|
TTA=Tramway Touristique de l'Aisne その3
先々回にも触れたが、このドド田舎軌道はかつて国鉄線とも接続し、とんでもなく長いものだったらしい。インターネット情報で詳細が知れる「はずだ」が、50年前単位獲得を強要された第二外国語といささかの関わりもなく、小生にはカケラも分からない。どなたかhttp://users.skynet.be/ttatest/press/tta_dospresse_17042006.pdf などをご覧頂き、「日本語で」ご教示願いたい。かつての地図も出ている。
車庫は現在の起点 Erezee の次の Blier である。先回のキャストアイアン標識上部にその停留場名を表示している。我々老人3人は約4時間この軌道をたっぷり堪能し、16時50分(現実には運転手が車で来た仲間と話に打ち興じ中々発車しなかった) Erezee に向け折り返す最終列車を Dochamps で撮影。軌道のみはその先まで残っていた。
再びドイツはコブレンツ目指し帰路につく。ユーロピアンロードE411号線に入り、ルクセンブルグを南側でぐるりと巻き、E44号線へ。途中1か所自動車専用ながら一般道路になるところで道と方角を間違い、10km程あらぬ方向に走ってロス半時間。頼りないナビ(小生)のチョンボである。
コブレンツ・オストでも出口を間違いロス15分。真っ暗になって不安が押し寄せる小生を尻目に、我らが先達=ウメムラツーリストは平然としている。レンタカー返却場所に程近いガソリンスタンド(勿論セルフ)で給油し、支払時レジのお嬢さんに強引に頼み込み、タクシーを呼んでもらったのであった。
程なくやってきたタクシーと一緒にレンタカーを返却に。事務所はとうに閉まっていて、門のところに置き、キーはポストにとの指示だったから、歩道上に乗り上げ駐車したら、運転手に注意され道路上に置きなおした。時既に21時近い。
それにしても、こんな人気の少ない郊外で夜間に車を返却した人は、一体どうやって町に戻るんだろうか。路面電車のない町で、不案内の=それも言葉に不自由な東洋人には大変だが、そこは百戦練磨の先達の面目躍如たる危機管理で、我々は何事もなくコブレンツに戻れた。
タクシー運転手のアフガニスタン人は実に親切、かつ中々のインテリらしく、恐らく大卒ではないか。コブレンツ駅直近のホテル・コンチネンタル=大いに名前負けの安宿に3日ぶりに再投宿し、近くのエセ中華飯屋(ベトナム人経営らしい)で夕食。入浴後バタン・キューで23時ごろ就寝。翌日は列車でスイス入りである。
なお鍾乳洞アクセス軌道紹介のアドレスも入れておくので参照されたい。
http://users.skynet.be/tramdehan/
http://www.tramdehan.net/bandeauacc2.htm
外にも紹介ページは沢山あり、鉄・4軌道名で検索するとびっくりするくらい出てくるから、ヒマな時にどうぞ。
【これはかなりのカーブ.jpg : 199.3KB】
【すぐ後ろに続行車が.jpg : 193.3KB】
【排気ガスをたなびかせて.jpg : 195.1KB】
【のどかな農地を.jpg : 196.4KB】
【終点近く.jpg : 198.9KB】
|
|
|