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既報のとおり、吉川文夫さんが去る8月11日に亡くなられた。すべての鉄道ファンから慕われ、尊敬された方だった。クローバー会の活動にも関心を持たれ、その一端は40周年誌「青信号26号」に“絆”と題する祝辞を寄せていただいている。吉川さんから有形無形の薫陶を受けた会員も多い。中でも吉川さんと乙訓老人は、東と西の電車ファンの代表格として、歴史的な親交があり、国内は言うに及ばす、その友好の舞台は海外まで広がっていた。
特派員も仕事で吉川さんにお世話になった一人である。鎌倉のお宅にも何回かお邪魔した。材木座の海岸近く、いかにも鎌倉らしい、古いけれど広壮なお宅に入ると、にこやかな表情の吉川さんが迎えてくださった。それから数時間、話は留まるところを知らない。原稿や写真をお願いすると、その2日後にはもう着いているというスピードぶりで、その速さ、心遣いは、他の鉄道ファンにはなかなか真似のできない領域だった。原稿の中身も決して尊大ぶらない、平易で穏やかな内容で、吉川さんの人柄を見事に体現したものだった。写真もありとあらゆるシーンをきっちり撮影し整理されている。写真はあくまで記録が中心であるが、中にはすごい感性で撮られたシーンもある。中でも、鉄道ピクトリアルの第2回鉄道写真コンクールで推選に選ばれた「ちび助力走」は、西武鉄道モハ21をやや斜めに流し撮りされたもので、ポール集電、ラジアル台車の同車の特徴が見事に捉えられている。そのタイトルとともに、50年以上経った今も不朽の名作として記憶の中に残っている。
11日の昼、乙訓の老人から吉川さんの訃報に接した。たまたま上京する用事があり、予定を繰り上げて、翌日に鎌倉で行われた通夜にも参列してきた。式場はぎっしりの人で、高名な鉄道ファンがすべて集まった感じで、中でも鉄道系出版社のトップがすべて顔を揃えたのは、鉄道雑誌などで永く活躍された証しでもあった。遺影の吉川さんは、会ったときと同じように、穏やかに微笑んでおられた。
写真は、静岡で行われた出版記念パーティでのひとこま。左が吉川文夫さん、中央がわがクローバー会、湯口徹さん、右は広田尚敬さんと、それぞれに頂点を極めた鉄道ファン3巨頭がなごやかに談笑されていた。3年余り前のことである。
改めて吉川さんのご冥福をお祈りするものである。
【129_2906.JPG : 203.8KB】
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