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関西に住んでいると、関東の私鉄に目を向ける機会は少ないが、現役時代から何故か東武鉄道だけには興味があり何回か訪れたことがある。恐らくモハ3200系に代表される東武タイプと呼ばれる車両、長距離運行の快速、準急、蒸機こそ無くなっていたが電機の引く貨物列車、荷電等のバラエティーが魅力だったのかも知れない。
故大西顧問は東武の蒸機に非常に興味を持っておられ、たびたび8mm撮影に行っておられ、福田君とお宅にお邪魔した時よくお話をお聞きした。「鉄道ファン」に館林で大西顧問に誘われ、タクシーに便乗して蒸機を撮影した高校生の投稿が掲載されたことがあった。我々と同じ団塊世代の方で今も元気にされているだろうか。
大西顧問宅で思い出すのは、庭に江若「をごとおんせん」の駅名板があったこと、市電のDB1のコントローラーがあったこと、トイレの電気が市電500形一次車のものであったこと、いつも朝10時頃お邪魔をし、昼食、夕食をご馳走になり、帰りは銀閣寺道電停を23時20分頃通過する臨時九条車庫行であったこと等である。
当掲示板の盛況振りを、あの世でご覧になり、さぞお喜びであろうと思われる。
東京に転勤になったとき、最初は亀有の寮に入ったが、結婚する時、公団事務所に空家探しに行ったところ、当時空きがあったのは北春日部団地だけ、しかも「どこでも好きな部屋にどうぞ」と言われた。東武沿線で始発電車があるので良いだろうと思って現地を見に行ったところ、駅前には民家が数軒あるだけ、畑の中を10数分程歩くと団地が現れたが、まわりに商店らしきものは全く無し。これはダメだと思って今住んでいる金町のアパートにした。
群馬、栃木方面は、上野に行くより北千住の方が近く、JRに比べて運賃が格段に安いこと、日光、尾瀬方面に行く時は便利なこともありよく利用するが、日光線快速の大部分が東武動物公園以遠各駅停車の区間快速に変更、伊勢崎線の太田まで主要駅のみ停車のA準急がなくなったこと等、特別料金不要の速達列車の廃止は遺憾に思う。
(1)地下鉄日比谷線乗り入れ車 モハ2100 昭和43年4月7日 北千住
(2)モハ3233 昭和45年9月15日 鐘ヶ淵
昭和3年 日車製 この車は昭和30年に扉間クロスシートに改造され、主に宇都宮準急に使用されていた。
(3)モハ5800 昭和43年4月7日 西新井
昭和26年日車製で、クハ550として誕生したが、翌27年にM化した。扉間クロスシートで主に日光線快速に使用されていたが、この日は大師線に運用は入っていた。
(4)モ二1471 昭和43年4月7日 西新井
大正14年日車製で、クハ1形として登場、昭和12年にM化、昭和39年に荷電に改造された。
(5)ED5021 昭和43年4月7日 西新井
ED5010形で昭和32年日立製、5011〜5024まで14両在籍した。約40年前の西新井駅であるが、のんびりとした雰囲気の構内や跨線橋等を見ていると、とても東京23区内の駅とは思えない。また、15年後に北千住、西新井と同じ足立区に住むとは夢にも思わなかった。
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