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◎北海道の第一歩
花輪線、東北本線で写し、DRFCの仲間とともに深夜の青函連絡船「羊蹄丸」に乗って函館に着いた。時に昭和43年8月30日、初めての北海道だった。京都を出て一週間、3日連続夜行→ユース1泊(最悪の設備でほとんど寝られず)→狂化合宿2泊(騒ぎ過ぎと、夜に大雨がテントに浸水してまたまた寝られず)→連絡船1泊という具合で、畳の上でまともに寝られないままの北海道入りとなった。
例によって夜明けとともに五稜郭機関区へ向かい、朝陽の中でD52やC62をゆっくり撮影した。駅前へ出てみると函館市電が停まっている。周囲の風景は、まだ函館とあって内地との違いは感じられないものの、すべてがゆったりしていて、空気もさすがに冷たさを感じる。
五稜郭駅前までの市電路線は昭和30年に開通し、ここを始発とする1系統函館どっく行きが出ていた。函館の市街地からやや離れた地であり、国鉄線から市電への乗換客も大した数ではなかったようだ。結局、昭和53年には廃止されてしまい、函館で一番最後に開通した区間が、一番最初に廃止されてしまった。
車両は600形で、昭和29年に601〜605の5両が製造された。地方には珍しい3扉が特徴で、後のワンマン化の際しては後扉を埋め、2扉化されている。正面もサイズの違う二枚窓、片寄った方向幕、そして超大型ナンバーと特色のあるスタイルだ。函館市電の下部の塗色は、淡いグリーンというか、言葉ではなかなか表現しにくい色で、これを偲べるのもカラーのお蔭だと思っている。
【函館市電.jpg : 153.6KB】
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