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嵐電が鉄道趣味の原点となった私にとって、先日来の珍しい写真に20歳過ぎまでの記憶がよみがえり、興味津々です。
>●嵐電北野駅廃止告知看板:中村進一氏の撮影の写真に写っていたもの。昭和33年7月15日 高橋弘氏撮影
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やはりあの看板はそうだったのですね。(仮)白梅町駅への変更が、工事のどさくさを物語っているようです。
>●白梅町交差点を南下する市電243号:下に交差する嵐電のレールが見える。高橋弘氏撮影 撮影日不明
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ここから市電の4号系統に乗り、北大路新町まで通っていましたので、低学年の頃はこの200形にも良く乗りました。緩んだ木造車体をぎしぎし軋ませて、だ行動しながら走っていたのを覚えています。同じく4輪単車で300形というのがありましたが、烏丸車庫には配属がなかったと見え、赤系統(壬生車庫)ばかりで、ほとんど乗った記憶がありません。
向こうの建物は衣笠小学校の校舎でしょうか。この撮影場所の背後には高津商会(映画の大・小道具を扱う)の倉庫がありましたが、今はイズミヤのショッピングセンターです。
>●今出川通りを東進し北野駅へ向かう嵐電106号:京阪特急色の試験塗装。昭和31年11月2日 吉川文夫氏撮影
この試験塗色も良く覚えています。写真は退色して京阪旧塗色のように見えますが、実際は現在の京阪特急色を若干派手目にしたような(特に黄色が)感じの色だったように思います。白梅町から今出川通りを50m程東に入ったところでの撮影と思われます。画面上、電車のすぐ右に踏切と紙屋川橋のコンクリート欄干が写っているからです。
同時期には数種試験塗装された電車が走ったように思います。私の記憶にはっきりと残っているのは、その後現れた京都市電の700形そっくりの若草色にクリームの塗り分けで、私にはこちらの方が好ましく思われました。その後しばらくして、現在の嵐電色に落ち着きましたが、旧塗色を少し明るくした程度の変化で、少しがっかりしました。
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