国道線 尼崎から西宮へ
国道2号の中央を走る国道線、撮影意欲が湧くような沿線風景は全くなく、淀川大橋まで歩いて来たものの、そこからの歩きは断念、国道電車に乗って、尼崎の中心である難波(なにわ)、西大島、浜田までワープしました。▲難波付近を行く、国道線の装飾電車。この付近は、阪神尼崎駅の北西に位置し、賑やかなアーケード街が続く昔からの商業地。現在なら「阪神、優勝までマジック143」と日本一早いマジック点灯を掲げる尼崎中央商店街も近い。右手の立派な三和銀行尼崎支店も、この付近のランドマークになっていて、直交する商店街には今も三和本通商店街の名を残している。
▲最終日の難波付近、多くの人々の眼は、装飾電車に注がれるが、右手から曲がって来た尼崎市営バスを待っているところ。▲尼崎西警察のある交差点を行く金魚鉢、バックの石材店はいまも盛業中。▲「国道2号」の標識のある陸橋の北側には、国道電車のねぐら、浜田車庫があった。廃止後の車庫跡地は、タイガースの2軍練習場の浜田球場になり、現在の鳴尾浜球場に移るまで使用された。▲この東大島~浜田車庫前で緩くカーブする。ここから西へは一直線に2号線・国道線が続いていた。国道敷設の頃は人家がほとんどなかったことを偲ばせる。▲夕闇に包まれた国道上をヘッドライトを輝かせて先を急ぐ。東大島~浜田車庫前
▲尼崎市内の西端の電停、西大島、右手に市場があり、商店が並んでいた。▲尼崎市と西宮市を分ける武庫大橋、下を武庫川が流れる。背後に六甲山系も近づいて来る。 ▲武庫大橋は国道線のハイライトで、中央にはバルコニーもあるヨーロッパ風の6連式アーチ橋で、沿線を代表する美しい景観で、日本百名橋にも選ばれている。▲国道線は、昭和49年3月に西灘~上甲子園が廃止になり、東半分の上甲子園~野田だけになっていた。終点の上甲子園ですべての電車が折り返す。「電車折返点注意」の札も見える。
昭和50年の国道線、楽しませていただきました。背景の町並みはもちろん、クルマや人の姿もすっかり変わってしまいましたね。
「路面電車は人との距離が近い」と、どなたかに聞いた覚えがあります。まったくその通りで、総本家様の写真を拝見するたびに、なるほどなあと感じています。「人の暮らしあってこその鉄道」とおっしゃる方もあり、この言葉も胸にしみます。
さて、昭和50年の私は、こんな写真しか撮れませんでした。よほどいい加減だったのかメモも取らず、場所の特定に四苦八苦しました。多分、尼崎玉江橋ではないかと思います。ストリートビューを見て、あまりの変わりように言葉もありません。
紫の1863様
路面電車に対する、至言の数々、ありがとうございます。たしかに2号線沿いの街並みをストリートビューでも確認しましたが、激変していますね。阪神大震災の影響もあると思います。私も当時の撮影場所は、いい加減なものですが、幸い本を出していたお陰で、本の転写で済ませることができました。それにしても、当時は銀行と歩道橋が多かったのですね。
もう一枚。歩道橋の上から撮りました。電停に安全地帯はなく、白線だけとは京都人には驚きでした。