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【628】私も行ってきました。「大津歴史博物館」
 1966  藤本哲男  - 06/9/5(火) 18:26 -
  
 8月8日、亡父の命日で帰省した際、帰りに際に立寄りました。朝9時に入館し、博物館を出たのは昼前でした。展示を見ていると懐かしさのあまり涙が出てきました。特に我々の年代の方は在学中に最終日を迎えたこともあり、感慨も一入ではなかったかと思います。営業運転最終日の10月31日に北小松の合宿所に泊り込み、大声を張り上げて最終列車を見送り、翌日の北小松始発のお別れ列車の運転を担当された松本章一氏からお叱りを受けたこと。日吉駅の老駅長。シーズンオフに高島町駅に留置されていたオハ27。北小松駅前にダミーで置かれていた廃車のパトカー。当会で作成したお別れのヘッドマーク。一時期キサハで使われていたキハ23、三井寺下の自社工場で改造したとは思えない位よくできていた総括編成の車両。怪しげな所で作られた割にはよくできていたキハ30(後のキハ5120)等々、当時の思い出が次々と蘇ってきました。展示の中で一箇所ミスに気がつきました。「廃止後の車両の行方」のところで、和歌山鉄道に行ったと書かれてありますが、和歌山鉄道行ったこと自体は間違いないのですが、時期は終戦直後の昭和22年で、当時のキニ1とキニ2が行っております。燃料がなく動けなかったこと、元々小型のため使い勝手が悪かったことで売却したものと思われます。和歌山鉄道では電車に改造され、昭和40年頃まで使われておりました。
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【627】私も行ってきました。「大津歴史博物館」
 乙訓の老人  - 06/9/4(月) 15:45 -
  
乙訓の老人です
9月2日午後、やっと時間ができたので東西線、京津線、石坂線を乗り繋ぎ「別所」へ行くことにしました。玄関に着くと老人会の人々が15人あまり、口々に「懐かしかったなぁ」と話し合いながら小型バスに乗り込むところでした。入室してびっくりでした。撮影者名に「福田静二」が次々と出てくるからです。中でも駅舎のほとんどがクローバー会・副会長さんではありませんか!入館の時の老人が「懐かしかった」と言っていたのは、きっと駅舎を中心に、半世紀前の話題に花を咲かせていたのでしょう。
3日、副会長さんに拙宅におでまし頂きました際、「よくもあんだけ撮る暇あったなぁ」と問いましたところ、「学園紛争で学校に行く代わりに沿線に出没してました。」とのこと。
京阪特急の原稿は盆休みまでに1975年ぐらいまで進みました。以後、校正その他に追われ半月間は前進なしです。写真提供よろしくお願いします。
Fuji Photo Saloon準備も着々と進められているようです。開催期間中、番兵が必要とのこと。Everyday SundayとなったRetire族の協力が望まれます。なを、番兵には交通費はおろか時給も日給も支給されませんからご了解ねがいます。
 初孫は生後6ヵ月にして父親の下に旅立ちました。表情が豊かになり、楽しく遊んでいましたが、残された老人は寂しくてなりません。夜長の候となりましたので、ランプのほやみがきに精出すことにいたします。
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【626】「江若鉄道展」いってきました
 1979 弘津コウタロウ  - 06/8/30(水) 12:00 -
  
27日にびわ湖バレイまで遊びにいく途中で、寄らせていただきました。
非常に面白かったです。
この秋から湖西線の近郊車両が敦賀まで延伸。それを考えると隔世の感もありますが、琵琶湖西岸の交通史、買って来た資料と興味深く感じました。
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【625】おじん2人ヨーロッパ軽便 その8-9
 湯口 徹  - 06/8/30(水) 9:41 -
  
Ostfriesechen Inselbahnen 3-2 ランゲオーク島鉄道(その2)

話が前後して申訳ないが、この島は[605]に掲載した地図では右から3つ目。やはり軌間1000mmで、馬車鉄道から始まり、かつては街中をもう少し線路が延びていた。
高潮でレールが沈み、馬が海水を蹴立てて客車を曳いている写真が残っている。現在でも船着場の駅を出たところに観音開きの関門があり、潮が高くなると線路を閉鎖、低い築堤で囲まれた駅一帯は海水に漬かる。

車輌基地には若干昔の貨車の残骸が残ってはいたが、ご覧のような1994年製の遊園地っぽい、カラフルな客車になっている。両端デッキ式だが、赤い客車だけはサイド中央にも出入り口がある。
古いディーゼル機関車が1両だけ、駅裏の緑地に保存されている。

機関車が飛びぬけて背が高いのは、我国では大井川鉄道井川線アブト区間電機ぐらいで、我々には違和感が強いが、ドイツでは珍しくない。というより、至極当たり前の姿である。以前ご覧いただいたハルツやリューゲン島のディーゼル機も同様。

列車の左側に橙色の旗を立てた三角屋根の建物は先回記した、ほぼ中間地点に1軒ポツンとあるレストランである。空の色で分かるように、天気が急変して雨が降り出し、(嫌々)ここに入って昼間からビールを飲まざるを得ない羽目に立ち至ったのは、甚だしく遺憾であった。

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【624】福田君、おめでとう!入場者1万人突破!
 総本家・青信号特派員  - 06/8/29(火) 20:42 -
  
入館者1万人突破、確実に 大津市歴史博「ありし日の江若鉄道」展

平日もにぎわいを見せる企画展「ありし日の江若鉄道」(大津市歴史博物館)
 大津市歴史博物館で開催中の企画展「ありし日の江若鉄道−大津・湖西を結ぶ鉄路」(大津市、高島市、京都新聞社など主催)の入館者が1万人を突破することが、確実になった。同館の企画展で1万人を超えるのは8年ぶりという。
 大津市と旧志賀町の合併を記念した企画展で、1969年に廃線になった江若鉄道の歴史や思い出を写真や映像などでたどっている。7月28日に開幕し、8月27日までに9033人が訪れた。同館によると、1日平均の入場者は335人に上り、最終日の9月3日までに1万人を超えるのは確実という。
 1990年開館の同館は、期間約1カ月の企画展を年に3、4回催しているが、入場者の1万人突破は過去に4回しかない。最近では、98年の「大津の鉄道百科展」が約1万1000人だった。
 今回の企画展では、電車の進行順に駅を並べた写真展示や懐かしい映像が好評という。展示をまとめた図録も当初の2000部を完売し、1500部を増刷した。1万人突破の記念式も予定している。
(京都新聞) - 8月29日20時9分更新
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【623】「在りし日の江若鉄道展」新聞記事
 総本家・青信号特派員  - 06/8/27(日) 20:24 -
  
大津市歴史博物館:鉄道模型の走行会、迫力に子どもら歓声 /滋賀

 ◇20編成300両が集結
 大津市御陵町の市歴史博物館で26日、人気の鉄道模型などが巨大レイアウトの中を走る「鉄道模型走行会」が開かれた。20編成約300両もの鉄道模型が走り回る様子に、子どもたちは大喜びしていた。
 同博物館で開催中の企画展「ありし日の江若鉄道―大津・湖西を結ぶ鉄路(みち)―」にあわせ、県内の愛好家が参加する「滋賀鉄道模型愛好会」の協力で車両などが提供された。かつて江若鉄道が走った地域にあるJR湖西線を走行する列車を中心に、特急「雷鳥」や豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」の模型などが一堂に会した。
 祖父母に連れてきてもらったという同市立下阪本小4年の福島直哉君(10)=同市下阪本6=は「家にある模型より大きくて迫力が違う」とうれしそう。東海道新幹線0系の模型が前を通ると「これが一番好き」と目を輝かせていた。
 「走行会」は27日も午前10時〜午後4時まで開催される。企画展は来月3日まで。【深尾昭寛】

8月27日朝刊
(毎日新聞) - 8月27日17時1分更新
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【622】地場、いきまっせ。(2)
 67 田淵 仁  - 06/8/26(土) 15:06 -
  
朝方の「あびこ」始発の上り列車
 御堂筋線の朝1番の下り電車は「江坂」5時5分発、上り電車は「あびこ」5時6分発である。下りは千里中央〜江坂間は北大阪急行線であるから、市交御堂筋線の始発駅、「江坂」より朝1番の始発電車が出るのは解るが、上りの始発駅はあくまで「なかもず」ではないだろうか?。1歩さがって、中百舌鳥車庫出庫だからそのまま「新金岡」ではないだろうか?。しかし始発電車は新金岡を通過してあびこ始発である。さらにこの後8本の「あびこ」発が6時〜8時台にある。全て中百舌鳥車庫出庫である。特に一番のラッシュのときに約10分おきにある、途中通過の新金岡・北花田駅の利用者には、当然ガラガラの列車が目前を通過してゆくと言うやりきれなさがある。なぜ車庫から出庫する最寄駅、「新金岡」発ではないのだろうか。こんなことは私鉄ではありえないだろう。これは大阪市交通局の路線、つまり大阪市民の税金が投入されている線なのだ、つまりは大阪市民優先サービスなのである、と思われる。堺延長時にそれまでの終点「あびこ」が「なかもず」となり大阪市民がそれでは朝のラッシュ時に今までのように座ってゆけないとクレームがあって対応したのではないだろうか。
御堂筋線は大阪市交のドル箱線である。1日百万人の利用者がある全国でも銀座線などに並ぶビッグ路線なのである。しかし大和川以南は堺市であり、大阪市交にはおまけなのであり、情けなのだろうか。
 夕方の下り「あびこ」・「新金岡」行き
 逆に17時〜20時の間、新大阪または中津発で「あびこ」行きが4本、「新金岡」行きが5本ある。17時台3本、18時台2本、19時台3本、20時台1本と少ないが、私の経験では月に2・3本当たる。この列車の評判は「あびこ」と「新金岡」では全く別となる。
 「あびこ」行きは、何も不満を聞いたことはない。しかし「新金岡」行きは、「なんで新金岡行きがあるんや!なにがあるんや、車庫はないし!」である。こう言っているのは一杯飲んだ30台の男である。何回か同じことを言っている人に遭遇した。彼らは、「なかもず」終点まで乗って、さらに泉北高速か高野線で乗り継ぐ人であろう。あと1駅で終点なのに1駅手前行きと言うのはやるせない。そのうえ理由がわからないのである。中百舌鳥車庫の存在は「なかもず」までの住人ならまだ知っているが、20年前「あびこ」が終点の時に小学校時代で中百舌鳥以遠高野線沿線の住人では、車庫の存在を知る人は少ないのではないか。逆に「あびこ」行きは、終点にはまだ間があり仕方ないと思っているし、車庫もまだ我孫子にあると思っている人もいるのではないだろうか。
 この記事を書くために、「あびこ」行きにも乗ってみた。これらの列車は夕方のラッシュ増発であり、どちらも終点までの客はまだ多い、「なかもず」行きにすべきであろう。
 以上、朝方の「あびこ」発、夕方の「新金岡」行の利用者の一面を報告したが、もし当局に聞けば、3〜4分毎の発着を全て「なかもず」発着にすると、「なかもず」は端頭式で2線しかなく、折返しの入出庫の発着それに「なかもず」手前のクロッシングポイント通過もあるから、線路容量は全くパンクしますわ、との返答を想定される、が。(ちなみに、銀座線はラッシュ時には渋谷・上野間の区間運転がある。上野には引上げ式の入出庫線があり、折返しはスムーズ。また上野は乗降客が急増する拠点である。)
 ただ、朝の「あびこ」始発は、他社線同様車庫最寄の「新金岡」始発は可能である。毎朝新金岡駅出入り口で堺市民に街頭宣伝をされている地元議員さん、是非、大阪市交に「新金岡」始発を働きかけてください。政令都市、堺のために!
以上

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【621】地場、いきまっせ。(1)
 67 田淵 仁  - 06/8/26(土) 15:04 -
  
4年前に大阪、堺の住人となり、当時スタートしたJR東海のキャンペーン
「そうだ 京都、行こう。」にならいDRFCの諸先輩、同輩並びに後輩の皆さんに会いに京都通いが始まりましたが、今年の腰の手術は私の行動に大きく制約が課されました。重いカメラ機材を持っての2時間かかる京都行きや、撮影での立ちんぼそして歩きは耐え難いものとなり私のこれまでのビヘイビアーを大きく転換せざるを得ないものとなりました。つまりは行動範囲の縮小、軽装化なのです。ただ今後も手ぶらでの京都へは行けそうです。
 地場は地元です、近場・近所です。かっこよくとは行きませんが、表題のテーマに合った身近な鉄道を巡っていこうと思っています。

その1 大阪市交通局 御堂筋線 新金岡

新金岡(しんかなおか)は、私の住処の最寄り駅である。御堂筋線は大阪のど真ん中を串刺しにしているので便利このうえなく、またいつも快適に利用している。南の終点「なかもず」の1つ手前の駅である。
御堂筋線は、大阪市の南端、「あびこ」(我孫子)が終点であったが、昭和62年4月18日に大和川をアンダーパスして堺市エリアに入り、あびこ〜北花田〜新金岡〜なかもず間5.0Kmが開業した。
「新金岡」は府道幹線道路(大阪中央環状線)とアンダーパスにかからないためか交差点より300m位大阪寄りに造られている。大阪寄りの出口1番を利用する私にとっては便利であるが、新金岡の店舗へ向かうには出口が少なく延々と歩かされる。終点「なかもず」は南海高野線と泉北高速鉄道(始発駅)の中百舌鳥と地上徒歩連絡している。ここも直上の道路が高野線をアンダーパスしているので、交差部より200m位離れており、乗換にはすごく歩かせる構造となっている。建設者には言い分はあろうが、昭和50年代後半からバブル崩壊までに建設・改造・改築されたものは、こうした乗降客を延々と歩かせる構造の駅が多い。
バブル崩壊後乗客の減少対策として国交省が提唱した、乗換の便利性の向上のための改造推進があった。例えば武蔵野線は、私鉄線との交差乗換がすべて離れた別駅で造られ、改札口間を長く歩かされ不便なため、乗り換え口の近接化が勧められたが、金がかかる、客がとられるなどで立ち消えになっている。そして交通バリアフリー法の成立による高齢者・身障者向けのエレベーター・エスカレーター等の設置に矮小化されているのが現状ではないだろうか。本来は利用者全員の利便性の向上が鉄道再生の1ポイントであろう。
 大阪地下鉄でひらがな表記の駅名は、「なんば」、「あびこ」、「なかもず」の総て御堂筋線の3駅である。「なんば」は「南海難波、近鉄難波」との重複を避け、「あびこ」はJR阪和線「我孫子町」との重複を避け、「なかもず」も南海高野線「中百舌鳥」との重複を避けたものであろう。
 あびこ〜なかもず間の延長は、昭和46年12月の都市交通審議会の13号答申で「堺筋線」の延長(動物園前→天下茶屋→杉本町→中百舌鳥)で計画されていたが、1.昭和50年に入り御堂筋線の通勤ラッシュが激しくなり10両編成化が必要となった。当時の8両編成で我孫子車庫は限度であり、新車庫が必要とされた、2.新金岡団地や泉北ニュータウンの建設に伴い大阪府・堺市より大阪地下鉄線の延伸が御堂筋線での延長で要望された、3.新車庫用地が中百舌鳥付近に確保の見通しが立った、以上の理由により建設されたものである。
中百舌鳥車庫は、「なかもず」の北西側にあるが、約8割の面積を占める留置線群は地下構造、その並びの北側の検車屋は掘割構造になっている。留置線群の地上は道路・駐車場・運動場と空間エリアが大半である。検車屋は掘割式であり750Vの高圧電流もあって危険なためか、堅牢な金網に囲まれており、さらに雑草が繁茂して施設はほとんど見えない、注意して見れば検車屋の屋根がチラリと見えるだけで、入口もはっきりわからず、そのうえ車庫の表示物もまったく見当たらず(らしき入口は想定されるが)、秘密基地のようで、まして一般の素人には現地にきてもその存在は全くわからないと思われる。
車庫への分岐線は新金岡下り方(南)に2列車の待機区間があり、その先が出入庫線となって、本線とは地下立体交差となっている。なかもずとの始発電車・終着電車は、この分岐線によりスイッチバックで出入庫となる。
一方、大和川沿い北側にあった我孫子検車区は廃止され、跡地は浅香中央公園・市営団地・スポーツセンター・中学校などになっている。そして駅から車庫へ入出庫線の駅寄りは折返し待機線として残されている。
御堂筋線の運行は、1.両終点間千里中央・なかもず間直通列車と2.新大阪・天王寺間そして3.中津・天王寺間の区間列車が基本で、6時39分〜9時37分、16時〜18時の朝夕ラッシュ時は、3.1.2.1.の順に2〜3分ヘッド運行され、デイタイムは、1.2.が交互に4分ヘッドで運行されている。北大阪急行電鉄のピカイチの8000系は、直通列車のみに運用されているようだ。
そしてユニーク?な列車が朝夕のラッシュ時の増発列車である。

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【620】Re:【阪急】無電圧区間について教えてくだ...
 松本芳治 (1976年度 工)  - 06/8/26(土) 12:28 -
  
▼ぷるぷるさん:
重ね重ね、いろいろお教えいただきありがとうございます。
阪急に相当に詳しい私と同年代の知人に聞いても、電圧計のことまで覚えていないようでした。
子供のころからの疑問がひとつ解決したようです。
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【619】Re:【阪急】無電圧区間について教えてくだ...
 ぷるぷる  - 06/8/24(木) 6:19 -
  
>MGは600V区間では、ほとんど止まりそうな回り方で、架線電圧がゼロになったらすぐに止まってしまった、ということですね。

主回路は1500Vのままでも60〜70Km/H程度で走れますが、MG、CPは無理だと思われます。当時の側聞では高圧補助回路は車上で切り替えていたと聞いたことがあります。このあたりは当時の関係者に登場していただきたいところですね。特に、京都−宝塚直通列車の事なども。
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【618】Re:【阪急】無電圧区間について教えてくだ...
 松本芳治 (1976年度 工)  - 06/8/24(木) 0:26 -
  
▼ぷるぷるさん:
お答えをいただきありがとうございます。
私はあまり技術的なことは詳しくないので、いろいろと参考になりました。

無電圧区間〜十三は、1500Vの回路で600Vが加圧されていた状態での走行だったことは記憶しておりました。

ということで、上り列車が600→0→1500となった理由も、納得できます。
MGは600V区間では、ほとんど止まりそうな回り方で、架線電圧がゼロになったらすぐに止まってしまった、ということですね。
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【617】おじん2人ヨーロッパ軽便 その8-8
 湯口 徹  - 06/8/23(水) 17:07 -
  
Ostfriesechen Inselbahnen 3-1 ランゲオーク島鉄道(その1)

ヴァンガーローゲ島にお別れし、DBの連絡船で本土に戻り、駐車場のレンタカー車内に干していた洗濯物を片付け、次の目的地ランゲオーク島へ渡るべく、E-Bensersiel へ。西へ約16km、25分で到着した。

ここでまた駐車場に車を入れ、駐車料は2日分8.5ユーロ。乗船料は例の自然保護負担金カード共19ユーロ。島内列車には自由に乗れる由。

船着場に接続して町への列車発着場がある。周り全体が真新しく、鉄道、駅、車輌を含めた一式を、やはり1994〜95年ごろ徹底的に手を入れたようである。
つまりはそれだけ素朴さが消え、客車も実に綺麗でカラフルなだけ、余計オモチャっぽいのは致し方ない。かつては3扉のディーゼルカーもいたのだが。
現在の列車は前後に赤い凸型ディーゼル機がついたプッシュプル=総括制御で、機関士は前頭車のみ。

船着場から町までは、ヴァンガーローゲ島ほどの景観はなく、一見荒野のような一面の草むらである。途中にレストランかカフェかが1軒ポツンとある。しめしめ、列車撮影中ここでビールが飲めるゾ。

町の駅も真新しい感じ。裏側の緑地に内燃機関車が1両保存されていた。町には自動車が一切なく、馬車がいた。保養客はやはり幼児を木製カートに乗せて引張っている。島で貸してくれるらしい。

案内所で先ずは宿の確保。列の3番目なのに、順番が来るのに20分かかった。イタ飯屋?の2階で、ツインはないとのことだったが、部屋を見るとシングルが2つ接したダブルだったので、一部屋にする。
[564][578]にも書いたが、ドイツでダブルとは、大方がこのような(我々がいう)シングルを2個並べたもののようだ。部屋代は87ユーロ。

列車がこんな具合だから、あんまり気合を入れて撮影、というものでもない。しかも天気が猫の目のように変わり、雨が降り出したので、先程目をつけていたカフェで雨宿りし、ビールで一息入れる。

夕食は宿の1階のレストランで白身魚、それも1人前だと食べきれないので、何とか半人前(子供バージョンだそうだ)にしてもらった。それに勿論ビールのお変わり共で10.99ユーロ。

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【616】Re:【阪急】無電圧区間について教えてくだ...
 ぷるぷる  - 06/8/23(水) 5:21 -
  
> 「1500」を指していた電圧計の針は、数秒かけてゆるゆると「600」の位置におちていく

当時の車両の高圧補助回路のツナギがあればよくわかると思いますが、私の経験から申し上げますと、惰力で回っているMGの一次側(直流電動機)に残った逆起電力が影響しているものと思われます。これ以上は推測を重ねることになるため、差し控えます。皆さんであれこれと楽しんでください。

なお私、変な病魔と闘うハメになりました。まだ死神とはお友達になりたくないので徹底抗戦することにします。よって、久しぶりに登場しましたが、これにてまた沈黙します。では。
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【615】トロント市電
 '82年度生 大墨佳司  - 06/8/21(月) 9:46 -
  
残暑お見舞い申し上げます。

トロントでは、そろそろ秋めいてまいりました。
朝方は15度を下回る日が続いています。
トロントの市電は、単車または連接2両で運行されています。
写真はスパダイナ通り線の単車です。

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【614】【阪急】無電圧区間について教えてください
 松本芳治 (1976年度 工)  - 06/8/17(木) 22:04 -
  
今から37年前の昭和44年8月24日に阪急宝塚線が600Vから1500Vに昇圧されて、全線1500Vに統一されましたが、それまでは十三〜南方間に異電圧セクションとなる「無電圧区間」が存在していたことは、皆さんご承知のとおりです。

私は昭和44年時点で中学3年生であり、また自宅が今津線沿線であったため、京都線に乗る機会が少なく、この無電圧区間を運転台にかぶりついて乗車したという経験がほんの数える程しかありません。
このわずかな経験の中で、無電圧区間を通過するときに、運転台に設置されている電圧計を見たことが非常に印象的なものとなっています。
そして、そのときの私の記憶は次のようなものです。

(1) 600V側から1500V側へ行くとき(上り列車)
 「600」を指していた電圧計の針がいったん「0」を指す
 数秒走行したのち、針は一気に「1500」にはねあがる

(2) 1500V側から600V側へ行くとき(下り列車)
 「1500」を指していた電圧計の針は、数秒かけてゆるゆると「600」の位置におちていく

さて、この私の記憶は正しいものなのでしょうか?
このあたりの状態を正確に覚えておられる方がいましたら、ぜひ、教えてください。
また、(2) のときの電圧計の針の動きが、「1500」→「0」→「600」とはならない理由など、お分かりの方ご教授をお願いします。
引用なし
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