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【504】越後しかわたり!越後しかわた〜りぃ〜!
 総本家 青信号 編集部  - 06/3/2(木) 21:22 -
  
鹿渡温泉・鹿渡館は当駅下車わずか徒歩1分です。写真は2004.2.8の信州越後鹿渡巡礼で撮影したものです。

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【503】しかわたり館よりのお礼
 本家青信号編集部  - 06/3/2(木) 9:59 -
  
「ローカル線で行く温泉旅」にしかわたり館が出ていて、再びクローバー会の話題が取り上げられたことでお礼を申し上げたところ、昨日しかわたり館のご主人からお礼状が来ました。

 ご無沙汰致しております。
昨年12月10日から想像もつかないくらいの降雪となりました。12月に3回も屋根除雪をしたのは初めてです。38年、59年の降雪以上でした。
中越地震・大雪(17年1〜2月)、豪雪(17年12〜18年1月)と続いて皆様にご心配をお掛けしております。「ローカル線で行く温泉旅」のレポーターの方が一度宿泊をして頂きいろいろと話をさせて頂いた中、同志社大学鉄道同好会の皆様の想い出話を出しましたら喜んで書かれました。2月18日に来飯をして頂きました。
今冬の雪の多さの話等、またテレビによる豪雪・津南町をみて心配をして頂きました。
 皆様にお礼のはがきをと思いながらもついつい出さず申し訳もございませんでした。
3月2日、今朝も雪がチラホラと降っております。積雪は250cmくらいまで消えております。
春も目の前です。皆様も風邪などに気をつけてまた津南鹿渡に来て下さるよう願っております。
頑張っておりますのでよろしくお伝え下さい。草々
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【502】急行「かすが」廃止
 乙訓の長老  - 06/2/28(火) 16:40 -
  
JR西日本2006.03.18のダイヤ改正で、老人が利用した列車消滅を知り寂しい気持ちで一杯である。「出雲」は城崎→京都、「かすが」は大阪在勤中、近鉄特急が難波まで伸びる前に三重県下へ出張の際に乗ったものである。
城崎は蟹や温泉とは無関係で、福鉄局保養所工事の下請けをした時であった。最初は急行で、特急「あさしお」に乗り遅れた結果である。次回は特急になっており打ち合わせ後、泊まっていけ一杯やれるではないか、との誘いを振り切ってDD54牽引のハネで足を伸ばして帰京した。
「かすが」は近鉄特急の充実、東・西名阪道路の開通で乗る人がさっぱりとなり、消滅する羽目となった。加太会メンバーも寂しい思いに駆られている事だろう。老人は長島温泉へ行く時、但し「花水木」ではなく某社の社員寮だが、「かすが」がキハ75に置き換えられた事を知り、これを村田屋の裏で撮ってやろうと思い付いた。その日は2000年3月11日、18キップで朝6時25分に家を出た。草津線経由で加太へ、8時38分到着である。駅舎を撮るや(P1)下り方へ歩く。上り下り3本のキハ125重連(P2)をキャッチするや村田屋に向け急ぐ。しばらくして東の方でタイフォーンらしき音色がする。慌てて線路際へ向かうが、お立ち台を探す間なく「かすが」はやって来た(P3)村田屋まで行く事なく駅へ戻る。伊勢鉄道撮影の為である。従って加太会の方々への報告事項は無し。ごめん。

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【501】サンパチ豪雪中横断記その3
 湯口 徹  - 06/2/28(火) 14:47 -
  
話は1963(昭和38)年に入り、やっと本筋にかなり近くなるのでご安心あれ。
1月20日、重澤旦那と小生は完全防寒、足にはオーバーシューズを穿って倶利伽羅へ赴き、ワッチャラこと沖中氏と落ち合う。峠に向かい勾配を上るC57やD51を撮るためではあるが、ここでも雪中キャンプもどき炊飯喫酒の方が楽しく、ほとんど撮影もしないままであった。沖中氏はリュックに「お父さんの牛乳」(ガラスカップ入り安合成酒の商品名。当時ワンカップ大関に類した清酒はまだ発売に至っていない)をどっさり、それにほうれん草、ポン酢、味噌調味料の類を詰め、スコップを持参。先に沖中氏自身が書いた如く、目的の高台にスコップを振るって半雪洞(屋根のないかまくら?)もどきを手際よく作り上げ、グランドシートを敷き、味噌汁その他の献立調理に鋭意邁進。ほうれん草を湯がいて「おしたし」を作り、残った緑色の湯で酒を燗し、まあまあおひとつという騒ぎ。その間、あら列車が行っちゃったよ!という事態も数回。重澤旦那は酒をたしなまないが、ワッチャラと小生は安酒と手製のアテにて大満足。
その帰路も小生は車内でお神酒を上げ続け、すっかり出来上がった時重澤旦那が暗い窓を透かして何やら見つけた。そこは木ノ本で、小生も雲を踏むような足取りで雪のホームによろけ出ると、連結をバラしたDD50の間に客車を2両はさんだ異様な列車ではないか。北陸トンネル開通後木ノ本-柳ヶ瀬-敦賀(鳩原信号場)間は柳ヶ瀬線=気動車単行7往復の超ローカル線化していたが、豪雪で気動車が走れず、重いディーゼル機関車+客車列車に振替え、終点での機回りを避けるためDD50背中合わせの間に客車をはさんだもので、引き通し線がないから前頭のDD50のみが力行し、後尾は死重でぶら下がっていたのである。
酔眼朦朧ながら精神一到何事か成らざらんと八百万の神仏に念じ、臍下丹田に力を込め、ニコンSPにトライX、絞り開放(35mmF1.8)15分1か8分1かのスローシャッターを切った。それでも露出は不足だが、それがこの珍列車写真である。何十年か後レイルロード(高間恒雄氏)がDD50の本で使ってくれたが、それまでは撮ったことも完全に忘れていた。

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【500】サンパチ豪雪中横断記その2
 湯口 徹  - 06/2/28(火) 13:37 -
  
小生の粗忽は生まれつきで今更どうしようもないが、前回タイトルではサンパチ以下を書くのを忘れた。従って今回の題名+その1に読み替えて下され。
ただでさえ雪が深いので有名な杉津、柳瀬だが、サンパチの前年でも結構な積雪で、この雪中撮影が翌年のサンパチ豪雪中横断アドベンチャーの引き金になった。
廃線間際の訪問は小生の最も嫌悪するところだが、杉津にはその年6月にも重澤、新兵こと吉田耕司氏と行っている。東京弁のお兄さん数名が居合わせたが、当方は写真撮影よりも炊飯に熱心で、吉田氏がラジュウスとコッフェルで実に見事に肉飯を炊き上げた。そのいい匂いが辺りにたち込め、小生がご機嫌に安カップ酒を賞味する側で、東京弁族が「だから何もねぇところだと言ったじゃねぇか」「だってこんなに何もないところだとは思わねぇじゃねぇか」と、食料飲料を一切持参せずの空腹から険悪な内輪もめを始め、中々の壮観であった。杉津はまさしく駅以外何物もないのは、現在そのルートを一部利用した北陸自動車道から見ても分かろう。その帰りはオハ31の便所でラジュウスを使い湯を沸かし、コーヒーを入れたのを覚えている。

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【499】サンパチ
 湯口 徹  - 06/2/28(火) 12:08 -
  
ワッチャラこと乙訓の長老こと沖中忠順会長が三八豪雪あれこれ話を連載し、まだ続くとばかり思っていたら、これでチョンの由。記憶力豊かな彼氏の頭脳も寄る年波に一部老化が見られるのか、若干だが日の錯誤もあるようだ。老人2人が出しゃばり過ぎとの批判も大いに仄聞?するが、まあ暇潰しに見ておくなはれ。「おじん2人ヨーロッパ軽便」はしばらく中断する。誰だ、ああ良かったという奴は。絞め殺すよ。
昭和38年―1963年はサンパチ豪雪で記録に残る。今年の雪もただ事でなく、部分的にはサンパチを越えてもいるようだが、43年前の豪雪は北陸本線はじめ国鉄が1週間近くストップし、高速道路もない時代で、国道が軒並み雪で埋まり食料、中でも生鮮食料の不足も逼迫した。除雪技術が未熟で、社会的影響は大変なものだった。
小生等―旦那こと重澤崇、ワッチャラ、小生は1961年卒業、サラリーマン家業に入ったが勿論独身で気楽トンボではあった。
北陸トンネル開業は1962(昭和37)年6月10日で、その年1月20、21日(小生の老化は某老人どころでない=全く記憶がなく、ネガホルダーの日付だけが頼り)北陸本線杉津に行っている。泊まった覚えはなく、付近に宿もない。2日続けて行ったのか。何も1年前から説き起こすほどの話ではないのだが、まあこれも成り行きで、辛抱辛抱。

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【498】訪韓団行状報告その3
 訪韓団特派員  - 06/2/26(日) 23:27 -
  
いよいよ最終日になりました。
連日の地方議員なみの強行研修に体調を壊すものまで現れるほど。
KTXでソウルまでの途中は講師の澤村先生からKTXはなぜうるさいか、なぜ遅いのか、などのお話を拝聴して全員納得。やがてソウル駅に到着後その足で地下鉄に乗り換えて在来線を約一時間もどり“儀旺”駅で下車、鉄道博物館で展示館と展示品をみた。ここで貴重な写真集を買った人がいた。
湯口大先輩がご覧になればよだれを垂らす事請け合いのナロー気動車や蒸気機関車が並んでいる。ふたたび市内に戻り最後の夕食はお待ちかねの焼き肉、小西君のたってのご希望で日本では食べられないという牛タンを200gをたべる。ホテルは仁寺洞近くのプチホテル、この価格でこの設備!と圓中“朴大統領”もおどろいた。
一夜明けて帰国の朝、零下に冷え込んだ町を散策してちょっとはやめの昼食は石鍋で炊いたあつあつのご飯と焼きたての鯖、これで500円とは。
2時過ぎの大韓航空で無事帰りました。

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【497】訪韓団行状報告その2
 訪韓団特派員  - 06/2/24(金) 16:31 -
  
24日は朝から快晴、約束の10時丁度に国鉄プサン工場につきました。
さっそく美人のお姉さんのご案内で技術課長を紹介され工場内を見せていただきました。残念ながら工場内部の写真は禁止されて写されませんが屋外の留置車両は自由に写すことを許されました。車輪の研磨や機関のオーバーホールを見ました。大変整頓されていてきれいな工場でした。
韓国では鉄道ファンはいないらしく見学などないということでした。1950年新潟鉄工製の貨車(チキ)などがありましたが専門的な質問を澤村団長がしてくれたので大いに面目が立ちました。
12時に無事見学終了の後、トンネ温泉近くのパジョンの名店で乾杯をしました。
明日はKTXでソウルです。

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【496】訪韓団行状報告その1
 訪韓団特派員  - 06/2/24(金) 1:05 -
  
予定通り澤村団長を筆頭に2月23日14時15分プサン金海空港に到着した。
そのままホテルに入り、休むまもなく市庁に朴明欽政策研究室長をたずね地下鉄に関して文句を言った。その後夕食に席を移しさらに文句を言った。特に円中君は特に熱心に文句を言い続けていたのが印象的だった。続いて二次会のサロンに移ったが円中氏はきれいなお嬢さんがいるのを見ると文句を言わなくなった。さすが友好のコツを知っている方だと感心した。ホテルに帰って返礼として屋台に朴さんを招待して別れを惜しんだ。
いよいよ明日は国鉄の見学だ。友好にまい進します。

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【495】おじん2人ヨーロッパ軽便その5-1
 湯口徹  - 06/2/15(水) 21:57 -
  
Lossnitzgrundbahnその1
ドイツ有数の古都ドレスデンは戦時中猛烈な爆撃に会い、その徹底的な復元でも有名だが、旧東ドイツではベルリンに次ぐ大都市である。その東にラーデボイルという町が神戸と明石のように市街が切れることなく隣接し、路面電車も直通。ラーデボイルには駅がオスト、ヴェストと2つあり、これはオストから分岐し、ラーデブルグに至る16.5km、軌間750mmの狭軌鉄道である。王立ザクセン国有鉄道として1884年開業したから120年以上の歴史を持つ。現在ではBVD運営の私鉄になっている。
ラーデボイル・オストを出るとしばらく住宅地の中を走り、路面電車と平面交差。これが第一の名物である。それから勾配区間に入ってカーブが連続し、かなり上って突然高原状の平地に出、綺麗な湿地のごとき池を横切ると、お伽噺かチョコレート箱の絵のようなモーリッツブルグ城が見えてくる。このあたり一帯は放牧もされ、保養地、別荘地のようだ。観光客はここでみんな降りてしまうが、さらに別の大きく綺麗な池の横をかすめてあとは農地と住宅が続き、終点ラーデブルグである。
我々おじん野次喜多2人組はバートドベランとツイッタウで心底懲り、列車撮影より先ず宿探しを優先。5〜6軒ホテルを当たってもすべてシーズンで満員で、再び相棒(通称ウメムラツーリストサービス)が卓越した危機管理能力を発揮した。レンタカーをオスト駅前に止め(駐車スペースはいくらでもあった)、タクシーに乗って運ちゃんに探させようとの、佐貫又男的発想である。運転手はノープロブレムと気軽に請け合ったが、6軒、7軒と満室が続くと流石にあせりだした。結局は無線であちこち問い合わせ、全くの住宅街のとある一軒に連れ込んだ。そこが民宿かと思いきや、看板はなかったが民宿斡旋所で、それから遠からぬ一軒が宿になった。我々は駅に戻るタクシーの中でヘンデルとグレイテルさながら、必死に道を覚えねばならなかった。駅に戻って払ったタクシー代はチップ込み30マルクで、随分走り回ったことが分かる。握手して車を乗り換え、宿には無事到着し早速撮影に。素人B&B(ベッド&ブレックフアスト=朝食付き民宿)で、ツインが2部屋だけだが清潔で、朝食も中々だったので、もう一晩確保してさらなる宿探しを回避した。
最初の写真は住宅地内を抜けるラーデブルグ行き列車。左側の駐車は我々のレンタカーである。蛇足だが、道路標識にアインバーンシュトラーセとある。市街ではどんな細い道でも名前が付いており、小生はてっきり、これは「一条通」だと思い込んだ。しかもどんな小さな町に行ってもこの名前があるなと感心したのだが、実は固有名詞ではなく普通名詞の「一方通行」で、どの町にもあるはずである。小生の外国語能力を露呈し、つまりは如何にいい加減な学生生活を送ったか、を数十年後に心から恥じ、親に申し訳ないと後悔しても後の祭りである。

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【494】鳥のオリンピック 訂正版
 総本家 青信号 編集部  - 06/2/11(土) 10:02 -
  
冬季五輪大会記念頭の体操に、早速ご応募いただきありがとうございます。
問ニの答えは、「うみねこ」と「ちどり」として出題いたしましたが「白鳥」
があったとは編集部データ室でも判りませんでした。1966藤本哲男さまの記憶
力に敬意を表するとともに、ご応募に重ねて御礼もうしあげます。

参考までに「準急白鳥」「準急うみねこ」についてご説明いたします。
ともに気動車準急で、クリーム色の車体に赤い帯を窓下に廻したいわゆる準急
標準色をまとったキハ26キハ55系を使用していました。
「準急白鳥」
1960昭和35.12.28に秋田青森連絡を目的に奥羽・東北・八戸線を経由して秋田
〜鮫に運行を開始しましたが、「サンロクトウ」大規模ダイヤ改正で気動車特急
に1961昭和36.10.1名前を譲りました。わずか十ヶ月間の薄命準急列車でした。
余談ながら、日本海沿い1052.9Kmを走りつづけた特急白鳥は2001平成13.3.2発
をもって四十年近い使命を終えています。編集長は大阪発の最終便に青森まで
乗車しました。五年前のごはん粒がこびりついた水了軒の特製記念弁当の折箱を
見ながらしばし合掌。思い出にふけさせていただきました。謝々藤本大人。
「準急うみねこ」
1962昭和37.10.1に久慈〜盛岡に運行を開始した準急列車です。前身は準急しも
きたでした。

常磐線の103系の運用が終わるそうですが、こちら大阪環状線の103系も
終盤を迎えようとしています。昨年12月から200系が走行開始です。青い
ままの編成も走っていますが橙色で森ノ宮標記に塗り替えられた編成もありま
す。
大阪環状線が100系に高性能化されたのも準急白鳥が走り始めた1960昭和
35.12と同じときと云う、遥かむかしのお話です。
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【493】Re:鳥のオリンピック
 1966  藤本哲男  - 06/2/10(金) 12:53 -
  
答え
問一  つばさ
問二  ちどり、白鳥

 その他、鳥の名前をつけた列車は、大垣〜東京間の修学旅行専用電車「こまどり」がありました。余談になりますが、繁忙期は同じスジで準急「ながら」として運転され、ステンレスのサロ153900番台がよく組み込まれておりました。

 話は変わりますが、常磐線の103系は、明日11日が休日では最後の終日運用となります。散歩がてら江戸川の土手からでも撮影しようかと思っております。
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【492】鳥のオリンピック
 総本家 青信号 編集部  - 06/2/10(金) 0:18 -
  
冬季五輪大会記念 頭の体操

かっての第二次世界大戦での同盟国伊太利亜はトリノにおいて、五輪大会の
開催が間近になってまいりました。寒さで血の巡りが悪化していますので
血行改善のためにもOBの皆さまは下記の設問でお楽しみください。

<問題>
うみねこ おおとり かもめ サンダーバード しらさぎ ちどり つばさ
つばめ とき はくたか 白鳥 はくつる はつかり はと はやぶさ
ひばり フェニックス やまばと ゆうづる 雷鳥 (五十音順)  
  
<問一>
鳥でないものが一つあるのでお探しください。

<問ニ>
準急として運行されていたことのあるのが二つ含まれているが、どれですか。

正解の方には、鳥のフィギュア・人気駅弁折尾駅かしわ飯・伏見稲荷のすずめ
串焼きなどを厳正抽選のうえお送りいたします。詳細は福田静二さんまでお問
い合わせください。

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今秋開催の富士フォトサロンでのOB会写真展への作品応募は10日締切ですが
少々の遅れは受付いたします。週末の連休にもう一度、押入れや柳行李の中を
改めていただき自慢の写真をお送りください。これまた詳細は福田静二さんまで
お問い合わせください。
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【491】三八豪雪 あれこれ話その4
 乙訓の長老  - 06/2/8(水) 14:21 -
  
三八豪雪 あれこれ話 その4
2人は9時前に着いた。なんでも試運転を兼ねた救援列車に便乗して来た様で、直ぐに会社が使っている料理旅館「福岡館」へ案内した。道々きけば武生駅構内で電関の脱線があり、以遠不通となったとの事。ここで引き返せたのかどうかは聞き漏らしたのか、覚えが無い。2人は国道8号に出て、見付けたのがトナミ運輸武生営業所。老人の勤務先の救援隊だと名乗り上げ白菜1ケ進呈の上、金沢までトラックの荷台で15時間揺られてきた由。
なぜ吹雪の中を強行突破して来たのか、それは倶利伽羅で生鮮野菜、つまり青物が食いたいと言った事による。2人はそこで白菜、葱、キャベツ等を担いで来てくれたのである。
昼休みに「福岡館」に出向いてみると、2人は居ない。置手紙があり、「富山から高山線経由で帰る。」とだけ記されてあった。この日から生活列車のみ運転再開となり11時過ぎに駅で汽笛がしていたので、それで東へ向かったようだ。青物は3つに分けさせてもらった。
29日まで小降りだったが、30日から再び吹雪くが前よりましだ。生活列車に加え貨物列車も復活である。西で滞留していた物が弾かれた様に次々とD51先頭にやってきた。この時、珍しい蒸機を見ている。D50だ。この機はサン・ロク・トオ 以来、高岡〜富山間での城端線からの通勤通学列車の乗り入れ牽引や東富山の入換機でしか見られなかった。この頃、城端線や氷見線の通勤通学列車は見事なオハ31系編成であった。
月変わりと共に吹雪く事も無くなり、雪下ろしや町内の除雪が急ピッチで進んだ。越後の長岡では感電死が伝えられた。雪下ろしで、道路は6Mを超える積雪となり電線が雪の下になったからである。国道8号は開通したとはいえ、敦賀・武生間で雪崩の事もあり通行規制が厳しく不通同様であった。北陸トンネル開通の効用は大きく、鉄道の存在は見直されたのである。
2月2日(土)仕入先商社から「すき焼」をするから来ないかと、誘いがあった。勿論、大乗りである。その後は麻雀付なのだ。深夜、表道路からホイッスルが聞こえた。加越能鉄道高岡市内線の除雪であった。除雪が済めばデハ5010型が繰り返し走行した。
翌日、伏木へのルートが確保されたので行ってみた。氷見線伏木駅にはレ、レムが多数留置されていた。駅助役に聞けば、時化のため漁師が操業できず積む物がないと言う。瞬時に「こいつだ」と思った。西からD51,50で急送品は送られて来るが、北国からは出荷できない状態にあった。理由は操車機能のマヒ、貨物の積み下ろしや配送の不能にあった。そのため貨車の空車不足となり、福岡駅では車扱いの申し込みは受付してもらえなかった。。そこで老人は駅へ「伏木駅には空車がある。あれを廻して貰えば一件落着となるではないか」と交渉した。
2日後、冷蔵車が3両回送されて来た。提案者優先でレ、レム各1両が確保できた。10トン15トンで計算して申し込んだら、7トン、10トンにせよとの返事。何ゆえかと問えば、「先にお客さんが乗っている」と言う。お客さんとは、屋根上の雪の事であった。こうした事が一週間ばかり続いたが、日ごろトナミ運輸を愛用していたのにも係わらず、製品出荷を助けてくれたのは鉄道であった。

「立山」が走り出し、やっと正常ダイヤにもどった。「白鳥、黒部、北陸」が走り出したのは2月17日からだったと思う。以後、荒れることなく3月を迎えた。
その3月20日、フェーン現象で急激な気温上昇となった。この頃、後番から夜勤の当番をしており午後5時頃出勤としていた。下宿を出て100M程歩いて、前方の屋根越しに黒煙が上がるのが見えた。工場の方向である。下駄を掴んで走った。火は工場の窓から吹き出ていた。電柱に登り開閉器のロープを引いた。後は消防にまかすのみである。鎮火後、工務室に入って棚上の老人の大切なもの物をみたら、それは火と水で原型を留めていなかった。一年半かけて武生−黒部間、出張の合間に訪ねた信越、東海地区などのローカル鉄の車庫訪問記録とネガフィルムで、すべて灰塵となってしまったのである。
工場炎上の後は復旧、新工場の用地買収、工場建設(レイアウト)に追われカメラを持つ事はなかった。保険屋の現場検証後にカメラ持込が許され、その残りフィルムで撮影したのが雪融けの福岡駅(P8、P9)の姿である。踏切番と仲良しだったから、こんなシーンが撮影出来たのだろう。
貴重な体験をした福岡町を離れ大阪へ転勤となったのは新工場起工式の後で、送別会をしてくれた9月15日(日)夜、「つるぎ」とした。「つるぎ」は富山〜金沢間普通で最終列車であった。この日、琴平参宮電鉄の最終日でもあった。善通寺の義兄からの便りで気懸かりであったが、行けなかったのは、会社人間と化していたからだろう。
豪雪の事はさる事ながら、野菜を担いで来てくれた2人の友情は終生、忘れることはない。
重沢君、湯口君、ありがとう。

《下請け編集者注:その1で「大人」の読み方を“たいじん”としるし“おとな”と読むのではない旨を書いたところ作者から厳重抗議を頂いた。改めて“たいじん”と読む》

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【490】おじん2人ヨーロッパ軽便4-4
 湯口 徹  - 06/2/7(火) 18:15 -
  
Zittaur Schmalspurbahnその4
この鉄道のウリは先回ご覧頂いたベルツドルフでの2個列車同時発車だが、実はもうひとつ隠れた?名物がある。起点のツイッタウ駅本屋の前には広い植込みがあり、狭軌線駅は向かって右側(標準軌本線より)手前にある。機関区や車両基地は同様左手にあり、基地で仕立てた列車は駅本屋前の緑地を横切って右側狭軌プラットホームに据え付けられる。到着列車は機関車だけ切り離して基地へ行くか、客車を引いたまま行くか。どちらにせよ列車仕立て、到着毎に本屋前の緑地を列車か機関車単機かが行き交うのである。列車の前には誘導員が徒歩で先行するから、大昔の京電(京都電燈)の旗を持った電車前触れ少年みたいなものだ。我々は偶然見つけた風景だが、ビデオやカメラを持った人が何人か列車を待っていた。全部が鉄道ファンではなさそうで、現地では結構有名な風景なのであろう。
なおこの国境近くの小さな町にもかつて路面電車があった。城壁を取り壊した跡の「リンク」(ループ状の周回道路)は狭いため反時計回りの一方通行であったのを身をもって知ったのは、宿探しでともかく車を走らしていて、同じところに突然出て、一瞬狐につままれたような思いをして、であった。
この町はトラビーことトラバントの工場で栄えていたが、ベルリンの壁崩壊で生産がストップ、鉄道沿線に人気のないやたら大きな工場建物があったのがそうだったのかもしれない。ともかく1993年現在、保養に来ている家族連れ外まったく活気がなく、夜は真っ暗。
ヨーロッパの町に必ずある中心広場(ドイツの場合はマルクトプラット。教会と役場が必ずあって、その地下はほぼリーズナブルなレストラン)に面し、ご当地ザクセンナロー専門の模型店があった。相棒は買おうかどうしようかと長時間迷って、結局買わず、後々まで悔やんでいた。

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