いよいよ明日となりました。クローバー会の広島電鉄貸切乗車会、駅前大橋線が開業して早くも2ヵ月、開業後すぐにも行って新駅から飛び出す電車をこの眼で確かめたい思いでしたが、明日まで我慢と封印していました。明日は、なつかしいアノ電車に、みんなと乗れるのですから、期待感もひとしおです。
初めての広島駅を思い出す
新幹線に乗れば1時間30分で広島へ行けるのに、私には高校生の頃、夜行鈍行に揺られて、半日かけて広島に着いた時の肌感覚がまだ残っています。以来、広島へは何度も行きました。いつの時代も、蒸機から最新のLRVまで、さらにはバスまでも、心ときめかせる街でした。今回は、まだ本線に蒸機が走っていた時代から、先ごろまでの広島駅の風景を見ていただきましょう。
▲一人旅で夜行に乗って広島駅に着いたのは、高校一年生の昭和41年3月、駅で初めて写したのは、呉線のC59、C62ではなく、意外にもブルトレだった。当時、関西で昼間見られるのは、「あかつき」だけで、東京発ブルトレは夜間通過で、関西では見ることができない憧れの列車で、次つぎと広島駅1番ホームに到着するブルトレには圧倒された。「あさかぜ」を65Pトップが牽く正調派のブルトレだった。背後に昭和40年12月にできたばかりの広島駅ビルが見える。
▲ブルトレが過ぎたあとは、呉線からの通勤列車が続々と到着する。この列車は、広発宇品行き925レで、C62 40〔糸〕の牽引。宇品行き、というのがミソで、まだ宇品線が旅客営業を行っていた時代で、広島で向きを変えて、宇品へ向かっていた。左は本線(山陽本線を当時、広島では呼び習わしていた)の湘南80系。
▲その1番ホームの東端へ行くと、切欠きホームの0番ホームがあり、発車を待つのは機械式のDC、宇品線531Dのキハ04 104〔中ヒロ〕だった。ここは、広島から宇品へ向かう宇品線の専用ホームで、ラッシュ時以外はキハ04が単行で運転していた。宇品線は超赤字路線で、訪問の昭和41年の末には上大河~宇品を廃止、広島~上大河で、定期券利用者のみの旅客営業と貨物扱いを続けるが、昭和61年には廃止された。

▲このころ、本線上りホームでは新大阪へ向けて発車する特急、急行でにぎやかさを増す。7:43、新大阪行き「宮島」が多くの見送り客に送られて発車する(左)。セノハチの急勾配を越えるため、後部にEF616〔宮〕+オヤ352を連結、八本松構内で途中解放した。続いて8:05、新大阪行き「第一しおかぜ」が発車する(上)。「しおかぜ」は181系化されており、151系
よりパワーアップしているが、セノハチ勾配は越えられず、後部にEF61の補機を連結し解放した。クロ181-4とEF61 6の連結面(左)
▲広島~小郡の電化が完成したのが、昭和39年10月、本線は完全電化が成ったものの、電機の新製が追い付かず、電化後3年も経つのに、C62の牽く列車が広島以西で見られた。広島駅5番ホームに8:12到着の徳山発呉線経由糸崎行きの624レでC62 28[広転]の牽引、客車12両の長大編成だった。
▲現役のDRFC時代もよく広島を訪れた。多くは、九州各地で転戦したしたあと、夜行で広島へ向かった。夜行の座席急行「桜島」に乗って、広島に4:30に到着、呉線の一番列車622レが発車する7番ホームへ行く。外はまだ暗いが、ホームは明るく照らし出され、C62が堂々と待機していた。
▲夜行で広島に着くと、駅で洗面を済ませ、一服してから呉線が定番コース、8:29発の624レはC59 161[糸]牽引、「ひろしま」の駅名標、「売店」「うどん」、木造の跨線橋と、すべてが昭和だった(昭和45年)。
最近の広島駅前
▲駅前大橋線の開業で、今までの猿猴橋経由の広島駅方面の路線は消えた。2ヵ月遅れの思い出だが、正面には三代目駅舎、初めての訪れた時、まだASSEはなく、小規模な広島駅ビルだったが、それでも全国有数の民衆駅の出現には驚いた。待合室に寝泊まりして呉線へ行ったのも思い出、広島らしく、眼光鋭いその筋も待合室にたむろしていて、その周りだけが空席になっていて、すぐ察知できたものだ。
▲右へカーブして猿猴橋へ向かう。この付近も、戦後の闇市の面影が色濃く残っていて、夜は真っ暗一人で歩くのは怖いぐらいだったがいまは見違えるようになった。停留場の背後のビル壁面が一面ライトアップされていて、ちょっと異空間に迷い込んだ感じだった(右)。


懐かしい記憶が蘇ります。母の実家が広島で駅裏の客車区の近くに祖父が戦後住んだ家があり、昭和30年代終わり頃から、毎年夏に帰省していました。原爆で関係者が死んだこともあり、法事も必ず行っていました。
私の写真は昭和48年の8月の朝、帰省中の母の目を盗み、ハーフサイズのカメラ片手に写真散歩の中学2年。
大須賀にあった開かずの踏切からスルスルと駅裏に入り、芸備線や、機関区まで歩いて行って、のんびりした時代だったから咎められずに、何事も無かったように戻り、朝の食膳に着いています。
写真は呉線の通勤電車。岩国方面からの直通でした。
あと呉線は投稿の記事のSL列車の客車の前にEF58が立ち、長大な客レを操車場脇の高架を力走して、その時に初めて「EF58はカッコいい」と憧れを持った記憶が残っています。