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【689】DMV市街地走行試験 毎日新聞より転載
 総本家・青信号編集部  - 06/11/20(月) 16:54 -
  
<DMV車両>静岡・富士市で走行試験へ 線路と道路を走る

 JR北海道が開発した、線路と道路の両方を走行する新型車両「デュアル・モード・ビークル(DMV)」が24日、静岡県富士市で走行試験を行う。DMVが道外で走るのは初めて。次世代の交通機関として、実用化の機運が高まっている。
 走行試験は、DMVの早期導入を目指す市の要請にJRが応じた。市の東南部を走る富士急行グループの岳南鉄道(9.2キロ)の線路を使い、DMV1両が市場踏切―岳南原田駅間(2.8キロ)を鉄道車両として走行。復路は市街地の道路3.2キロをバスとして走行する。試験は24〜26日の3日間。いずれも最終列車が通過後の深夜に走らせて安定性や走行時間などを点検する。
 この結果を元に、年明けの1月14、21日の両日は市民向けに1日5回のデモンストレーション走行を昼間に市街地で行う計画。
 2市1町が合併して誕生した富士市は市街地が分散している。私鉄やJRを有効に結ぶ交通システムとしてDMVに注目し、鈴木尚市長や市議会議員らがJR北海道の苗穂工場(札幌市東区)を訪れ、すでに試乗している。デモ運転に向けて富士急行・静岡バスの運転手が同工場でDMVの運転技能を学んだ。
 JR北海道は来年4月から釧網線の浜小清水―藻琴駅間で試験的な営業運転を始める。道外の試験・デモ走行は当面、富士市だけ。「道外での活用は釧網線での運転実績を元に検討したい」(小池明夫社長)という。【斎藤誠】
(毎日新聞) - 11月20日14時5分更新
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【688】日大鉄研OB会写真展にいってきました!
 74年度生 佐々木秀隆 E-MAIL  - 06/11/19(日) 13:46 -
  
【674】藤本先輩情報により日大鉄研OB会「桜門鉄遊会」の写真展「我が青春のワンショット」に11月18日行ってきました。
場所は銀座通りを2筋入ったビルの一階。スペースの関係からか、点数は30点くらいだったが、全部モノクロで、どの作品も秀逸。朝早かったので私の他にはギャラリーはいなかった。一通り閲覧して、当番の男性(OBと思われた)に軽く会釈を交わし「同志社(鉄道の)OBです。HPに案内があり来ました。」すると話は弾みざっと20分くらいは話していた。その男性の鉄道に関する知識は相当なものだった。やがてクラブの話になり、日大の現況として「この写真展は2年に1回開催しています。OBは15〜20人程活動しているが、現役の活動が低調で、OB会との交流も殆どありません。昭和55年頃から現役の活動に元気が無くなってきた。趣味の同好会は絶えることなく続けなければ。」と、力説される。「同志社(鉄道)の方も何人か知っています。」とのお話。
色々案内してもらいお名前を聞いた所何と鉄遊会会長 諸河 久氏だった。あら〜。諸河先生の顔は写真集に載っているので覚えているつもりだったが・・。わが国の鉄道写真界の重鎮に何を臆せずに会話をしていた自分が恥ずかしくもあり、満足感もあった。(失礼があったらお許し下さい)別れ際写真展のROMを頂戴して、趣味を続ける事の意義と体のねぎらいを掛けていただいた。
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【687】おっさん一人、北関東を行く その3
 総本家・青信号特派員  - 06/11/15(水) 20:01 -
  
◎湖畔を行く【写真7】
玉造町から浜へと歩く。途中の国道のオーバークロス地点からは、線路の背後に霞ヶ浦が望める。いよいよ鹿島鉄道のハイライト区間に入ってきた。国道の陸橋から列車を待つ。次の石岡行きを、まず陸橋から東側に向いて撮り、急いで西側に取って返し、カーブを切って湖畔へ向かう列車の後部を狙った。立ったまま写すと、電線が写り込むため、地面に這いつくばっての撮影だ。線路の周囲は、一見菜の花かと見まごうセイタカアワダチソウが満開だ。その旺盛な植生理由を考えると、憂慮すべき情景で、できる限り避けて撮りたいが、この季節では不可能に近い。このような田舎にまで帰化植物が浸食している。

◎“鉄おば”出現【写真8】
浜から八木蒔まで来ると、急に周囲は樹木が生い茂り、山間部の様相を呈する。駅は完全に山の中の雰囲気だ。周囲に人家も見当たらない。比較的開けた鹿島鉄道の駅にあって異色の駅である。この駅で、“鉄おば”2人から声を掛けられた。鉄子はあちこちに出没し、先だっても神岡鉄道では松嶋○々子似の長身の美人鉄子が熱心に撮影していた。今度は、熟年パワーいっぱいの中年鉄子の出現だ。翌日の茨城交通でもクルマで追いかけている戦闘的な“鉄おば”に遭遇している。いやはや鉄道趣味も変わったものではある。深い森を抜けると、陽も西に傾き出し、列車はギラリと輝いた。

◎締めはシルエットで【写真9】
ここまで来たら、定番ではあるが、霞ヶ浦に沈む夕陽をバックにシルエット狙いといこう。ところが、夕陽の落ちる角度は申し分ないのだが、いかせん邪魔が多い。まず、線路と湖の間に、築堤になった道路があり、線路と重なってしまう。道路を逃がして、かつ湖を入れようとすると、そのアングルは極めて限定されてくる。もうひとつの難題は、線路際の雑草だ。下回りがスコンと抜けた写真を撮ろうとすると、雑草が大きな障害物となってくる。両者を排除できる場所を探し回ったが、付近ではついに見付けられずじまいに終わった。秋のつるべ落としの夕陽を気にしながら、なかば諦め気味に列車を待った。

添付画像
【写真7 鹿島鉄道浜.jpg : 125.1KB】

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【写真8 鹿島鉄道八木蒔.jpg : 160.2KB】

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【写真9 鹿島鉄道桃浦.jpg : 47.9KB】
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【686】またまた50年前の富山港線
 ボケかけの年金生活者  - 06/11/15(水) 19:49 -
  
誰も相手にしてくれんのかと悲観し、枝振りのいい松なんぞを探しかけていたところ、弘津氏が男気を出して助けて下さり、年金生活者はほんとに嬉しゅうござりましたぞ。これで寿命も幾許かは伸びたというもんですじゃ。

と、気をよくして、残った半世紀前のプリントを眺めなおし、またまたこの欄に投稿する気になりましたぞ。いささか迷惑という向きもあろうが、まあ辛抱さっしゃい。年寄りはいたわるもんじゃ。皆の衆もすぐこんな歳になるんじゃからな。

というわけで、調子に乗りさらに数枚の写真をご覧に供しますじゃによって、広津氏よ、またご解説をお願い申します。同じ型式の異番号車は省略させていただいておるがの。

この中でモハ1901だけ裏焼きで、1枚だけの挿入なら切支丹伴天連魔術によりたちどころに正規になるそうじゃが、欲張って3コマをフルに使っているので、これも辛抱さっしゃい。

なおこの城川原電車区の略号は金セワだったが、これは旧かな遣いで「ゼウガワラ」と書くため、を蛇足としておきますぞ。

添付画像
【モハ1901とクハニ7301.jpg : 212.5KB】

添付画像
【モハ2000とクハ5531.jpg : 206.7KB】

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【ED261とモハ1301.jpg : 296.3KB】
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【685】Re:半世紀前の富山港線
 弘津興太郎 WEB  - 06/11/15(水) 15:20 -
  
>電車は左上からモハ2020、モハ1310、モハ2326。
>右下はED251。富岩生え抜きのED261も居ったぞ。

長老さんが暫く出て来られないので、関心ある者として補足します。
2020は元南武の500型、省電モハ1の鋼改車なので制御機器は国鉄系です。
1310は宇部のモハ33、僚車は日立電鉄などに行きました。
2326は宮城(仙石線)のモハ801型?でしょうか。
窓の大きい好ましいスタイルの中型車ですが、国鉄に留まり払下げ期には
地方私鉄の戦後復興が一段落したあとだったせいか、貰い手がなく早期に
姿を消したことは、電車ファンにとっても残念な史実のうちの1つです。

電機のED25は宇部から電車と一緒に来富、元からいたED26とは
台車をのぞいて車体はそっくりです。
その理由は26はボールドウイン&ウエスチングハウス製なのですが
25の製造所である日鉄自動車(のちの東洋工機)で車体を改造したからです。
この後、25は上田交通に、26は越後交通長岡線で人生を全うします。
それにしても僕はこれを読むまでED25と26が一時同じ職場で働いていた
とは知りませんでした。鉄道ファンとして好きなエピソードがまた1つ
増えました。投稿氏に感謝します。

富岩鉄道時代の小型正面5枚窓車たちについては、詳しく知りません。
静岡鉄道と岳南に何輛か流れたことは分かっていますが小型過ぎた
ゆえか早期に姿を消しました。受け入れ先が野上や熊電、琴電の
志度線あたりだったらもう少し幸せな人生が、さらに国鉄買収という
人の運命を狂わせるようなことがなければ、第2次大戦というものは
鉄道史を研究するものにとっても、実に大きな課題をいまも残して
います。
なお岳南時代の晩年の姿が下記の掲示板の下の方に貼られています。
カラー写真は珍しいと思います。関心のある方はご覧ください。
以上。
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【684】131thEVEのご案内
 `03 鈴木 康之 E-MAIL  - 06/11/15(水) 10:55 -
  
11月も半分近く過ぎてしまいましたが・・・
今年もEVEの時期が近づいてまいりました。
動き出すのが遅いのが恒例になってしまったようで、ようやくごそごそと作業が始まりました。

肝心の展示の方は下記の通り行う予定です。

<131thEVE展示概要>
展示期間:11月26〜28日(25日が設営及び前夜祭となっております)
展示場所:寧静館404教室
展示時間:11時〜18時(最終日は撤収のため早仕舞いとなります)
テーマ:決定まで今しばらくお待ちください。

皆様のお越しを現役一同心よりお待ちしております。
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【683】おじん2人ヨーロッパ軽便 その11-3
 湯口 徹  - 06/11/15(水) 10:09 -
  
マリアッェル支線

6500V25ヘルツ交流電化のマリアッェル線起点ザンクト・ペルテンから4駅目、Ober Grafendorf から西へ、同じ軌間760mmの非電化線が分岐している。

やはりOBB(オーストリア国鉄)で Pochlam から南に分岐する標準軌間支線の Wieselburg まで33.8km、結構長いが人家の乏しいドド田舎ばかりを走り抜ける超超ローカル線で、間違っても観光客が足を踏み入れるような場所ではない。

トーマス・クック時刻表にマリアッェル線はあるが、この線=正式な線名が分からず、支線とのみしておく=は当然掲載がない。

かつては標準軌間支線と平面クロスし、さらに西南に26.5km、Gresten まで伸び、総計62.3km。我国最大だった岩手軽便鉄道花巻-仙人峠間65.4km、静岡鉄道駿遠線大手-藤枝新-袋井間64.6kmにやや及ばないが、大した長さである。 

この線には、先回[670]カラーで掲載した2両の機関車の左側、2095型ロッド連動のDD箱型ディーゼル機関車がボギー客車2両を牽引している。出力は442kW―600馬力で、これは20〜26‰勾配への対処であろうが、我国DD13の半分ぐらいの力持ちである。
2095.01〜03(32トン)は1958〜1960年製、2095.04〜15(30.8トン)は1961、62年製とのことで、全長10400mm。

静岡鉄道駿遠線最後の「あだ花」になり、朝夕ラッシュ時のみ客車6両を牽引していたD501(1965年自家製)が11トン、188馬力だったのに比べても、我国ディーゼル車両の出力のお粗末ぶりが分かろうというものである。

相棒が交渉し、ディーゼル機関車のキャブに乗せてもらった。機関士はなぜか寝間衣?のごとき、およそ締まらない長い奇妙な制服?(アラブ人男性が着る長いワンピ−ス?を少し短くしたような代物)を着ており、化繊(であろう)だから通気性が悪く暑いと思うのだが。案外中は肌着一枚と猿股だけなのかもしれない。

添付画像
【Ruprechtshofenでの離合.jpg : 254.2KB】

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【DL牽引列車.jpg : 223.0KB】

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【非電化支線DL列車.JPG : 238.5KB】
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【682】長浜鉄道スクエア 京都新聞より転載
 総本家・青信号編集部  - 06/11/14(火) 10:50 -
  
精巧な模型、ファンを魅了 長浜鉄道スクエアで展示

 鉄道の歴史や文化を紹介している滋賀県長浜市北船町の長浜鉄道スクエアで、このほど寄贈された精巧な鉄道模型18両などが展示され、訪れた鉄道や模型ファンを楽しませている。
 寄贈したのは静岡県三島市に住む越田範子さん。越田さんの実父で、鉄道模型のペーパーキットなどを製作販売していた「小高模型」の故小高幹男社長が収集、製作した模型や同キットなどが展示されている。
 模型はOJゲージ(実物の45分の1)の8両とHOゲージ(同80分の1)の10両で、真ちゅう製の手作り品のほか、ペーパーキットを組み立てた湘南型電車もある。
 真ちゅう製の作品は、戦後の経済復興に貢献した貨物用のEF15形電気機関車や、かつての信越本線横川−軽井沢間で働いたアプト式のED42形電気機関車、流線型のC53形蒸気機関車などで、いずれも細かな部分まで細密に再現されている。来春まで展示する予定。入館料は大人300円、小中学生100円。

写真は精巧な電気機関車の模型などを興味深く見入る親子(長浜市・長浜鉄道スクエア)
(京都新聞) - 11月13日19時37分更新

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【nagahamatetsudo.jpg : 9.3KB】
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【681】おっさん一人、北関東を行く その2
 総本家・青信号特派員  - 06/11/13(月) 10:16 -
  
◎関東鉄道でも車両を展示【写真4】
TX基地近くで同時に行なわれている、関東鉄道水海道車両基地のイベントにも参加する。基地は以水海道前駅に隣接してあったが、今は離れたところに移設されていた。常総線に在籍する代表形式が顔を揃えている。かつての好ましいスタイルの常総筑波鉄道時代の新造車はすでになく、国鉄DCの下回りを利用して車体を新造した車両や、最近の新造車が中心である。国鉄キハ30・35系の譲受車も、今となっては貴重な存在である。水海道〜下館間に限定運用のキハ100もいる。紺とクリームの国鉄DCの初期塗装と同じだが、もともと関鉄が制定した塗装を国鉄がマネをしたとF本さんが披瀝してくれた。帰りは取手まで乗車したが、TXの影響はあるとはいえ、取手〜水海道間は日中15分ヘッドで、非電化区間としては破格の高頻度運転を維持している。取手に戻った2人は、ミスタードーナツのコーヒーで1時間以上ネバリ、積もる話に花が咲いたのであった。

◎原風景を行く鹿島鉄道【写真5】
土浦で宿泊後、石岡へ向かった。石岡と鉾田を結ぶ鹿島鉄道が来年3月の廃止が予定されている。廃止理由の一つが、TXの開業により親会社の関東鉄道の業績が悪化し、それにより鹿島鉄道が援助を受けられなくなったとは、なんとも皮肉な結果ではある。“がんばれカシテツ”の文字が沿線にあふれ、廃止反対運動も起こっているが、現状は厳しいらしい。土日フリーきっぷを買って発車間際の列車に飛び乗る。常陸小川で途中下車したあと、次の列車で終点の鉾田へ向かう。沿線の光景は、これぞ関東の田舎といった、晩秋の穏やかな光景が広がっている。写欲がメラメラと上がってくる。こういう高揚感は大好きだ。車内から見た風景が忘れられず、戻りの列車は借宿前で下車。日本の原風景のなかに、線路がまっすぐ伸びている。上り勾配を終えた列車が下りに掛かる直前、台車回りが抜けた瞬間を狙ってみた。

◎旧型DCが行く【写真6】
借宿前、榎本と歩いて、玉造町まで来た。中間ではいちばん大きな駅で、駅前にはバスも発着する。昼間になって新型車両から旧型に交代していた。ファンの多い休日など、このようなイキな計らいがあるらしい。接する乗務員や委託駅員も一様に礼儀正しく、ファンに理解を示してくれる。車体にも変な広告はほとんどない。鹿島鉄道が愛される所以なのだろう。駅はローカル私鉄には珍しいゆったりした構造で、色づいた樹木も多く、絵になる構内だ。緑に塗られたキハ431がやって来た。発車シーンを撮っていると、駅前で戯れていた子供たちが、いっせいに線路際に駆け寄り、母親とともに去り行く列車に手を振り始めた。この子供たちが大きくなったら、駅跡はどんなふうになっているのだろうか。

添付画像
【写真4 関東鉄道水海道.jpg : 91.0KB】

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【写真5 鹿島鉄道借宿前.jpg : 160.5KB】

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【680】66年前の富山港線
 ボケかけの年金生活者  - 06/11/11(土) 19:04 -
  
今度は古い写真をご覧頂きたい。

まず1枚目は富岩鉄道10で、ラジアル単車。マウンテン・ギブスンの台車に何やら補強しているようには見えるのだが、年金生活者には詳しくは分からない。この線は富山付近以外ほぼ一直線だから、ラジアル台車なんか必要があるとも思えないのだが。買収時点では姿を消していたらしい。

次いでセミボ20と21。後者は何故かヘッドライトをお臍に付け替えており、おでこが淋しい。この2両は半鋼製なのに床下にトラス棒がある。

この3枚の撮影は何れも若林美雄氏、1940年9月18日、城川原である。なお先回の戦後写真もすべて城川原。今ではすっかり狭くなってしまったが。

最後に木製のボ1をご覧頂くところ、写真が得られず、富山地方鉄道での姿で代替しておく。妻面原型は5枚窓だが、ご覧のように3枚に改造されている。撮影は1954年3月だから、52年前である。

最新式の極低床トラム快走の半世紀或いはそれ以上前、同じ区間をこんな電車が走っていたんでありますぞ。

乙訓のご老人! 解説をどうぞ。貴老の義務ですぞ!

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【富岩鉄道10.jpg : 94.5KB】

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【富岩鉄道セミボ20、21.jpg : 171.5KB】

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【679】半世紀前の富山港線
 ボケかけの年金生活者  - 06/11/11(土) 14:43 -
  
このところ富山のライトレールの書き込みがこの欄を賑わせておる。結構なことじゃ。実は7月にわしも乗ってきた。

国鉄富山港線は元来富山−岩瀬浜を結ぶ富岩鉄道で、1924年7月23日開業。このときは富山口−岩瀬浜4マイル58チェーンであったそうな。
のち富山電気鉄道に譲渡され、1943年1月1日富山地方鉄道が発足。そのすぐ後6月1日に買収され、国鉄富山港線になった、と古老は申しよる。

ボケかけ年金生活者が初めて富山港線を見たのは確か1953年3月であったと思うんじゃが、何分記憶が薄れて定かでない。ただ電車の番号が社時代を引きずった1〜3桁なのは、確か買収国電の改番整理が1953年6月で、以後4桁に統一されたはずじゃから、まあ正しいのじゃろうて。そうそう、阪和だけはモハ20台と、素性正しい国電の仲間入りをしたんじゃったな。

最初の2枚はセミボ20+21。セミボとは、セミスチールのボギーを意味するぐらいは皆の衆もご存知じゃろ。のち静岡鉄道に売られていったように記憶するが。
これは富岩鉄道生え抜き車両で、木造5枚窓のボ1、2もいたんじゃが、この時点富山地方鉄道が購入して除雪車代わりに使われておった。

2コマ目は改番後で、デハ101、デハ200。

3コマ目は6枚も欲張っているが、架線の下を走るC11263をごろうじろ。
これが富山港線―すっかり家が建て込んだ現在の富山ライトレールと同じ場所とは俄かには信じられまいて。当の本人もこんな写真があったのをすっかり失念しておった。

電車は左上からモハ2020、モハ1310、モハ2326。
右下はED251。富岩生え抜きのED261も居ったぞ。

電車はいずれも戦時中の買収国電で、伊那や宇部、宮城など、各地からの寄せ集めじゃった。乙訓のご老人の縄張りを侵すのは不本意じゃから、ここでは氏素性や払下後の行き先なんぞの講釈は止めておく。乙訓のご老人よ。お忙しいとは思うが、若い(といってもみんないい歳こいだおっさんやおじん予備軍ばかりじゃが)衆に説明してやっておくれんかな、もし。

添付画像
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【678】身障者の目から視た富山ライトレール その...
 74年度生 佐々木秀隆 E-MAIL  - 06/11/9(木) 23:19 -
  
★港町までLRTに乗って

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【東岩瀬付近.jpg : 278.6KB】
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【677】身障者の目から視た富山ライトレール その...
 74年度生 佐々木秀隆 E-MAIL  - 06/11/9(木) 22:49 -
  
★港町までLRTに乗って
それにしても土曜日の10時半に町中から郊外へ向かう電車に立ち客がいるとは驚きだったが、予想紙片手の年配のくたびれたオッサンが乗っているのを見て大体の予想はできる。富山港線時代の「競輪場前」駅を利用する「上客」である。でも乗客の顔つきを見ているとそうでない人のほうが多い。結局停留所ごとにこまめに乗客を下ろしていった。
終点岩瀬の街を散策し帰りは東岩瀬から乗った。全部の停留所は、船の帆をイメージした屋根。ホームの床が、コンクリート打ちっぱなしなのは、雪の多いこの地方の、乗客のスリップ防止のためと読んだ。車道からホームへは、若干の勾配になっている。車椅子利用のため、わずかな勾配でも手摺りがついている。視覚障害者用に点字パネルも完備している。
収納型のベンチが5脚備わっていた。日中は1列車に5人ぐらいの乗客だろうと予想したのかも知れない。しかし現実は富山に遊びに行く地元の高校生・高齢者・岩瀬からの観光帰りの夫婦10余人が電車の人となった。土日は100円で乗り降りできる。
車内中央の4人がけの席は段差があるが、他は床とフラット。唯一の難点は停車ボタンがわかりづらいし押しづらい。今は各駅停車のようなものだが、近い将来北陸新幹線が開業し、富山駅が高架になったら、富山地鉄市内線に乗り入れする計画がある。そのときに備えて降りやすい配慮が必要だろう。途中で通路まで込んできた。岡田中学校前で降りて富山駅までの路面区間の撮影を楽しんだ。帰りは高速バスを使って5時間かかって池袋に戻ってきた。

★路面電車に春が来た!
富山ライトレールは予想の倍ぐらいの乗客があり順調な滑り出し。バリアフリーの施設も当事者の私が採点しても合格点だと思う。超高齢化社会に入りつつある、環境の世紀。日本において急速に路面電車を育てる雰囲気は出来つつある。きっと富山の成功がLRTの導入を検討している都市にとって追い風となることは間違いない。路面電車が元気だと私のパワーも全開となる。
これからも機会あるたびに路面電車だけでなくあらゆる交通機関のレポートを、ファンの視点+ハンディキャッパーの視点で伝えていきます。
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【676】おっさん一人、北関東を行く その1
 総本家・青信号特派員  - 06/11/9(木) 1:04 -
  
昨晩、あるメールが届いた。本掲示板の投稿の低調さを憂慮された某おじんからであった。全くもって同感である。掲示板をおじんの道楽にさせておく手はない。おっさんも立ち上がらなければならない。
そこで、久しぶりに鉄分補給をしてきた数日前を振り返って写真レポートをお届けしたい。

◎正調ボンネット【写真1】
11月4日午前5時20分、まだ明けやらぬ大宮駅のホームに特派員はいた。これから東上する夜行列車群を迎え撃つのだ。といっても、黄金時代とは比べるべくもない凋落ぶりだが、いっときだけの賑わいはある。トップバッターは急行「能登」。ご存じ、金沢489系H編成、関西では定期列車でもう見られない、原型に近いボンネット編成である。しかし、車両の老朽化だけでなく、列車そのものの廃止も噂されている。事実、連休にもかかわらず、車内は超ガラガラの状態であった。対向ホームから停車中をとらえる。デジカメだと感度をウンと上げれば手持ちでも充分可能だ。ノイズもほとんど出ない。デジカメになって、持っていく荷物から三脚が消えた。体力の衰えたおっさんにはありがたい、デジカメの効用だ。

◎ネタ釜はロクイチ【写真2】
イベントなどで走る機関車をネタ釜と呼ぶらしい。本日のネタ釜はEF5861の牽く「EL&SL奥利根」だ。高崎線は岡部〜本庄間の中間にある鉄橋付近へ行く。通称“オカショウ”と呼ばれるお馴染みの場所だが、関西在住者にとってはなかなか行きにくい場所ではある。例によって、続々と同業が蝟集するが、みんな自動車で来て、大型三脚、中判カメラの持参である。そのいずれも所持しない特派員は、いささかの妬みと疎外感を禁じ得ない。写真はクルマではない、バケペンでもないと自分に言い聞かせながら、彼等を無視するようにただひたすら1時間半前から通過を待つ。9時27分、ロクイチはアッという間に目前を通過した。ヘッドマークも付けない、素のままのロクイチはやはり美しかった。

◎TX見学会は大賑わい【写真3】
ここからは東京在住のF本さんと同行である。その熱意と実績はつとに知られたF本さんであるが、最近またそのパワーに磨きが掛かってきた。氏のお誘いを受けて、つくばエクスプレス総合基地のイベントに訪れた。高架やホームドアで、普段まともに撮れないTXにあって、車両写真を撮る絶好の機会である。特派員も会場の守谷までTXに乗車した。開通直後に夜間に乗車したことはあるが、昼間乗るのは初めてで、その速さには改めて実感する。開通後、付近の人の流れが激変し、休日の行楽客も予想以上とはF本さんの話であった。守谷駅前もまだ整備の途上ではあるが、その発展ぶりを予感させる。車庫では、直流の1000系、交直流の2000系、両者仲良く並んだところを収める。

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【写真1 急行「能登」.jpg : 118.3KB】

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【写真2 5861「奥利根」.jpg : 103.8KB】

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【675】Re:身障者の目から視た富山ライトレール ...
 67年度 澤村達也  - 06/11/8(水) 22:22 -
  
■佐々木さん、不運にもハンデキャッパーになられたとのこと。そのつらさはご当人にしか解らないと知りつつ、返信いたします。失礼があればお許し下さい。今、私は病床にあり、ベッドでノートパソコンを抱えています。入院直前には歩行困難となり、電車での通勤が出来ない期間がありました。その時初めて解ったことは今のバリアフリーというものがいかに不完全かと言うことでした。と言うより、完全なバリアフリーはあり得ないというか、どのレベルを持ってバリアフリーといえるのかとも思えました。幸いなことに、現在は歩行器とコルセットの世話になりつつも歩行可能となり、病院内を散歩する時間も増えましたが、健常の時には気づかないような僅かな段差すら乗り越えるのが困難な時期があったことを思うと、これをどう捕らえたら良いのか考え込んでしまいます。病気の治療はこの先まだ続きますが、復帰できたとき鉄道に携わった者としてこれをどう生かせるのか。・・・
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