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【857】”はやて”初乗車
 中国特派員便り No.8  - 07/5/6(日) 23:49 -
  
2007年5月5日、中国版“はやて”初乗車の記念すべき日を迎えました。胸の高まりを抑えられず朝日が部屋にさしこむ時間には、駐在時代の想い出をたどって、オリンピックを迎えて変貌をしていく天津の町並みを散策していました。今までの天津駅は、北京を30分で結ぶ専用新線、地鉄、軽軌も乗り入れる大ターミナルとするために、ホームや裏駅舎も取り壊し、駅周辺も含めて、大規模リニューアル中です。そのために臨時駅が、車両基地に臨時に作られています。

当日は、“無座”(立席切符)の客もいて、超満席で出発しました。北京までの所要時間は、今まで74〜85分から、天津北駅は通過で、全本数69分に短縮されています。最高速度は、神州号と同様の160km。2階建て車両でないので、今までのように高い位置からの車窓を楽しめる事が出来なくなりましたが、清潔で綺麗な車内と、硬座でもシートピッチが広いのは、何といって快適です。先頭車両では、記念写真を撮る人が絶えず、中々撮影チャンスがありません。8両編成の全車両をゆっくりと見て回りました。

回転式シートは、中国では初めてで、大評判です。初登場時には不評だった温水器も大容量に変更されていました。車内は、はるかと変わりありません。トイレも男性専用有り。これも中国では初めてでしょう。空き缶入れも初めてです。硬座シートのリクライニングは、背もたれシートの他、前出しも出来るようにしてありました。飛行機と同様に車内誌や、車両の説明パンフも各座席に備えられていて、中国鉄路局の力の入れようが分かります。

今まで、各車両には、女性乗務員が乗車していましたが、若い男性乗務員に代わっています。車内販売員も新幹線と同様専用のカートで、飲み物等を乗せて回ってきます。カレチは、今までと同様に帰りの切符の販売もしていますが、これだけが日本と異なるだけで、他は新幹線に乗車しているのと錯覚できるほどです。以上かもしれません。
窓は、0系と同様2席1窓ですが、遮光カーテンは、381系と同様、各シートごとに分かれて、手で動かせるので快適です。現在は、160km走行ですので、上下左右の揺るもなく、ついつい、こっくりとさせられます。今まで列車に乗車した中国人にとって、この快適さは未経験でしょう。

北京までの69分は、魅力的ですが、専用線が出来て30分、時速は200km以上になれば、2時間以上もかかる高速バスも勝てないでしょう。臨時天津駅まで乗ったタクシーも、北京まで500元と言っていたのに今日は、300元です。あらためて、高速鉄道の偉大さを感じます。北京には、定時到着。先頭車両に行き、写真を撮ろうとしましたが、直ぐに折り返し便となり、また記念写真族多し。寂しい感じもしますが、もう、私達日本人の“はやて”は、中国人民の足としても定着し、根付いていると言って、過言ではないでしょう。

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【856】中国鉄路 2007年4月18日時刻改正
 中国特派員便り No.8  - 07/5/6(日) 19:35 -
  
海南島で購入した時刻表は、簡易抜粋版でしたので、ここで初めて詳細な時刻表を購入できました。7頁にも及ぶD電車シリーズをご覧ください。よく見ますと、7月1日と10月1日からの運行もあります。
今回は、今まではなかった大幅なスピードアップと高速列車の大増発です。”L特急”の登場です。中国の鉄道が、大きく変動していくのが分かります。その代わり、緑色1色の客車も淘汰されるそうです。

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【時刻表(北京〜天津)_D電車1.jpg : 182.8KB】

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【時刻表D電車2.jpg : 195.8KB】

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【855】”はやて”天津にも登場
 中国特派員便り No.7  - 07/5/6(日) 19:30 -
  
続いて、上海へ移動。上海南〜杭州・南京を走り出した“新幹線はやて”(現地名;和諧号)の初乗車を目指しました。前もって何回も“切符購入は大丈夫か”と、確認した旅行社から、発売当日に買いに行ったが、既に徹夜で並んでいる人が殆どで、申し訳ないがダメだったとの返事です。このために上海にわざわざ来たのに…。本当にこちらの大丈夫は、“やってみる”という意味であって、確実ではありません。

でも、改めて新幹線の大人気ぶりを再認識しました。現地では、TVや新聞等のマスコミを使い、在来線高速化のために輸入、そして、技術移転で現地生産した250編成ものカナダ、フランス、ドイツ、日本製車両をあつかましく純国産(電車名;CRH)と、大宣伝しています。

残念ですが、上海観光に切替え、その後、天津へ向かいました。行きつけの日本料理屋で置いてあったミニコミ誌“津JIN”を見ますと、“はやて”が走行したと掲載されています。つい1ケ月前に来た時は、まだディーゼルのNZJ2型“神州号”に乗車していたので、びっくりです。
今までは、10往復でしたが、12往復と増え、他にも神州号と思われる車両を使用してか、北京〜天津2往復、北京〜天津北1往復、北京西〜天津北1往復、北京西〜天津北〜秦*往復と大増発です。
これは、乗らねばならないと、早朝5時起きで、臨時天津駅に向かいました。それでも和諧号専用切符窓口は、並んでいる人で一杯でした。ダフ屋も数名いて、今日の切符を堂々と売っています。乗車は帰国する明日にしましたが、それでも軟座は満席で、硬座でした。購入後に早速、始発電車の走行を撮りました。

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【JIN和諧号記事と切符.jpg : 145.1KB】

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【和諧号切符窓口.jpg : 141.0KB】

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【854】海南島鉄道 再開通
 中国特派員便り No.6  - 07/5/6(日) 14:28 -
  
2007年4月18日、中国鉄路局では、第6回目の時刻改正が実施されました。海南島の鉄道も再開されたと聞き、早速行ってきました。三亜市内中心にあった旧三亜駅は、駅舎も取り崩され、”禁止出島”と書かれた貨車が放置されて、以前の面影は消えようとしています。廃線跡をたどりましたが、至る所で切断されていました。

新三亜駅は、郊外に新設されていました。早速時刻表を購入し、切符の売れ具合を聞きますと、既に1万人乗車を突破した。労働節とあって、売り切れ状態でした。試乗は諦め、走行写真を撮るべく撮影場所を探して、タクシーを走らせましたが、新しい路線図も発行されていなく、中々見つけられません。田園の中を土盛りした線路を見つけられましたが、線路際へ行く道がありません。

東方駅方面へ高速道路を走行し、ようやく、鉄道との交差点を見つけ、広州からの列車を待ちました。海岸沿いの椰子の林を走行する写真を撮りたかったのですが、次回です。
現在、広州、上海南、北京西駅から3往復が走行しています。広州からは、15時間14分、上海南は、36時間27分、北京西は、34時間56分の乗車時間です。海口から本土へは、4両づつ分割で、連絡線に乗せます。船中では、下車不可能なのが残念ですが、その内に乗りに行きたいと思っています。

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【853】Re:鉄道マニアが主人公のTVドラマ
 K.H.生  - 07/5/5(土) 3:48 -
  
▼総本家青信号編集部さん:
>えらい時代になりました。
>かつては密かに息を凝らして生息していた我々鉄道マニアが事もあろうにテレビドラマの主人公になろうとは!
>そのドラマは「特急田中3号」

娘(小4)がKATTUNの亀梨と田中と赤西のファンでして毎週見ております。
田中君は今時のアイドルでは珍しく自発的に短髪ボウズ刈りのナイスな奴ですが
“テッチャン刈り”=坊主の誤解が生まれるかもしれません。

ストーリーは面白可笑しく、登場人物のキャラは一部誇張がきつく、
目くじら立てるものでもございませんが、カネモ(金持ち)の先輩が
自宅書庫に時刻表を毎号2冊ずつ買って並べてる。
これは何故かと番組中理由を説明するところで、「決まってるやん、
1冊は実用でもう1冊は保存用や」と喝破すると正解で、娘は「オトウサン
凄い!」
「当たり前やん、先輩のマ○モ○さんは、松田聖子のレコードも2枚必ず
買ってたぞ」と思わず口が滑って.....

<奥様、いつも忘年会ではお世話になりスミマセン。
他意はございませんので、また次回は何卒、宜しくお願いいたしま...>

(世の中には似た行動をする人も居るもので)
http://www.tbs.co.jp/tokkyuu3/intro/
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【852】コーヒー飲みながら鉄道模型 時事通信より
 元祖青信号編集部  - 07/5/4(金) 17:11 -
  
大人気「鉄カフェ」=−大阪
 コーヒーを飲みながらSLなどの鉄道模型を思う存分操れる「鉄カフェ」(大阪市天王寺区)が人気を集めている。鉄道マニアだけでなく、団塊世代や家族連れが何時間も熱心に模型を走らせる姿が見られ、休日には順番待ちの行列も。藤川梨絵店長は「鉄道模型を通じて、癒やしの空間を提供しようと始めた。何かと息苦しい時代なので、楽しいひとときを過ごして元気になってもらえれば」と話している。
 模型は「Nゲージ」と呼ばれる規格で、2本のレールに流された電気をエネルギーに走り、手元の操縦機で速度調節できる。店は3階建てで、各フロアに田園風景などを模したジオラマが設置され、最長14メートルのレールを模型が繰り返し走り続けている。  

最終更新:5月4日16時30分配信 時事通信
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【851】おじん2人ヨーロッパ軽便 その16-4
 湯口 徹  - 07/5/4(金) 9:42 -
  
ペロポネソス半島その4 ディコフトC

前回[837]で草軽云々と書きながら、肝心の写真を失念した。今回1コマ目に入れておく。端梁の連結器(小生は事の外軽便の連結器に興味がある)をご覧いただきたい。

中央にバッファーが、その左右に小型の螺旋連環連結器があるが、このような方式では、カーブで外側の連結器のみに力がかかり切れる恐れがある。そのため左右の連結器が均等に負担するよう、イコライザーがついている。

そのイコライザーは我国鉄道連隊600mm軌間用のように外側でなく、端梁の内側に仕込まれているので、外からは見えない。

駅近くにはアブト機関車が1両、綺麗に修復されて保存展示されている。この鉄道はフランス技術(恐らく資本も)で建設された。オスマントルコからの独立時、フランス革命後のフランスから義勇兵が多数参加するなど国益・算盤がらみで支援した。その影響であろう。

義勇兵の中には、文豪アレキサンドル・デュマの超大作「モンテ・クリスト伯爵」の主要人物の1人のように、ギリシャを助けながら密かに裏切り、ヤニナ(ギリシャ北方都市)と恩人の妻娘をトルコに売り渡して財を成し、貴族に成り上がった手合もいるが。

初日の夕食はディアコフトのタベルナ(庶民レストラン)で。メニューは当然だがギリシャ語ばかりでさっぱり分からず、肩をすくめると親父が有無を言わせず我々を厨房に連行。6つ7つ並んだアルミの大きな寸胴鍋の蓋を片端からあけて覗かせ、目で見て確かめろ、と言ったんだと思う。

納得づくで3品をハーフ、1品フルで注文。それに大ジョッキ程のデカンタになみなみと盛られたハウスワイン、2人で3,250ドラクマ=1人600円弱で、これはうまかったねェ。

翌朝も快晴。気分のいいディアコフト機関支区の大木には小鳥が群がり、そのさえずりが清清しい。我々は地図を頼りにコリントス側に4キロ程戻り、山道に入ってディアコフトを目指した。前回の地図をクリックし拡大してご覧頂きたい。赤い羊腸たる線がそうである。

道は覚悟していたよりいいが、夜は走りたくない。途中2か所ほど新道があって道標がなく、我々は民家のある旧道に入ってしまい、住民に「カラブリタ?」と語尾を上げて問えば、一生懸命「あっちあっち(といったはず)」と指差してくれる。

鉄道だと22kmだが道路では地図上で35km程、小一時間を要した。終点駅の施錠された車庫の窓を覗くと、復元・整備された蒸気機関車と客車各1両が納められていた。シーズンに何回か走るらしく、トーマスクック時間表の6〜9月のみ運行云々は、このトラディッショナルトレインのことを誤り記載していたらしい。

一駅戻って無人の駅に車を置き、列車でディアコフトまでの1往復を試みた。これからが実は一騒ぎになるのだが。

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【保存貨車2.jpg : 141.4KB】

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【850】東讃と西讃の対抗意識
 K.H.生  - 07/5/2(水) 15:30 -
  
それは江戸時代に源を発し、玉藻城(高松)が譜代の松平に対し
丸亀城が外様の京極という勢力関係だからです。
外様と言っても京極は三管領四職の時代から続く名門で
その辺の意識が底辺にあるのでしょう。

京極家は丸亀に転譜に成る前は播州龍野の城主でした。
この移転の際に旧領地の一部に飛地を残します。
それはどこかというと、姫路の網干の一番海側、揖保川の
河口に面し横浜や興浜といった地区があります。
ここには丸亀藩の陣屋跡が今も残っています。
網干の北沢産業の廃線跡を調べに行った際に知ったのですが
中近世史も面白いものです。

東讃出身の有名人、高松の菊池寛に対し西讃は三豊郡出身の
大平正芳というところでしょうか。
私の学年近辺で言ったら高松の鈴木君に対し2年先輩の
藤森さん(やはり三豊出身)のことが偲ばれます。
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【849】沖縄のちんちん電車
 読者  - 07/5/1(火) 18:41 -
  
【843】の読者さん、産経新聞とやらに掲載された橋桁の写真、位置など当掲示板に投稿して頂くと老人の見たものかどうか、はっきり分かると思うのですが……

と乙訓の長老から命令がありましたので当該記事を掲載いたします。ご検討下さい。(産経新聞4/29)
当時の沖縄の電車の写真はないのでしょうか?

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【848】琴参電車あれこれ(その2)
 乙訓の老人  - 07/5/1(火) 17:24 -
  
まず訂正をする。【840】で須磨の大人撮影分中、モハ1400はモハ2400が正しい。

【796】を読み直してみて、クローバー会会員で琴参電車に見たり乗ったりした人は数えるほどであろうと気付いた。あの吉谷のオッサンでも、「元大阪市電の600形が今でも走ってまっせ」と言ったら、慌てて高知へ行く時に途中下車して行ったほどである。その時、時すでに遅しで600形は庫の奥にあり、手を合わせ庫外に出して貰ったそうな。
琴参電車の正式名称は「琴平参宮電鉄(株)」で、電気鉄道とは称していない。今も商号としては継続している筈で、一頃近畿日本鉄道の傘下にあったが、近鉄のリストラでどうなったか知らない。一応、交通企業の範疇に入っているが、バス事業衰退でどうやって飯を食っているのか心配である。まさか「うどん」ではないだろう。
ところで香川県の旧国名が讃岐とは、賢明な諸君はテストを受けずしてご存知であろう。JR四国「国分」駅周辺を境として東を東讃、西を西讃と言う。この東と西は昔から対抗心が強いことで知られている。これを頭に入れておかないと讃岐を理解することは出来ない。前置きが長いのは毎度のことで、お許し頂きたい。
さて琴参電車は東讃の電車ブームに刺激され1904(明治37)年に丸亀・善通寺・琴平間、途中の金蔵寺・多度津間で電気鉄道敷設願を軌道法により出願している。既設讃岐鉄道の競合線となるとの理由で即座に却下された。東京の有力者と組んでみても、善通寺にある陸軍のためとしても駄目。2度の出願、却下の結果、県から丸亀・善通寺間に絞ってみたらとアドバイスを受け1909年、3度目の出願で1910(明治43)年5月20日に特許状が交付された。この時の出願は「讃岐電気軌道」である。
やっとの思いで手にした特許だが資金不足で着工に至らず、特許は5ヶ月後に堺市の野田某他6名に売却された。ここで登場したのが才賀藤吉である。才賀が経営する日本興業により大阪で1911年9月8日、讃岐電気軌道(株)は創立され用地買収開始。翌年には才賀電機商会と工事請負、大平電気商会(東京)と軌条売買契約をそれぞれ交わしている。ところが才賀電機商会は1914年倒産、才賀は1915年ポックリ死となった。こうした初期のアクシデントにもめげず、現地丸亀ではなんとしても「こんぴらさん」への熱意は醒めず、あの手この手で善通寺・琴平間の特許取得の努力を重ねていた。これには西讃人の東讃への対抗心の表れの一つでもあった。10年がかりで1922年に交付された。
讃岐鉄道は多度津港を起点にして東は丸亀、南は琴平へ1889(明治22)年開通。高松には1897年に到達している。これは西讃人には面白くないことであった。こんぴらさんへのルートの本流は丸亀港、多度津港からであり、高松から直行されたのでは西讃の地位低下につながるのである。讃岐鉄道は国に買収され伊予、土佐へ直行するため多度津駅移転が計られ1913(大正2)年完成、西は先ず観音寺へ、南は琴平を目指した。多度津駅移転はスイッチバック解消のためで、旧多度津駅跡は今も多度津市により保存されている筈。これにより讃岐電軌にとっては、戦雲急を告げることになった。丸亀市長を会長とした讃岐電軌期成会が結成され、本社を1917年丸亀に移転させ地元で本腰が入った。さらに琴平神社に社名に「金刀比羅宮」を入れることに許しをもとめたところ「支障なし」の返書を得た。琴平への延長特許状が交付された(1922年9月23日)直後の臨時株主総会(10月8日)で「琴平参宮電鉄」名が決定した。丸亀・善通寺間開業2週間前のことであった。
日本では社寺参詣を目的の一つとした鉄道は各地にあるが、「参宮」を社名にいれたのは1893年開業の参宮鉄道を嚆矢とし、ついで1916年宇佐参宮鉄道、この2社は蒸気鉄道。電気鉄道では琴参電鉄が最初、この7年後に仁連上人の参宮急行電鉄が開業している。
【796】は思いつくまま記したので、これより少し整理してみる。
1922年10月22日 丸亀・善通寺間開業 デハヨ形11〜15新造(軌道法)
1923年8月5日 善通寺・琴平間開通 デハヨ形6〜9増備(軌道法)
1924年1月 デハヨ形16〜18増備(軌道法)
1924年10月9日 善通寺・多度津西口間開通 デハヨ形19〜23増備(鉄道法)
1925年4月 デハヨ形24〜28増備(軌道法)
営業距離19.9kmの田舎電車が2年半で、4輪車ながら22両新造理由に次回は迫ってみる。

どこやらがこそばい御言葉を須磨の大人から頂戴し、穴があったら隠れたい思いであります。ところで【843】の読者さん、産経新聞とやらに掲載された橋桁の写真、位置など当掲示板に投稿して頂くと老人の見たものかどうか、はっきり分かると思うのですが……
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【847】沖縄の電車
 某ぼけかけおじん  - 07/5/1(火) 10:28 -
  
過去の鉄・軌道を調べるには不可欠な文献がいくつか。1.(社)鉄道同志会刊行「地方鉄道軌道一覧」、2.鉄道省発行「鉄道統計資料」(発行年により書名は変化する)、それに3.和久田康雄氏不朽の名著「私鉄史ハンドブック」、4.(社)帝国鉄道協会刊行「帝国鉄道年鑑」等々である。

ここでは1.3.から引用しておく。なお沖縄の鉄軌道に関しては、加田芳英「図説沖縄の鉄道(改訂版」)があり、この著者は必ずお目当ての現地で相当期間就職・住込んで、徹底的に現地の人と親しみ、収蔵写真や資料、乗車券類を掘り出すという、余人では為しえない特技を有するだけでなく、それが苦痛にならないという稀有の人物である。この本では「沖縄の電車」として12頁が割かれている。

それにしても、「京阪特急」を上梓し身軽になった乙訓ご老体の昨今の獅子奮迅の活躍ぶりはどうですか。お若い(といっても、諸兄皆結構いいお年だが)皆さんよ。恥ずかしくないのか? 爪の垢を貰って煎じて服用した方がいいんじゃないかェ。

そういう己は乙訓老人にあやかるどころかあっけにとられ、あれよあれよと感心するばかり。この御仁には記憶力減退などないようだ。昨日の夕食の献立すら覚えていない当方にはうらやましいというより殺意!すら覚える。

当方は棺桶に片足踏み込んで、残り幾許もない余命を心ならずも酒でかろうじて先送りしているだけで、誠にお恥ずかしい限りだが。小生には到底まねが出来ないと、最初から諦めモード。

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【844】【843】の読者さんへ
 乙訓の老人  - 07/4/30(月) 16:37 -
  
乙訓の老人も10年前に最初で最後となるであろう沖縄行の時、貴兄と同じものに気付きました。那覇の古本屋で戦前の沖縄の簡単な写真集を見つけ、鉄道資料30号を下にかっての路線を検索してみたのですが、現在の地形図からは当時の町並みや道路が確定できず、投げ出してしまいました。かってRFだったと思うのですが、沖縄電気軌道の小冊子出版が紹介されたことがあります。老人は買い損なってしまいました。趣友の何人かに尋ねたことがありますが、どなたも所持された方はありませんでした。目下、琴参電車あれこれを継続しようと思っていますので、そのうち挑戦してみたいと思っています。実はほんの少し関連があるのです。
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【843】沖縄の路面電車 産経新聞より
 読者  - 07/4/30(月) 12:36 -
  
先日の紙面に「沖縄にあったチンチン電車」として唯一残っている橋脚跡の写真が出ていました。軽便鉄道は知っていましたが路面電車まであったとは・・
どなたかくわしい情報があれば教えてください。

(以下同記者のブログより一部転載)
軽便鉄道の跡ではないか、と惜しい指摘もありましたが、
ちんちん電車の「橋げた」の跡でした。
大正3年から昭和8年までの約20年間だけ、存在した幻の路面電車です。
軽便鉄道の跡はいくつか残っていますが、路面電車の跡はここだけのようです。
場所は那覇市松川の沖縄都ホテル。
裏庭の土手を登った最も奥にあるので、ホテルの中でも限られた人しか知りません。
鉄道ファンの人が撮影した20〜30年前の8ミリでは、「橋げた」らしさが残っていましたが、今では土に埋もれてしまい、ただのコンクリートの塊としか思えません。
できれば整備して、解説板でも立ててほしいところですが、不便な場所なので、その予定はないとのことです。
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【842】thak you very much !
 ’62 在郷OB  - 07/4/29(日) 20:31 -
  
連休直前全国一斉OB学力テストにご怪答いただき、おおきにどす。
乙訓のご老人さまには、栗電の書き込みにさぞかしお忙しいところを
テストにおきばりやして、在郷OB属する総本家青信号文部科学班と
しては何よりありがたいことどす。年金受給者ならびに引揚者のOB
皆様には「弾丸列車ひかり号」も正解とさせていただいております。
四十年ほど前なら天皇誕生日は、新入生歓迎旅行が盛大に行なわれて
いた頃です。昭和の日初日に懐古にふけっております。
Ladies and jentleman have a nice goldenweek !

なお、英米語の迷惑メールが続くなか、管理者さまに削除されないか
との思いも取り越し苦労でございました。
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【841】【839】テストの怪答
 乙訓の老人  - 07/4/28(土) 17:59 -
  
“新幹線にお乗りやして、有難うさんどす。
この電車、東京行超特急ひかり号どす。
東京までに京都、名古屋、横浜にとめさせてもらいます。
今300キロ、かんにん、270キロでお走りどす。”

“妙なもんや、ややこしいお人おいでやったら、車掌のうちか駅のお人に、
どうぞ言うてくれはるようにおたのもうします。”
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