|
◎お召、北海道を行く
【1379】のように、昭和43年9月に、開道百周年と道北視察によるお召列車が道内各地に運転された。まだ良き時代のこと、事前に大まかなダイヤが、鉄道雑誌や新聞に公表されていた。それをもとに撮影スケジュールも立てられたが、牽引機までは分からない。まだ非電化区間は蒸機中心の時代、もしやと期待したが、直前に問い合わせると、すべてDLということで、淡い期待は外れてしまった (ただ、往きのお召編成の回送を東北本線で撮ったところ、これはC60の牽引だった)。
しかし初めてのお召撮影、胸は高まる。ただ警備の厳しさだけは、昔も今も変わらない。とくに大学紛争が頂点にあった時代、みすぼらしい風体の大学生は、今の大学生以上に怪しい存在だった。線路沿いに立つだけで、警備陣が近づき、カバンの中身まで調べられた。
お召列車は以下のように運転された。
9/1 千歳→札幌
9/3 札幌→旭川→上川
9/5 上川→旭川→豊富
9/6 稚内→千歳
牽引機は千歳・函館・石北線がDD51548、宗谷線がDE10501+502で、最北の稚内までお召が走ったのは初めてで、DE10がお召に使用されたのも今回が初めてだった。稚内から千歳まで約550km、ほぼ東京〜大阪間に相当する距離を一日でロングランしたのもお召史上で特筆されるだろう。
写真1は、美唄鉄道へ行った折、美唄駅の北側で写した旭川行きお召、写真2は新旭川から歩いて写した上川行きお召。このときは山川さんと一緒だった。写真3は音威子府からヒッチハイクして写した豊富行きのお召。このときも山川さんと一緒だった。こちらが立つのは手塩川の対岸、さすがの警備もここまでは及ばない。線路端で警備する保線区員に「どけー!」とみんなで叫んだことを思い出す。撮影が終ってから、すぐ近くの小学校へ先生に招き入れられ、冷たい水を飲ませてもらいながら、北海道ならではのいろいろな話を聞かせていただいた。
【写真1 美唄.jpg : 219.5KB】
【写真2 新旭川.jpg : 203.3KB】
【写真3 音威子府.jpg : 469.8KB】
|
|
|