阪神軌道線 国道線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑬

阪神国道線 余話

縁あって「阪神国道電車」の本を造ることができました。「神戸鉄道大好き会」というグループがあり、その何人かとは、従来からお付き合いがありました。同会はは過去にも神戸市電の本を出版されていて、そのつぎの出版目標は「阪神国道線」となり、何の所縁もない私も出版計画に入れていただき、もうお一人と、本の企画・編集を行なうことになりました。出版元は、いまは廃業されましたが、大阪にある鉄道書籍では実績のある出版社でした。本の企画・編集については、すべてお任せで、口は出さないが、カネは出すと言う、ある意味では恵まれた出版となりました。好き放題にできた一例が表紙のデザインだった。今までの同社からの鉄道本は、どう贔屓目に見ても、デザインは陳腐そのもので、たとえ中身に値打ちがあっても、表紙を見ただけで購買意欲がなくなってしまう。かと言って尖がったデザインも鉄道書にはふさわしくなく、中庸ではあるが、本の意図をきっちり伝えるデザインとすることにして、デザインカンプを何種類も作ってみた。タイトルも「阪国浪漫」「阪神国道線」「阪神国道電車」と出たが、最終は中央の「阪神国道電車」となった。

本は廃止40年に当たる2014年に出版された。新聞各紙にも紹介され、読書欄以外では滅多なことで出版物を紹介しない朝日新聞(阪神版)にも5段扱いで紹介された。アンケートはがきも異例の多さで回収されて、読者からの反応も、こちらの意図と合致したものだった。

C53の模型に感嘆、さらに意外な展開へ

その新聞紹介で、毎日新聞からは、せっかくなら所縁のある場所で取材を受けようとなり、甲子園球場の前で撮影・取材となった。一緒に来てもらった会の長老から、知り合いが近くにいるので、「エエもん見せたろ」と球場近くのHさん宅を訪ねることになった。家には同年齢ぐらいの長老がおられて、見せていただいたのが、軌間35mmの35mmゲージ模型、真鍮でフルスクラッチされたC53だった。縮尺は1/30に当たる大きさで、精密性を求めて一定層がいるOJゲージは1/45だから、さらに大きく、重量感のある模型で、しばし感嘆しながら見入っていた。C53は戦前に東海道・山陽本線の特急・急行列車を牽き華々しい活躍をした。Hさんも、戦前にC53を見るために何度も近くの武庫川鉄橋へ行ったと言う。その憧れのC53のなかから、「燕」「鴎」の専用機で、長距離無停車のため、増炭用の大きな炭水車を持つ、明石機関区のC5333をモデルとして、昭和23年に完成させたと言う。何度もTMSに発表された伝説のC53模型だった。

C53だけではなく、同じ35mmケージで、4110、8550?も見せていただいた。

西尾克三郎さんとの親交もあって、西尾さんの名作、C51、C53が並んだオリジナルプリントも額に飾られていた。

Hさんのお宅、長老のお宅にしては、「〇〇ちゃん、頑張れ」などと大書きした横断幕やウチワが壁一面にベタベタ貼られていて、長老のお宅にしては、ちょっと怪しい雰囲気がプンプンしている。

しかし〇〇ちゃんの意味を聞いて氷解した。なんと、孫娘が在阪のテレビ局のアナウンサーで、おじいちゃんは、その応援グッズを貼っていたのだった。そしてアナの経歴を聞いて、またびっくり、同志社の出身で、高校も学内高校と言う、バリバリの同志社人ではないか。

それから10年経つが、そのアナは、ほぼ毎日、夕方の関西の情報番組を担当し、局の代表アナとして活躍しているのも嬉しい。さらに土曜日の朝には、全国ネットの情報番組のMCも担当し、首都圏でも見ることができる。

 

 

 阪神軌道線 国道線を偲ぶ ~路面電車あれこれ噺⑬」への7件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員さま
    総本家さまが関わられた編集業務の一端を垣間見ることができ、楽しく読ませていただきました。
    C53の真鍮模型は凄いですね。作者H様の思い入れの深さがヒシヒシと伝わってくる力作ですね。かつて模型をかじった者としては後光を感じます。しかし実車に関しては写真でC5345を見たくらいで、大型テンダの特急専用機があったことを今回知りました。昨今の燃料タンクを増設した(超)長距離用国際線の飛行機みたいなのが鉄道にあったのも驚きです。
    ところで同機がなぜ西明石区の配置だったのでしょうか?神戸発着の関係でしょうか?
    申し訳ありません、国道電車には縁がなくてよく知りませんので他の話題になりました。

    • 1900生さま
      C53の模型は、まさに眼福でした。ご質問の西明石機関区ですが、神戸以西の山陽本線の基地として、昭和5年に設置されたそうです。「燕」は神戸始発の時代、「鴎」も含めて、明石には優等列車牽引のC53が9輌も配置されたそうです。関西ではC53の配置は、あと梅小路がありましたが、梅小路は普通列車が中心で、機関区の格としては、明石の方が上でした。「燕」牽引は明石~名古屋で、無停車運転に備えて、D50初期機に使われていた20㎥の炭水車と振り換えたそうです。昭和18年に「燕」は大阪始発に変更され、明石機関区もわずか13年で幕を閉じたとのことです。

  2. 1900生さまが仰るようにH氏のC5333は模型界の神のような存在ですね。明石区のC53は神戸発着の優等列車を担当していました。明石操車場から名古屋までの長距離運転に備えて、炭庫も拡大改造したD50初期用の水槽容量20㎥の炭水車に振り替えたC53の1台がC5333ですね。

  3. H氏のC5333、総本家さまが紹介されているTMSは1972年5月号ですが、私が初めて出会った記事はTMS特集シリーズ8「高級モデル・ノート」に再録された中尾豊氏の解説によるものでした。

    • 乙訓の老人の甥さま
      さすがによくご存じですね。TMS1972年5月号を見ますと、多くの鉄道模型誌に発表されたと記されていました。まさに伝説のカマです。「高級モデルノート」に発表され、その表紙が氏の4110とは初めて知りました。C5333を選ばれた理由は、炭水車だけでなく、除煙板が他機よりやや高いことも理由に挙げられています。さすがに鋭い観察眼です。

  4. 総本家青信号特派員さま
    乙訓の老人の甥さま
    詳細なご教示有難うございました。西明石配置はやはり神戸発着の関係からでしたか。よく考えるとSLは石炭と水を積み火床を均して運用に就くわけですから、ELのように遠隔地からの運用でパンタを上げればすぐ、という訳にはいかないですね。
    C5333の来歴も詳しく教えて戴き、伝説の模型ということがよくわかりました。

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