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またまた、クイズの回答を・・・
オミのミは、なんとミリタリィ(Military)のミからきている様です。日本の鉄道は、終戦からサンフランシスコ講和条約が発効される前日の1952年3月31日まで、連合国によって管理されていました。この際、軍事輸送に供するため、車両を接収していました。これらは、連合軍指定車両と呼ばれ、いろんな用途のものが生まれました。終戦後の写真でよく目にする白帯車です。ほとんどの車両が1952年3月31日までに返還されましたが、一部の車両は、その後もしばらく接収されていました。写真のオミ46 3は、スハフ35002として1941年2月28日に梅鉢車両で製造され、改番でオハフ33 283となったもので、1948年4月26日に接収され、1953年10月7日に返還されています。当時は、大鉄局に所属していました。手元の昭和26年9月21日の鉄道公報号外によると米軍の軍番号2749 TRUMANS-BURGという名前がつけられ、販売車(Commissary Car)として利用されていたようです。返還後も、30年弱働き続け、1982年10月1日付けで廃車されています。最終配置は、浜田でした。写真のオミ46 4は、スハ33882として1941年3月6日に新潟鐵工所で製造され、改番で元オハ35 233で、1946年2月15日に接収され、1954年1月20日に返還されています。同じく昭和26年9月21日の鉄道公報号外によると米軍の軍番号2755 BEXEYという名前がつけられ、販売車(Commissary Car)として利用されていたようです。当時は、大鉄局に所属していました。返還後は、電暖改造を受けオハ35 2233と番号を変え、1981年2月20日付けで廃車されています。最終配置は、秋田でした。残念ながら、金網が張ってある事情は不明です。想像するに、講和条約後も米軍車両として、使用されていたため、当時の活発な社会的な運動による投石など万一のために対する備えだったかもしれません。
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