桜とともに散っていった車両たち

桜も散って、いまは新緑真っ盛りですが、15年ほど前の桜ネタで、とにかく掲示板の空きを埋めて行きます。いつもどおりの変わり映えのない写真ですが、車両だけは、もう見られません(過去の投稿済みも含まれています)。

桜のシーズン、叡電とともによく行ったのは、阪急嵐山線の桜だった。以前、阪急沿線に住んでいた時は、乗車時間10分余りで、上桂、松尾と、桜が満開の駅へ行くことができた。なかでも運行標識板の2300系は、マルーンの車体にホントに桜が似合った(2007年4月)。

終点の嵐山駅にも、さすがの桜が続いている。右手には枝垂桜も見えて、変化がある。最後まで2300系の原型を保っていた2309F編成も、2009年の6300系の投入により消えている(2008年4月)。

京都線崇禅寺付近の柴島浄水場の桜を見て、臨時特急の「いい古都エクスプレス」、2001~2006年の行楽期に梅田~河原町に運転された。付近はいま直上高架化が進行中。

こちらもお馴染み、嵐電北野線の鳴滝の桜のトンネル、モボ103は、現在でも京紫色に塗り替えられて使用中だが、旧色時代で、一時期行なっていた「白梅町-嵐山 直通運転」のサボを付けている(2007年4月)。ここでも出ました大阪城と京阪、「レイル」誌にも2点出してもらったが、旧色の9000系も懐かしい。青帯が、国鉄客車の一等の等級帯のようで、いまの新色より、ずっと気品があった(2007年4月)。

大阪環状線の桜ノ宮、大川を渡って行く201系、201系も各色あったが、やはり発祥となるオレンジ色がいちばん似合っている。大川沿いには、すぐ南に源八橋があって、いかにも大阪らしい風景が撮れた。ここへはWAKUHIROさんに教えてもらって、最適の時に訪れることができた(2011年4月)。奈良線の103系もとうとう無くなった。まだ複線化工事の始まる前の宇治川鉄橋でも桜とウグイス色は映えた(2011年4月)。

桃山~JR藤森にて、奈良線の103系、2022年3月改正を前にサイレント引退してしまった(2017年4月)。

 桜とともに散っていった車両たち」への9件のフィードバック

  1. しばらくご無沙汰しておりましたので、もう忘れてしまわれたのではないかと心配しております。今年の桜は満開の時期に雨にたたられ、しっかり見ないままに散ってしまいました。総本家様の写真を拝見し、ちょっと遅めの花見をさせていただきました。
    阪急沿線は桜が多く、大阪模型店詣でをしていたころは車窓からの花見を楽しんだのを思い出します。
    私も桜と鉄道車両が写った画像を探しましたところ、添付のネガが出てきました。車両はどちらも現役ですが、もう見られなくなった風景ということで、2011年の西院駅の風景を。肝心の桜は四条大宮行きホームの奥に、ちらっと写っています。
    阪急は「さいいん」と読ませますが、嵐電では「さい」と読ませるのを前から不思議に思ってました。先日近くへ行った際、四条通北側の「高山寺」の門前に『西院(さい)の河原旧跡』と刻まれた碑があるのを見つけ、調べてみると「賽の河原」につながるのだとか。付近には佐井通りがあって、遠い昔は葬送の地だったようです。嵐電はここから「さい」と読ませたのでしょうか。

    • 平安時代~鎌倉時代の文書には「さいゐん」とあり、13世紀末に「さゐ」の表記が現れ、江戸時代でも「西院(さい)村」であり、一貫して発音は「さい」だったようです。明治なると西院村の読み方は「さいいん」となり、1934年の京都府告示で正式に「さいいん」となりました。
      嵐山電車軌道の停留場として開業したのが京都府の告示前の1910年ですから、歴史ある「さい」と命名されたのでしょう。(新京阪の西院延伸開業も1928年で告示前なのですが…?)
      現在の佐井通(さいどおり)は春日通(かすがどおり)とも呼ばれていますが、古くは道祖大路(さいのおおじ)で、佐比大路などの別称もあり、この路に沿って佐比川が一条大路から九条大路まで流れていたそうです。葬送の地であったため、高山寺の碑にある「西院(さい)之河原」、そして淳和天皇の譲位後の離宮の別名が「西院」と地名の由来も諸説あるようですね。

    • 投稿直後の丑三つ時のコメント、ありがとうございます。いえいえ、紫の1863さんのことは、忘れていませんよ。「お城」の準特急さんからも、紫さんのコメントがないことを心配する声も聞きましたし、高校先輩のSさんからも、先日の会合のあと、可愛い後輩を気遣う声も聞きました。さて、嵐電西院駅は、ホームの様子だけでなく、鐘の音色までが変わってしまいました。そうか、旧駅の時は、このように2輌が顔を並べることもあったのですね。嵐電を降りた人々とともに、紫の1863さんらしい、いい写真を味わいました。

    • 乙訓の老人の甥さま
      西院付近の歴史、聞かせていただきました、ありがとうございます。手近にあった、大正11年の付近の地図を載せました。中央の縦の通りが佐井通(春日通)で、中央の横の通りが四条通です。右にいまの嵐電西院車庫、左に西院村の中心集落があります。いまの西大路通は形も無く、佐井通は南北の中心街路だったことが分かります。よく見ると「西院村役場」の文字も見えて、行政の中心でもあったのですね。いまでも佐井通を歩くと、旧家が何軒か残っています。

  2. 総本家青信号特派員さま
    さすが。近場と謙遜されますが、開花時期の見極めが難しい桜と列車を綺麗に上手く撮っておられますね。嵐電の桜のトンネルは現在では聖地然となりましたが、半世紀前にぷるぷるさんに案内されて訪れた頃が懐かしいですね。また京阪旧9000系の青帯をかつての優等帯とみられたことは私にとっては眼から鱗でした。久しぶりの旧色を見てホッコリしました。
    環状線と奈良線の103系はいつでも撮れるからと、ちょっと撮っただけで結局撮り損ねました。
    阪急2300が消えてからもう15年も経ちましたか。当時から残るのは3300系だけになりましたね。マルーン色は桜に映えます。綺麗な桜と懐かしい電車を有難うございました。

    • 1900生さま
      投稿を終えて、ひと晩寝て、朝ゆっくり起きてデジ青コメントを見るのが楽しみです。1900生さまからもコメント頂戴し、ありがとうございます。桜は翌年にも咲きますが、鉄道車両は翌年には見られなくなることもあり、やはり毎年の記録の大事さを痛感します。北野線は、1900生さまの当時の家からも近かったと思いますが、やはり、ぷるぷるさんは、北野線の駅名を、当時はペンネームとして使われるなど、北野線沿線に住まれて、たいへんお詳しい方でした。たしか、入学当時の「青信号」の記事だと思うのですが、几帳面なガリ切りの字と、嵐電の特徴を上手く表現されたイラストを見て、DRFCには、なんと素晴らしい人がおられるのかと思ったものでした。

  3. 総本家青信号特派員様
    今回のテーマに合う写真を探しました。白石川堤一目千本桜を望む船岡駅に入線する719系電車です(2013.4.9)。交流専用の211系といわれ国鉄時代から仙台地区の近郊電車として使用されてきた急行型、特急型(715系)の車両を追放するために1989年から投入されました。この電車も経年劣化により701系、E721系に順次置き換わり、2018年3月17日ダイヤ改正をもって東北本線での運用が終了しました。
    皆様
    西院(さい・さいいん)の解説ありがとうございます。経緯がよく理解できました。青森県の津軽海峡に面した仏が浦のある「佐井村」(さいむら)も同じ謂れのようですね。そういえば隣接する「むつ市」の恐山には『賽の河原』があります。

    • 快速つくばね様
      コメントと写真、ありがとうございます。船岡~大河原の東北本線沿いの桜は、近年とくに有名になりましたね。さぞ見応えがあると思います。719系がもう無くなっていることも初めて知りました。交流専用で、関西では馴染みもなく、私も探しますと、会津若松へ行った際に、郡山で撮った1枚がやっと見つけましたので、貼り付けました。
      西院の地名転化の例が、遠く離れた下北半島にもあったとのことも初めて知りました。地名の奥深さ、面白さを感じました。

  4. 総本家青信号特派員様
     阪急京都線と言えば2300,2800という時代の名残を感じる嵐山線の2309と桜、懐かしく落ち着きます。
     オートカーと呼ばれ、何ともいえない車体のカーブと、マルーン色にアルミの窓やブラインド、車内も含め大好きでした。
     7月からは新2300系が走り出すようですね!「プライベース」なる座席指定車を組み込んで・・新しい時代ですね! 顔つきも変わりましたね!
     

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