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【1183】質問に答える
 1966  藤本哲男 E-MAIL  - 08/2/26(火) 21:42 -
  
K.H.生さん、ク2131は仰せの通り鉄道作業局時代の客車を改造した車両です。ク2130型として、2131と2132の2両在籍しておりました。元は明治34年鉄道作業局名古屋工場製のホハユ3150型のホハユ3186、3187といわれており、更に前歴があるかも知れません。昭和13年に三河鉄道が購入し、サハフ35、36として使用、名鉄合併後、サ2131、2132と改称、昭和28年運転台を取付けTc化しております。

一つ上のク2091も鉄道作業局時代の客車を改造した車両で、昭和15年、鉄道省よりホニ5910を購入し、自社工場で電車化してサ2091に、昭和30年運転台を取付けTc化しております。

サ2252は元近江鉄道のクハ25で、リンケホフマンの台車を履いているのが特徴です。この車両のことを書くと長くなりますので、調査中の他の車両と一緒に次回解説したいと思います。

湯口先輩が撮影された昭和32年以降、これらの木製車は、5000系、5200系カルダン車(5000系は昭和30年)、3700系鋼体化改造車の登場により、急速に姿を消した訳で、本当に貴重な記録で、よく撮影されたものと思っております。
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【1182】すみません
 K.H.生  - 08/2/26(火) 13:58 -
  
質問ですが、2131は鉄道院か官設鉄道時代の木造客車を改造した
Tcでしょうか?
むかし廃車後、下に潜って台枠の銘版を確認したという人の
噂を聞いたことがありますが、この車両のことかしら。

一畑にも同じような車両がありましたね。
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【1181】電車の形態
 K.H.生  - 08/2/26(火) 13:50 -
  
半世紀前の名鉄各線、特に支線の電車を見ると
好き嫌いは別にして、関西とくらべよくもまあ垢抜けないものを
これだけ集めたものだと、感心しました。
この頃の写真帳はまとまった物が少なく1978年頃に出た高橋弘さんので
一端を想像するのみ。あとは誠文堂新光社のガイドブックで60年代末頃の
木造車廃止後の陣容を確認できるくらい。
59年生まれの私が知りえているのがこの程度だからもっと若い世代には
名鉄の旧型車両体系は近鉄以上にわかりにくいと思う。

電車のかたちで地方文化をうんぬんするのは僭越だが、びっくりしました。
地元日車や名古屋電車製造所の物が中心だと思いますがそれにしても
こんな田舎だったのというのが感想です。

野球球団に例えると引き継ぎやいろんな流れを組む選手が集まったチーム
のよう。それでも800や850、3400もいるし、10年しないうちに7000が
入ってくるのだから、うーん。恐るべし名鉄。
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【1180】またまた懲りずに
 湯口 徹  - 08/2/23(土) 14:20 -
  
もう5コマご覧頂こう。2065は各務原線、354と2252は竹鼻線、2006と2031は新川工場である。

添付画像
【2265.jpg : 192.1KB】

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【354.jpg : 195.5KB】

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【2006.jpg : 195.5KB】

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【2031.jpg : 194.5KB】
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【1179】またまた懲りずに51年前の名鉄
 湯口 徹  - 08/2/23(土) 14:13 -
  
名古屋鉄道築港線木製車群で車輌解説を強要したら1171で藤本哲男氏が、敬老の日までは半年以上あるのに、ずいぶんとヨイショして下さった。71.5歳の老人はすっかり機嫌を良くしたが、多分に365日欠かさず服用している万能水薬も力を添えたのであろう。すぐさまいそいそと次のスキャンに掛かったのだが、おじんをおだてると後が怖い?

要はヒマなんだといわれるのがオチだが。撮影は前回と同じ1952年3月6日で、藤本氏には同様車輌解説をよろしくお願いする。102に関しては乙訓老人の出番かも。乙訓のご老体よ。コタツでウトウトしているとボケまっせ。可及的速やかにサ11、21と一緒に解説せなあきまへんがな。

最後の各務原線2091、2131のみは1959年12月28日。この時はわざわざ犬山遊園に蒸気動車のキハ6401と蒸気機関車だけを撮りにいき、すぐ出てきたのに入園料はバッチリとられた。しかし屋根上に上って煙突部分もアップで撮ったから、さして腹は立たなかった。

小倉の到津遊園で大川線のコッペル機を撮ったときも同じで、門のすぐそばに機関車が置いてあり、その撮影だけだといっても入れてくれず、仕方なく入園料を払った。滞在わずかに3分だった。

添付画像
【新川工場2032.jpg : 196.1KB】

添付画像
【新川工場102.jpg : 193.6KB】

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【神宮前1063.jpg : 198.6KB】

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【神宮前1072.jpg : 196.7KB】

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【各務原線2091と2131.jpg : 190.6KB】
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・サイズ : 196.1KB

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【1178】いなさ+弓張
 K.H.生  - 08/2/23(土) 9:00 -
  
国鉄乗り入れ区間は守備範囲なので一応
写真を出しておこう。ともに車両はエアサス+クーラーつきの
島鉄のエースキハ2601(ちなみに西鉄のエース、稲尾の背番号は24)

上の写真は昭和49年12月の戸畑駅で偶然写す。門司港折り返しの佐世保・
長崎行きの先頭に立つ誇らしい姿。この日は若松の貨物電車廃止前に写真を
撮りにいったのだが日曜日で空振り。

下の写真は新幹線開通以降の昭和52年4月、小倉駅。この頃は佐世保、
長崎編成が逆になったので島鉄の車両は中間になっていた。
全線電化で電車特急「かもめ」「みどり」が走り始めても急行のDCたちは
住み慣れた九州路を駆け抜けていたのはご存じの通り。紀勢線の「きのくに」
と同じ。列車名は「出島」+「弓張」になっていた。

添付画像
【scan_822383632_1.jpg : 121.3KB】
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【1177】少し前の名鉄築港線
 1966  藤本哲男 E-MAIL  - 08/2/23(土) 1:03 -
  
湯口先輩の「かなり前の名鉄築港線」は、昭和32年3月に撮影された当時の貴重な記録写真で、よくぞ撮影されたものとビックリしている次第である。特に単車群は昭和32年度中に姿を消しており、正に危機一髪で、湯口先輩が撮影されておられなければ、我々団塊の世代は、現車確認の機会は無かったかも知れない。その恐ろしい車両群の解説を「遅滞なく義務を果たされよ」とのことであるが、何分にも初めて見た車両であること、古いピク誌が実家の物置にあるため、手持ちの乏しい資料で判る範囲を解説したい。

サ11、サ21に関してはさっぱり判らないため、この部分は乙訓の長老のお力をお借りしたい。

サ50型は、デワ1型のブリル台車に新川工場で製作した木製車体をのせたもので、昭和16年にサ51〜56の6両が作られ、当初は各務原線の長住町〜飛行場間で使用、翌17年にサ57、58が完成すると全車築港線に転属し、昭和32年に廃車された。

サ120型は美濃電気軌道が、鉄道線である揖斐線用として大正15年、藤永田造船所で10両製作した車両で、美濃電時代の車号はセミシ67型67〜76であった。後に連接車に改造されたモ110、モ111→モ401は、メーカーが異なるだけで同一グループである。名岐鉄道合併後モ70型、名鉄合併後モ120型となった。昭和30年に同グループの内120、123、129の3両は傍系の豊橋鉄道に譲渡され、同社のモ121〜123となり、121、122、124〜127の6両が電装解除の上、築港線に転属し、昭和32年に廃車された。128のみ揖斐、谷汲線に残り昭和34年に廃車となった。
「セミシ」とは「セミスチール4輪車」の意味で、揖斐線で活躍したモ510型は「セミボ510型、セミスチールボギー車」の意味であった。この称号は、美濃電気軌道の他、富山ライトレール←JR西日本富山港線の前身、富岩鉄道で使用していた。

サ2111は、岡崎電気軌道が大正13年に鉄道線として大樹寺〜三河岩脇・門立間開業時に日車で製作したデ200型201、202の内のデ202である。岡崎電気軌道は昭和2年4月に三河鉄道に吸収合併され、三河鉄道は昭和16年6月に名鉄に吸収合併されている。デ202は三河鉄道時代に電装解除され、名鉄合併後サ2111となり、昭和35年に廃車となった。ここで注目すべきはサ2111の台車で、リンケホフマン製のものである。昭和18年近江鉄道から購入したサ2251、2252のいずれかが履いていたものと思われるが、湯口先輩が撮影された時点では2251、2252ともに健在であるので、どのような台車振替が行われたか、ご存知の方はお教えいただきたい。

ここから「少し前の話」に移りたい。
昭和44年、電機の引く「列車」から「電車」に変わった時に投入されたのが、写真のク2815+モ3818+ク2816である。その後、昭和50年、東濃鉄道から購入した元西武の車両と交替した時もビックリしたが、残念ながら撮影していない。この時はク2815がサハ代用で中間に入り、モ3791+ク2815+ク2791の3両編成となった。

話が前後するが、湯口先輩が撮影された単車群と交代で元名岐鉄道のキボ50型(51〜60)が前身のサ2060型(2061〜2070)が入線し、昭和42年まで使用された。廃車後、サ2066と2069の2両は福井鉄道に譲渡され、鯖浦線のラッシュ時の増結用として使用された。経歴は下記の通りである。
名岐キボ56→名鉄サ2066→ク2066→サ2066→福井サハ21
名岐キボ59→名鉄キハ103→サ2069→ク2069→サ2069→福井サハ22

写真は上から
1.    ク2815    昭和48年7月8日  大江
2.    モ3818    昭和48年7月8日  大江
3.    ク2816    昭和48年7月8日  大江
4.    福井鉄道サハ21 昭和42年3月20日 水落
5.    福井鉄道サハ22 昭和42年3月20日 水落

添付画像
【ク2815.jpg : 118.9KB】

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【モ3815.jpg : 125.3KB】

添付画像
【ク2816.jpg : 135.9KB】

添付画像
【福井鉄道サハ21.jpg : 107.8KB】

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【福井鉄道サハ22.jpg : 132.6KB】
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【1176】Re:なは号と0系
 893-2  - 08/2/23(土) 0:12 -
  
今道氏の旅行会社の社員のような九州観光分析の文章に
触発されたのか、湖国に大雪警報の発令された先週の
日曜日、もっと寒い国カナダのRG50氏より
「掲示板見たよ〜。」とメールが届きました。
何でも25年前に行ったそうで懐かしさにメールを
くれたようです。元気そうな文面で安心しました。
写真館のほうも覗いてくれたようで・・・。
また掲示板にも登場願います。

添付画像
【IMG_3119.jpg : 179.0KB】
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【1175】おじん2人+1人ヨーロパ軽便 その21-13
 湯口 徹  - 08/2/20(水) 16:11 -
  
MOB=モントルー・オベールラン・ベルノア鉄道その4+GMF

MOBの客車をもう2コマご覧頂いておく。クリームと青の塗り分けがいかにもMOBらしく、かつ重心が低いのがたまらない魅力なのだが。このあたりは猛烈なメーターゲージ模型マニアも居られるから、小生のような門外漢が云々することではない。

電車が客車を牽引するのがスイス私鉄のトレードマークみたいなものだったし、現在でもその姿は少なからず健在だが、最新の低床電車に次第に置き換えられて、いつまで見られるものか。

そのMOBとモンヴォボンで接続するのがGFM(Gruyere-Friburg-Morat)だが、これは旧称で、現在では例により広域交通システムのTPE(Transports publics fribourgeois)になっている。しかし古い車輌はGFMとレタリングしたまま。

モンヴォボンでの2輌編成電車は控車として茶色の2軸有蓋貨車をはさみ、材木満載のフラットカーを連結している。従前からしつこく紹介し続けた標準軌間貨車を軽便線と直通するシステムで、今までのはすべて2軸車だったが、ここでの牽引貨車はボギー車である。詳しくは次回に。

そのモンヴォボンには古い2軸の電気機関車と、やはり古い貨車が保存展示されていた。なお[1156]その21-11のMOB「チョコレート列車」はここからGMFいやTPEに乗り入れる。

添付画像
【ツヴァイジンメン.jpg : 193.4KB】

添付画像
【MOBの客車.jpg : 198.8KB】

添付画像
【モンヴォボン.jpg : 193.9KB】

添付画像
【古い電機と貨車.jpg : 197.7KB】

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【古い貨車(2).jpg : 193.3KB】
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・名前 : ツヴァイジンメン.jpg
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【1174】米子にもようやく降雪です。
 米っ子便り No.10-1  - 08/2/20(水) 0:30 -
  
皆様方、ご無沙汰しております。久方ぶりの米っ子便りです。
2月16日、京都に遅れること1週間。米子に今期初めての寒波来襲です。昨日から降り続いた雪が続き、朝起きると一面の白銀の世界です。ようやく、待ちに待った鉄ちゃん心が沸騰しました。

積雪は、約25cmあまり。これでは愛用の電チャリは、走行不能です。朝食を十分取り、カイロを持って、米子駅から一路、米子空港の滑走路拡幅工事で廃駅間近い境線の大篠津駅へと向かいました。

鉄ちゃんは、私一人。足跡のない新雪積る駅に降り立ち、撮影に励みました。晴れたかと思うと、直ぐに吹雪です。土曜日とあって、通学通勤客も皆無で、邪魔されることもなく空腹と寒さを我慢できるまで撮り続けられました。

その後、空腹を満たすために境港駅に向かい、かって山陰鉄道(境〜御来屋)が開通した境駅の記念碑付近を中心に撮りました。
夜間撮影のため3脚も用意していましたが、あいにくと足元は運動靴です。これでは、じんじんと凍えてくる冷たさには勝てず、加齢を考慮して、明日があると早々の退散となりました。

そんな時は、普段のおこないが良いせいか、明日待ってるからねとの出雲のお客様からの電話です。雪の一畑鉄道も好いなあと直ぐに日和ってしましました。

添付画像
【雪の大篠津駅.jpg : 296.5KB】

添付画像
【突然の晴天の大篠津駅.jpg : 231.5KB】

添付画像
【山陰鉄道開通記念碑1.jpg : 385.5KB】

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添付画像
【旧境駅付近.jpg : 293.0KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 雪の大篠津駅.jpg
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・名前 : 突然の晴天の大篠津駅.jpg
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【1173】米子にもようやく降雪です。
 米っ子便り No.10-2  - 08/2/19(火) 23:53 -
  
米子にもようやく降雪です。

添付画像
【米子駅.jpg : 385.3KB】

添付画像
【鬼太郎列車.jpg : 289.2KB】

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【JR堺線大篠津駅.jpg : 252.2KB】

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【雪の猫娘.jpg : 273.9KB】

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【キヤ141系.jpg : 309.9KB】
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【1172】通勤の車窓 今昔 −2−
 総本家・青信号特派員  - 08/2/18(月) 23:53 -
  
●淡路の話題 もうふたつ
現在の淡路付近の線路は、かつての東海道線の廃線跡を利用したものである。
千里線の下新庄〜吹田間の東海道線交差付近から、淡路を通り、崇禅寺を過ぎて、再び東海道線と交差するまでの、約4.5キロは、明治9年、官設鉄道東海道線の向日町〜大阪間全通時の路線であった。その後大正2年に、吹田〜大阪間が現在の路線にルート変更になり、不要となった線路敷きを利用して、大正10年に当時の北大阪電鉄が、十三〜豊津間を開業したものである。
現在、その面影を偲ぶ遺構は、淡路付近にはない。しかし、下新庄〜吹田間の新神崎川鉄橋の橋脚の一部は東海道線時代のものであることは良く知られている【写真1】。東海道線時代はポニーワーレントラスだったが、廃止に伴いトラスは撤去され、北大阪電鉄開業時に従来の橋脚の間に新規の橋脚を設けてガーダー橋となった。この鉄橋から下新庄寄りの道路を越す箇所の橋台も煉瓦積みが残り【写真2】、下新庄駅の梅田方面ホーム下には、水路を跨ぐ煉瓦積みの暗渠も残っている。これは一時不明が伝えられたが、現地に行ってみると、柵ができて近づけないものの、小規模ながらアーチを使った優れたデザインの小品がまだ健在であった【写真3】。
現在では、阪急電車が頻繁に出入りする淡路駅を95年前までは、官鉄の蒸機が走っていたことを思うと、それだけで鉄の心が騒ぐというものだ。

阪急で通い始めて、天六方面に向かって左手向こうに見える、金網に覆われた黒い物体が気になっていた。それがどうやらEH10らしいことに気がついたのは、もう相当前のことだったが、なかなか現地に行く機会に恵まれなかった。このたび、ようやくのことで確認することができた【写真4】。大阪市公園局が所轄する東淡路南公園にそのEH1061はあり、昭和57年まで吹田第二機関区に所属して貨物を牽き、最後まで残ったEH10であると説明版には書かれていた。EH10の保存機というのは全国的に見ても珍しいのではないかと思う。保存スペースの関係で、大きな車体のEH10は決して歓迎される保存機ではなかったはずだ。「気かん車」の文字が笑いを誘うが【写真5】、保存状態は悪くはない。2分割車体の黒に黄帯のマンモス機関車が、モーターの唸りも高らかに50両近い貨車を引いていた昔日を思い出した。

添付画像
【1 新神崎川橋梁.jpg : 207.3KB】

添付画像
【2 煉瓦橋台.jpg : 328.3KB】

添付画像
【3 下中央が煉瓦アーチ.jpg : 355.5KB】

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【4 檻の中のEH10.jpg : 311.0KB】

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【1171】Re:なは号と0系
 82年度 今道 力  - 08/2/17(日) 12:51 -
  
高橋会員のレポートの通り、大雪の9日(土)京都発の「なは」号で昭和の時代を懐かしむ鉄道旅行を西九州中心に世代を超えたDRFCメンバーで楽しんできました。とても、有意義で楽しい旅行でした。そもそも当初は昨年の夏ごろに高橋会員や志水会員たちクロ0バー会メンバーと0系に乗って北九州地区の日帰り旅を企画していました。ただ、なかなかお互いの日程が合わずに、昨年のホーム・カミング・ディの懇親会の席で再度0系乗車会の企画の話をしていたときに当時のDRFCの会長であった後藤君に「一緒に行かへんかぁ〜」と声を掛けたところ二つ返事で「是非とも、行きましょう!」とお返事をいただいたのが今回の旅行のきっかけです。
 高橋会員に今回の旅行の企画立案をすべてお任せしたところ、3月でなくなる関西発の九州行きブルトレ乗車と島原鉄道のキハ20系乗車を提案してもらいました。私の鉄道趣味の原点であった昭和40年代から50年代の国鉄を思い起こさせるプランとなりとてもありがたく思いました。当初は、昭和40年代には最大7往復を数えた「あかつき」号で長崎を目指そうと立案してくれましたが、昨今の鉄道ブームのお別れ乗車の鉄チャンの多さに敢え無く完敗し、「なは」号での旅立ちとなりました。でもコレが当方にとっては大正解で、寝台のモケットやカーテンは新しいデザインのものに取り替えられていましたが、車内外の様子は国鉄時代の懐かしいまま(国鉄書体のままの方向幕、洗面デッキの洗面台周り、JNRマーク入りの「吸殻入れ」、今尚現役だと知って驚いた紙コップ式の冷水器などなど)で、今回の昭和の時代を懐かしむ旅行の舞台としては最高でした。
 熊本からは大型高速船で島原に渡りました。新聞等で話には聞いていましたが、長崎の宿泊先を含めてアジア各国からのインバウンドの観光客の多さには驚かされました。
 南島原では、久しぶりに高橋会員の提案で「車庫見」を楽しみました。DRFC時代には当たり前のように行っていた車庫事務所に挨拶に向かい現場責任者に許可をもらい車両の見学・撮影をさせてもらう行為に懐かしさを感じました。(改めて最近、趣味としての鉄道現場に接していないことを再認識させられました。)(苦笑)
 島鉄の終点「加津佐」で活きの良い魚料理を堪能し、島鉄生粋のキハ2003で諫早に戻りました。小学生のころ博多駅で鉄道写真を撮り始めたころに急行「いなさ・弓張」の先頭につながっていた島鉄の気動車にここで再会できて、これまた当時の思い出が蘇ってきました。諫早から長崎へは、以前から乗ってみたかった大村湾沿いの旧線に乗車でき、大村湾の穏やかな美しさに改めて見入ってしまいました。
 昨夕、同期のDRFC会員「893−2」君から突然電話がかかってきて、何事?かと聞いたところ、当日彼も同じ方面に出かけていたとの由、久しぶりに鉄道談義に華が咲きました。(この様子は、早速このBBSや写真館のページに紹介されていますね!)
 ただ、彼の「最近は鉄道写真を撮るほうが鉄道乗車旅行よりも安くなる」とのコメントには驚きました。DRFC現役時代は周遊券利用が一番安く、飛行機利用など考えもつかないことでしたよね。このような状況ではブルトレがなくなるのも止むなしですね。
 最終日11日は長崎から博多まで885系「かもめ」の最後部のグリーン席を利用しましたが、その車両の内外装のハードウエアだけでなく、女性客室乗務員のコーヒーなどの無料サービスなどソフトウエアの充実にJR九州の心意気を感じました。(でも、きっと他交通との競争がサービス内容の充実に繋がっているのでしょうね。)
 博多からは今回のメイン・イベントで志水会員、後藤君と合流して0系を楽しむことになります。志水会員は博多南駅から乗車し広島までの同行、後藤君は前日のあかつき号のレガートシートに乗車して大牟田から西鉄を楽しんでからの乗車です。今年末の引退を控えた0系はそんな状況を感じさせないほど、外観内装共に非常に良好な状態でした。
 シートは2+2のグリーン車発生品に交換、車端にはLEDによる「情報案内表示装置」などが追加されてインテリアは登場当時の面影は少なくなっていますが、鋼製の重厚などっしりとした乗り心地は健在です。(でも、多分、電力消費量は多いんでしょうねぇ!(苦笑))広島で0系「こだま」同志の乗り換え(20分ほどの接続)で、2種類の0系を堪能できました。広島までの2時間ほど志水会員を交えた4人で、また新大阪までのあと2時間ほども同じDRFCのメンバーとしてそれぞれの鉄道趣味や大学生活を語り合っているうちにあっという間に時間が過ぎてしまいましたが、とても有意義な楽しい「ひととき」でした。
 9月に予定されているDEFC50周年記念号では、もっと幅広い世代間で会員諸氏と交流できる機会が持てそうでとても楽しみです!

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【1170】Re:なは号と0系
 893-2  - 08/2/17(日) 0:05 -
  
私も3連休に島原周辺に出掛けておりました。
残念ながら乗り鉄は金銭的に厳しいので、
ANAの旅割と特便に旅割スペシャルのレンタカーで安く上げました。
9日は会社の結婚式があり夕刻の福岡便で九州へ、そのままレンタカーで
大牟田へ向かい上り「なは」を撮影、地道で移動し翌朝の下り
「あかつき」を多良-肥前大浦でついで加津佐へ移動しキハ20を
撮影、そのまま島原鉄道南線を中心に撮影し夕刻北線に、日没後は
南島原で少し撮影をして、翌日は国鉄色キハ66,67と415系を喜々津で、
長崎本線旧線の喜々津-東園や肥前大浦-多良、西鉄を少々と鹿児島本線
天拝山-原田へと移動し夕刻の伊丹便で帰阪しました。
高橋氏・今道氏とはニアミスだと思います。
高橋氏・今道氏の乗車された島鉄の列車も含め下に貼っておきます。
また機会があればご一緒に。

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【1169】なは号と0系
 85年度車輌班高橋 E-MAIL  - 08/2/16(土) 17:01 -
  
この3月改正で終了のあかつき&なは号に乗り、これまた3月末日で廃線となる島原鉄道(島原外港−加津佐)に82年度の今道さんと乗りに行きました。当初せっかくだからとあかつきのシングルデラックスに乗りたかったのですが、それどころかあかつきならレガートしか席がないため、なはで熊本へ行き、熊本港から島原港までフェリーに乗り、島原鉄道をめざしました。寝台車は廃止を見越してか内外装ともかなりへたっていました。でも懐かしい飲料水の機械が置いてありました。向日町第二経験者のみなさん、あの紙コップ懐かしかったです。京都、大阪とも相当な数のファンが写真を撮りに来ていましたが、機関車付け替えの時は完全に寝てしまっていました。翌日の島原鉄道では廃線を前にして南線でもキハ20を運転していて、幸運にも自社発注の昭和33年製のキハ2003に乗ることができました。現時点でキハ20は8両在籍しており、塗装もオリジナルカラー以外に国鉄色、首都圏色など豊富でその充実度はピカイチではないかと思いました。翌日はかもめ6号グリーン車で長崎から博多まで向かい、こだま722号(0系)で88年度の志水氏、現役の後藤氏も合流しました。久しぶりに乗った0系は中も外もピカピカでとても今年引退するとは思えません。また2列シートの快適さも相俟って重厚なすばらしい乗り心地でした。と簡単に書きましたがやはりすばらしかったのは、消え行く車輌や線路への惜別の念よりも年代を越えて集うことができるDRFCであったというと大げさでしょうか?いや決してそんなことはないと思います。また何かにかこつけて集まりましょう。

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