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【520】Re:大田(テジョン)地下鉄開業
 総本家青信号編集部  - 06/3/27(月) 10:05 -
  
この丸いものはキップでしょうか?真ん中に普通券と書いてあるのでキップかとも思うのですがICチップを埋め込んだ交通カードかも。
教えて下さい。
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【519】大田(テジョン)地下鉄開業
 工-79 山下敬司 E-MAILWEB  - 06/3/26(日) 19:45 -
  
韓国で6番目の地下鉄が3月16日に開業しました。
今回開通する区間は、1号線の22.6kmのうち12.4kmで、大田政府庁舎駅から板岩(パナム)駅までです。
大田地下鉄は12駅があり、この区間を21分で走破します。
とりあえず見てきましたので、UPします。

添付画像
【token.jpg : 71.7KB】

添付画像
【homedoor.jpg : 79.1KB】

添付画像
【coach.jpg : 87.0KB】
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【518】韓国の貨物列車
 工-79 山下敬司 E-MAIL  - 06/3/26(日) 19:38 -
  
久々投稿です。
アメリカの写真が出ていたので、外形が似ていると言うことで
比較で韓国のものも載せてみます。

添付画像
【KORAIL-DL.jpg : 126.7KB】
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【517】アメリカにて3
 893−2  - 06/3/16(木) 23:53 -
  
画像のみです。ユニオンパシフィック鉄道3重連牽引貨物列車。

添付画像
【ユニオンパシフィック貨物.JPG : 0.6MB】
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【516】アメリカにて2
 893−2  - 06/3/16(木) 23:47 -
  
画像のみです。クリ−ブランドRTA。

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【06年クリーブランドRTAK.JPG : 0.6MB】
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【515】アメリカにて
 893−2  - 06/3/16(木) 23:41 -
  
先月、米国オハイオ州クリーブランドに2週間滞在する機会があった。
できれば同期の大墨氏とお会いできればと思っていたのですが都合があわず
お会いできませんでしたが電話で話をすることができ元気そうな声に安心しました。
異国の地で頑張っている同期がいるということは何かほっとします。
大墨氏曰くまた後日、カナダの鉄道をレポートするわとのことで楽しみにお待ち
しております。大墨様、忙しいところ会社に電話しましてすいませんでした。
ところでクリーブランドというところは、五大湖のうちエリー湖の湖畔にあり
日本の緯度でいうと札幌くらいで寒さも同じくらいです。町は釜石のような
感じで昔鉄鋼業で栄えたが今は寂れた印象があります。でもメジャーリーグの
インディアンスの本拠地で(以前、メジャーリーグという映画でとんねるずの
石橋が出演してた)中途半端な田舎町という感じです。ダウンタウンから空港
などいくつかのトラムの路線が延びており一部は日本の東急車輛製でした。
ついでにシカゴにも行きましたが、映画等によく出てくる「Loop」も少々
撮影してきました。昔の阪急西宮北口のようにダイヤモンドクロスする箇所
(しかも高架上で)もありなかなか良い雰囲気のところがたくさんありました。
観光途中でUPの長大編成の貨物列車にも出くわしてその長さにはびっくり
でした「Loop」の駅でいうと列車の最後部から4駅先に先頭車があるので
全長2kmくらいはあるでしょうか。流石広い国土の国です。
久しぶりに行ったアメリカですがテロの余波はまだ色々あり、
まずは飛行機に預けるスーツケースの鍵は掛けてはいけない、金属探知機を
通る時は靴まで脱いでX線検査に通さないといけない、入国時には両手の
人差指の指紋を採られ顔写真まで撮影されます。出国時にも機械で手続きが
必要と大変時間がかかります。そのうえ飛行機の機内食のナイフ・フォークも
テロ対策?でプラスチック製の貧弱なもので、一度フォークが折れてしまい
ました。プスチック製のナイフ・フォークって昔、今は亡き中国民航で経験
して以来の最悪な経験でした。当然飯もまずく某最大手旅行会社はこんな
キャリアしか手配できんのかと怒ってしまいました。
つまらないことをくどくどとすいません。
最後に「マイアルバム」に投稿しようとページを開こうとするのですが
開けることができません。閉鎖したのでしょうか?

添付画像
【06年シカゴCTAループI.JPG : 0.5MB】
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【514】サンパチ豪雪中横断記その11(最終)
 湯口 徹  - 06/3/15(水) 14:53 -
  
やっと横断記も最終回である。季節ものだから「お水取り」の間に終わるべしとの警告も発せられ、長々と掲示板を独り占めしてきたことをお詫びし、今後「若干は」自粛しますので平にご容赦を。「その7」で小生の当時の年齢を24と記したが、お前さんは2浪だろ。年齢詐称が許されるのは女性だけで、男性はニセ腕章より悪質であると某氏から突込みが。その通り26歳でありました。

帰路は高山本線816レで順調に岐阜へ。東海道本線2005M(特急第二富士)で無事帰宅した。親は学生時代から「ちょっと出てくる」といって10日や15日音信不通は常態だったから、あんまり心配はしていなかった。というより(幸い?)どこへ何しに出かけたのかもよく知らなかったのであろう。翌2月1日(金)出勤。係長は何も言わなかったが、課長以下みんな心配していたぞと同僚が教えてくれた。

当時の新聞を若干要約で紹介する。すべて朝日、神戸版である。
▽1月24日=国鉄の除雪車はラッセル256、ロータリー21両。大阪発富山行急行「立山」は3時間半遅れで大聖寺駅に着きここでストップ。越中大門駅では呉羽紡績の女工が握り飯サービス▽25日=大土呂、森田、丸岡で列車が立往生。信越線急行「越路」上野行は押切駅で2晩目を迎え、客車に配った火鉢で乗客300人が炭火中毒▽27日夕刊=26日夜救援隊を乗せ大阪を出発した特別列車が27日午前4時大土呂で立往生(南福井着同日夕方)。福井-金沢、金沢-富山各2往復の非常ダイヤも立往生し、同日午前10時現在事実上完全ストップ▽28日=敦賀-富山間前面運休。米原-敦賀、富山-直江津間は短く区切った列車のみ若干運行。ラッセルの脱線5件。1級国道(現在の1、2桁国道)不通12か所、258km▽29日=(やっと)政府雪害調査団が現地へ。金沢-富山間1往復のみ走る▽29日夕刊=政府に雪害対策本部設置。明日は金沢-富山3、金沢-小松2、金沢-大聖寺1往復運転。南福井で下り貨物2本立往生▽30日夕刊=緊急貨物列車1本を今庄以遠に運行(鮮魚、野菜、肉、燃料)。30日現在関西支社管内駅頭滞貨2,200両、途中立往生1,000両(15,000トン)。北陸線に除雪作業員15,000人、ラッセル24両を動員。国道8号線は小型車通行不能▽31日=福井-敦賀間また不通。河野建設相高山線経由で現地へ▽31日夕刊=北陸地方再び最悪事態へ。大聖寺-敦賀間運休。湯尾駅でラッセルが4時間立往生▽2月1日=北陸線一応全線開通(予定)。北陸、上、信越本線長距離列車は5日まで全休▽1日夕刊=1週間ぶりに北陸線全線開通。富山では一部市内電車も動く。自衛隊13,500人活躍▽4日夕刊=3〜4日にかけ10〜50センチ積雪、鯖江で積雪5.1メートル。除雪は順調で列車運行にほとんど影響なし▽本線は全部開通。北陸線復旧めどを8日に延期。国道8号線は新潟県下で29km不通▽5日夕刊=北陸線順調に回復。富山、高岡、金沢、敦賀のヤードは80%、操車能力50〜70%に。南福井のみ30%でネック。

政府の対応が鈍かったのは32年後の阪神大震災でも全く同じで、現地と東京の温度差であろう。当時建設相の河野一郎(当時オリンピック担当相兼務、河野洋平衆院議長の父)は党人派のあくの強い建設族大ボスで、現地に乗り込んだのは遅かったが、渋る国鉄幹部を脅し上げ、何とか本線だけでも動き出したのであった。

1月23日新潟を出た急行「越路」が上野に着いたのは106時間31分遅れの28日8時29分というのも語り草である。また北アルプス薬師岳登山中の愛知大パーティ13人が全員遭難し、遺体が出たのは雪解け後、という事件もあった。その後はゴンロク豪雪(昭和56年―1981年)が有名だが、積雪量はともかく、サンパチを凌ぐ騒ぎには至っていない。何にもまして道路除雪車や技術、スプリンクラー設置などが格段に進歩した。鉄道でも電化が進み蒸機が消滅。雪が積もるまでにモーターカー等でこまめに除雪する技術も進んだはずだが、スラブ高架も大幅に滅増えている。雪を運ぶ無蓋貨車もほとんどない。これで記録破りの大雪が降ると、どんなことになるのだろうか。
なお新聞と照合すると、その6、その7掲載の70系救援車を挟んだ電機3両の列車は、南福井?での脱線復旧救援列車だったようだ。だからその後列車がなく、湯尾駅長が線路を歩くのに「気をつけて」と送り出してくれたのであろうと付け加えておく。長らくのお付き合い、お疲れ様。

添付画像
【富山駅構内1月31日.jpg : 134.8KB】

添付画像
【富山駅前1月31日.jpg : 122.3KB】

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【高山本線上呂での離合.jpg : 134.3KB】
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【513】サンパチ豪雪中横断記その10
 湯口 徹  - 06/3/13(月) 13:41 -
  
前回挿入した写真3葉は事情有之、キャプションがなかったが、9-1と9-2は金沢駅であろうと記憶する。蒸機牽引列車とキハ20との乗り換え客は、跨線橋を渡らずに雪の線路を横断している。雪で跨線橋にまでたどり着けなかったのであろう。縦位置写真でも客車(左)からホームの間の線路間を横断している。線路の方が除雪が簡単で、歩きやすいのである。9-3は我々が福岡から富山へ向かう列車。左側の立往生中の貨物列車に豚を積んだ家畜車が連結されていたのであろう。
若干の方々から質問や突込みがあった。順不同で
1.トラック荷台での約40時間、食事はどうしたのか。
2.小の処理は分かったが、大はどうしたのか。
3.トラック道中飲酒の記事が一切ないが、湯口が禁酒のまま過せる筈がない。有体に白状せよ。
1.2.について正直記憶が乏しい。雪に閉ざされた国道8号線沿線の食堂が開いていたはずもないし、一旦車列から外れると次何時戻れるか分からない。当方携帯の米やラーメンも炊事出来るわけもない。非常食に持っていた乾パンや缶詰、チョコレートを食いつないだかと思う。運転手と助手も握り飯やパンをかじりながら、ただただローギヤ走行を続け、クラッチを踏んだり外したりしていたのであろう。2.は男ばかりだから何とかなったのではないか。1箇所1時間ぐらいのストップ(立往生)はしょっちゅうあった。
3.リュックのポケットに「当たればハワイへ行ける」安ウイスキーがあるが、路上3.5〜4メートル位の荷物の上で走行中背中でのべつ転げまわる状態だから、飲めば悪酔は必定で、荷台で飲酒してはいない筈である。大体小生があたかもアル中かのごとき悪質なデマが蔓延し続け、その前提での物言いは許しがたい。

福岡から富山までは27.6km。ここで本日(1月31日)運行再開の高山本線上り列車を確認し乗車券を買う。富山から尼崎ゆき、経由高山東海、960円の補充券であった。富山12時16分発816レ(各停)で岐阜着(定時なら)19時06分。発車までは相当時間があって構内を見回ると、キマロキ編成から両端の蒸機を外したマ+ロがおり、マックレーン(キ900)、ロータリー(キ603)とも長野局の応援車両である。金澤局とて敦賀や富山に相応の除雪車が配属されているが、手が回らなかったのであろう。小生火の入ったロータリーを見たのはこれが最初で最後である。
駅前には市内線の電車が雪に埋もれていたが、福井鉄道南越線ほどではない。やはり大都市では除雪もかなり進んで、駅前のパチンコ屋が開店していたので、重澤旦那は黄色いオーバーシューズのまま時間つぶしに興じていた。つい2日ほど前なら考えも出来ない風景ではある。
定時発車の816レでは写真を撮る気力もなかった。ただ只管「列車はやっぱり走らなきゃなぁ」とぼんやりし続け、元気回復目的に若干「百薬の長」を喫し、上司への言い訳を考えることもしなかった。

添付画像
【マックレーンとロータリー.jpg : 122.0KB】

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【マ+ロを背後から見る.jpg : 131.1KB】

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【マとロの連結部分.jpg : 117.7KB】
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【512】産経新聞より転載
 総本家青信号編集部  - 06/3/13(月) 10:32 -
  
通勤の友去る 「103系」「113系」電車、ファン名残惜しむ

 JR東日本のダイヤ改正に伴い、高度経済成長期に登場し、通勤の足として活躍した「103系」電車と、オレンジと緑のおなじみの「113系」電車が、十七日を最後に首都圏から姿を消す。
 引退前の最後の日曜となった十二日、東京駅などでは、大勢の鉄道ファンが名残を惜しんだ。
 103系は昭和三十八年、山手線に登場。加速性を向上させるなど、人口急増に伴う首都圏の“痛勤”緩和を目的に開発され、「鉄道車両開発の原点」といわれる。
 「ラインカラー」の先駆けで、103系のウグイス色は山手線の色として定着した。製造台数は単一車種としては世界最多の三千五百両。現在は常磐線で一編成だけ運行している。
 一方、113系は東海道線で活躍した。戦後まもなく登場した先代車両「80系」を引き継いだカラーは、沿線住民に慣れ親しまれていた。十八日からオレンジと緑のラインが入ったステンレス製車両に全面的に切り替わる。
(産経新聞) - 3月13日3時10分更新
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【511】サンパチ豪雪中横断記その9
 湯口徹  - 06/3/12(日) 13:46 -
  
毎回の訂正・補足は43年前の記憶や思い込み、加えて老化と脳中メモリーの劣化消滅が如何に激しいかの証左だが、多少でも復元努力中なればお許しあれ。
訂正1―511レで武生まで一緒に行き、キャベツ7個を我々に託したのは、島ヶ原ではなく松原市天美在住の別人(重澤旦那と同じ職場)であった。
訂正2―金沢-富山間1日4〜5往復の列車が辛うじて運行と記したが、金沢-高岡間であったかもしれない。
補足―我々が福岡に着いた時、駅員等が陸橋を何と豚の一群の追いたてに奮闘努力中であった由。これは同駅で長期立往生中の貨物列車中に豚を積んだ家畜車(餌や水を与えるため必ず荷主が添乗)があり、餌欠乏で現地売却契約が成立。地元には実に貴重な新鮮肉?の搬出に駅員も協力していたのである。この写真が無いのは残念至極だが、重澤旦那が帰京後島ヶ原の兄やんに出した手紙が残存し、報告者の旦那すら忘れていた椿事が復元した次第である。添乗荷主も豚も寒かったろう。

金沢から福岡までは32.1kmしかなく、この間は写真もない。上記豚騒動を記憶していないのも残念だが、沖中氏の奔走で、やっと畳の上でくつろげ、5日ぶりのまともな食事に確か入浴もさせて頂き、感謝感激で出発以来の下着も換えた。届けたキャベツは今庄の宿、トナミ運輸の2人に呈上し4個に減少していたのだが。

翌31日(木)、高山本線が運行を再開したと聞き岐阜経由で帰ることに。せっかくここまでやってきたのだが、1日も早く勤務に復帰せねばならない。それというのも、出発前直属の上司(係長)は当時撮影中だった短編PR映画(小生がカメラマン)のため、先週(倶利伽羅行)に続く日曜日(1月27日)の休みを渋っていた。この2か月、土日もほとんど休めていない、平日休ませろというんじゃない。日曜休むだけだと、日頃従順その性穏健な小生が吠え立て、月曜日には出勤するからと強引に出てきたいきさつがある。湯口が月曜に出てくるはずがないとニヤニヤする同僚(先輩ばかりだが)には片目をつぶり、まあ火曜日ぐらいかなぁ、水曜(30)日には間違いなく出勤するよ、と言い残してきたのである。
出勤中のワッチャラ氏に置手紙をしたのは覚えておらず彼氏には申し訳ない。福岡駅はご覧の通りまだ雪だらけで、ホームの端は1人立つか歩くのがやっと。それでも富山までは開通したとあって、乗客は結構多かったと記憶する。牽引のD51が何とも頼もしく見えた。

添付画像
【サンパチ9-1.jpg : 132.6KB】

添付画像
【サンパチ9-2.jpg : 106.4KB】

添付画像
【サンパチ9-3.jpg : 127.1KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : サンパチ9-1.jpg
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・名前 : サンパチ9-2.jpg
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【510】サンパチ豪雪中横断記その8
 湯口 徹  - 06/3/10(金) 15:07 -
  
読者諸兄(約○名)から続きを催促され、止むを得ず超連続投稿となってしまった。先ずは重澤旦那の記憶とすり合わせ修正および消えていた脳中メモリーの復元と補足のため、多少話が前後する。併せご寛容を。
旦那の記憶では511レが武生で長時間立往生中、バッテリーが消耗した客車に駅員がヨレヨレの電線と裸電球を車内に引き込んでいた由。車軸発電機が凍り付いていたと見える。また某氏から511レは何箇所か脱線していたのに、そのまま大阪に引き返せたのかとのご指摘も。脱線と云ってもレール踏面に雪が硬く盛り上がって車輪が浮いた状態で、雪さえ除けば復元は容易だが、台車全体を掘り出し、除去した雪のやり場に困窮したようだ。今庄駅前ロータリー?は雪の山で、「この下に数台の自動車が埋まっているから、ブルドーザーは頼むから入らないで」の意味の哀願調立て札もあった。さらに投宿した旅籠は当初「食事もろくに出来ないから」と渋り、間髪を入れず「件の」キャベツを1個差し出すと、とたんに親父の態度が変わり「大したものは出せないが」と了承。その晩めしは焼き飯だったか、ラーメンだったかは2人の記憶が一致しないが、野菜の逼迫は深刻であった。さらに翌28日のEF、ED70の3連にスエかオエか(井原氏よ、写真から判定乞う)の70系救援車を挟んだ列車は、やはりどこかでの脱線の救援に駆けつける途上らしい。以上補足を終わり、以下本編に復帰する。お待ちどう様。
旧陸軍の行軍はフル軍装で1時間1里(3.927km)、のち4kmを45〜50分ぐらいで歩き、10〜15分休憩。強行軍だと1時間5kmぐらい、休憩なしに数時間以上歩いたそうである。今庄―武生はたったの15.9kmで、雪が無ければ4時間だが、オーバーシューズを穿っていたとはいえ、少なくとも7〜8時間以上は要したようだ。途中写真が一切無いから、列車も運行を中断しており、だからこそ湯尾の駅長も「気をつけて」と送り出してくれたと思われる。
薄暗くなって武生に到着。双六なら「振出に戻る」である。「半日山のなかを馳けあるいて、漸く下りて見たら元の所へなんて、全体何てえ間抜だらう」との「二百十日」(夏目漱石)の碌さんの台詞も思い出した。現在の国道8号線は武生の東方をバイパスで通っているが、当時は町のド真ん中を北に抜けていた。駅近くに砺波運輸の基地があり、ここからトラックに便乗しようではないかと衆議=二議一決。早速重澤旦那が無類の危機管理能力か、有事の生命力を発揮し、1台の金沢行きトラックの運転手に話を付けてきた。まだ若い助手と共に、一刻も早く金沢の自宅に戻りたい由で、積荷がナイロンの原綿?のため引火性があり、タバコとマッチの類は預からせてもらう。休憩時は返すという約定で、当然異議があるはずもない。腕章の効力発揮は確かだが、何としても富山まで行かねばならないのなら、困った時はお互い様という男気が本当に嬉しかった。
荷台は幌が厳重で風は入らないが、積荷と幌の天井とは1メートルも無く、這って歩く。道路は雪だらけの不陸(土木用語で、平らならざる状態)だらけ、10トン積ほどの大型トラックはまるで雪上車並みにゴトンドスンゴトンと前後左右斜めとあらゆる方向に大仰な浮沈を繰り返して亀の歩みである。
荷台に閉じ込められると全く外が見えず、ただ時間の経過を待つばかり。背中で荷物の上面を擦りまわっているような状態である。走っては止まり、止まっては揺れ、を何時間繰り返したか。
えらく停車が長いなと思うと、外から「お二人さんよー。しょんべんどうだー」「おー、頼むー」後尾の幌が開き、飛び降りて雪の山目掛け用を足す。タバコとマッチの一時的返却も受ける。雪は止んで星空が広がり、遠くに見える明かりは芦原温泉だという。えっ、まだそれだけしか来てないの。
トラックは何十台か百台以上かが車列をなし、建設省の複数のブルドーザーが除雪しながら先導しているらしい。走行可能幅はまさにトラック1台分で、反対側からの同様車列と鉢合わせすると大事になる。雪がどけられる広いところならいいが、街中や地形が掘割状だと大変で、ブルが何とかコンボイ同志が行き違えるスペースを作り上げるまで、双方とも数時間の立往生となる。
途中相客が1人増えた。中部日本放送のカメラマン(本物の)で、TVニュースのフィルモ(B&H社=米国製のやたら頑丈な16mm撮影機で3本ターレット、スプリングモーター駆動。小生も当時仕事で使っていたが、37万円=小生の月収の20倍以上)を抱えており、撮影済フィルムを送る手立てが無いとこぼしていた。
そうこうするうちに車列が動き出し、我々はタバコとマッチを預け荷台に復帰。真っ暗な荷台内で唯一の明かりであった旦那のランタン(単2×2)が点灯のまま大きなコモ包みの間に落ち、だんだん光が頼りなくなり、やがて消え、回収は不能だった。
こんな状態が夜2回、昼間1回延々と連続し、武生出発1月28日夕刻、金沢に着いたのは30日朝と記憶する。鉄道だと95.6kmで、蒸機牽引各停列車でも当時3時間程度。それが40時間程を要し、表定速度約3kmだから歩行同然だが、ともかく歩かずにすんだ。カメラマン氏はそれまでに降りていた。口数は少ないが親切で朴訥な運転手と運転助手(当時長距離トラックには助手が乗っていた)の2人に心から礼を述べ、各500円札1枚とキャベツ1個を呈上。2人とも「家にいい土産になる」とキャベツが嬉しかったようで、それを高く掲げてしばらく見送ってくれていた。有難う、金沢の礪波運輸運転手と助手さん。彼等も交代で休んだとしても、恐らくほとんど寝られていないはずである。
早速2人とも勤務先に「オオユキカエレヌガ ゲ ンキ スマヌ」、自宅にも電報を打つ。福岡(博多ではない。富山県で北陸本線沿線)在住の沖中氏には電話が通じた。金沢―富山間は辛うじて1日4〜5本の列車が走っていた。駅構内にはC57が曳く雪捨列車がおり、縦位置写真「雪の構内」はその年のピク誌コンテストで推薦に入った。当時ネガ提出はないから、主催者へは版権だけで著作権の移転も無いはずである。

添付画像
【C57雪捨て列車.jpg : 154.7KB】

添付画像
【雪捨て列車2.jpg : 150.5KB】

添付画像
【「雪の構内」縦jpg.jpg : 179.0KB】
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【509】サンパチ豪雪中横断記その7
 湯口徹  - 06/3/5(日) 11:56 -
  
当時の北陸本線は電化が1962年3月21日今庄―福井間、12月28日米原―田村間、1963年4月4日福井―金沢間。複線化は1962年以降実に細切れながら(やれるところから)各地で進められていたが、我々2人が文字通り歩いた区間での開通は今庄―湯尾間3.7kmのみで、他の地区では一見複線のようでも、まだ片側は開業に至っていない。武生―鯖江間1963(昭和38)年4月15日、王子保―武生間9 月16日、鯖江―王子保間9月25日など、サンパチ豪雪以後である。雪のため遅れたのであろう。貼付新線部分は当然ながら列車は通らず、除雪もされないが、雪の仮置場には役立っていた。
今庄の次の駅、湯尾までは上記の通り複線化済だが、たまに走る非営業の様子見列車は単線運行していた。この間に福井まで唯一の短いトンネル(前回写真のバック)がある。
湯尾でラッセルを行き過させた。駅では畳んでいるウイングも走行中は当然拡げているから、線路歩行中後ろからやってきたらと思うとゾッとする。湯尾の駅長は「くれぐれも気をつけて」と送り出してくれた。
我々2人は腕にPRESSの腕章を巻いていたのである。報道取材規制を伴うあるイベントの際、登録記者に渡したシルクスクリーン印刷の立派なものの未使用品を2本、小生が密かに業務上横領し、将来生ずべき有事?に備え隠匿していた。それが今回絶大な効果を発揮した「今だから話そう」である。DRFCメンバーには報道関係者もいるから、何と嘆かわしい先輩かと憤慨もされよう。御免なさい。民主党某議員並に若気の至り(当時24歳)を心から反省悔悟し、以後かような行為は一切致しておりません。

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【507】サンパチ豪雪中横断記その6
 湯口 徹  - 06/3/4(土) 15:43 -
  
我々が乗ってきた511レは大阪発6時42分、青森着翌日13時44分、裏縦貫1,045.8kmに31時間02分を要する各停(深夜はかなり通過)列車である。小生は学生時代反対の512レに青森(14時25分発)から京都(19時31分着)まで乗り通したことがあり、どうせなら大阪までとも思ったが、米原以西の乗車券がなく、泣き泣き?京都→東福寺(奈良線と京阪との連絡がフリー!)→というお決まりルートで定期券のある京阪に乗換え帰宅。
話が脱線した。その511レが大阪へ引き返す途中、我々は決断を迫られ、今庄で下車1泊してあくまで富山を目指し、明日以降に期待することに決した。1人帰る島ヶ原のお兄さんはリュックサックからキャベツを7個取り出して我々冒険継続2人組に託した。彼は生鮮食料品不足だから絶対役に立つと信じており、それは程なく立証される。
今庄駅前の小旅館に投宿。玄関まで雪の階段をほぼ1階分下りたのを記憶している。部屋は2階だったが、翌1月28日朝窓を開けても屋根から下ろした雪が軒まで積み上がって何も見えず、電柱も雪に埋もれ、電線に手が届きそうだった。
判明した情報はすべて不吉で、列車は敦賀以東すべてストップし、復旧予定も不明。国道8号線(木ノ芽峠、栃ノ木峠を避け敦賀から河野まで日本海に沿い=旧敦賀街道=中津原峠武生トンネルを経て武生へ至る)も不通。今庄は木ノ本から栃ノ木峠を経る旧北国街道(現国道365号線)上にあり、国道8号すら交通途絶とあっては陸路は全て閉ざされてしまったのである。大量のトラックが8号線に立往生している由で、到底道路=雪に埋まりかけたトラックの群の脇など歩けるものではないことも分かった。
我々が取るべき方策は、1.とっ掴まり新聞種になるのを覚悟で13.87kmの北陸トンネルを歩いて敦賀に抜ける2.北陸本線の線路を歩いて福井を目指す。芦原かどこかの温泉にまで行ければラッキーだが、なるべく大きい旅館で、旦那の名刺と職員証(大手旅行業者)で交通復活まで過すことも想定3.この今庄でじっと待つ、の三案があった。3.は最も安全だがあまりにも消極的で論議に及ばず却下。1.は安全でもやはり控えるべきであろう。残るのは2.しかない。折角前日武生にいたのに何とも非能率不経済な話だが、ともかくキャベツほか諸々の所帯道具(5日程度の半野宿?対応可能な食料、酒、コーヒー、炊飯具、燃料、寝袋等)をかつぎ、2人は雄雄しくも?今庄を後にし、福井めがけて雪の線路を歩みだしたのであった。
誤解のないよう記しておくが、この時は町中の何とか除雪した(その後もどんどん雪が積もり続けているが)道路以外のほぼ全ての道路が通行も歩行も不能。しかもどこに橋があって曲がっているかも分からず、危険この上もない。残ったのが鉄道線路で、緊急用件での線路歩行は国鉄もある程度黙認せざるを得ない異常事態であった。危険は限りなく残っても、道路(らしき箇所)よりはまだ安全なのである。
今庄駅構内ではラッセル車が往復して小手調べ中。電機3両の間に70系救援車をはさんだ列車もあったが、機関車(単機)を時折走行させて線路状態や積雪情報を収集していたから、前後に注意しないと歩くのも命懸けである。

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【506】サンパチ豪雪中横断記その5
 湯口 徹  - 06/3/3(金) 20:37 -
  
写真挿入の順番を誤った。我等が511レのEF70はこんな姿で武生までたどり着いた。機関士は一体どうして前方を見ていたのか。ワイパーも凍りつき、助手共側窓から必死に首を突き出していたのかもしれない。機関車の前をご覧頂きたい。これだけの雪を力任せにここまで押してきたのである。除雪作業員も機関車を掘り出そうとするが、掘った雪のやり場がない。ただ右から左へ動かす程度で、根本的な除雪には程遠い。
我々は実は旦那小生の2人ではなく、当時島ヶ原村(関西線)役場勤務だが、つい先ごろまで重澤旦那と同じ職場にいたお兄さんが1人加わった3人であった。武生での立ち往生も数時間になるが炊き出しの気配もなく(尤も一般乗客は僅かだった)我々はラジュース(=商品名で登山用加圧燃焼式石油ストーブ)を大ぴらに車内で炊き、暇にまかせラーメンを作ったり、コーヒーを入れ「結構なお手前で」などとやっていた。暗くなりはじめた頃「この列車は大阪に引き返します。出発地に戻られるお客様はそこで乗車券を払い戻します」と触れてきた。そのままおとなしく京都に戻っていれば、運賃はタダの冒険話もこれまでなのだが、これからがまさに「豪雪中横断記」の真髄になる。次回以降にご期待あれ。(なんだか紙芝居か連続講釈じみてきたか)

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【505】サンパチ豪雪中横断記その4
 湯口 徹  - 06/3/3(金) 15:24 -
  
前3回の枕に続き、いよいよ重澤旦那と小生のサンパチ豪雪中今庄-富山の雪中横断記本編の始まり始まり。なお初回「サンパチ」で1962年1月20、21日とも杉津へ行ったと記したのは小生の耄碌露呈で、過去何百年かのカレンダー検索サイトで20日=土曜、21日=日曜と判明。当時土曜日に仕事を休めたとは思えないから当然21日である。訂正してお詫びを。
時は1963(昭和38)年1月。サンパチ豪雪と語り継がれる雪は、前年12月末から積り始め、1月12日から本格的になり17日までが第一波。26日以降が第二波で、積雪は富山186cm、高岡伏木225cm、福井213cm、長岡318cmに達した。主に新潟県から京都府北部の日本海沿いに集中し、鹿児島でも30cmという。死者228、行方不明者3人、全壊家屋753、半壊982棟。
今年の特定地域のほうが雪が深いと思われるのは尤もである。ただ42年前では、北海道こそグレーダーやロータリーなど道路除雪用の新鋭機器が投入され始め、鉄道より除雪技術もすすんだ面があった。しかし当時本州以南は経験もなくお手上げ状態で、一桁番号の動脈国道は建設省がブルで除雪はしても雪を捨てる方策がなく、その片端から新雪が積もる。二桁国道や県道以下はその態勢も録にない。国鉄は明治以来のラッセル、ジョルダン、マックレーン、ロータリーのみ。しかも北陸線は前年3月21日福井まで交流電化(福井-金沢電化は同年4月4日)したところで、電柱と高圧架線が邪魔かつ経験皆無でロータリーでの雪飛ばしもできない。ラッセルを何回か通すと、線路の両サイドに高い雪の壁ができ、以後いくらラッセルを入れても排除した雪の行き場がない。あとは沖中氏の書くとおり、人力で雪の壁を段切りをして更に上へ積み上げるか、貨車に載せ捨てに行くかしかない。
と、ここまでが二番目の枕で、これからが本本番である。先ずは予備知識をお蓄え頂きたい。なお2度目の北陸行「豪雪中横断」の引き金はワッチャラからほぼ毎日発せられる電報で、中でも「キマロキシユツド ウマダ マダ フルゾ 」(キマロキ出動まだまだ降るぞ)が最も2人の神経を刺激した。彼氏の回顧談?では勝手に我々がやってきたかのごとくだが、真実は彼の「煽りそそのかし」が相当の役割を果たしている。話は両方から聞かねばならない。
キマロキを知らない人もいるそうだから、あえて蛇足を加えると、両端に蒸機、その間にマックレーン(掻寄車)とロータリーをはさんだ除雪列車で、線路両側の雪壁を一旦線路上に崩してロータリーで遠くに投げ捨てる。これが走るとはすなわちダイヤなど滅茶苦茶、かつそれ以上の除雪手段はないことでもある。
26日小生は銀閣寺付近の重澤旦那の家に泊まり、夜中に市電銀閣寺の当時京都名物の屋台ラーメンを食べに。雪はどんどん積もり、帰路立ち往生中のタクシーを押してやった。運ちゃんはトランクを開け、すまんがここに2人とも乗ってくれという。後軸に荷重をかけ積もりたて雪を突破しようという知恵で、この経験は後年信州で役に立った。
翌朝1月27日京都発7時23分(大阪6時42分始発)青森行き511レ(各停列車)に乗車したが、盛んに「どこまで行けるか分からん。途中で引き返すかも知れん。承知の上乗れ」とスピーカーが喚き、車掌も1両づつ宣言して回っていた。敦賀までは若干遅れた位で無事北陸トンネルへ。今庄からと記憶するが大勢の臨時除雪作業員(地元農家の貴重な現金バイト)が各自スコップ持参で乗り込んだ。列車は進んだかと思うと止まり、時折指揮者が笛を吹くと除雪員が下車し、雪の壁によじ登って雪を立方体に切って上へ。それをまたリレー方式で上へ。極めて労働集約的非能率作業を重ね、1箇所1時間ぐらいを要し何とか突破して511レは東へ。
止まっては少し走り、を繰り返した列車は、FF70が両サイドの壁にさえぎられ逃げ場のない雪を力任せに前へ押しながら進む。いくら電機が強力でも押す雪は増えるばかりで、その限界になると人力で雪の壁に積み上げ更に高くする。そんな具合で武生までたどり着いたが、それからびくとも動かなくなった。
EF70も客車の台車も雪まみれでちゃんとレールに乗っているのかどうかさえ分からず、立ち往生数時間後、どうやら何箇所か脱線しているらしいと判明。
その間することのない我々は福井鉄道南越線を覗いたがまさしく雪に埋もれているとしかいいようがない。屋根のないホームは雪が山積し、端を僅かに1人が歩けるだけ。その中でも雪は降り続ける。

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