2013年 春の中国鉄路の旅 Part14 北朝鮮国境沿いの鉄路 その8 国境の橋「南陽図們橋」、撮りました北朝鮮の列車!

第14日目 5月14日

今日も中国と北朝鮮との国境の橋「南陽図們橋」「琿春図門橋」を訪問します。

01_朝食目覚めて外を見ますと、昨日までの好天とは打って変わって朝から雨が降り出しています。撮影には最悪のコンディションです。

泊まっています境浦酒店での朝食です。ここでは何とルームサービスで運ばれてきました。ご覧のように朝鮮式で品数もボリュームも満点です。味も良し、中国式は飽きあきしていましたので美味しくいただきました。これで20元(約350円)でした。お得です。

朝食後、図們へはバスで向かい、ここで道を熟知している地元Taxiをチャーターしようと決めていました。バスターミナルまではTaxiを探しますが、ラッシュ時と雨のために空車が全く通りません。困っていると、ガイドの崔さんから「良かったら、会社の車を出しましょうか。運転手は道も良く知っています。チャーター料はTaxiと同じでいいですよ。」と、助け舟がきました。条件が同じならここから乗った方が便利です。OKを出しました。

今日の撮影地は雨が降ると泥濘となりますので、延吉の町を出る前に大きな傘と長靴を買いました。予想は当たり、大変役に立ちました。どちらも使い捨てで傘は崔さんに、長靴は必需品となりましたので、最後まで持ち歩いていました。
02_図們までの田舎道103_江陽1雨が降る中を図們に向かいますが、崔さんは町はずれから本道を左折して細い地道を行くように運転手に命じます。どうしたのと聞くと、本道では検問があって身分証の確認と車内の荷物検査等があるので面倒です。逆に時間もかかると申されます。
そういえば我々も前回検問に会いました。あの時は後ろから路線バスが来たので途中で我々の検査は止めて、公安は後ろに行きましたので面倒にはなりませんでした。
崔さんはこれを回避するために裏道を行くようにと指示したのですね。ウン、日本のマスコミを案内するぐらいですから実力のほどが分かりました。中々のガイドです。

山越えをして図們手前で本道に戻りました。豆満江を挟んだ対岸には北朝鮮鉄路が見えます。駅がありましたので止まって撮りました。川岸には監視台が設置されています。
03_江陽2▲ 9:55、将軍様の写真が掲げられて、何やらスローガンが書かれた駅舎です。駅名はハングルですので読めませんが多分図们の対岸「南陽」の1つ手前の駅と思われますので「江陽」でしょうね。

03_江陽3山の麓にはバスケットボールのポールやらがある校舎らしき建物が見えます。小学校なのでしょうか? 下は農家ですが生活感を感じません。
03_江陽4
03_江陽5▲ 道を進むと、ようやく農村らしき光景がありました。羊の放牧ですね。国境から北朝鮮を見ていますが、こういう光景を見るのは珍しいのです。ほっとしますね。

03_江陽604_図們国境1▲ 10:05、南陽図們橋を撮れる高台に着きました。まだ雨は降り続いていますが何とか撮れました。手前が鉄道橋、後方に見えるが道路橋です。

左は中国側の国境の門です。メンツを重んじる国民性です。何でも大きくなければ意味がありません。

門の下の踏切は工事中でした。通って通れなかったことはなかったのですが、前回撮影に行きましたが入場門が施錠されていて入れなかった丘があります。今回はここで撮りたかったので嫌がる崔さんと運転手を説き伏せて踏切手前の道を無理やり上がりました。
04_図們国境204_図們国境9▲ 10:26、離合できない一車線の道でしたが何とか橋が見える頂上に着きました。右が鉄道橋、左の橋桁だけになったのはかつての公道(歩道橋)です。

今日の気温ですが氷雨が降ったのか、震える寒さです。しっかりと着込んできましたので大丈夫でしたが、なんと3℃でした。昨日は日中20℃でしたので一気に冬に逆戻りです。

【 南陽図們橋 】
京図線(新京~図們)図們~北鮮線(上三峰~雄基)南陽に架かるこの橋は満州事変後における東アジア情勢を鑑みて建設されました。着工は京図線全通に先立つ昭和7年8月6日です。
昨日訪問した三峰橋は、当時張作霖の勢力下にあった満州でしたので日本(朝鮮)との交渉が容易にまとまらず着工まで2年を要しましたが、この橋では外交上の問題はなくスムーズに着工になりました。また架設技術も著しく進歩していたので順調に進みました。架設桁は横河橋梁及び川崎車両で製作されています。そして8ケ月間の工事期間で鉄道橋は昭和8年4月1日に完成、横に設置された公道は6月20日に完成しました。

現在、列車は不定期ですが貨物列車が走行しているようですが未だ見たことはありません。客車列車は運行されていませんが、中国のネットニュースでは今年5月中旬から図們~北朝鮮南陽、清津、七宝山への観光列車が運行されるのが決まったと出ています。燃料補給も両国の運行責任者で合意に達したと、さも本当のようですが今年4月からは中国人の北朝鮮観光が禁止されています。実際はどうなったのでしょうね。本当なら、紛れて行ってみたいと思ったりします。

列車も渡ってこないので引き揚げようと、ぬかるむあぜ道を車へと戻りかけていましたら、崔さんが「何か聞こえる。これっ、北朝鮮の列車の音ですよ! 来ますよ、来ますよ!」とまだ見えぬ列車音が聞こえていると申されます。私には聞こえません。ウソだろうと思っていたら、彼方に列車が見え始めました。びっくりして先ほどの場所まで引き返そうと必死に歩くのですが、長靴の裏に泥が幾重にもくっ付いて歩くのは非常に困難です。
04_図們国境3▲ 10:30、上三峰方面からのEL牽引の長編成の列車が対岸の北朝鮮鉄路を走行してきました。編成は10両です。
04_図們国境5▲ 編成は前から荷物車3両、後7両は一般車両のようです。

04_図們国境5_1▲ 真ん中にパンタ2丁を屋根に取り付けた車両があります。これって何?電源車なの? では、なぜに必要? ミステリアスな車両です。
04_図們国境4_1▲ 変わっているのは荷物車です。3車両とも形式は違っています。興味深いのは1番下の車両の車両左側の屋根がこんもり隆起している点です。これは何のためなのでしょうかね。
04_図們国境4_2▲ 硬座車はほぼ同一形式のようです。車内を見ますと、無座(立席)客はいないようですが、乗車率はかなり高いようです。
04_図們国境7

▲ 列車が水豊駅に入線すると交換を待っていたのでしょうか保線車編成上三橋方面へと向かいました。
04_図們国境6▲ ズームアップしてみますと先頭の電気機関車というかレール電気バスの後方には風を避けるように10数名の保線区員?が乗っています。すれ違ったのは犬走りを歩く小学生のように見えます。もうちょっと鮮明だったら面白い写真になったでしょうね。
【DATA】NIKON800E、VR28~300㎜=300㎜、F6.3、1/160、ISO200、-0.3段
04_図們国境8▲ こちらのバックに見える白い3階建の建物は間違いなく小学校ですね。行程で遊ぶ小学生が見えます。
04_図們国境8_104_図們国境11▲ 10:42、10両編成の客車列車は次の駅「豊利」へと豆満江沿いを向かっていきました。

04_図們国境10▲ 図們駅のヤードです。琿春方面に炭鉱がありますのでヤードの中はセキで一杯です。この中に北朝鮮からの貨車はあるのかな?
鉄橋が見える丘を下りると図們駅寄りに北朝鮮からの列車が通る鉄路の踏切があります。今回は崔さんがおられるのでいつ列車が通るのかを聞いてもらいました。すると、3日間に1本程度が走っている。ここ3日間は来ていないので今日来ると思う。連絡が入ったら携帯に電話をしてあげよう。多分午後だろうな。」と、なりました。
これは最高です。是非、南陽図們橋を渡る列車を撮りたいです。楽しみです。

05_イミグレ805_イミグレ105_イミグレ5▲ 11:02、南陽図們橋のイミグレ前に来ましたが閑散としています。北朝鮮へと向かうトラックも橋見学の観光客もいません。
橋観光見学の切符売り場は閉まっていて窓ガラスには、「橋を守るため?にしばらく橋の観光は停止しています。11月中旬まで」と、張り紙が貼ってあります。おかげで観光客相手の周りのお店は閑古鳥が鳴いていました。
南陽図們橋に列車が来る前に戻らなければなりません。琿春図們橋へと急ぎました。

続きはPart15に掲載させていただきます。

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