ここらでボンネットバス 近畿編 〈17〉

奈良交通 (3)

奈良交通のボンネットバスは、その後も観光目的の路線バス、また定期観光コースにたびたび使われて、すっかり奈良の名物となります。昭和57年9月23日からは、定期観光バスとして新設されたHコース「たそがれの古都めぐり」に、ボンネットバスが充当されました。毎日運転の一日一便で、15:15に国鉄奈良駅前を発車、近鉄奈良駅前に寄ったあと、興福寺、唐招提寺、薬師寺、平城宮跡、さらに新薬師寺を回って約3時間で元に戻るというコース、料金は2050円でした。今回も、最初は乗車してコースを熟知し、撮影地などを見聞したあと、後日撮影に向かいました。 「奈2あ18-67」が専用で使われた。

白鳳伽藍の薬師寺や、鑑真和上ゆかりの唐招提寺と、西ノ京エリアに足を伸ばしたのが、今回の「たそがれの古都めぐり」、あらたな撮影ポイントも提供した(昭和58年10月)。

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駅名喫茶店(第162回:GHIJKL揃い踏み(近鉄の駅名⑥ 最終回))

GMARCHと見せかけて、駅ナンバリングのGHIJKLです。今まで近鉄の駅名をまとめてきましたが、今回が最終回。意図したわけではございませんが、駅ナンバリングのGIJKLが残っていたので、Hの天理線と合わせて広軌の支線をすべて紹介します。信貴線と西信貴鋼索線さえクリアできれば、近鉄全線完乗です。いつになることやら。

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 ここらでボンネットバス 近畿編 〈16〉

奈良交通 (2)

奈良交通のボンネットバスは、前記のように昭和54年(1979年)2月に、一般の路線バス路線から撤退します。この頃、ボンネットバスへの関心が高まり、各地で観光用に転用される例が多くなりました。奈良交通の地盤は、まさに最適の地であり、ボンネットバスの活躍が再び見られるようになります。その後、奈良交通のボンネットバスは、休眠と復活を繰り返し、現在でも奈良交通創立70周年記念に再々登録され、貸切ツアーなどで活躍しています。〝ボンネット号〟の愛称を付けて、路線の廃止後、バスガイドを乗せて復活することになった「奈2あ18-66」(以下、昭和54年5月)

 

 

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駅名喫茶店(第161回:京都丹後鉄道の駅名)

本日は「鉄道の日」です。駅名喫茶店での10月14日投稿は初めてとなります。今回は丹鉄を取り上げてみました。諸先輩方にとっては、北近畿タンゴ鉄道、宮福鉄道、JR宮津線時代の思い出の方が多いのではないでしょうか。

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客車廃車体訪問記 内地編78 香川県-3

【雲辺寺ロープウェイ第二駐車場】
オハネフ25 206、オハネフ25 2209 34.057120, 133.706819 2024年1月26日撮影

オハネフ25 206(西側) オハネフ25 2209(東側)
廃車体訪問記 内地編51 鹿児島県-1 あくねツーリングSTAYtion で報告した2両が遥々と四国霊場第六十六番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺(きょごうざん せんじゅいん うんぺんじ)のロープウェイの麓、第二駐車場に引っ越した。寝台車を活用した宿泊施設らしいが、訪問時に見たところではこれから工事を開始する感じであった。広々とした場所で、伸び伸びと過ごしてほしい。 続きを読む

夏休み日本縦断の旅 5日目① 上越国境を越えて

今日は鉄道の日ですね。私の旅行日記も少しずつ、鉄道発祥の地へと近づいてまいりました。それでは、5日目の様子をお届けいたします。

高崎にて並ぶ211系電車。

8月25日(日)

燕三条 9:11 ― 229M 東三条行き → 東三条 9:18

東三条 9:42 ― 432M 長岡行き → 長岡 10:09

長岡 10:34 ― 1732M 水上行き → 水上 12:56

水上 13:17 ― 740M 新前橋行き → 新前橋 14:10

新前橋 14:12 ― 630M 高崎行き → 高崎 14:22

高崎 15:36 ― 1899E 小田原行き → 籠原 16:10

籠原 16:13 ― 2847Y 快速 平塚行き → 渋谷 17:38

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 「信号場」を巡る  ⑩

飯田線 大沢(おおさわ)信号場

私鉄が出自で、駅数の多い飯田線にも、一ヵ所だけ信号場があります。伊那田島~高遠原にある大沢信号場で、輸送力強化のため昭和41年3月に開設、同時に伊那本郷、伊那新町にも交換設備が設けられています。ちょうど天竜峡〜長野の「天竜」、新宿〜駒ヶ根の「こまがね」など、飯田線にも優等列車が新設された時期と重なっています。大沢信号場は、周囲は果樹園が広がっていて、伊那盆地の扇状地にあり、西から東へとなだらかに傾斜しています。上り線(豊橋方面)が東側に腹付けで線増されました。一線スルーの大沢信号場を右側通行して行くED19 4の牽く上り貨物。乗車した対向列車の窓から撮影、右手で乗務員が敬礼の仕草をしているように見える。タブレット閉塞で、係員が常駐していた。昭和58年に飯田~辰野がCTC化され無人化された。現在でも交換が行われているようだ(昭和45年8月)。

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 「信号場」を巡る  ⑨

前回の「信号場」、窓から写しただけ、列車も後部から写しただけ、そんなテーマでも皆さんから暖かいコメントをいただき感激しています。こんな年寄りのテーマでも、地道に続けていけば報われる、そう感じてまた続けます。

篠ノ井線 桑ノ原(くわのはら)信号場

いまも現役、しかもスイッチバック式と、貴重な桑ノ原信号場。乗車した新宿発長野行き421レから、通過していく長野発甲府・名古屋行き446レを見る。スイッチバックらしく、わずかに高低差があることがわかる。446レは甲府・名古屋行きとなっているが、名古屋行きは松本から連結と時刻表の脚注にあった。平坦な松本~塩尻は2列車併結、12両以上で走ったと思われる。、DD51 37[長]+客車7両 (昭和43年2月) 

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駅名喫茶店(第160回:特急ひのとりが走る路線の駅名(近鉄の駅名⑤))

名阪甲特急の代名詞である特急ひのとり。名阪間に加えて、阪奈特急としても活躍中です。そんなひのとりを利用して、今回は難波線、大阪線、名古屋線を新たにまとめてみました。節目の第160回です。

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客車廃車体訪問記 内地編77 石川県-5

【のと鉄道七尾線能登中島駅】

・オユ10 2565  37.109469, 136.853466 2021年5月4日撮影
訪問記内地編59石川県-4で報告した能登線甲駅のオユ10 2565が、能登中島駅に引っ越したので行きたいと思っていた。新型コロナが流行していたゴールデンウィークだったので、鉄道は避けて車で行ったが高速道路も一般道も全く混んでいなかった。

現車は能登中島駅入口の横にあり、外回りは自由に観察することができた。
手前側が前位である。郵便標記や形式番号標記はGマーク付きで本職が真剣に書いたようなのに、MR、配置、荷重、軸箱の①,②や全検他、細かい標記は省略している。
天気が良く、1987年春に甲駅で撮影を始めた時、突然猛吹雪が襲ってきて寒くなったのを思い出した。

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駅名喫茶店(第159回:鐵道の駅名)

金を失うと記す「鉄」でなく、「鐵」を採用する旅客路線は、真岡鐵道、わたらせ渓谷鐵道、小湊鐵道、大井川鐵道、信楽高原鐵道、和歌山電鐵の6社7路線です。そのうち、4社(真岡鐵道、わたらせ渓谷鐵道、小湊鐵道、大井川鐵道)では観光列車(SL・トロッコ)が走り、エキタグが導入されているという共通点があります。和歌山電鐵はエキタグを採用しています。私は関西人なので、まずは信楽高原鐵道を推したいと思います。【2025/10/11加筆修正】

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夏休み日本縦断の旅 4日目② 新潟の街を観光

先週の投稿を総本家青信号特派員様が引用してくださりましたが、その中で羽越本線を走るC57形が紹介されていました。今回は、少しだけ関連した内容もあります。

高架化された新潟駅に並ぶE129系電車。

さて、村上からの普通列車は新発田から白新線に入り、16時22分に新潟に到着しました。新潟駅は高架化され、発着する列車も全て新型車両となり、雑誌で見た地上駅時代の面影はありませんでした。駅前広場は新しいバスロータリーの工事中でした。

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 「信号場」を巡る  ⑧

では「信号場」を続けます。北陸本線は、羽越本線と並んで日本海縦貫線を形成し、列車ダイヤも輻輳し、信号場が各所に設けられました。北陸本線は東へ向けて電化工事が進捗し、撮影した昭和44(1969)年当時、糸魚川~直江津が最後の非電化、単線区間として残っていました。

北陸本線 百川(ももかわ)信号場

非電化区間の糸魚川~直江津にあり、能生~筒石6.4kmの間に、昭和37年9月に開設された。2線だけの標準的な信号場だった。昭和44年9月、浦本~有間川は、長大トンネルを含む複線電化となり、ほとんどの区間がルート変更になり新線に切り替えられ、能生、筒石、名立の3駅が移転した。糸魚川~直江津にあった木浦(信)、西名立(信)とともに、百川信号場も廃止された(昭和44年8月)。平坦な場所に設けられた、ごく平凡な配線の百川信号場である。直江津~糸魚川間は、区間内の信号場はすべて廃止となった。信号場が設けられた能生~筒石といえば、昔から日本海が迫る海岸沿いのルートで有数の地滑り地帯として過去に多くの災害が発生していた。とくに記憶に残るのは、昭和38年3月の能生での大地滑りにより列車が巻き込まれ、牽引していたC57 90が日本海まで押し流された。機は現地解体されて廃車になったが、剥がれ落ちたナンバープレートを救助に向かった国鉄職員が抱きかかえている写真が、「鉄道ピクトリアル」に載っていたことが記憶に残っている。

「白鳥」交換 昭和36年10月改正で82系特急「白鳥」がデビュー、上下の「白鳥」が、隣駅の能生で運転停車して交換することになった。能生にも「白鳥」が停車するとカン違いした地元民が運転初日、花束を持って歓迎式をしたところ、「白鳥」はたしかに停車したものの、ドアは開かず、反対方向の「白鳥」と交換すると、さっさと出て行ったのは有名な逸話(これは金鉄局が、能生は運転停車なのに、客扱い停車と思い違いして、地域に配布する時刻表に「白鳥」停車を載せてしまったことに起因すると言われている)。この百川信号場が新設されたのは、「白鳥」騒ぎの翌年のことになる(写真は、AHさんから提供していただきました)。

スハシ38 6と不定期急行「石狩」

先日、準特急さんから客車の画像を数点送っていただきました。救援車や工事車が主で、それはそれでもちろんたいへんうれしかったのですが、その中にスハシ38 6がありました。撮影日は昭和41年9月10日で、場所は苗穂とのことでした。9月5日までの夏期営業を終えて編成から解かれ、年末の出番まで休養している形式写真でした。
マイテ39 1と同じ二重屋根に3軸ボギーTR73、これだけでも十分しびれますが、さらに窓配置を見ると「ハ」になってはいるものの貴重な優等車の面影が歴然として、申し分ありません。直に見たかったですね。
準特急さんの許可を得て画像を掲載し、スハシ38 6と「石狩」について述べたいと思います。

スハシ38 6札サツ サボは「急行」、「3」号車 準特急さん撮影
スハシ38 6の履歴は、
スロシ37953(昭和7年3月31日鷹取工新製)→(16年10月1日称号改正)スロシ38 4→(19年7月26日五稜郭工改造)マハ49 9→(28年3月長野工改造)スハシ38 6→42年7月7日廃車

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駅名喫茶店(第158回:観光特急しまかぜが集結する路線の駅名(近鉄の駅名④))

近鉄の駅名シリーズ第4回目は山田線(伊勢中川~宇治山田)、鳥羽線(宇治山田~鳥羽)、志摩線(鳥羽~賢島)です。伊勢中川~賢島間では一体化した運行形態がとられているため、山田線、鳥羽線、志摩線という路線区分をあまり意識することは無いかと思います。

来年は豊橋鉄道に乗りに行きたく、伊良湖港から伊勢湾フェリーで鳥羽港という変わった帰り方を実現させたいと考えています。

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 では 広島駅でお会いしましょう

いよいよ明日となりました。クローバー会の広島電鉄貸切乗車会、駅前大橋線が開業して早くも2ヵ月、開業後すぐにも行って新駅から飛び出す電車をこの眼で確かめたい思いでしたが、明日まで我慢と封印していました。明日は、なつかしいアノ電車に、みんなと乗れるのですから、期待感もひとしおです。

初めての広島駅を思い出す

新幹線に乗れば1時間30分で広島へ行けるのに、私には高校生の頃、夜行鈍行に揺られて、半日かけて広島に着いた時の肌感覚がまだ残っています。以来、広島へは何度も行きました。いつの時代も、蒸機から最新のLRVまで、さらにはバスまでも、心ときめかせる街でした。今回は、まだ本線に蒸機が走っていた時代から、先ごろまでの広島駅の風景を見ていただきましょう。

一人旅で夜行に乗って広島駅に着いたのは、高校一年生の昭和41年3月、駅で初めて写したのは、呉線のC59、C62ではなく、意外にもブルトレだった。当時、関西で昼間見られるのは、「あかつき」だけで、東京発ブルトレは夜間通過で、関西では見ることができない憧れの列車で、次つぎと広島駅1番ホームに到着するブルトレには圧倒された。「あさかぜ」を65Pトップが牽く正調派のブルトレだった。背後に昭和40年12月にできたばかりの広島駅ビルが見える。

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駅名喫茶店(第157回:みどりの窓口(JR西日本管轄)が残る駅名)

羽越本線の話題が続きました。ですが、私は空気を読まず独自路線を貫いてまいります。駅名喫茶店の過去の開店日数を振り返ると10月は計8回と最も少ない月と判明しましたので、今月は頑張ります。

今回はみどりの窓口(JR西日本管轄)が「残る」駅名です。「残る」としたのは、簡単にまとめられる程度の数まで減ったためです。

近江今津のみどりの窓口が2025年9月30日(火)をもって終了、大阪城北詰、新福島、加島が2025年10月31日(金)終了予定。以下のリンク先でサービスの「みどりの窓口」を選択すると容易に検索が可能です。https://eki.jr-odekake.net/receive

2025年12月1日(月)時点でのみどりの窓口です。【2025年12月1日(月)修正】

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 ここらでボンネットバス 近畿編 〈15〉

奈良交通 ①

ここらでバスに参りましょう。今までの投稿のなかで、バスネタには意外な人気があり、閲覧、コメントも多いように見えます。今まで京都市バスに特化したテーマのほか、関西各地を走ってきたボンネットバスも、今まで京阪バス(京都・大阪・滋賀)、江若交通(滋賀)を紹介しました。今回は、奈良県下に路線網を広げる奈良交通です。

1960年代には、奈良交通に多くのボンネットバスが走っていました。運転区間には狭隘区間や山間部も多く、ボンネットが好まれたのかもしれません。次第にリア・エンジン車に置き換えられ、写真を撮り始めた1975年ごろには、高田、五條の2営業所のみの配属となりました。それでも近畿のボンネットバス路線としては、有数の台数、路線を持っていました。奈良交通のボンネットバス、鹿のマークに若草色と、おなじみの奈良交通塗装のボンネットバスが、昭和の時代に走っていた。その後も観光用として生き残り、いまも1台が観光・貸切用として走っている(昭和50年3月、平端駅前)。

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新津にいたC57達

新津は羽越本線、磐越西線、信越本線が交わる鉄道の町で4人に一人が国鉄に勤めていたと言われていた。米原や糸崎もそうであったのではないかと思う。1963(昭和38)年4月1日現在の国鉄動力車配置表でC57の配置を多い順に見ると小樽築港17両、金沢16両、新津12両である。東新潟に機関区がありここにC57が9両在籍していたのでこれと併せると新潟地区には21両もいたことになる。新潟機関区は後に上沼垂運輸区となり現在は新潟車両センターになっているがここは訪問したことがなく詳細はわからない。

さて新津のC57と言えば同区出身で「SLやまぐち号」を牽引していたC571が有名である。もう一つは地元新津で磐越西線のイベント列車「SLばんえつ物語」として運転されているC57180もここの出身である。このほかに後閑駅脇に保存されていて復元され高崎運転所(現ぐんま車両センター)にいて上越線水上や信越本線横川やその他各地へのイベント列車に駆り出されているD51498も同区にいた蒸気機関車である。今回は客車用のC57にスポットを当ててみるが羽越本線のC57の現役時代の記録はDRFCの仲間の皆さんと行動を共にした時のものである。なお、2024年12月28日に「久しぶりに見るC57と関連写真」と題して同じ様な内容で投稿したことがあるので写真のダブリは避けるようにした。

最初はC571である。同機は急行「日本海」を運転中土砂に乗り上げて損傷したがトップナンバーが幸いしたのか復旧して最後まで新津区で活躍した。動態保存のため梅小路に行く前にかつて活躍した千葉地区の総武本線でお別れ運転をした。梅小路から山口線へ行きイベント列車で長く活躍した。山口線で撮られた方もおられるかもしれないので追加発表されたら嬉しく思う。

始めは1966年9月23日の新津区のトップナンバーC571である。▼

同じ日のC571で後方は扇形庫。左には新津区のスローガンが見える。

1969年10月11日今川-越後寒川間のC571牽引2048列車でこの日は終日雨だった。▼

新津区の若番C5719。1969年10月11日坂町駅で交換する直江津発秋田行き821列車牽引の姿である。坂町は米阪線の乗換駅で機関区もありD51や9600が配置されていた。(この写真は再掲載)▼

新津区で最後まで残ったC5719は新津駅から車で10分くらいの新津鉄道資料館に新幹線200形と共に保存されている。2018年6月30日資料館▼

C57180は廃車後新津市内(新津市は現在は新潟市秋葉区となっている)の小学校で静態保存されその後「SLばんえつ物語」の牽引機となっている。1969年9月23日新津▼

2024年11月30日 その「SLばんえつ物語」牽引前の新津駅でのC57180でクモハ73106東ウラさんと行った時のもの。▼

この他の新津区のC57

1969年10月11日今川-越後寒川間の835列車C57103▼

1969年9月23日新津を出発するC5735▼

1969年9月23日新津区のC5769▼

1969年10月10日 桑川 832列車秋田発新津行きでこの3次型C57182は新津の後にさらに九州に転属することなる。▼

1972年5月2日 日豊本線重富-帖佐間を行く新津から吉松に来たC57182牽引西鹿児島発吉松行き▼

201両つくられ四国以外の各地で活躍したC57も新津は比較的遅くまで在籍したのではないか。かつては急行列車やお召し機関車に指定されたものもあるがそれらを撮ることは叶わなかったが保存機も含めてある程度は記録できたような気がする。同行して付き合っていただいた皆さん今頃どうしているのかとふと思うことがあるが御礼を併せて申し上げたい。

 

 

 

 

 「信号場」を巡る  ⑦

羽越本線の信号場のこと記していますが、「岡山好き」さんが、本欄で、「日本海の絶景」として現在の羽越本線を記しています。記事を見ますと、羽越本線を走っているのは、GV-E100形とかH100形とか、形式名にカタカナの付かない気動車ばかり、最後に「羽越本線でE129や115系を見てみたかった」と結んでいます。なるほど、蒸機や旧型客車なら、若いファンにとっては、もう有史以前の石器時代の出来事に映るのでしょう。でも、現代と石器時代が仲良く同居するのも「デジ青」の魅力なのです。羽越本線の女鹿信号場で交換するC57 181の牽く下り列車、羽越本線は、全線でC57の活躍が見られた(昭和46年9月

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