④ 野田
北大阪線の最終は、終点の「野田」を紹介します(書類上は、天六が終点)。4.3kmという短い路線、絵になるような場所もなく、おなじ阪神の軌道線でも、行楽客や女子高生で満員になる甲子園線とはエライ違いでしたが、その分、飾らない日常の大阪を堪能できました。反応はイマイチだと思っていましたが、皆さんから多くの思い出を寄せていただきました。やっぱりコメントがあると嬉しいものです。▲「野田」を発車、天六へ向けて、4.3kmを走り出す。背後の高架は、阪神本線の野田駅、背後に留置線もあった(Tさん提供)。
▲90度の急カーブで野田を発車し、淀川と並行しながら東北へ向かう。左は国道線。▲奥には留置線があって、北大阪線、国道線の電車が数両待機していた。▲阪神本線の野田駅を降りて、コンコースを進むと、北大阪線の乗り場があった。▲廃止も迫った、ある日の午後、低床の北大阪線のホームで電車の到着を待つ。行楽客はゼロでも、親子連れ、女子高生、サラリーマン風と、どこでも見られる、日常の風景があった。片や国道線は、阪神本線の高架下にあり、こちらは高床式ホームで、同じ駅、同じ電車で、扉扱いが違っていた。
昭和50年5月4日、野田を発車して天六に向かう208です。
総本家青信号特派員様
つい先ほど入ったニュースです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/19e9dc888ad50b2bcbf5bbdf7f8ef979110ae566
奈良の駅名研究家さま
まさにグッドタイミングのニュース、速報ありがとうございます。サイト読みました。とうとう無くなるのですか。以前から一日一往復の免許維持路線とか、いろいろ言われていました。北大阪線がなくなった当時は、電車ほどではないにしろ。結構な本数があったと記憶しています。写真は、野田の駅跡地のバスのりばの「天神橋筋六丁目」行き、懐かしい“銀ウロコ”のバスです。
総本家青信号特派員様
1967年10月です。同じような場所で撮っていました。
快速つくばね様
野田の様子、ありがとうございます。日中は、かなりの電車が、たむろしていました。廃止後、バスターミナルとなった同地点の写真が出てきました。いまは、向かいの高層ビルへ通じるペディストリアンデッキの下になってしまい、全く面影がありません。