t関西本線 中在家信号場 (なかざいけ)
しばらく「信号場」テーマが途絶えていましたが、残り分を連続掲載します。中在家信号場は、典型的なスイッチバック式信号場で、前後には25‰勾配、補機付きの蒸機貨物が行き来しました。われわれの現役時代、春の新入生歓迎旅行、秋の一泊旅行は、決まって「加太」「村田屋」「中在家」3点セットで行われたものでした。京都から列車に乗って2時間ほど、土曜日なら午前の授業を終えてから、加太には夕方到着、付近で軽く撮ったあと、村田屋に投宿して、夜はドンちゃん騒ぎと二階から見る投炭の赤い煙に感動、翌日は、寝不足でフラフラになって、中在家信号場へ、さらには山越えして柘植まで歩き、蒸機撮影を堪能したものです。
▲初めて中在家信号場は、高校1年の時、初めての一眼レフを持って、勇躍一人で加太に降り立った。雪の残る4.6キロの線路端を歩いて中在家信号場に到着すると、ちょうど上下の貨物の交換があった。せっかくのスイッチバック、その高低差がわかるようにと撮影場所を決めた。慣れないカメラゆえ、ほとんどがカメラブレ、辛うじて見られた一枚だった(1965年12月)。
















