山形交通廃線跡を訪ねる(三山線)

先日、青森、秋田、山形を訪れました。遠出するのは昨年の2月以来1年半ぶりです。JALでたまっていたマイルが7月~10月にかけて、10000マイルあまり期限が来てしまうのでこれを使って出かけることにしました。津軽線、五能線の訪問に加え旧山形交通廃線跡がどうなったのか見るのも目的の一つです。昨年4月のデジ青でも紹介させていただきましたが、旧山形交通の三山線、高畠線には1974年8月、廃線の3か月前に訪れました。DRFC夏の五能線合宿に行く途中に寄ったもので、その時は左沢に泊り、まず三山線を訪れ、続いて高畠線、合わせて半日あまりの訪問でした。
↑ 以前投稿したのと同じ写真ですが1974年8月の羽前高松駅です。


今回は秋田から奥羽本線を南下し、北山形で左沢線に乗り換えました。やってきたのはキハ101の4連、それが下校の高校生で満員、今回の旅行で初めて立つことになりました。寒河江で大半が降り、羽前高松ではガラガラ、降りたのも数人でした。三山線があった当時は相対式2面2線で、山形行のホームが一部切りかかれ、三山線の乗り場となっていました。
↑ 現在のJR羽前高松駅で三山線の乗り場のあったあたりです。昔の写真と一緒に撮ってみましたが、以前の写真は左沢行のホームから撮っていました。
現在は駅舎側の1面1線となっていて、切りかかれていた部分が面影を残しています。駅前広場の左沢寄りには大きな石碑が立っています。左沢線の誘致に尽力し、羽前高松駅の設置に当たり多額の寄付を行った工藤八之助という方を顕彰したもので、昭和33年建立となっています。昭和33年と言えばまだ三山線が健在であった時で、当時の写真にも写っているはずですが、見当たりません。三山線廃止後にどこかから移設されたのでしょうか?
↑ 山形交通羽前高松駅の駅舎があったあたりにある石碑、ネットでも調べましたが山形交通時代を撮った羽前高松駅の写真で、この石碑が写っていたものは見当たりませんでした。
三山線は羽前高松を出ると大きく右にカーブして間沢に向かいます。47年前は次の新田駅まで歩きながら写真を撮っていて、羽前高松を出ると線路の両側には田んぼが広がっていました。

↑ 新田駅を発車した羽前高松行、現在このあたりは国道112号線となっています。


↑ どの場所で撮ったのか不明でしたが、羽前高松駅近くに現在も製材所があり、この前の道から撮ったということがわかりました。
1974年当時の地図には細い道しかありませんでしたが、現在は国道112号線が駅の近くを通っています。国道112号線を西に10分程行くと県道379号線と交差するところがあります。この交差を北東方向に少し行ったところに新田駅がありました。
↑ 新田駅停車中の羽前高松行、駅付近に人家はありません。現在は県道沿いに人家があり、近くには公民館もあります。
遺構はありませんが、当時の地図には高圧鉄塔と高圧線が書かれていて、高圧線と県道が交差するところの南側ということでほぼ位置が確定できます。現在は東京電力の看板が掛けられている空き地がその場所となります。この少し羽前高松寄りに三山公園があり、ここには昔の橋台と三山線を紹介する看板が立っています。
↑ 三山線を紹介する看板。このあたりには用水路が何本かあり、用水路の改修を機会に三山線の思い出を残すためにこの公園が作られました。
↑ 用水路を越える短い橋があり、橋台と共に保存されています。但し、この場所にあったのかは不明です。
新田駅を出ると寒河江川を渡る橋があり、この場所には今も歩行者、自転車専用の橋が架かっています。渡った先にも道路が続いており線路跡と思われます。橋まで行って確認したかったのですが、雷鳴が聞こえ真っ黒な雲が近づいてきたため早々に引き上げてしまいました。
なおこの先の睦合には月山の酒造資料館があってモハ103型が保存され、資料館内には三山線の資料コーナーが設けられており、当時の写真や資料が展示されているそうです。ここも訪れたかったのですが、車でしか行けず、今回は見送りました。

6 thoughts on “山形交通廃線跡を訪ねる(三山線)

  1. おはようございます。
    山形交通の各路線は趣味の道に入った頃はありましたが、いずれも大学に入る前に廃止になり、残された「世界の鉄道74」くらいの記事に郷愁を覚えるだけです。
    尾花沢だけは2012年秋に飛行機で行ってきたことがあります。
    この写真に写っているモハは、需要が有り琴電で再起しました。
    最晩年は電装を解除されてトレーラーになっている姿です。
    1990年4月瓦町にて

    • モハ112が琴電に譲渡されたとは知りませんでした。琴電では1998年まで活躍したと書いていました。同じ年に琴電に行きましたが、その時はもう廃車になった後だったようで、残念ながら撮影したものの中にはありませんでした。

      • 870の反対側運転台です。
        貫通式に改造されています。
        遠い東北からよく、四国で再起してくれたものです。
        「世界の鉄道75」に載っていた東濃鉄道駄知線の電車群も来ていました。
        大手私鉄の廃車群を引き取る前の琴電の面目躍如ですね。

  2. 大津の86さん、K.H生さん
    乙訓の長老様から預かった写真の中にことでん870号現役時代の写真があったので貼ります。

    • 正面の塗り分けも変わっているので別の車両のように見えます。調べてみると、元西武の車両だったのですね。2両編成で立派に見えます。

  3. この蒲原鉄道モハ91も、元は三山線にいた電車です。
    古くは名鉄の前身の一つ、各務原鉄道の木造車で、山形交通には大戦後の大手私鉄の放出電車として来て、鋼体化されたときに正面非対称のユニークな面相になっています。
    小型車ながら馬力が有り、三山線では重宝したと聞きます。

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