DRFC-BBS
※容量制限により削除された06年1月31日までの投稿写真を一部復活しました。詳細はこちら。
※新掲示板へ移行したため、この掲示板への投稿は受け付けておりません。

新掲示板アドレス(2008.08.03〜)
http://drfc-ob.com/wp/
左のフレームが表示されていない場合はトップページへ移動してください。

 投稿者絞り込み:   ページ移動:  
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃検索 ┃設定 ┃ホーム  
6 / 102 ページ ←次ページ前ページ→

【1519】Re:江若 水泳列車完成(工房便り)
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/8/7(木) 21:17 -
  
なつかしい京都の夏のお話 ありがとうございます。江若の夏は最後の年しか知らないのですが あふれんばかりに水泳客を詰め込んだ あの光景は印象に残っています。昭和44年8月17日 日吉駅での浜大津行き列車の写真を添付します。
車掌がドアの外にぶらさがっったまま走ってゆくという 今では考えられない光景です。屋根の上にこそ乗っていないものの、終戦直後のような状態で、当局も黙認状態だったのでしょう。キニ9の運転台ドアからはみ出しているご仁は 現在青森在住のO氏です。

添付画像
【koujyaku.JPG : 159.5KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : koujyaku.JPG
・サイズ : 159.5KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@p2041-ipad02niho.hiroshima.ocn.ne.jp>

【1518】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-9
 湯口 徹  - 08/8/7(木) 11:11 -
  
IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 サッサリ

翌朝オルメダで朝の列車を撮りそのままサッサリ目指す。アルゲーロ−サッサリ約25kmには11(休日は6)往復の列車が、ほぼ一時間毎程度に設定され、所要は約35分。距離は少し迂回になっても、国道291号だと半時間足らず。

サッサリはこの島でカリアーリに次ぐ二番目の大都市で、人口約12.5万人、地勢的に一部コルシカ語も使われているとか。標準軌間と950mm軽便とが同じ駅に共存し、一部三線式になっている線もある。

一コマ目は本屋に接した行き止まり式のナローのホームで、右側の線が1435、950mmの三線式。この駅にはナローだけでもアルゲーロ、ソルソ、ヌルヴィへの3線が集中し着発する。後者ははるかテンピオを経て島の東北のパラウに達する長大な路線だが、日常運行はヌルヴィまで。

隣接してかなり大規模な車両基地があり、撮影を申し出ると気楽にOK。ここにも整備して稼動状態のブレダ製1Cタンク機が2両、おなじみ流線型「鯰」や新しいDC、客車も一体何時使うのかと思うぐらいどっさり。イタリア特有の落書きも盛んである。

駅前広場は盛大に掘り起こし中だが、驚いたことに路面電車のレールを敷設していたのである。軌間は950mm、同じ車両基地に引き込まれており、3コマ目のバックに高い鉄製ポールが並んでいるのは、この架線柱なのであった。ただし何時開通するかは言葉が不自由で分からないまま。街中も部分的にレールが敷かれ、あるいは架線柱も建てられているが架線は張ってない。

車に戻って一旦ソルソを目指したが、道に迷い半時間ぐらいウロウロ。結局最初の道が正解で、小さいが小奇麗な町だった。さらにヌルヴィへ行ってみる。地図での127号線は細くぐにゃぐにゃで覚悟がいったが、走ってみるとバリバリで、さほど時間もかからず。

オシロを経由してサッサリに戻り、相棒のツアコンが日本でインターネット予約していたホテルへ。駅から離れているが、付近が碁盤の目状だったのですぐ見付かった。シャワーを浴び、洗濯後手ぶらでカメラだけ持ちヌルヴィ往復を目指した。

添付画像
【サッサリ駅.jpg : 312.7KB】

添付画像
【サッサリ基地2.jpg : 300.0KB】

添付画像
【サッサリ基地で.jpg : 307.1KB】

添付画像
【やや新しいブレダ.jpg : 344.3KB】

添付画像
【新設中の路面電車.jpg : 323.4KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : サッサリ駅.jpg
・サイズ : 312.7KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : サッサリ基地2.jpg
・サイズ : 300.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : サッサリ基地で.jpg
・サイズ : 307.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : やや新しいブレダ.jpg
・サイズ : 344.3KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 新設中の路面電車.jpg
・サイズ : 323.4KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR...@gl11-202.gl11.cilas.net>

【1517】Re:乙訓老人 Lマガに載る!
 K.H.生  - 08/8/7(木) 6:24 -
  
エルマガジンの名を見て懐かしく思うOBも
多いでしょう。いつの間にかヤングは子持ちとなり
(遊園地特集とか)、ついにシニア雑誌をめざしているかの
ようです。

ところでこの姉妹誌にSAVVYという女性誌があります。
こっちは女性のための夏の鉄子旅特集で、興味本位
買って来てみました。
なんといっても琴電が表紙ですよ。
わが家に置いてみましたが女房、娘は関心なさそうですが。

おじいちゃん、お孫さん誘って、青春18、いかがですか?
(張りきりすぎないように、脱力系の旅特集ですから)

添付画像
【DSC03942.jpg : 65.0KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DSC03942.jpg
・サイズ : 65.0KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.7 [ja] (Macintosh; U; PPC)@softbank220017211057.bbtec.net>

【1516】乙訓老人 Lマガに載る!
 総本家・青信号特派員  - 08/8/6(水) 23:04 -
  
いま発売中のLマガこと『京阪神エルマガジン』9月号「乗ってけ鉄道」特集のなかに、乙訓老人の対談が掲載されている。老人と情報誌とは、なんとも不可解なコラボだが、聞くところによると知人の知人から依頼があったらしい。対談の相手は、これまた鉄道趣味界の重鎮で、「関西を代表する鉄道ファン二人」と紹介されている。
対談の内容は、老人が酔うと必ず聞かされる与太話の類で、小学生の頃の悲恋話も披瀝されている。手垢の付いた、錆びついたような話ではあるが、それはそこ、人生の先達者としてたいへん示唆に富んだ内容である。それにも増して、慈愛に満ちた老人の顔写真が、またいい味を出している。
喋りだしたら止まらない二人のこと、わずか1ページでは、その思いは充分に尽くされていないが、暑さにうだりながらも一服の清涼剤としてお勧めしたい。
画像は、著作権に触れないよう粗くしてある。ぜひ買ってお楽しみを。

添付画像
【F0477.jpg : 78.2KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : F0477.jpg
・サイズ : 78.2KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@ntkyto186025.kyto.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp>

【1515】Re:江若 水泳列車完成(工房便り)
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/8/5(火) 22:22 -
  
早速のご返事ありがとうございます。
DD16については 私にも未完成のDD16があり、多分同じ時期に着手したような気がします。C56大好きのわら天神のK氏から、C56を滅ぼす憎きDD16をなぜ作るのかと冷ややかな目でみられたような かすかな記憶があります。ぷるぷるさんのDD16の写真を拝見し、我がDD16も完成させてやらねばと刺激を受けました。とは言え当面江若シリーズで攻めようと思っていますので いつのことになるやら・・・。
一度ぷるぷるさんの工房をお訪ねしたいと思いつつ・・・・。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@p2041-ipad02niho.hiroshima.ocn.ne.jp>

【1514】【質問】マイフ971の台車
 K.H.生  - 08/8/5(火) 1:36 -
  
あれはOKですか、MDですか?

九州時代、SLもまだ残ってた頃、門司か門司港に
インスペクションカーの成れの果てのような職用車が
残ってたのを見た記憶がありますが、これもその類いの
車両だったのでしょうか。

客車好きにもいろいろな人種がいて、制式型と冷改や
用途転用などの改造車を好む人がいて当然だと思う。
ただ進駐軍の改造は理に叶って無いのも多く、
私は客車好きですが、そこまで追っかける必要を感じません。

個人的にはオシ16やオロハネ10あたりが一番存在感が好きです。

ところで舟形寝台(C寝台)マロネ29等に乗ったことのある
方っておられますか?
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.16) Gecko/...@softbank220017211057.bbtec.net>

【1513】江若 水泳列車
 総本家・青信号特派員  - 08/8/5(火) 0:46 -
  
西村雅幸さん、江若の水泳列車を完成されたとのこと、写真で拝見しました。おめでとうございます。
いゃ〜懐かしいですなぁ、江若の水泳列車、暑い季節にぴったりの話題です。ご所望のオハ27の床下の写真はありませんでしたが、水泳列車の話でしばしの暑気払いを。

50年前、地球温暖化の“お”の字もなかった時代から、京都は日本一暑い街と言われていた。一般市民に冷房など皆無の時代、手近な涼はなんと言っても水泳だったが、市内で泳ぐには、市営のプールか川で泳ぐしかなかった。
筆者の近くでは、南禅寺と若王子に疏水の水を引き込んだ市営プールがあり、よく自転車に乗って行ったものだった。入場料は20円ぐらいと記憶しているが、夏休みはすごい混雑である。無料で自由に泳ぐとなれば川しかない。ただ、近くの鴨川は、友禅流しの染料を洗い流しているため、洗うたびに川の色が赤や青に七変化し、さすがに泳ぐ勇気はなかった。いちばんいいのは、並行して流れる疏水である。ここなら琵琶湖の水できれいだし、よく空いている。ただ、水深が深く流れも急で、水泳の苦手な筆者は近づくこともできない。猛者だけが、疏水を渡る橋の上から飛び込んだりするが、毎年水死者が出て、学校からは禁止令が出た。

そんなわけで海のない京都では、夏はよく琵琶湖へ水泳に行った。その足となったのが江若鉄道である。地方鉄道では年に一度の稼ぎ時というのがあり、普通は、社寺の参拝、祭礼が多いのだが、江若の場合はまさに水泳客輸送がこれに当たる。通常の列車本数の倍以上の列車が増発され、水泳客をピストン輸送する。それでも、始発の浜大津は改札止め状態で、長い間並んでやっと超満員の列車に押し込まれて発車、沿線にある水泳場へ向かったものだ。
車両は、その当時在籍した26両のDC(ハフも含む)は総動員、総括制御車、非総括制御車もゴチャ混ぜになって運用された。客車も、ラッシュ時用のオハ1900系4両、ふだんは寝ているオハ27形3両も動員、さらに国鉄から客車数両を借り入れて、自社のDD13が牽くという、江若の夏ならではの光景が出現したのである。結果、DD13+江若客車+DC+国鉄客車などといった百鬼夜行(昔の鉄道誌が好んで使った表現)そのものの光景が出現した。
以下の写真は、廃止の前年、昭和43年に撮ったもの、マイカーの波が押し寄せ、江若の輸送量には低減していった時期だけに、以前ほどのゲテモノ編成は見当たらなかったが、それでも次々と来る多様な編成には心が躍った。すぐそこに琵琶湖を望みながらも、水泳には目もくれず、江若最後の夏を記録した。

写真1 DD1351の牽くオハ1900系4両編成の後部 西村さんの編成と同一編成(模型ではDD13は52号機)
写真2 上記編成の戻りの回送 後部にキハ16を連結 
写真3 キハ21+?+ハフ3の3両編成 鈴なりの車内が見て取れる
写真4 車体を傾けて満員の水泳客を運ぶ総括編成キハ5121-ハ5010-キハ5122+ハフ9
写真5 江若オハ27×2+国鉄客車×3の上り回送 DD1352牽引
いずれも三井寺下〜滋賀間 昭和43年8月4日

なお、江若が最も活発だった昭和30年代の水泳列車の様子については、クイズの帝王であられる湯口先輩が、以前「鉄道ファン」に発表されたと記憶しますが、ついに見つけることができませんでした。未発表写真も含めて即座に発表していただけるものと期待しております。

添付画像
【写真1(5).jpg : 267.1KB】

添付画像
【写真2(5).jpg : 293.5KB】

添付画像
【写真3(5).jpg : 335.1KB】

添付画像
【写真4(3).jpg : 305.6KB】

添付画像
【写真5(3).jpg : 383.9KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 写真1(5).jpg
・サイズ : 267.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 写真2(5).jpg
・サイズ : 293.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 写真3(5).jpg
・サイズ : 335.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 写真4(3).jpg
・サイズ : 305.6KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 写真5(3).jpg
・サイズ : 383.9KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)@ntkyto186025.kyto.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp>

【1512】Re:江若 水泳列車完成(工房便り)
 ぷるぷる  - 08/8/4(月) 11:50 -
  
西村雅幸さん、水泳列車完成おめでとう。懐かしいDD13の写真を見てとても嬉しくなりました。と同時に少々驚いています。というのは当工房では昨日DD16の制作に着手したばかりだったからです。

私にとってDD16はこれが2両目で、1号機は三十数年前、5回生の頃でしたか、しなのマイクロからエッチング板が発売され、当会きってのスピードメーカーである68年度の林伸一さんと競作したものです。確か上回りは一晩で組み立てた記憶があります。完成後さらに増備車1両分のエッチング板と台車・ギヤーボックスを購入しましたが、何となく気が重くて着手できずにいました。

1枚目の写真
手前が昨日1日でメカニズムが組み上がった2号機の下回り、その向こうが三十数年前に完成した1号機(DD162)で、台車・ギヤーボックスは共にDD13用のものです。

DD13はセンターキャブですから購入したギヤーボックスは両軸モーターで両台車を駆動する方式となっています。しかし、DD16は1エンジンのためにキャブが偏っており、機関室内に収まるような細い両軸モーターが手持ちの中にありません。あれこれ考えた末、ギヤーボックスのウオーム軸を長いものに交換して引き出し、ユニバーサルジョイントを取り付けてもう片方のギヤーボックスに動力を伝える方式としました。

モーターはキャブ内に収め、その真下に来る側のギヤーボックスはスパーギヤーの立ち上がり部分を切断しました。この台車、DT113はホイールベース26mm、車輪径10.5mmなので取り付け部を改造すればパワートラックも利用可能ですが、こういったメカニズムの工作はとても面白いので、オリジナルのギヤーボックスを使うことにし、1日楽しんでいました。

1号機はというと、その頃はまだこのギヤーボックスがなく、スプリングベルトで片側のウオーム軸を駆動して、反対側へはユニバーサルジョイントで伝導する方式です。

2枚目の写真
2号機に1号機の上周りを乗せてみたところですが、キャブにモーターがぎりぎり収まりました。これでより車体中央部に(モーターシャフトを避けて)ウエイトを搭載できますので、1号機のように片側の台車上にウエイトを乗せたために著しく偏荷重となった欠点が改善できそうです。

添付画像
【NEC_0083.JPG : 120.5KB】

添付画像
【NEC_0084.JPG : 112.1KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : NEC_0083.JPG
・サイズ : 120.5KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : NEC_0084.JPG
・サイズ : 112.1KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1)@zaqd37ce052.zaq.ne.jp>

【1511】諸兄は大したものである
 湯口 徹  - 08/8/4(月) 10:27 -
  
孤独老人が相手をしてもらいたくて懸命、という感が無くもないクイズだが、DRFC-OB諸兄の解答は素晴らしい。今回も[1505]デカンショまつり号氏、[1509]ぷるぷる氏を合わせて100%のお答えであった。すっかり嬉しくなった老人は、急ぎの用をほったらかし、すぐ次のスキャンに。

なお禿筆を以って蛇足を加えれば、このオミ46はPXカーなのである。post exchange の略=米陸軍用語で「物品販売店」、そう旧日本軍での「酒保」に該当する。移動式酒保である。

ただしその中身たるや、日米の差は物凄く、正に何でもありで当時の日本人には夢のごとき天国であった。拙老とて見たこともないが、大陸から裸一貫で引き揚げてきた叔父貴が、英語が達者で京都四条通の大建ビルを接収した占領軍(といっても100%米軍)京都地区司令部の日本人支配人を務めていた。

そのため叔父の家には一般日本人に無縁の宝物―焼けたら自動的にパンがポップアップするトースター、ミニチュアー真空管式ポータブルラジオ(A電池は単1×3個、B電池は67.5V積層=電灯線共用)、45回転のヴィクターEPオートプレイヤーなどなどがあった。当時朝日新聞が連載していた米国漫画「ブロンディ」や映画でのアメリカ生活の「極々一端」ではあった。

毎度前置きが長いが、このPXカーには他にも山の如き宝物―ネスカフェのインスタントコーヒー、ハーシーのチョコレート、ジョニ赤や黒、カティサーク等のスコッチ、コダック製品一式、パーカーのボールペン等々、日本人に手が届かないため息の出るような商品がぎっしり詰まっていた。

そのため盗難が必然で、かような盗人除け金網が張られていたのである。なお主要都市やキャンプには当然大規模な店舗があって、神戸では大丸が半分接収されていた。要はドルショップで、仮に入れてもドルが無ければ指をくわえているだけ。

はるか後年のニクソンショックまで、為替レートは1ドル360円に固定されていたから、日本でドル給与を受ける軍人や軍属は、貴族さながらの生活が出来た。下士官でさえ1軒の家に現地妻を住まわせ、メードや庭師が雇えたのである。

今では年末TVに出るだけの東京アメヤ横丁は、元来このPXからの横流しや米兵が持ち出した「宝物」を売る闇市であった。仕事で知り合ったある印刷屋の社長は、この混乱期、米兵をたぶらかして軍用車からガソリンを抜き取ってヤミ売りで儲け、MPに捕まって重労働何年かを食らったと聞いた。

また脱線した。田野城氏の突っ込みがあったが、拙老は当時優等車両には全く関心が無く、元来木製救援車を撮りに行っただけ。せめてもの罪滅ぼしに、後年の撮影を5駒入れておく。マニM3206はまだ接収中で、車記号に付されたMは Military の頭文字、1955年7月京都駅。多分急行「西海」で、元来が米軍専用急行で、のち「車両に余裕」があれば日本人も乗れるように=同一車両での混乗は無かった。

ワキ1改造のナニ2502(1956年11月12日京都)も接収車である。魚雷運搬専用有蓋ボギー貨車なんぞも接収され、返還後は救援車になった。マイネ296は1955年6月30日京都駅。マハネ3433は同日奈良で。これは Troop Sleeper(部隊用簡易寝台車)で、車内を撤去し、両側に折畳みキャンバスベッドを並べただけ。便所は当然洋式に。

スイ991とマイフ971は1957年5月4日尾久で。各地米軍司令官は競争で専用の密閉式展望車を作らせ、優越感に浸っており、返還後は職用車になっている。米国の小鉄道マネジャーだったという、シャグノンなる中佐が軍用列車の全国責任者になり、国鉄を「マイ・レールロード」と称して好き放題をやらかし、嫁さん共々悪名を轟かせている。

全国主要駅には必ずRTO(Railroad Transportation Office)が置かれ、京都駅にも1番線のド真中にあった。天皇用貴賓室も接収こそされずとも、米軍高級軍人やシャグノンが我が物顔で使った筈である。

何度も前後し恐縮だが、米軍(名目は連合軍)が接収した客車には、軍名称として米国の地名が付せられていた。片仮名の記号が読めないからだが、今度は日本人が読めないから、軍番号として4桁の形式番号も付されていた。講和により次第に接収時代の面影は薄れはしたが、1950年代中頃まで続く。

添付画像
【マニM3206.jpg : 255.8KB】

添付画像
【マイネ296.jpg : 218.1KB】

添付画像
【マハネ3433.jpg : 297.0KB】

添付画像
【スイ991.jpg : 255.0KB】

添付画像
【マイフ971.jpg : 234.6KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : マニM3206.jpg
・サイズ : 255.8KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : マイネ296.jpg
・サイズ : 218.1KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : マハネ3433.jpg
・サイズ : 297.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : スイ991.jpg
・サイズ : 255.0KB

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : マイフ971.jpg
・サイズ : 234.6KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR...@gl11-202.gl11.cilas.net>

【1510】Re:懲りずにまたクイズ
 田野城 喬  - 08/8/3(日) 22:32 -
  
▼湯口 徹さん:
>撮影は1954年9月5日、宮原客車区でのオミ46で、種車がオハ35とオハフ33であるくらいは誰でも分かる。窓には金網が張ってあり、あたかも投石・火炎ビン除けの警察機動隊車両か、それを真似た右翼の街宣車のようだ。

恐れ入りますが右端に少し顔を見せているマイフまたはマイロフはたまたマイロネフ・・・思いは千々に乱れますので写真があればお見せいただけませんか?
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322; InfoPath...@128.134.200.65>

【1509】Re:懲りずにまたクイズ
 ぷるぷる  - 08/8/3(日) 22:20 -
  
▼デカンショまつり号さん:
>オミのミは・・・金網が張ってある事情は不明です。

軍務車で検索したらWikipediaにオミ46は酒保車とありました。当時の日本の状況から類推するとなんとなく分かりますね。で、金網は盗難防止のためでしょうか。「燃料」が切れると我慢できなくなるのは今も同じですよね。

軍務車にはそのほかにラジオ車、衛生車、クラブ車なんていうのまであったようですね。小生1947年生まれですが、戦争の痕跡はあまり知りません。N電に座席がなかったり、竹の吊手だったりはよく覚えていますが。そうそう、カバの形をしたカバヤの宣伝カーは楽しかったですねぇ。(関係ないか)

それにしてもWikipediaってほっんとにいいものですね。えっ?それはカンニングやてか?カンニンシテヤ
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1)@zaqd37ce052.zaq.ne.jp>

【1508】写真送信
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/8/3(日) 21:13 -
  
写真を送ります。

添付画像
【DD1352.jpg : 137.4KB】
引用なし
パスワード

[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : DD1352.jpg
・サイズ : 137.4KB
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@p4038-ipad212niho.hiroshima.ocn.ne.jp>

【1507】江若 水泳列車完成(追伸)
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/8/3(日) 19:09 -
  
写真の添付がうまくゆかず、文書だけになりました。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@p4038-ipad212niho.hiroshima.ocn.ne.jp>

【1506】江若 水泳列車完成
 西村雅幸 E-MAILWEB  - 08/8/3(日) 19:06 -
  
尼崎の運転会で火がついて 作り始めた江若シリーズの第2陣が 水泳シーズンになんとか間に合ってほぼ完成しました。DD1352とオハ1957〜1960の
5両です。オハは妻面に張り出したひさしが、DD13はランボード上の手すりが
面倒で手間取りました。塗装色についてこの掲示板を通じて諸先輩から「阪和の緑に少し鼻薬を混ぜる・・・」などのアドバイスを頂き、マッハ模型の調色塗料をしっかり購入しましたが 連日の猛暑で塗装する気力が起こらず、未塗装のままで試運転を繰り返しています。DD13は全軸駆動にしたものの モーターが非力なせいかやたら遅く 江若らしい出来栄えです。写真を添付しますのでご笑覧ください。湯口先輩の「丹波の煙 伊勢の径」の写真と見比べながらの作業で、大変有難い情報となっています。この夏の水泳シーズンでの営業運転はあきらめ、すでに着工済みのオハ27 3両の完成を急ぎ、比良、マキノのスキーシーズンまでには オハ27ともども間に合わせようと考えています。どなたかオハ27の床下(温風暖房機など)がよくわかる写真をお持ちでしたら、ご紹介ください。西村雅幸
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NE...@p4038-ipad212niho.hiroshima.ocn.ne.jp>

【1505】Re:懲りずにまたクイズ
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/8/3(日) 14:12 -
  
またまた、クイズの回答を・・・
オミのミは、なんとミリタリィ(Military)のミからきている様です。日本の鉄道は、終戦からサンフランシスコ講和条約が発効される前日の1952年3月31日まで、連合国によって管理されていました。この際、軍事輸送に供するため、車両を接収していました。これらは、連合軍指定車両と呼ばれ、いろんな用途のものが生まれました。終戦後の写真でよく目にする白帯車です。ほとんどの車両が1952年3月31日までに返還されましたが、一部の車両は、その後もしばらく接収されていました。写真のオミ46 3は、スハフ35002として1941年2月28日に梅鉢車両で製造され、改番でオハフ33 283となったもので、1948年4月26日に接収され、1953年10月7日に返還されています。当時は、大鉄局に所属していました。手元の昭和26年9月21日の鉄道公報号外によると米軍の軍番号2749 TRUMANS-BURGという名前がつけられ、販売車(Commissary Car)として利用されていたようです。返還後も、30年弱働き続け、1982年10月1日付けで廃車されています。最終配置は、浜田でした。写真のオミ46 4は、スハ33882として1941年3月6日に新潟鐵工所で製造され、改番で元オハ35 233で、1946年2月15日に接収され、1954年1月20日に返還されています。同じく昭和26年9月21日の鉄道公報号外によると米軍の軍番号2755 BEXEYという名前がつけられ、販売車(Commissary Car)として利用されていたようです。当時は、大鉄局に所属していました。返還後は、電暖改造を受けオハ35 2233と番号を変え、1981年2月20日付けで廃車されています。最終配置は、秋田でした。残念ながら、金網が張ってある事情は不明です。想像するに、講和条約後も米軍車両として、使用されていたため、当時の活発な社会的な運動による投石など万一のために対する備えだったかもしれません。
引用なし
パスワード
・ツリー全体表示
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR...@ntchba075158.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃一覧表示 ┃検索 ┃設定 ┃ホーム  
6 / 102 ページ ←次ページ前ページ→
ページ:  ┃  記事番号:   
(SS)C-BOARD v3.5.4 is Free.
掲示板についてのお問い合わせはこちら。