された。近鉄吉野駅~吉野山上への公共交通は、吉野大峯ケーブル(実際はロープウェイ)だけだったが、奈良交通がこの年、初めて路線認可を受けて、5月連休までの期間運転となった。大挙押し寄せる花見客に、ボンネットバスだけでは対応できず、一般の路線車も応援に駆け付けた。

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夏休み日本縦断の旅 8日目① 九州上陸 最終章へ

9月3日(火)

新山口 9:24 ― 1839M 宇部行き → 宇部 10:27

宇部 10:30 ― 3313M 下関行き → 下関 11:16

下関 11:31 ― 5159M 小倉行き → 小倉 11:46

小倉 11:54 ― 2537M 中津行き → 中津 13:01

中津 13:16 ― 4647M 幸崎行き → 大分 14:52

大分 16:10 ― 4651M 佐伯行き → 佐伯 17:47

新山口駅1番のりば(SLやまぐち号が発着)の装飾。

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明日から第150回同志社EVEに出展します!

現役生会長です。

同志社大学今出川校地では、本日より第150回同志社EVEが開催されています。

本日は屋外の模擬店やステージの出展のみが行われていますが、明日27日と明後日28日は、当会をはじめとして様々な団体が教室にて出展いたします。

当会は京都市営地下鉄今出川駅直結の良心館2階、RY205教室にて出展いたします。

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駅名喫茶店(第169回:地方交通線を駅名で巡る③(小浜線、舞鶴線、加古川線、播但線))

今回をもって、関西地方の地方交通線をすべて紹介したことになります。小浜線、播但線は全線未乗、舞鶴線は西舞鶴~東舞鶴間、加古川線は粟生~谷川間が未乗です。関西私鉄はほぼ乗りつくしたので、そろそろJR線も頑張ります。

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 わが鉄道熱中時代 (13) 山崎50・3改正編

貨物を牽く電機

「山崎50・3改正編」の最後として、貨物列車を牽く電気機関車を見ていただきます。貨物輸送のピークは過ぎていたものの、東海道・山陽本線が貨物輸送の大動脈であることに変わりはなく、多くの貨物列車が運転されていました。コンテナ専用列車も運転されているとは言え、二軸車、ボギー車など、雑多な貨車から編成された集結輸送方式が主流でした。牽引機も、デッキ付きの旧型電機こそ山崎には姿を見せなかったものの、60番代電機も第二世代に変わり、EF 66、 EF 81の新世代の電気も次第に勢力を伸ばしていました。東海道・山陽筋の電機の主流は、EF 65の0番代で、吹田二区、稲沢に大量配置されていたが、浜松、沼津の両区には、EF 60がまだ64両配置されていた。なかでも前照灯1個のEF601~83が元気に動いていた。

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荷坂峠

先日のホームカミングデイで、私は四国出身者と思われていることが判明した。無理もない。これまでに投稿した12本中8本の記事が四国関連であった。四国ネタは、77タツ先輩ぐらいしか投稿されないので、被る心配が小さかったこともある。

そこで今回は誤解をとくため、四国ネタ以外で勝負してみたいと思う。

▼DF50重連貨物列車、1977/08

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 わが鉄道熱中時代 (12) 山崎50・3改正編

近郊電車編

昭和50年3月改正直前の山崎付近の列車、特急・急行のあとは、近郊電車です。中心となる「快速」は、昭和39年から80系との置き換えが始まった113系電車一色で運転されていました。いっぽう、昭和45年から運転を開始した「新快速」は、この時期、山陽筋の急行電車から転進した153系〝ブルーライナー〟が、第二世代の新快速として運転されていました。昭和45年に運転開始の「新快速」は、万博輸送で活躍したスカ色の113系が、日中のみ一時間ヘッドで京都~西明石を結んだ。昭和47年3月になると、山陽新幹線の岡山開業により、急行に使用していた153系には余剰が生じ、新快速の増発・増便用に転用されることになり、6両に編成替えのうえ、塗装も改めて〝ブルーライナー〟の愛称で運転されることになった。先頭車のクハ153には、低窓車、高窓車、さらにクハ165もあってバラエティーに富んでいたが、低窓車は意外とこの塗装に似合っていた(昭和50年、神足~山崎~高槻、以下同じ)。

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山形を旅して(その3)

3日目(11月12日) つづき

JR左沢線の南寒河江と羽前長崎の間にある最上川橋梁は現役の鉄道橋としては最古のものとされており、是非見ておきたいと立寄りました。

令和7年11月12日 JR左沢線最上川橋梁

南寒河江側の橋台には近代化産業遺産、土木学会選奨土木遺産であることを示す説明看板がありました。

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夏休み日本縦断の旅 7日目② 山陽本線途中下車の旅

岡山での昼休憩を終え、12時53分発の糸崎行きに乗ります。227系の数も増えていますが、やって来たのは115系でした。3両編成の車内は少し混み合っており、地元の方が中心でした。列車はモーター音を唸らせながら、山陽本線を西へ進みます。

115系車内より、瀬戸内海を臨む

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山形を旅して(その2)

2日目(11月11日)続き

酒田港線ではDD200を撮っただけに終わりましたが、事前の調査不足のせいと納得しレンタカーで次の地点へ向かうことにしました。酒田の豪商 本間家は最上川水運と北前船による物流で巨万の財を成しますが、その富を酒田の海岸線に広がる砂丘の緑化事業に投じ、酒田の町を砂嵐から守ることが酒田の繁栄につながると何代にもわたって続けるだけではなく、庄内藩、米沢藩の財政を支えた篤志家でした。その本間家が力を注いだ砂丘地帯に広がる広大な黒松林を抜けて国道112号線を南下します。庄内空港を過ぎるとこの地の名刹 善宝寺があります。

かつて鶴岡を起点に海岸の湯野浜温泉まで庄内交通湯野浜線がありました。昭和50年3月に廃止され、既に50年を経過しますが、その中間駅 善宝寺駅跡にモハ3が残されているので見に行くことにしました。

昭和40年8月24日 高校1年の夏休みに友人と東北旅行をした際に鶴岡駅で車窓から撮影。

モハ3は高校1年生の夏休みに友人と東北を夜行列車乗り継ぎで1周した際、上野発秋田行き臨時急行「男鹿」の車内から撮ったのが最初の出会いでした。昭和5年日車東京製で、小さな車体に似合わない大きなパンタグラフが印象的でした。

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山形を旅して(その1)

クローバー会のホームカミングデーや写真展は毎年欠かさず参加していますが、そのためだけに上洛するのはもったいないので、なるべく鉄分補給の旅を兼ねることにしています。今回はホームカミングデーのあと、山形方面への旅を計画しました。東北地方は何度も訪れているとは言え、やはり訪問先には偏りがあります。近年は東北地方に限らず、県庁所在地訪問を旅のテーマにしていることもあって、今回はまだ訪問したことのない山形市をプランに組み込みました。

ホームカミングデーの懇親会を少し早めに退席して阪急電車で蛍池に向い、家内と合流し伊丹空港で1泊し、翌11月10日早朝のJAL便で新潟へ向かいました。山形県は日本海沿いの庄内地域と内陸部の最上地域、村山地域、置賜地域の4つのエリアに分かれています。今回は新潟から羽越本線で北上して鶴岡、酒田の庄内地域に入り、月山の麓を越えて寒河江、天童、山形の村山地域に入り、更に仙山線で奥羽山脈を越えて仙台から空路広島に戻るルートを設定しました。新庄の最上地域や米沢の置賜地域はパスです。

新潟・酒田間は特急「いなほ」が早くて便利なのですが、観光列車 快速「海里」でゆっくり日本海の景色を楽しむことにしました。「海里」は4両編成のハイブリッド電車(昔風に言うと電気式気動車)で、新潟寄りから①HB-E302 6(ダイニング)+②HB-E300 6(イベントスペース・売店)+③HB-E300 106(コンパートメント)+④HB-E301 6(座席指定車)となっています。この観光列車のコンセプトは地元食材による食事提供が売り物で、1号車はそのための食堂車、2号車には全く客席がなく、売店では 予約された弁当の手渡しや酒類の販売が行われ、3号車は山側通路の個室席、4号車は全シートが元々少し海側に向くように固定された座席車です。今回 海側の指定席が取れてラッキーでした。我々はグルメ旅ではありませんので、新潟で買った駅弁持参です。JR東日本は「海里」に力を入れているようで、新潟駅出発時にはホームでのお見送りがありました。しかし残念ながらこの日は平日だったせいか、乗車率は30%程度で、盛り上がりに欠けた出発となりました。

令和7年11月10日 新潟駅4番ホームでの快速「海里」出発お見送り

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駅名喫茶店(第168回:地方交通線を駅名で巡る②(名松線、参宮線))

地方交通線シリーズ2回目は名松線と参宮線です。どちらもゆったりとした時間が流れる路線です。山の名松線、海の参宮線といえましょうか。

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客車廃車体訪問記 内地編81 群馬県-6

【嬬恋村 紀州鉄道軽井沢ホテル】 36.461752, 138.563207 2022年9月15日撮影
オロネ10 88,90,91
日本の代表的避暑地軽井沢の山奥にも廃車体がある。
軽井沢で下車したのは初めてである。どんな所かと思ったが駅前一帯は霧がかかって数10メートル先が見えない。それにかなり寒いので町の散策はやめにした。

軽井沢駅南口 続きを読む

 わが鉄道熱中時代 (11) 山崎50・3改正編

夜行急行も大幅削減

53・ 3改正の趣味上のトピックは、山陽・東海道筋では、EF 58牽引のブルトレがほぼ全滅、加えて装備されるヘッドマークが無くなることの2点で、寝台特急に話題が集中していましたが、特急を補完していた夜行急行も大幅に削減されます。私にとっては乗ったこともない寝台特急よりも、何度も乗車した夜行急行に、より惜別の思いが強くなったものです。新大阪基準で見ると「阿蘇」「西海」「日南」「桜島」「高千穂」「天草」「雲仙」「屋久島」(季節臨含む)など、大部分が廃止、残った愛称も経路や車種の変更が行われました。今回は夜行急行列車に焦点を当てます。 EF61 14[広]の牽く名古屋行き「阿蘇」。 EF 61は18両全機が広島区に配置され東海道・山陽本線の急行・荷物列車の牽引に当たっていて、EF58とは別運用だった。EF 58牽引がほとんど占める客車牽引にあって、その優美なスタイルは際立っていた(昭和50年3月、山崎、以下同じ)

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 わが鉄道熱中時代 (10) 山崎50・3改正編

紫の1863さんのコメントで気がつきました。今回テーマの昭和50年3月改正から今年でちょうど50年が経過したのですね。大きな時刻改正は時間軸で覚えているものです。新幹線ができた3910改正は〝かなり昔〟、白紙大改正が行われた4310改正は〝やや昔〟この5003改正は〝ちょっと昔〟という感覚でしたが、50年も経過していたとは‥。今回も寝台特急を見ていきます。「あかつき」と並んで本数の多かったブルトレが、日豊本線を始終発とする「彗星」だった。4310改正で新設されて、改正ごとに本数を増やし、5003改正前には都城発1往復、宮崎発、大分発が各2往復と、計5往復の新大阪行きが設定されていた。広島区の若番、EF58 8の牽く「彗星1号」、回送とはいえ、新快速も走る外線のこと、かなりの速度で通過する(以下、山崎付近、昭和50年3月)。

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 わが鉄道熱中時代 (9) 山崎50・3改正編

先週3日間東京へ行き、人に会ったり、写真展の見学をしていました。そこで多くの方から聞いたのが、「〝デジ青〟見てます」の声、改めて感じ入りました。私も老骨にムチ打って、まだ続けます。変化球勝負は置いておき、正統な(?)列車・車両の思い出から〝熱中時代シリーズ〟今までの「山科大カーブ」「交直接続区間」に続いて、昭和50(1975)年3月改正の前後の「山崎」としました。

山崎の朝  EF58ブルトレのヘッドマークが輝いた

昭和50年3月のダイヤ改正では、山陽新幹線博多開業に伴い、関西発着の在来線優等列車が大幅に削減・再編され、とくに昼行特急・急行の廃止、夜行列車の整理が顕著でした。 昼行特急は、岡山発着の「つばめ」「はと」「しおじ」、京都発着「かもめ」も廃止、急行も関西を通る「桜島」「高千穂」「天草」「日南」なども廃止され九州方面の昼行優等列車は新幹線に置き換えられます。夜行列車も整理・再編、寝台特急(ブルトレ)は一部存続するも、大幅削減され、関西〜九州間の旅客輸送は、新幹線接続を前提とした再編が進みました。また湖西線の開業により、北陸方面の列車体系にも変化が生じました。 初めて山崎に撮影に行ったのは、高校1年生、昭和40年の秋だった。これから紹介する寝台特急「あかつき」が昭和40年10月改正で誕生、関西では初めて明るいうちにブルートレインが見られたのだった。さっそく山崎へ行き、丸っこい20系後部を写すことができて大満足だった。

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駅名喫茶店(第167回:「姫」を含む駅名)

「姫」といえば「姫路」が有名ですが、太多線には「姫」駅がございます。「姫」を含む駅名はいくつあるのか調べてみました。

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夏休み日本縦断の旅 7日目① 山陽路を西へ

9月2日(月)

京都 8:30 ― 3421M新快速 姫路行き → 姫路 10:08

姫路 10:09 ― 957M 播州赤穂行き → 相生 10:28

相生 10:29 ― 1313M 岡山行き → 岡山 11:38

岡山 12:53 ― 1735M 糸崎行き → 糸崎 14:26

糸崎 14:54 ― 327M 岩国行き → 岩国 17:09

岩国 17:17 ― 2237D 徳山行き → 徳山 18:36

徳山 19:03 ― 3343M 下関行き → 新山口 19:48

旅もいよいよ後半戦。京都駅6番のりばよりスタート。

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