「信号場」を巡る  ⑥

暑かった夏もいつの間にか去って、気がつけばもう10月、「デジ青」にご無沙汰でホント申し訳ありません。会う方、会う方から〝どうしゃはったん〟〝いよいよダメかなと思てました〟など、身体のことを心配していただきました。いえいえ、私は身体はいたって元気なのですが、8月、9月といくつも出稿が重なって、デジ青になかなか近づけませんでした。ようやく山場も越えて時間も取れるようになりました。これまでの穴を埋めるべく、せっせと投稿して行きます

羽越本線の信号場 (1)

8月までの「信号場」の続きです。昔、列車に乗っていると、駅でもないところに停車、すると向こうから煌々とライトを輝かせて交換列車が通過して行く‥、そんな思い出も過去のものになった「信号場」です。旅客営業を行わないため、人里離れたところに設置されることが多く、駅とは別の興味深い対象なのです。

昭和40年代初頭、本線格の東北本線でも、非電化、単線区間が盛岡以北には、いくつもの信号場があり、北海道へ向かう長大な貨物列車が交換していました。それが昭和43年10月に電化が完成、複線化も促進されて、信号場は姿を消していきます。ただ、まだ〝亜幹線〟と呼ばれる線区には非電化、単線区間が多く、いくつかの信号場が存在していました。

桂根(かつらね)信号場

羽越本線の秋田寄りにある信号場で、新屋~下浜7.3kmの間に昭和36年に開設された。当初から仮乗降場として旅客の取り扱いが行われていたが、時刻表には記載がなかった。構内は全体がカーブしていた。桂根信号場は、昭和61年、国鉄分割民営化に伴い、JR東日本の桂根駅へと昇格した。構内がカーブしていた桂根信号場、乗車した827と、D51370[秋]の牽く秋田発酒田行き836レと交換する。ごく短いホームがあり、ここで仮乗降場として、旅客を扱っていたようだが、周囲に人家は見当たらない(昭和44年8月)。

 

折渡(おりわたり)信号場

折渡信号場は、羽越本線羽後亀田~羽後岩谷7.7kmにあり、昭和32年に、複線・単線の切替の分岐型信号場として開業した。当初から仮乗降場として旅客の取り扱いを行っていたが、ここも集落は見当たらない。昭和47年に、羽後岩谷~折渡が複線化され、信号場としての役目は終わったが、引き続き乗降の取り扱いが行われた。国鉄分割民営化時に、JR東日本の駅へと昇格して折渡駅となって、時刻表にも記載された。現在では対向式ホームを有する地上駅で、集落もあるようだ。乗車した827レと、折渡(信)でD51 609[酒]牽引の上り貨物と交換する(昭和44年8月)。上掲の写真から2年後、偶然同じ827レに乗って羽越本線を秋田へ向かっていると、また折渡(信)でD51 370[酒]の牽く貨物と交換した。同じ列車だから当たり前とは言え、信号場でまた貨物と交換する当時の旺盛な輸送需要を感じたものだ(昭和46年8月)。

 

 

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