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【1532】のオヤ304とスヤ372は、どちらも後に車体を振り替えた2代目が存在しますので、写真をご覧にいれます。
■オヤ304 昭和55年7月全検時に、オハフ33565(岡ツヤ)をオヤ304として出場させました。便所・車掌室は締切、洗面所撤去、床下に水槽無し。撮影:昭和55年8月3日吹田貨車区
■スヤ372 昭和55年1月全検時に、オハフ33280(大ヒメ)の標記を書き替えただけのようで、洗面所、床下の水槽も残っていました。撮影:昭和55年3月16日吹田貨車区
2代目はオハフ33の戦前製、戦後製のコンビとなり、職員の通勤用として吹田貨車区〜岸辺間を毎日朝夕往復しました。東海道本線下り線の外側に単線で吹田工場構内から千里丘の手前まで試運転線が延びており、岸辺駅駅舎の吹田方に仮設ホームがあって職員が乗り降りしていました。阪急電車の正雀工場搬入用の線路もありましたが、今は撤去されています。
時刻は、貨車区7:58→8:00岸辺8:00→8:02貨車区と、貨車区16:58→17:00岸辺17:00→17:02貨車区でした。末期はDE11が岸辺方に付き、行きは牽引、帰りは推進していました。構内入換扱いなので列車番号はありません。
この通勤列車も昭和57年11月14日で廃止されました。3枚目の写真はその最終日の朝の様子です。私の他にカメラを持った人を一人見ました。下り外側線を疾駆する117系快速も懐かしいですね。
なお、スニ3073も昭和39年2月に幡生工場でスエ3048に改造され、小郡機関区救援車となりました。じつはこれにも2代目があり、2代目はなんと20m車のマニ36303(元スロ603)が化けたものでした。
【オヤ304(2代目).jpg : 0.6MB】
【スヤ372(2代目).jpg : 382.5KB】
【通勤列車最終日.jpg : 372.1KB】
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