2024年夏、タイからラオスへ(その2)

2024年7月26日、MM091便は、定刻通り19時15分に関西空港を離陸、10分程早着の23時45分にはバンコクスワンナプーム国際空港に到着しました。日本とタイとは2時間の時差があります。大阪を出る前に夕ご飯は食べていたのですが、あまりに腹が減ったので、空港でタイ風の焼きそばとコーラを食したのですが380バーツ(約1900円)もします。いくら円安といってもここまでとは、と驚きましたが、これは空港価格で、市中ではそれほどでもなかったので少し安堵しました。

▲巨大空港スワンナプーム国際空港 朝方なのでだいぶ人が抜けていますが、夜中はベンチの殆どで人が仮眠していました。私もその中の一人に。

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 消えゆく老舗書店 熊本と京都~路面電車あれこれ噺⑲

路面電車が走る街で、撮影のため歩いていると書店と出会うことがあります。なかでも、地域に根ざした老舗の書店・古書店は大好きでした。撮影の手を止めて、入ってしまうこともあり、地域ならではの地方出版物のなかから鉄道関係の書籍を見つけて思わず買ったこともありました。ところが、街の書店がどんどん減ってきて、社会問題化しています。もう、路面電車と書店のある光景も過去の思い出になろうとしています。熊本市にある、創業150年を迎える老舗の書店が閉店すると言うニュースを耳にしました。真ん前を熊本市電が走ると言う絶好のロケーションでした。熊本市中央区、熊本市電の上熊本線「新町」電停前の「長崎次郎書店」。真ん前を上熊本線の3・8系統が通っている(以下、2016年2月12日)。

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 仙台駅前で定点対比する ~路面電車あれこれ噺⑱

少し前、三陸・大槌を訪れる途中に、仙台駅前へ寄って、昭和51(1976)年まで走っていた仙台市電を、同一地点からの対比を試みました。今まで、何度か仙台へは行ったものの、駅前の巨大なペデストリアンデッキに阻まれて、定点撮影は不可能と思っていましたが、改めて地上から対比すると、たしかにデッキは邪魔にはなるものの、意外と市電時代の街並みが残っていました。

仙台市電は、路線延長16キロとごく小規模ではあったが、茨城交通、琴参電鉄、呉市からの転属車や仙台のオリジナル車など多彩だった。車両は200形211号、昭和29年から製造された前中扉の軽量車で、201~211の11両があった。前面は2枚窓だが、後期車は写真のように非対称となった。仙台を特徴づけるセンターポールも見える。

青葉通が交わる駅前の地上へ行って定点対比すると、デッキの合い間から、何とか定点対比ができた。すっかり変わってしまったように見える駅前だが、よく観察すると、左の「宮城ビル」は外装は新しいが、躯体はそのままのようだ。正面には、市電時代には地場の百貨店、丸光デパートがあった。そのあと、2002年に、さくら野百貨店となったが、倒産し、建物はそのまま残っている。

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 豊橋市内線の支線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑰

豊橋鉄道 柳生橋支線

路面電車に関わる小ネタをしばらく綴っていきます。先般行われた豊橋ツアー、もう一ヵ月が過ぎての後出し投稿で失礼します。丹羽さんからは、本欄でも貴重な豊橋市内線を紹介していただき、旭川電軌や三重交通神都線から来た貴重な車両を紹介していただきましたが、私も、過去に一度だけ、豊橋市内線の車両を撮っていました。かつての柳生橋支線を走っていた3700形です。

現在、豊橋の市内線は、先日みんなで乗った駅前~赤岩口・運動公園前の東田本線だけですが、以前は駅前~市民病院前、新川~柳生橋の2支線がありました。駅前~市民病院前は昭和44年に休止・廃止、もう一方の新川~柳生橋0.9kmの柳生橋支線は、昭和51年廃止で、私も直前に短時間撮りに行きました。そこで走っていたのが、日本最初の半鋼製電車と言われる3700形でした。柳生橋支線の廃止後も3702が生き残り、鉄道友の会「エバーグリーン賞」を受賞、平成19年まで「レトロ電車」として活躍し、廃車後は豊橋市こども未来館に保存展示されていることが、丹羽さんの原稿にも書かれています。

豊橋の駅前大通りをまっすぐ進んだ東田本線は、新川で左へ曲がり北へ向かう(写真の上方向)。その新川から分岐していたのが、手前の柳生橋線で、専用に走っていたのが細面のモ3700形(昭和50年6月撮影)。

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 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ⑤

最後に水窪へ

天竜峡を15:12発の554Mで折り返し、天竜川に沿って小和田や中井侍など、本家・秘境駅を車窓から愛でながら南下します。最後に降り立ったのは水窪でした。

水窪は、③で紹介した大嵐の隣駅に当たり、昭和30年、佐久間ダム建設に伴う水没区間のため、あらたに別線建設された区間にある駅となる。

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 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ④

天竜峡で折り返し

大嵐駅周辺の探索を2時間で終えて、13:14発の519Mで、折り返しとなる天竜峡へと向かいました。

天竜峡は、昭和2年に伊那電鉄の起点として開業した。そのあと、南から延びて来た三信鉄道と接続して乗継駅となった。飯田線になってからも運輸上の中枢駅となったが、機関区などの現業機関はなく、今まで乗り換えることはあっても、下車したのは初めてだった。開業当時の面影を伝える切妻の方形造りに、マンサード屋根を組み合わせ、風見鶏やステンドグラスも見える逸品である。この様式は、伊那電の好みのようで、ほかにも伊那八幡駅でも似た建築が見られると言う。

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 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ③

廃線トンネルのある駅へ

中部天竜の20分停車を利用して周囲の散策を終え、同じ列車に再乗車。乗ること30分、長いトンネネルを抜けると、そこが次の目的の駅でした。トンネルとトンネルに挟まれたところに駅はあった。狭隘地のため、両側のトンネルは、内部でポイント分岐していて、ポータルは複線サイズになっている。ほんの数人しか乗っていない列車から途中下車すると、自分ひとりだけと思っていたら、なんとオバちゃんが一人下車、迎えのクルマに乗り込んで行った。

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 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ②

中部天竜を歩く

本長篠の周辺探索を終えて、本長篠9:30発の天竜峡行き列車で飯田線を北上します。乗車列車は、待望の213系5000代車で、途中の中部天竜で20分の停車、これを利用して、駅周辺の探索を素早く済ませました。

 中部天竜今昔① 飯田線の運輸上の要衝で、かつて中部天竜支区もあって、電機、旧型電車で賑わっていたが、それも廃止され、跡地に設けられた佐久間レールパークも閉園されて、すっかり寂しい駅になってしまった。

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 飯田線 乗って 降りて 歩いて  ①

ある駅から探索を開始

先般のクローバー会の豊橋ツアー、参加の皆さんとともに楽しんできました。晩は豊橋駅の居酒屋で、名物の味噌煮込みおでんで気勢を上げたあと解散となりましたが、その日、私はは豊橋に泊まって、翌日は一人で飯田線へ行きました。飯田線は、旧型電機・電車が走っていた頃には、よく訪れたましたが、それらが消えてからは全く足を踏み入れたことがなく、今回、約50年ぶりの飯田線入りとなりました。2扉、転換クロスの213系5000代車は、超ガラガラで、窓から見える渓谷美とともに、実に快適な乗り鉄一人旅となりました。思い出に残る駅や、以前から憧れていた駅に下車して、周辺を自分勝手に思いのままの街歩きを楽しみました。雨に洗われて新緑の鮮やかさを増す飯田線、乗車して一時間あまり、ある駅に到着し下車した。島式ホームには、乗車の313系、交換の213系と、飯田線の現有形式が顔を揃えた。

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 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ③

開業40周年の三陸鉄道へ

5月の最終、もう一件だけ「日常+α」載せます。先週になりますが、三陸鉄道に乗って来ました。いままで三陸鉄道では、佐竹保雄さん主宰の「トレランス号」に、佐竹さんの東北復興への願いを思いながら、2回に渡って乗りました。今回は、私にとっての思い出の地である大槌を中心に瞥見してきました。過去、デジ青誌上でも、三陸鉄道の前身である、国鉄山田線の大槌駅のこと、そこで何気に撮った写真が、意外な展開を見せて、「トレランス号」が走る端緒にもなったことも書きました。 「TOLERANCE 10」 大槌を行く! | DRFC-OB デジタル青信号

「トレランス」に乗車してから5年が経過し、この間にも、地域の復興はさらに促進されて、三陸鉄道を取り巻く状況も変化していると聞きます。現地でその空気に触れるべく、家族とともに大槌入りとなりました。釜石から三陸鉄道で3つ目の駅が大槌、震災で街も鉄道も壊滅したが、もとJR山田線は三陸鉄道に移管されて、大槌駅も旧駅とほぼ同じ場所に設けられた。その三陸鉄道は、ことし開業40周年を迎え、そのヘッドマークも掲げられている。車両も開業時の36-100形が、三鉄のオリジナル塗装のままで走っているのが嬉しい。

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5月の台湾(5月7日)その5

第5日、最終日も東部幹線、三貂嶺の撮影が中心です。
三貂嶺は台湾の武田尾(JR西福知山線)とも称される山峡の駅で、猴硐の隣です。このあたり一帯はハイキングの名所で、時間があれば三貂嶺から猴硐まで歩いてみるのもいいのでしょうが、どうも線路端で列車を撮るのが専らの性分ですので今後もそのような機会はなさそうです。さて、猴硐は、下り列車を撮るのに適しているのですが、三貂嶺はその逆、上り列車を撮るのにはよいのですが、下りはなかなかうまく撮れません。同じ立ち位置で上りも下りもバシッときれいに撮れる場所はこのあたりにないものでしょうか。
▲三貂嶺へ向かう前に莒光511次を狙います。客車の定期急行列車である莒光号も貴重になってきました。汐止

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 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ②

日常シリーズ、つぎは福井へ向かいました。敦賀延伸後の新幹線に初めて乗って、着いた福井は、絶好の五月晴れ。ある切符を握りしめて、福井鉄道の電車に乗って、まずは、左右に田園が広がる三十八社に下車しました。この日は、ずっと青空が広がっていて、至るところで、みごとな水鏡が見られた。えちぜん鉄道番田にて(以下、2024年5月8日)

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5月の台湾(5月5日)その3

3日目はナローゲージの日です。
嘉義の手前の新営糖廠では、古典のディーゼルカー勝利号が復元されており、他の糖廠保存鉄路によくある観光トロッコより本格的な保存鉄道となっています。嘉義の阿里山鉄道も長らく区間運転でしたが、いよいよ7月から全線開通するとのことです。この日は奮起湖までの山岳路線には乗りませんでした。嘉義から北門まで1区間と距離は僅かですが、都市鉄道の雰囲気を楽しみました。台湾のナローは、ずっと冬場に走る虎尾糖廠のサトウキビ列車を追っていましたが、他にも面白いものがあることを再認識しました。
▲新営糖廠のディーゼルカー勝利号

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5月の台湾(5月4日)その2

2日目は藍皮解憂号の乗車です。
コロナ真っ只中の2020年、南廻り線の電化完成により同線で残っていた3671、3672次普快列車の運行停止で旧型の客車も終わりかと思われましたが、一日一往復の観光列車、藍皮解憂号として運行が継続されています。これは乗る値打ちがあります。藍色の重連ディーゼル機関車と旧型客車5連、撮るだけで十分と思いましたが、固定窓の車両や通勤電車とは違います。乗ってよかったと思いました。残してくれていて有難う、と言いたいです。
▲台東行きの藍皮解憂号を金崙大橋の上から撮ります。

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5月の台湾(5月3日)その1

莒光666次を始発潮州から終点台東まで12時間乗り通します。週末の金曜日のみ運行されている座席夜行ですが、貴重な定期運行です。近いうちに動力集中式の電車E1000型(広義には前後に機関車が付いた客車か)運用に変わるとの報もあります。台湾を九州になぞらえると、例えばですが、鹿児島の東、国分か隼人から鹿児島、熊本、博多、大分を経て宮崎に行くような列車です。潮州から台東までは南廻り線の自強号(特急)に乗れば、遅くとも2時間かかりません。国分か隼人から宮崎まで特急きりしまに乗ってもそんなものでしょう。それをわざわざ遠回りする莒光号に乗るのも我ながら物好きと思います。わざわざというか全線乗り通す客は想定しておらず、高雄など南部の都市から台北など北部の都市に夜遅くに到達するのと、夜行列車として台東をめざすのは同じ列車でも異なる使命を併せ持っていると言えましょう。さて莒光号の客車は、リクライニングシートもよく倒れ、快適な乗り心地なのですが、空調を効かせ過ぎで寒すぎます。そんな時に限って車掌がつかまらない。他の人も申し立てないのか、言ってもどうすることもできないのか、着込んで耐えている人が多かったように見えました。かつての客車急行のように長時間停車もありません。莒光666次は、潮州を17時35分に出発、高雄18時18分、台南19時、嘉義19時50分、彰化20時57分、台中21時15分、新竹22時35分、台北23時55分、宜蘭1時47分、花蓮3時5分、玉里4時37分、終着台東には5時48分に着きました。

▲始発、潮州駅で出発を待つ莒光666次 続きを読む

 札幌の路面ディーゼル車 ~路面電車あれこれ噺⑯

今回は。昨2023年5月に亡くなられた吉田耕司さんのネガから、札幌市で走っていた路面ディーゼル車を見ていただきます。吉田さんは、DRFC現役時代には、各地を旅行され多くの鉄道写真を残されました。このたび、ご遺族から米手さん経由でネガをお預かりしデータ化しました。なかでも昭和40年に北海道へ行かれた際に、札幌市交通局の鉄北線を走っていたディーゼル車を撮られていて、その一部は現在発売の「鉄道ピクトリアル」6月号「札幌都市圏の鉄道輸送」にも、ご遺族の了解を得て掲載することができました。日本では唯一の路面ディーゼル車を今回は見ていきます。札幌市の北部を走る鉄北線は、順次延長されて、昭和34年に北二十七条、昭和38年に麻生町、そして昭和39年に新琴似駅前まで延長された。北二十七条以北は、人家もまばらで、コスト節減のため非電化で開業した。すでに昭和33年から路面ディーゼル車の製造・増備が進められており、鉄北線延長後は同線に集中して使用された。

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2024年春 桜前線追っかけ旅 長良川鉄道

今年も桜前線追っかけ旅をしたいと計画を練り出しましたが今年は桜の開花時期が遅くなって各地の満開時期が読み切れません。また、いつもは車に乗って出かけていましたが高齢を意識するようになって長距離を運転する自信がなくなってきました。
1カ所に絞ろうと昨年雨に降られて悔しい思いをした長良川鉄道北濃へのリベンジを果たしたいと決めました。問題は桜の開花状況です。いつものように近くの事務所や飲食店を探して実際の様子を聞いてみることにしました。
電話を入れたのは撮影予定地の向かいで昨年昼食を食べた道の駅「清流長良川 あゆパーク」です。返ってきたのは「今年は桜が咲くのが遅く心配していましたら昨日に突然咲き出して今日はあっという間に満開になりました。来られるなら直ぐが良いですよ。」との事で、びっくりしました。直ぐに出かける用意をしました。
▲ 昨年4月6日に訪問撮影しました。ただ残念ながら霧雨模様の天候で望んでいた光景にはならず、春の日差しの中で撮りたいとリベンジを誓いました。今年は天気も良さそうですので予約はしていませんが粘るつもりで宿泊の用意もして楽しみに出かけました。
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