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▼田野城喬さま&米手作市さま
京都駅付近の秘蔵の写真を惜しげもなく披露していただき、ありがとうございます。
【1580】の昭和30年代前半の西大路駅西の写真、鉄道少年時代の米手作市さまの様子がよく伝わってきます。危険を顧みない性格は、昔も今も変わらないのですね。下を流れるのは天神川ですか。ここは開業時代以来の区間であり、本来なら、開業時の煉瓦橋台があっても良さそうなのですが、昭和初期には写真に見られるコンクリート製に変えられています。ただし、ここから少し西へ行った箇所には、現在も開業時の煉瓦橋台が残っています。これは後日またご報告いたします。
【1583】の堀川塩小路付近の旧安寧小学校の写真も興味深く拝見しました。今の交差点のド真ん中にあったのですね。
それに関連して、戦後すぐの京都駅付近の航空写真を載せておきます。この航空写真は、昭和21年に米軍が日本全国を空撮したもので、国土地理院や地域の図書館で閲覧ができ、一部はネットでも閲覧することができます。戦前の廃線跡のように地上からではなかなか把握しにくいものでも、航空写真なら非常によく掴めます。
【1566】のように旧線時代の京都駅は、現在の駅前広場にありました。写真では駅前広場のちょうど中央を東西に横切っていたことになります。その左、写真ではちょうど真ん中にある白い用地(現在の中央郵便局用地)の南端をかすめて旧線は西へ延びています。旧線上に建てられた民家はきれいな方形になって横並びになっているのが分かります。【1570】の石垣もその線に沿っていることが、この写真からも理解できます。そして行き着くのが、南に振った塩小路通りとなり、田野城さまのアルバム写真の下辺に相当することになります。両者の写真を照らし合わせると、この付近の変化がより理解できますね。
【昭和21年京都駅付近.jpg : 0.6MB】
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