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以前の掲示板で、江若鉄道の塗装についてやりとりがありました。車両の姿かたちは記録や記憶に留めるさまざまな手段がありますが、塗装だけはカラー写真以外では記録ができないと痛感した一件でした。デジカメ全盛の時代、カラーが当然になっていますが、モノクロ世代の特派員にとって、高価だったカラーはハレの場にしか使わない貴重な撮影手段で、僅かな本数しか撮っていません。
貴重なカラーも、その後の保存が悪く、カビは生える、キズは付く、おまけに褪色はするで、とても見せられるようなシロモノではありませんでした。ところが、カラーの修整復元が素人にもできる時代になり、特派員もその工程が楽しくて、古いポジを引っ張り出してはパソコンに向かうことになりました。なんとか見られる状態にまで復元することができたカラーを蔵出しして、その時代を偲んでみたいと考えます。対象はあちこちに飛びますが、皆さんの突っ込み、お待ちしています。
◎渋谷駅前付近の都電
カラーポジを初めて使ったのは昭和43年8月、大学1年に行ったときの東北北海道旅行だった。EEカメラに入れたフジカラーN100を2本使い、25日間の旅行中、ここぞというときに大事に撮った。その栄えある第一号がこの写真、東京からから東北へ旅立つ前に撮った都電のカラーである。場所は渋谷駅前〜青山車庫前間の宮益坂。右手奥に東急百貨店の看板が見え、その横に山手線のウグイス色の103系も見える。その当時なら都内のどこでも見られた光景だが、単線であることがミソになっている。
青山方面から渋谷へ向かう都電は、かつては宮益坂を下り、山手線のガードをくぐって現在のハチ公前で折り返していた。昭和32年になると、渋谷駅東口に新しい都電ターミナルができると同時に、ルートが変更された。青山車庫前付近から単線の新線ができて、渋谷駅の前後は単線のループ状になったのである。
このように路面電車の終端がループになった例は関西でも見られ、かつての京都駅前や、大阪でも天神橋(現・天神橋筋六丁目)がループになっていた。ポールやビューゲルの時代、面倒な付け替え作業もなく、そのままスルー運転できるメリットがあった。
いまの渋谷の賑わいに較べると昔日の感がある。現在のド派手な街並みに較べて、この時代の看板や表示がずいぶん控えめであることが理解できる。こんな発見もカラーならではの効果だろう。この区間、約1ヵ月後の昭和43年9月28日には廃止になった。
【都電渋谷.jpg : 311.4KB】
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