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【643】おじん2人ヨーロッパ軽便 その9-2
 湯口 徹  - 06/9/26(火) 11:28 -
  
CHIEMSEE BAHN キーム湖鉄道(その2)

前回お目に掛けた1枚目写真機関車の次位/3枚目右端の2軸客車はどこかで見たような、と思う方も少なくない筈。そう、現在も保存されている加悦鉄道ハブ3が良く似ている。

加悦ハブ3は伊賀鉄道←鉄道院←山陽鉄道←讃岐鉄道という経歴で、元来はユニ、しかも郵便室の片側に開放式の廊下があったが、伊賀で現在の形になった。ペンデルツィーペン1889年製で、まさしくドイツ式客車なのである。

この湖畔小鉄道は、機関車が1両だけで故障時はどうするのかだが、実は屋根付きトラムタイプを模したディーゼル機関車がいる。いくら形は似せてもインチキ蒸機で、もしこれが就役していたら乗る気はなく、写真を撮る気も起こらなかった。

同じプリ−ン・アム・キームゼーから、標準軌間の行き止まりローカル線が分岐しており、アッソウまで、2連(キハ+キクハ)のシーネンオムニバスが14往復。
1往復でも35分だから、気動車ファンたるもの、これは乗らざるを得ない。日本のキハ01〜03系などは、まさしく形だけ真似た、およそ「似て非なる」超安物車輌であったことを痛感する。

軽便ではないので「看板に偽りあり」だが、写真を入れておく。ユーレールパスが使えるかどうか、運転士(ワンマン運転で、釣銭のコインを山ほどもって乗務。清算はどうするのかと心配になった)に確かめたらOKであった。

なお前回2階、3階と、上になるほど出端って大きくなるビベラッハ特有の木造建築と記したら、かような紹介には写真を添えるべしとのご意見を頂戴した。読者は「神様」だから、鉄道とは関係なくとも1枚お目に掛けておく。古い建物だけでなく、新しいものでもその形式を踏んだものが少なくないのは、伝統景観を大事にするドイツ人の誇り(頑固)であろう。

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【642】琵琶湖環状線直流化完成 毎日新聞より転載
 総本家・青信号編集部  - 06/9/25(月) 18:39 -
  
JR西日本:長浜―敦賀と永原―近江塩津間、直流化が完了 /滋賀

 ◇来月の開業へ準備が整う
 直流で走るJR新快速電車が敦賀駅(福井県敦賀市)まで延伸されるのを前に、JR西日本は23日深夜、北陸線・湖西線の電流の切り替え工事を行った。24日未明に長浜―敦賀間(38・2キロ)、永原―近江塩津間(5・8キロ)が交流から直流に切り替わり、来月21日の開業に向けた準備が整った。
 JR西日本は03年10月から沿線に4カ所の変電所を新設したり、直流用の電線を張るなどの工事を進めてきた。
 この日は上下計9本を運休・時間変更して、約500人が午後11時から作業を開始。電線の接続を仕上げ、新しい標識を設置して、翌午前4時ごろから直流1500ボルトでの送電を開始した。
 また、長浜―虎姫間、永原―近江塩津間にそれぞれあった交流、直流の切り替えセクションは廃止され、北陸トンネルの敦賀側出口付近に新設された。直流化の総事業費は162億円。福井県側自治体が68億円、滋賀県側が75億円を負担する。【平野光芳】

9月25日朝刊
(毎日新聞) - 9月25日17時2分更新
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【641】おじん2人ヨーロッパ軽便 その9-1
 湯口 徹  - 06/9/21(木) 15:31 -
  
CHIEMSEE-BAHN キーム湖鉄道(その1)

ミュンヘンの東南約70km、ザルツブルグの西約40kmのところにある湖がキーム湖で、DBのプリーン・アム・キームゼーから軌間1000mmの軽便鉄道=キームゼー鉄道が湖畔まで約10分。保養客ばかりだから、運行は夏季のみのようだ。

訪ねたのは1992年7月。タイ航空の安切符で夜中に「ハブ空港とはこういうものか」と嫌でも体感するすさまじいバイタリティ、あるいはエネルギッシュな喧騒の中、バンコックでチューリッヒ行きに乗換え、ボーデン湖をフェリーで渡りドイツへ。

第一目的はビベラッハの近くから発する保存鉄道のビズマール双頭車である。そのため2階、3階と上になるほど出張る独特の木造建築が有名なビベラッハの、ドライ・ケーニッヒ(3人王様)なるプチホテルを選択し投宿。

ところがドイツ語しか解さない宿の亭主から、相棒が片言ドイツ語と日本語!+ボディランゲージで一汗かいて聞き出したのは、その保存鉄道は現在運行しておらず、車輌も見られない(らしい=建物内に収納か)ということで、しょっぱなから無駄足であった。折角初日が土曜日になるよう(日曜のみ運行の保存鉄道が多い)旅程を組んだのに。

翌朝想定外の悲劇が発生。朝8時まで食事は出来ないのは承知で、いざ出発と勇んだが、なんと玄関の頑丈な樫の扉が鍵を回してもびくとも動かず、何度やっても同じ。時間はなくなる、気はあせる。何しろ7時14分の初発ウルム行きを逃すと、日曜日のため9時21分まで列車がない。

恥も外聞もあらばこそ、必死に鍵を何度も空しく試し、電話を掛けても、相手はドイツ語しか分からない。遂にヘルプ!と騒ぎ立ててやっと、ガウン姿の亭主がおりてきて、それからが腹が立つではないか。
鍵を普通に回し、もう一回同じ方向に回したら、嘘のように扉が音もなく開いた!のである。

それから駅まで1km程、普通なら15分を走った走った走った。バックパックが重いが、ともかく走った。息も絶え絶え、半死半生、足元もおぼつかなく駅によろけこんだのは、電気機関車が後ろから押すペンデルツークが入ってきたのと同時だった。メモ魔の相棒のノートには、宿を飛び出したのが7時7分とあるから、7分で走ったのである。当時小生は50代後半で、今なら走る気も起こらないか、悶絶するかであろう。

ウルム駅のキオスクに、日本ではついぞ見ないジンビームのコーラ割り缶を売っていた。バーボンウイスキー(米国はケンタッキー州バーボン郡醸造・とうもろこし原料のウイスキーがバーボンで、フランスのブルボン王朝からきている由)には目のない(酒なら何でもいいのではない!)小生ゆえ、朝7時台は若干忸怩たる思いなしとせずとも、一生再遭遇できない恐れ多分にあり、あえて試飲をせざるを得なかった。

ウルムからICに乗換え、ミュンヘンを経て東へ。ヨーロッパの大都市駅はほぼ全部行き止まり式で、前頭の機関車を切り離し、待機していた機関車を今までの後尾につけて折り返す。その停車中に鹿島雅美氏が我々2人を見つけたというから、世間、いや世界は狭い。諸兄、外国だからといって、へんな行動は厳に慎まれよ。誰が見ているか分からんですゾ。

と、これでやっと列車はプリーン・アム・キームゼーに到着した。読む方も疲れたろうが、こっちも疲れた。

この軽便鉄道は、1887年製のアラン式弁装置B型、しかも屋根つきスチームトラム様の60馬力クラウス機関車(製番1813)が牽引するのがウリである。通常火室背後にある焚口が、ペショやフェアリーの如く横にある。鉄道105周年のヘッドサインをつけていた。

客車も機関車に負けず古く、東ドイツと違ってよく手入れがなされており、内装が絹布(であろう)のものもある。サイドに窓ガラスがなく、開放式のような客車は夏季専用のようで、雨に備えてキャンバスを巻き上げているのがお分かりであろう。これらはすべて馬車時代の名残である。右側で機関車はホースで給水中。

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【キームゼーバーン2.jpg : 294.3KB】

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【640】変わらないもの、変わるもの
 弘津1979  - 06/9/21(木) 12:27 -
  
凡そ1968年の神戸高速の開業以来40年近く、大阪から西の私鉄
路線図はあまり変わらなかったと思う。
いま、JR姫路駅高架化伴う山電付けかえと西大阪線開通へ阪神尼崎の構内配線の
大きな工事が進められている。
それにしても長いこと関西は同じ空気が続いていたものだと思う。
慣れきってしまうとそれが居心地の良さにも通じるのだけど、やはり
全国に比べ落差は広がったなあとつくづく路線沿線の街の活気を見て考える。
まさかの阪急、阪神の合併。村上ファンドには功罪がとてもあると思うが
戦中戦後の混乱で私鉄が合併、分離した時代を知らぬ者にはやはり
大きな時代の変化が来ていると思う。
阪急電車のある意味で保守、ある意味でコンサバな象徴の茶色の車体色も
変わる日があるのだろうか。
小林一三が書いた「私の行き方」 PHPで文庫になったものを阪急構内の
書店で見つけ、ふと来し方行く末のことを考えてしまう。
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【639】地場、いきまっせ。その2
 67 田淵 仁  - 06/9/21(木) 10:13 -
  
阪神 難波延長線(1)  阪神1000系を発表

待ちに待った難波延長線の工事は平成15年10月に開始され、平成21年春開業が予定されているが、7月11日に阪神電鉄のHPに新型の相互直通車、急行用「1000系」が発表された。
1000系と云う番号系列は、昨春開業100周年を迎えた阪神が、次の新しい100年のスタートの最初の新形式であることと最近の新形式が9300系なので、改めて「1」から再スタートの意を込めて「1000系」としたものである。第1陣は6両編成×1、2両×2で、最大10両編成に対応。尼崎・三宮間は現行通り6両で、尼崎・奈良間は10両が可能。さらに7月13日には近畿車輛より、この1000系の受注が発表された。阪神に近車製は始めてのことだろう。ただこれも近鉄線乗り入れ用だから近車も受注に力が入っただろうし、阪神も近車だから当然近鉄線対応には長方な利点がある。
電車ファンとしては、阪神は「何mの車両を造るか」、つまり阪神の従来車両と同じ19m車か近鉄と同じ21m車か、が先ずの一番の注目であり、これが明らかになったニュースであった。概要は発表されたが具体的なスペックは載っていない。しかしカラーの想像図をみると3扉車である。つまり現行の19m車であろう。至極当然の結果である。ただ過去に阪神が20m車も検討していたとのうわさもあり、期待しているとこでもあった。また乗入れ車専用の新塗装となり、従来のツートン等の塗り分けではなく、側面は無地のステンレス車体に扉部分がオレンジ、正面はブラック時に上部と裾部にオレンジが配されている。阪神は本線と西大阪線で梅田と難波に行き先が異なるので、識別のため車両塗装を区別が必要である。
一方、近鉄側はまだ直通車の発表はない。相互乗入れは最大、阪神三宮〜近鉄奈良間で行われる。近鉄は奈良線の運用となり、難波からそのまま乗入れるので全車両が乗入れ仕様となるのが望ましい。したがって乗入れ用の新塗装ではなく、むしろ奈良線用は全てシリーズ21で大量増備され、8000系等従来の近鉄塗装車は、京都線、橿原線、生駒線系での限定運用そして大阪線・名古屋線系への移籍が行われるのではなかろうか、などと仲間が寄れば談義に花が咲いている。
こうなると相互乗入れでは珍しい(おそらく初めて?)19m3扉車と21m4扉車の規格が異なった電車が走ることになる。これでは駅での乗降に混乱が生じる、いやJR西の方式(新快速△印、快速○印で京阪神の人間は慣れているから)で心配ないと談義は延々続きます。そして有料特急列車が登場するかいなか、も注目点である。この点は近鉄・阪神とも沈黙しているが、営業的には有効であり、みんな絶対登場すると信じている。   以上つづく
*下記パースは、阪神電鉄発表を転載

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【638】カウントダウン クローバー会写真展!
 福田静二  - 06/9/17(日) 0:50 -
  
10月13日(金)から富士フォトサロン大阪で開かれるクローバー会写真展まであと1ヵ月を切り、いよいよカウントダウン状態となってきました。準備の遅れが懸念されましたが、いま必死で富士フィルムイメージングの尻をたたいてプリントの追い込みをしています。なんとか、滑り込みで開催できる見通しがつき、写真展実行委員3名は胸をなでおろしています。出品など、ご協力いただいたクローバー会会員には改めて御礼申し上げます。
出品者へはすでに案内を差し上げましたが、当ホームページにおきましても、まもなく正式な案内をいたします。なお、富士フォトサロンのホームページには、すでに当会写真展の案内が行なわれています。また、今月20日に発売される鉄道雑誌にも案内が掲載される予定です。
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【637】この写真は・・?
 64'田野城 喬  - 06/9/16(土) 11:23 -
  
友人の父親が持っていた古いアルバムを見ていてこの写真に目がとまりました。
ご覧のように河原で家族が並んで撮った普通の家族写真です。
日時は書かれていませんがその父親の年格好から昭和初期と思われます。
問題はその背景、駅が写っています。ホームには木造と思われる電車が一両止まっています。左奥には信号所、右には駅手前から右方向へ分かれていく分岐があるように見えます。
さてどこでしょうかねぇ・・・

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【三条京阪.jpg : 173.5KB】
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【636】『【635】'06年度 鉄旅』の補足
 ’61 野 本  武  - 06/9/15(金) 13:52 -
  
 【635】の銚子電気鉄道「デハ801」について補足します。

 銚子電鉄のHPに「デハ801」は元伊予鉄道「モハ104」と載っていた
ので、それを信じて、そのように記述しました。
 ですが、「モハ104」は日車の1931年製造。電車ってそんなに長い年月
れるのかなー?と疑問に思って、他の資料をあたってみました。

 そうすると、銚子電鉄に譲渡されたのは、帝国車両で製造された1950年製造
の初代「クハ406」を1961年に改造した『モハ106』で、1987年に譲渡さ
れたことが分かりました。
 銚子電鉄のHPの「デハ801」の説明にも「昭和61年に伊予鉄道の・・
・を譲り受けたもの。昭和25年に帝国車両で製造され・・・」とあります。
譲渡年に1年の差がありますが、「デハ801」は元伊予鉄『モハ106』に
間違いのないところ。

 アップする前には、よくよく調べることの大事さを実感しました。
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【635】'06年度 鉄旅
 ’61 野 本  武  - 06/9/14(木) 16:23 -
  
 久方ぶりのアップです。
 8月の27日〜28日と恒例の鉄旅に行ってきました。
 今回の参加は、幹事役の別所(経)、大塚(工)それに野本(法)の同期、
3人で茨城県、千葉県方面を回遊してきました。
 27日は、秋葉原から「つくばエックスプレス」に完乗、守谷駅・つくば
寄りの私鉄唯一の「交直切替セクション」をシッカと確認しました。
(ポールに「交直セクション」の表示がありましたが、運転手さんは何もし
ないで通過した。)
 終点から折返し、守谷駅で関東鉄道に乗換えて、下館駅まで。
 下館駅から真岡鐵道に乗車し茂木駅まで。折返し、茂木駅からC1266
牽引の「SLもおか2号」に乗車、1時間30分のSLの旅を堪能。石炭の
匂いとドレーン、ドラフト音を満喫しました。
 下館駅に到着後、列車は待機していたDE10で真岡駅迄有火回送。機回
り線がないため、C1266はぶら下がりで回送されました。DE10の区
名板が「真岡」となっているのは、真岡鐵道所有ということか。
 下館駅から水戸線で水戸駅に出て一泊。
 28日は、水戸駅から鹿島臨海鉄道で鹿島神宮駅まで完乗。ローカル私鉄
なのに水戸駅からすぐ高架になり大洗駅を過ぎてもまだ続く、加えて人家も
あんまり無いのに各駅有効長の長さとホームの大きさに感激。長区間高架線
建設の理由は、3人とも思いつきませんでした。また、臨海鉄道と言う名称
なのに、結構、山地を走り全く海が見えないと、メンバーの不満もあり。
 鹿島神宮を参拝後、鹿島線、成田線、総武本線経由で銚子駅に出る。
JR銚子駅ホームの先端に、銚子電気鉄道銚子駅の超ミニ駅舎があり、欠き
とって片側1面のホームが造られている。外川駅迄完乗、折返し「仲ノ町駅」
で下車し、隣接の仲ノ町車庫を見学する。面白いことに車庫の見学には「仲
ノ町駅」の入場券が必要ということなので購入して、ユックリと見学する。
なんとなんと、ここに私の出身地、伊予鉄道生え抜きの旧車両が残っていた
のには涙が出ました。(銚子デハ801←伊予鉄モハ104)
誠にミニな車庫で、古典電機のデキ3にもお目にかかる。
なお、銚子電鉄は銚子駅から仲ノ町まで一駅間(向こうの駅が見える位近い)
が自動信号(閉塞)、その他の区間は珍しくも観音駅を境界として、スタフ
閉塞2区間(○と△)で、交換駅の観音駅では車掌さんが車両の間を走って
取り替えていました。
 銚子駅から総武本線で新日本橋駅経由で東京駅に出て、幹事の苦労と配慮
に感謝して解散となりました。
                           (文責:野本)

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【銚子電鉄(銚子駅:060828).JPG : 236.4KB】

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【銚子電鉄(モハ801).JPG : 401.0KB】

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【634】仙台鉄道 その2
 湯口 徹  - 06/9/13(水) 13:27 -
  
仙台鉄道は敗戦後の1948年度では130.3万人、1949年度125.1万人の乗客があった。それが1950年度60.7万人、翌年度45.5万人、1954年度には34.2万人まで落ち込んでいる。

その理由は台風や集中豪雨で、特に1949年8月4日の被害が致命的だった。当時2,900万円の負債の上に、1,400万円の復旧費用が捻出できず、1950年11月15日申請、1951年2月19日許可で北仙台―加美中新田間40.5kmを休止。

同年4月7日付で蒸気機関車8両(B71〜5、B81、C101、C103)、気動車1両(キハ1)、客車7両(ハ2、3、10、ハフ5、7〜9)、貨車有蓋6両、無蓋16両、計38両の廃車を届出。米だけでなく、沿線産出の亜炭(低質の石炭)などを、1949年度2万トン輸送していたから貨車も規模の割に多いほうだった。

中新田町が国鉄駅と遠く離れていたため、羽越西線中新田―加美中新田間3.4kmのみが、通勤・通学者のために残存し、1日14往復(片道10分)を続けた。
主力はキハ3で、ラッシュ以外ほぼ独り舞台の活躍である。途中停留場すらなく、ひたすら農地ばかり。

ラッシュ時はDB701(協三工業製=増備届の1952年5月13日には稼動していた筈。設計認可は1953年3月18日)の出番で、それこそありったけ(と行っても僅かだが)を曳く。
国鉄連絡の中新田(のち西古川)の配線は文字通りの1本突込みで、キハ単行ならともかく、機関車牽引列車はどうするのかと思うが、駅の手前に機回り線があり、推進で戻って機関車を付け替える。
短縮時に撤去したのであろうが、留置線も何も残っていなかった。

退校時の高校生を満載したキハ3は、加美中新田駅に入る前の無人踏み切りで一旦停止し、車掌が下車して歩行誘導したのに驚いた。少し前バスと接触事故があって以来だそうだが。

下駄履きも何人かいるが、小生とて、同志社の4年間(何回授業を受けたかは別にして)は、ほとんど下駄ばきであった。乙訓のご老公も東北電車歴訪の旅に、まっさらの下駄で出かけている。

加美中新田―北仙台間の休止は何度も期間を延長したが、結局は1956年3月14日廃止許可。1959年10月15日残存区間の廃止が許可。翌1960年5月1日廃止が実施された。1959年度の乗客は57.7万人と、短い割には回復していたのだが。

前回キハ3の戦後動車復帰(協三工業施工)に際し、心皿間延長と記したのは小生の記憶違い(歳のせい)で、元来4,870mm(16フィート)で変化はない。
台車はダイヤモンド型だが、ホイルベースが1,016から1,180mmに、車輪径も457から560mmになっており、台車は新製であろう。
戦後では他に遠州奥山銭両、鞆鉄道キハ3しかなかったチェーン2軸連動であった。

また戦後台風で壊滅した鉄道は多く、東北地方では1948年のアイオン台風で山田線、小本線が寸断。急きょ釜石西線を1067mmに改軌して釜石へ連絡し、国鉄最後の762mm軽便線が消滅した。
仙北鉄道築館線も1947、48年カスリン、アイオン台風被害が復旧できず、道床を専用自動車道化してバス・トラックが走ったのが周知である。

仙台鉄道の写真は、ほぼ全部3.4kmに短縮後で、蒸機牽引写真はほぼ見た事がない。
小生の写真は前回分が1955年3月28日、今回分が1958年9月1日である。
水害直後の残存車輌は、ピク誌151、152号、鉄道ファン誌205号に当時仙台遊学中の瀬古龍雄氏撮影写真がある。ピク誌762号には中川浩一氏の、短縮後の列車写真があり、後尾の無蓋車に高校生が大勢乗っている。

実は小生仙台鉄道北仙台でのコッペル機汽笛だけは記憶がある。親父が転勤族のため、1943年仙台市立東ニ番町国民学校初等科に入学した「小国民」だったからである。そのすぐ後名古屋に転勤、家族のみ福井に疎開、敗戦後は京都・山科に住み、C53からD62までの汽笛を聞いて育ったが。

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【633】仙台鉄道 その1
 湯口 徹  - 06/9/11(月) 10:19 -
  
[631] 「仙台鉄道の想い出集」刊行の件で、仙台鉄道を写真紹介せよと管理者のお指図あり、これは小生の責務ならんとと勝手に解釈し、早速以下の講釈に及ぶ。

東北本線は周知のように日本鉄道が建設し、1906(明治39)年11月1日国有化されたが、仙台〜一ノ関間は陸羽街道(→国道4号線)を遠く離れた東側を通過。鉄道から外れた旧街道の村や町が、当初動力人力での軌道を計画した。

その後動力を蒸気とし、1921年には瓦斯(ガソリン)も加え、仙台軌道として1922〜28年にかけて通町(仙台市)〜中新田を開業。1928/29年に鉄道に変更した。我国でのまともなガソリン機関車(ミルウォーキー製Mine Type/No Cab)採用軌道としては五城目軌道(→秋田中央交通)と共に最も古い。

1928年度における車輌は蒸機5、瓦機1、計43トン。客車は2・3等合造車2、3等車14、定員2等84人、3等452人、合計536人。有蓋貨車8=積載トン数26トン、無蓋貨車13=47トン。

その後1933年、仙南温泉軌道がもてあました松井製ボギーガソリンカー(木製鋼板張)を購入しキハ1に、1933/34年には丸山車輌製木製ボギー客車にガソリンエンジンを搭載したキハ2、3を自家製造。これは頸城鉄道が木製客車トク1を種車にして改造したホジ3成功に100%倣ったものである。1940年には半鋼2軸のキハ4を丸山で新製した。岩井温泉軌道104(→九十九里キハ301→ケハフ301)を狙って失敗し、獲得し損ねたことによる。キハ1〜4とも、すべて40人乗り。

戦時中キハ2、3は客車に戻され、以後もっぱら蒸気機関車が活躍したが、1950年客車化していたハ11(←キハ3←ハ2)を再度木炭代燃のキハ3に戻した。両端に荷台と代燃台を設置、扉位置も移し、ボギーセンター間も伸延するなどは協三工業が施工。機関は頸城ジ1、井笠ホジ7〜9、鞆キハ1も戦後装着したいすずDG32である。キハ4はフォードV8のまま。

最後まで残った蒸気機関車C102は、協三工業製の10トン機で1947年製と新しい。

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【632】江若鉄道展行ってきました。
 '71工・貝塚恒夫  - 06/9/9(土) 21:19 -
  
近くに住んでおり、行こうと思いながら最終日に行ってまいりました。どなたか顔見知りの方にお会いできるかもと思って気をつけて見ていましたが、残念ながら見知った方は居られませんでした。最終日とあって展示の前には人が並んで、肩越しに見るような盛況でした。
廃止になったのは高校3年の時、当時京阪島ノ関を利用しており、3線式レールを毎日通って通学していました。廃止の前には何度か撮影に行き、最終日には浜大津で人だかりの中でカメラを構えていたのを覚えています。
漠然と鉄道に興味を持っていたのですが、写真を撮るとかの行動を起こしたのはこの時が初めて、そんな意味でも思い出深い展示会でした。
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【631】仙台鉄道の想い出画集 河北新報より
 総本家・青信号編集部  - 06/9/9(土) 19:49 -
  
<河北新報より転載>
絵によみがえる仙台鉄道 宮城・利府の児玉さん画集出版
仙台鉄道の思い出がいっぱい詰まった画集を紹介する児玉さん
 大正末から昭和30年代にかけて、仙台以北の田園地帯をコトコト走り抜けた仙台鉄道を題材にした画集「懐かしの軽便鉄道36景」を、宮城県利府町の画家、児玉泰隆さん(74)=大和町出身=が自費出版した。記憶を頼りにこれまで描きためた絵を一冊にまとめた画集で、「軽便っこ」「軌道っこ」と呼ばれ地域の人々に親しまれた軽便鉄道が愛情たっぷりに描かれている。

 画集は20センチ四方で43ページ。水彩、水墨画の計36枚にそれぞれ、楽しいエピソードが添えられている。路線図や仙台鉄道の歴史なども紹介している。

 仙台鉄道は1923(大正12)年に北仙台(仙台市青葉区)―吉岡(大和町)間が開通。その後、軌道を中新田(現JR西古川)まで延ばし、通勤通学、物資輸送に利用された。台風被害を受け、1959(昭和34)年に廃線となった。

 仙台鉄道の運行中の写真はほとんど残っていないため、児玉さんが当時を思い出して描いた。仙台市電も走っていた北仙台駅前や、七北田鉄橋(泉区)を煙を吐いて走る機関車、児玉さんが旧制中学への通学に利用していた志戸田駅(富谷町)などの懐かしい風景画が並ぶ。
 台原付近(青葉区)の坂でスリップする機関車を押す中学生や、脱線した機関車をのどかに見物する乗客など、当時ののんびりした情景も描かれている。
 児玉さんは鉄道の思い出を残そうと、記憶を手繰って数年前に作品を描いたところ、好評だったため、富嶽三十六景に倣って少しずつ描きためてきた。「軽便鉄道は青春の思い出。特に往時を知る同年代に画集を見て、懐かしんでもらいたい」と言う。
 画集は300部作製し、仙台市民図書館や泉図書館などに寄贈した。50部は希望者に一部2000円で販売する。連絡先は児玉さん022(356)4878。
2006年09月09日土曜日

※編集部より湯口先輩に質問!
利府まで行っていた線ですか?そんなに写真はないのですか?
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【630】Re:「江若鉄道展」いってきました
 弘津コウタロウ  - 06/9/8(金) 14:32 -
  
皆さんの応答を読ませてもらっています。
私は当時小学生で、大分の県立図書館で朝日新聞社発行の年鑑「世界の鉄道」を読んで、地方交通線(私鉄)に開眼したばかりでした。
非電化私鉄で内燃動車を多数持っていた雄、当時で言えば関東鉄道、西の島原鉄道とともに比較的規模が大きい江若が廃止になる理由は、単なる赤字線問題なのか、田舎の一少年にはまだわかりませんでした。
49年の夏に湖西線が開通し、ピクトリアルを読んで経緯を知り、54年に大学に入り最初の夏に本堅田の駅とまだ残っていたボンネットバスを訪ねました。
その頃から考えても湖西の交通量はバイパス的性格で、鉄道、道路ともに増え続けており安曇川や新旭付近も広い道が貫通し、往時の北国へ続く街道情緒はかなり薄れてきております。

今回の旅は、びわ湖バレイ付近とあと27年前の夏に訪問した北陸トンネル旧線杉津付近を訪ねてみました。
あの辺りの嶺に立ち畿内を望めば遠い日に朝倉や佐々あたりの猛将がどうやって京に駆け上がらんとしたか、興味は尽きません。
琵琶湖を巡る交通史、今回の展示は非常に面白いサジェッションを新たに加えることができたことの感謝をFS兄に述べさせていただき、お礼の代わりといたします。
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【629】おじん2人ヨーロッパ軽便 その8-10
 湯口 徹  - 06/9/6(水) 20:09 -
  
Ostfriesechen Inselbahnen 3-3 ランゲオーク島鉄道(その3)

島巡りの最終日は朝から雨。結構なバイキング朝食(部屋代に込み)だったが、勘定の段になり、110ユーロ請求された。昨夜の食事は別に払ったのに、夕食代込みの額である。押し問答の最中、昨夜のボーイが出勤して解決したが、トラブルになると言葉の不自由が身にしみる。

天気は猫の目か女心か、急変を繰り返す。自転車を積んできた軽量列車の左側土手の切れ目にご注意あれ。これが高潮時の関門で、これを閉めると列車は勿論ストップし、船着場から駅、ここまでが海水に漬かる。

船に乗るには日本の改札機そっくりのラッチがあり、それに先に記したカードを入れるカードコントロールがある。我々のカードはなぜか吐き出され、ラッチが閉まった。
案内所に戻り、よく分からないまま2.6ユーロ追い払いして13時45分の汽船に乗船し、本土に戻る。

エムデンまでの経路に標準軌間だが、極めて素朴な保存鉄道がひとつあるので立ち寄った。ボランティアが運営しており、明日は日曜なのでディーゼル機関車が客車を引き走るらしい。庫内には豆ディーゼル機関車の類が結構居り、屋外には2軸、3軸、ボギーの客貨車が並べてあった。見学料は1.2ユーロ。旧信号所の建物内に、やはり素朴な展示―塞塞などの機器、用品類や写真があった。

エムデンまではすぐだから、明るい内に帰り着く。レンタカーにガソリンを入れ、事務所は鍵が掛かっていたので駐車場に車を置き、キーをポストに投げ込むだけで終わり。日本では考えられない簡便さである。

前回聞いた手順で同じ安ホテルの同じ部屋の鍵を土曜で休みのレストラン経営者から受け取り、先ずはシャワー。まだ明るいので、明日列車に乗るエムデン駅に行ってみた。駅員が居れば乗車券を買う積りだったが、無人であった。

駅前広場に面し、大きな郵便局があるので、相棒が絵葉書の切手を買うべくドアを開けた。時間からも無人は仕方が無いが、中に雲つくヒッピー?の大男が数人、どうやらここで今晩寝るらしい。爺さんが1人、彼らから金をねだられていて、断固拒否していた。ここは旧西ドイツだが、気味の悪い風景だった。広場の向こうには警察もあるのだが、一人ではこんなところには立ち寄らない方が無難である。

旧市街を歩いたが、何故かイタメシ屋ばかり目立つ。1軒でパスタ何種かと野菜、ハウスワイン(大ジョッキのようなデカンタ)を注文し、2人で25ユーロ。味はよく満腹した。

翌朝のエムデン駅は、11時半まで駅員が来ない。乗車券自販機が1基あるが、ドイツ語がわからないと先ず無理。仕方なく車内で車掌に申告するか、とあきらめた。

ところが居合わせた1人の、物腰も服装も端然とした紳士が、どこまでか、カードは持っているか、と実に分かりやすい英語で話しかけ、切符は事前に買いなさいと自分でやってくれた。これがイタリアなら、どんなに紳士然としていても、カードを渡したりは絶対しないのだが。

横で見ているだけだが、この機械の性能は凄い。日本なら出札で駅員が操作する発券機を、顧客が直接いじれるようなもので、経路を「エムデン、ブレーメン、ケルン、フランクフルト/2人」と打ち込み、カードを挿入するとたちどころに乗車券が発券された。さらにどこやらを押すと、乗り継ぎ駅と接続時間がプリントアウトされて出てきたのには、ほとほと感心した。かつて日本の自販機は世界一だと、固く信じていたが、世界はその間にはるか先に進んでいたのである。

日曜日とあってプラットホームは閑散としていたが、時間が迫っても一向に我等の列車が来ない。するとお年を召した婦人が、あんたちはこの列車だと、てっきり留置と思っていた人気のない列車を教えてくれた。
改めてホームの時刻表を確認すると、ノルディッヒ始発列車は、成程日曜日に限りエムデン仕立てとある。日本なら、外国人旅行者にわざわざ教えてくれるだろうか。おかげで乗り遅れずにすんだ。発車に際し、アナウンスやベルなど一切ないからである。

ケルンで一旦途中下車。フランクフルトへのインターシティ指定券を買い、駅近くの博物館でバックパック2個を1ユーロの格安で預け、世界遺産のケルン大聖堂の塔(1人2ユーロ)に。大勢の白人が途中でへばっているのを尻目に、われわれ「おじん2人」は頂上まで休まず、息も切れずに上がれた。

博物館を見学(我々は単なる鉄チャンじゃない!)し、ICEに乗車。フランクフルト空港駅はピカピカだったが、チェックインには30分以上を要した。

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