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▼藤本哲男さん:
つまらんクハユニ
DRFC飯田線探訪の23年後、家族旅行で八ヶ岳の麓(小海線沿線に非ず)へ行った帰路、天竜川沿いを走る国電に乗らないかと提案したら、渋る母親を横目に、娘(高1)息子(小6)が大賛成となり辰野から南下のコースを辿りました。道中、伊奈谷の地形を中心に解説してやりました。このときドンキホーテの面々と雪の中を恵那峠に向けて難行したことなどを思い出しました。
天竜峡止の電車だったので、「天竜1号」だったのかな。昼飯にしようと対岸の
そば屋に入りました。子どもたちは「てんぷら!」と言ったので全員そうなった
のですが、でっかい海老天が2ケ載っておりびっくり。お代も1杯500円。名古屋の食文化が天竜峡まで及んでいるとは……。
さて本題、やってきた辰野発豊橋行きに乗車。息子は先頭車へ行くもすぐに戻ってきて、「お父ちゃん、つまらん」とおっしゃる。クハユニ先頭ではかぶりつきでの展望は絶望。線路付け替え区間は後部へ連れて行き解説してやった。
3年前、、天竜川下りを仕事仲間と楽しみました。「そば屋」は土産物屋に転向していました。川下りの時、カメラを構えていましたら1回だけ119系2連が上流にむけ木立越しに走り去るのが、目に入りました。
>長老の書かれた「DRFC初の一泊旅行記」楽しく拝見させていただきました。もし今でも112レと同じ時間帯の列車が運転されていれば、「青春18」で同じコースを辿ることも不可能ではないかも知れませんね。それにしても、40年前に当会に「鉄子さん」が2人もおられたとはビックリです。お元気であれば、是非クローバー会総会にご出席いただき、当時の思い出話等お聞かせいただければと思います。
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>昭和41年3月、112レとほぼ同じ時間帯の列車、大阪23時50分発東京行144レで飯田線の電車撮影に行ったことがあります。
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>長老が撮影された写真の件、トップはクハユニ56で、車号は郵便・荷物扉の形状から56004と特定できます。クハユニ56は飯田線にのみ在籍した(例外は後で書きます)形式で56001〜004、011、012の6両在籍しました。001〜004は元クハニ67で旧車号は順に001、003〜005、昭和26年から27年にかけて、座席のセミクロス化、郵便室、トイレの取付けを行い飯田線に転属しました。001は昭和11年製、002〜004は14年製でノーシル・ノーヘッダーとなっています。
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>011と012は、戦時中の昭和18年、横須賀線用のモハユニ61001〜003として作られたものの電装されたのは後にクモハユニ64000となった001のみで、002、003はクハユニ代用で使用され、昭和27年に、セミクロス化、トイレの取付けを行い、正式にクハユニとなり、飯田線に転属しました。
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>3番目の荷電はクモニ13で、車号はパンタの形状(補強付PS13)から13034と特定できます。飯田線では、025,026、034の3両在籍し、昭和42年頃まで自連付で写真のようにワム+ワフを引いておりました。
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>撮影された場所は中部天竜駅となっておりますが、クモニ13の写真から見た構内配線、バックの風景から3枚目までは平岡駅と思うのですが如何でしょうか。(駅構内の雰囲気は中部天竜、平岡ともによく似ています)
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>1.クハユニ56001 昭和48年3月25日 松本駅
>昭和11年12月の松戸電化の時クハニ67001として作られた。昭和26年11月豊川分工場でクハユニ56001に改造。
>飯田線専属の車が松本に居た理由は次の通りである。昭和48年5月27日付で中津川〜塩尻間が電化され、上松〜聖高原間にローカル電車を運転するに当り(松本〜麻績・聖高原間は以前からキハ07→キハ52が運転されていたのでその置換え)、第一陣として中部天竜からクモハ51804、沼津からクハ68001、68011が北松本に転属した。3両では不足のため、豊橋からクハユニ56001、沼津からクモハ51850が貸出された。3月23日、豊橋から56001+51804の2連が富士に向けて出発。(飯田線を北上すると松本到着時に向きが変わってしまう)富士で後部にクハ68011+68001+51850を連結、翌日向きが変わり、51850を先頭に身延線を北上、甲府からそのまま中央西線に入り松本に到着した。56001は特殊な車のため使用されることは少なく、8月頃返還されたが、51850は1年以上も使用され、その間に青22号に塗り替えられてしまい、返還後スカ色に戻された。
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>2.クハユニ56011 昭和48年7月28日 豊橋機関区
>昭和18年11月モハユニ61002として作られるも、時節柄電装品不足のためクハ代用として使用。座席は本来セミクロスの予定のところ、板張りロングで、しかも半減されていた。昭和27年4月豊川分工場で本来のセミクロス化、トイレの取付けが行われ、クハユニ56012となった。
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>3.クハユニ56003 昭和40年3月20日 豊橋機関区
>長老が撮影された56004と同じノーシル、ノーヘッダーのグループで、元クハニ67004である。
>旧形国電は、戦後の更新修繕や使用線区に応じた小改造等で1両毎に差異が生じているため、車両の特徴さえ掴めば車号の特定は容易である。
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>4.クハユニ56002他3連 昭和52年5月4日 田切〜伊那福岡
>56002は客室扉が旧タイプの桟付であった。
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>5.ED191の引く貨物列車 昭和46年9月25日 伊那新町〜宮木
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>湯口 徹様
>大先輩から過分なお言葉をいただき有難うございます。旧形国電の話題になると年甲斐も無く血が騒ぎます。ただそれだけですので。
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