
函館で迎えた3日目の朝。まずは、市電に乗って五稜郭へ。松風町にて
8月23日(金)
函館 10:21 ― 1333M <はこだてライナー> 新函館北斗行き → 新函館北斗 10:43
新函館北斗 10:53 ―<はやぶさ>22号 東京行き → 新青森 11:50
新青森 12:21 ― 649D 青森行き → 青森 12:27
青森 13:52 ― 快速<リゾートしらかみ>4号 秋田行き → 新青森 13:57
新青森 14:08 ― 658M 弘前行き → 弘前 14:44
迎えた3日目。雲は少し残っているものの、昨日の雨が嘘であったかのような晴天。ホテルをチェックアウトした後、市電に乗って五稜郭まで行きました。こちらもコナンくんの映画の影響もあってか、朝から多くの観光客で賑わっていました。少し散策した後、再び市電に乗って函館駅に戻り、函館朝市の前を通って、摩周丸へ。中へ入る時間はありませんでしたが、かつての連絡船は非常に大きく、当時の旅人の旅情が伝わりました。

五稜郭公園の前には、五稜郭タワーもあるが、まだ開館時間前で入れず。

五稜郭内にある、箱館奉行所。

摩周丸の前より、函館山を望む。


駅舎の写真を撮り、改札に入ります。この日は弘前までの移動。距離がそれほど長くなく、新幹線を使うということもあるので、青春18きっぷを使わずに移動します。新幹線はSuicaと紐付けした割引切符を使うことで、指定席特急券も含めて4,000円で乗車することができます。発車までまだ時間がありましたが、既に列車が停まっているので車内に入ります。冷房がよく効いており、とても快適でした。

道南いさりび鉄道のキハ40形。

はこだてライナーは、専用塗装が塗られた733系。
列車は定刻に函館を発車。隣の五稜郭では、青函トンネル用の電気機関車の姿も見ることができました。やがて周囲は開け、函館から20分ほどで新函館北斗に到着です。乗り換え改札を抜けると、すぐ目の前に新幹線ホームがあります。3日目にして、ついに東京の行き先を見ることができました。<はやぶさ>は発車してすぐにトップスピードに達しました。車窓左手に少し函館山が見えた後、右にカーブし、木古内方面へ進みます。木古内で在来線の線路と合流し、三線軌条の区間を走ります。やがて列車は青函トンネルに入りました。デッキ仕切り戸上のスクロールには、青函トンネルに関する案内が流れます。長いトンネルですが、かつての吉岡海底駅と竜飛海底駅の跡やスーパーロングレール特有の音、窓の結露と飽きることはありません。

新幹線に乗って青函トンネルをくぐる。

ありがとう、北海道。
新青森までのつかの間の高速移動を終え、再び、在来線の旅です。隣の青森駅まで移動し、昼食後は駅周辺を散策しました。こちらは八甲田丸が展示されています。また、駅と連絡船を結んでいた跨線橋も残されていました。跨線橋を渡りながら、当時の旅人達に思いを馳せました。(続く)

青森に来たことを感じさせてくれる「りんご自販機」。新青森にて

青森ベイブリッジと特急<つがる>

八甲田丸の前には『津軽海峡冬景色』の歌碑も。ボタンを押すと結構な音量で石川さゆりさんの歌が流れる。

かつて多くの旅人が行き交った跨線橋。駅ホームと跨線橋とを結ぶ階段は、封鎖されているものの残っていた。




岡山好きの元京都人様
今では皆さんが訪ねた様子を簡単に写真や動画で拝見できるので、行った気にすぐなってしまいますが、実際に自分の目で確認できると猶更興奮しますね。
このあとも楽しみです。
奈良の駅名研究家様
おっしゃる通りですね。りんご自販機や大音量で流れる『津軽海峡冬景色』等、私自身もYouTubeや雑誌で知ったものばかりですが、実際に見ると「これかぁ!」となりますし、聖地巡礼のような気分になり、それはそれで新たな旅行の楽しみともなります。
引き続き、お楽しみくださいませ。
ほんの少し前の青森駅
米手作市様
蒸気機関車全盛期の様子ですね。まさに「上野発の夜行列車」から連絡船に乗り継いでいた時代ですね。
米手様より少し新しい、昭和51年の青森駅です。
電化されるとこれほど見にくくなるのですね。
紫の1863様
電化されたことで印象が大きく変わりましたね。
カーブが特徴の函館駅で連絡線に接続する104ㇾ急行「ニセコ1号」を牽引してきたC623[小樽築港]と特急「北斗2号」先頭キハ82100が並ぶ。 1969年6月19日16時30分撮影でC623はC62を撮った最後の写真である。
淳特急様
カーブが特徴の函館駅、現在もその面影がしっかりと残っていますね。蒸気機関車牽引の客車急行やキハ82の特急列車と、当時の北海道の鉄道事情がよく分かる一枚ですね。
1970年9月19日の函館駅14:15発103レ急行「ニセコ3号」です。この1年後にDD51の牽引になります。
快速つくばね様
函館山をバックにしたC62の急行列車でスワローエンゼル2号機ですね。私の最初の渡道で乗車したのは「たるまえ」で牽引は2号機でした。2号機で始まり3号機で終わりましたが随分昔のことになりました。
準特急様
コメントありがとうございます。この日のつばめマークです。この時はこのマークが55年後の京都で見られるということは想像もできませんでした。
快速つくばね様
蒸気機関車牽引の急行列車特有の魅力があるものですね。当時は函館山も、駅から綺麗に見えたのですね。
北海道の現況やC62の頃、楽しく拝見しています。
函館駅のカーブした長いホーム。古い話ですが、連絡船で着くたびに北海道の入口の実感をいだかせるもので、ホームに停車している優等列車の行き先を見て、旅情がぐっと高まったものです。
1968年夏、8月下旬の同好会花輪線龍ヶ森でのテント合宿の後、連絡船に乗ってみたくて、大沼までですが初めて北海道へ。
「ニセコ3号(下り)」前身の食堂車付きの「ていね」の最後の月で、「ユニロハシ」の堂々の編成を大沼で見ました。(牽引はC6230)
明るい話題が少なくても、北海道は昔も今もちょっと特別な存在に感じます。