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【1123】で総本家青信号・大阪通信員様より、昭和40年に撮影された美濃町駅のカラー写真を公開していただいたが、当時はカラー写真そのものが珍しく、貴重な記録である。また、正面のモ520、右のモ510の旧塗装も非常に懐かしく思った。
ご承知の通り、美濃町線は3年前の平成17年3月31日の運行を最後に、岐阜市内線、揖斐線と共に廃止されたが、電車は市街地を外れると専用軌道をスイスイ走るのに対し、並行する道路は元々朝夕ラッシュ時は渋滞しており、電車廃止後更にひどくなり、代替バスが満足に走れないという新聞記事を見たことがある。要するに岐阜市の交通政策の根本的なミスにより、鉄道が犠牲になってしまった訳である。
今回は、早期に廃車されたため、取り上げられることが少なかったモ540型について述べてみたい。
モ540型は昭和24年三重交通より購入した車両で、三重交通時代は神都線で使用され、車体は木製、3扉車であった。車体の割に出力が小さくスピードが出ない、運転台が狭い等の理由で運転士から嫌われていたため戦後の早い時期に廃車となり名鉄に譲渡された。旧番、製造年は下記の通りである。
三重交通 モ501 → 名鉄 モ541 大正12年 梅鉢鉄工所
モ502 → モ542 大正12年 梅鉢鉄工所
モ504 → モ543 大正13年 梅鉢鉄工所
名鉄では中扉を埋めて窓を設置した。中央の窓がやや狭いのはこのためである。昭和35年に美濃町線のラッシュ対策として、モ541とモ542を永久連結し、連結面の運転機器を撤去した。モ541はパンタグラフ、モ542はビューゲルを装備していたが通常はモ541のパンタグラフを使用していた。モ543は改造されることなく美濃町線の他、昭和39年10月4日付で廃止された鏡島線(千手堂〜西鏡島)等で使用されていた。モ543は昭和38年頃、モ541と542は昭和42年頃車体に鉄板を張ってニセスチール化された。廃車は、543が昭和43年、541と542は昭和45年であった。
写真は上から
モ541 昭和39年6月24日 新岐阜
モ542の連結面 昭和39年6月24日 新岐阜
モ542の廃車直後 昭和45年11月1日 田神検車区
隣にオープンデッキの客車らしきものがチラッと写っている が、元大分交通の客車だったと思う。足回りが外されていた ためか、残念ながら撮影していない。
モ543 昭和39年6月24日 徹明町(ニセスチール化後)
モ541、542とは窓配置が少し違っている。行先板の 「弘法口」は鏡島線の途中停留所である。
モ71 昭和39年6月24日 新岐阜
大正2年 名古屋電車製作所製 元瀬戸電テ1型のNo17
岐阜市内線の単車については後日述べてみたい。
【モ541.jpg : 111.5KB】
【モ542.jpg : 129.9KB】
【モ542 廃車直後.jpg : 98.0KB】
【モ543.jpg : 88.5KB】
【モ71.jpg : 106.9KB】
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